同級生のおじとめい③

 登下校は気をつけてバラバラにしている。先に出るのは俺で、先に帰るのは時雨だ。学校までそこまで遠くもなく、お互いに帰宅部であるからできていることだろう。そうでなくてもやっただろうが、手軽になっているのは間違いなかった。

 今日もそのルールに則って、図書室で時間を潰してから帰宅する。まだ兄ちゃんたちは帰っていない夕日の差し込むリビングに、時雨が腕を組んで座っていた。


「……ただいま」

「おかえり。そこ座って」


 直截でいいことだ。確かに話す必要があるだろう。それにしても、厳かな雰囲気を出すのはやめて欲しい。些かビビりながらも、時雨の正面へ腰を下ろす。今日はソファじゃなくて、ダイニングテーブルだ。

 食事を思い出す正面の角度に、嫌でも昼休みのことが思い出された。なかなか効果的な態度を取ってくる。


「どうしよう?」


 ちょっと堅苦しい顔をしていたものが、一瞬でへこたれる。

 どうやら、手落ち気味だった会話や態度について怒っているわけではないらしい。それよりも、雪菜との関係に迷いが生じてしまったようだ。高校に入ってできたばかりの友人に、違和感を抱かせてしまったことは悪かった。


「もうしょうがないだろ。今日みたいにやっていくしかないぞ」

「今日、ダメだったでしょ?」


 まだ制服を着たままの時雨が、べたりとテーブルに突っ伏す。その重ったるい動きを見るにつけ、帰ってからずっとぐだぐだと考え続けていたのであろうことを察した。


「まぁ……危なかったよな」

「だって、距離感分かんないんだもん」

「それなりに、じゃなくした弊害が出たな」

「そうだよ。貴大君が辛いのがどうとか言っちゃうから」

「悪かったよ。油断してた」


 時雨も自然に受け答えをしていたのだから、こちらに全責任を預けられるのは不愉快だ。だが、口火を切ったのはこちらだった。発端を言い出されると風向きが悪い。


「私も悪かったけどさ~」


 俺が非を認めると、時雨も思いの外さらりと呟いた。反省しているからこそ、こんなに疲れているのだろう。

 足が出るところなどは如何ともしがたいが、憎めないところはこういうところだ。

 分かっているのなら、昼の責任の所在を追及している場合ではない。それよりも、今後の対応のほうが問題だ。


「……雪ちゃんと仲良くならないほうがいい?」

「なんでだよ」


 安直な発案に眉を顰めた。

 時雨は、だって……と囁くように目を伏せる。うつ伏せでそうされると、随分と落ち込んでいるように見えて困った。責めているつもりはない。


「もう仲良くなってるんだろ?」

「そうだけど。貴大君と仲良いんでしょ? バレるよ?」

「いいよ、そこは。仲良くしとけよ」


 よくはないかもしれないけれど。けれど、家族の事情を盾に、友人との仲を引き裂くつもりなどない。

 時雨はきょとんとした顔で、こちらを見上げてきた。テーブルにべったりと突っ伏していたものだから、前髪が張り付いて微妙にホラーテイストな角度だ。


「いいの?」

「あのな、友達と縁を切れとかいうと思ったのか?」

「……そこまでひどいこと言うとは思ってないけど、でも、本当に大変じゃない?」

「大変なのはそっちだろ?」

「でも、貴大君と図書館でも会うって言ってたし、前は家に遊びに行ったりもしてたんでしょ?」

「……そうだった」


 肯定めいた発言をした俺に、時雨の視線がまた下がる。思案首投げ。悪い方向に考えているに違いない。思えば、時雨はあまりポジティブ思考ではない。楽観的、というよりも、考えを放棄することはたまにあるが、じっくりと考え込むところがあるようだ。

 ……だから、あんな素っ頓狂なそれなり、なんて案に行き着くのだろう。考え過ぎた人間の拗れた思考だったのではと思うと、すとんと腑に落ちた。

 時雨は勝手に落ち込んでいるが、俺が考えていたのは仲の良さを再確認したからってわけじゃない。

 思い出したことがあった。


「姪ができたことを、雪菜は知っている」

「え!?」


 がばっと顔を上げた時雨の表情が鬼気迫っている。顔が引きつった。


「私だって知ってるの!?」

「知ってたら、雪菜はそれを言うよ、普通に」

「どこまで言ってるわけ?」


 時雨はよっぽど気になるのか。前傾姿勢になって、じっとこちらを見つめてくる。それは喫緊の問題だ。俺だって、時雨が俺たちの話を誰かにしていると聞けば、今の時雨のように懸命に話を聞き出そうとすることだろう。


「兄ちゃんが結婚して、引っ越す。お相手の娘さんと一緒に住むことになってるってところまで」

「年齢は?」

「言ってない。姪ってことだけだ。雪菜はもう少し小さい子だと思ってる」

「そりゃ、そうだよね。姪って言えば」


 それはイコールで、時雨だって叔父さんと言われた際に、もっと年上の存在を想像したということだろう。俺もそうだったので、よく分かった。だからこそ混乱して、初手で躓いたりしたのだ。


「……悪い」

「どうして? 謝ることじゃないでしょ」

「いや、家庭事情を勝手に明かすのはまずかったな、と」

「相談したくなることだってあるでしょ。だいたい、私と雪ちゃんが仲良くなるなんて思わないだろうし、しょうがないよ」


 意外な心地で時雨を見る。

 なかなか器がでかい。そりゃ、俺だって責めたりはしないだろう。だろうが、ここまで何のフックもなく、爽やかに言えるものか。こういうところは尊敬する。


「とにかく、雪ちゃんは貴大君の事情を一応知っているってことだね」

「ああ。昔の家も知ってるし、兄ちゃんのことも知ってる」

「……裕貴さんと会っちゃったら、色々大変じゃない?」

「それよりも、時雨のほうが大変だろ?」


 俺はいい。雪菜とはクラスも違うので、ある程度距離がある。そりゃ、雪菜と関係を断絶するつもりはないけれど、クラスが違えばその分交友は緩くなるものだ。

 それに比べれば、時雨のほうが大変だろう。


「……でも、貴大君だって大変になるじゃん。本当にいいの?」

「俺が時雨の交友関係に口出すのは変だろ。束縛彼氏じゃねぇんだから」

「束縛叔父さん?」

「もっと危なさそうな呼び方をするなよ」


 束縛叔父さんは、音だけで聞くと本当にやばい。何やら援交などの犯罪行為に加担したような心地だ。


「でも、本当に危ないでしょ? 大丈夫?」


 そりゃ、バレたら気まずいし、余計な噂にはなりたくない。噂を回避したいのは、時雨も同じだろう。母子家庭である時雨も、それなりに色々と邪推されてきたというのは、話の隙間から察せられるものがあった。

 ……何より、理彩さんは若い。いや、兄ちゃんにとっては年上女房だろうけれど、時雨の年齢の母にしては若いのだ。その若さで母子家庭というのは、悪意のある想像を巡らせるのは容易い。未婚の母であると聞いている。そうなれば、輪をかけてかっこうの餌だろう。

 そうした状況下に陥る危惧や不安もあるようだった。


「大丈夫。気をつけよう。最悪、雪菜ならちゃんと説明すれば分かってくれる」

「……雪ちゃんも苦しくならない?」


 言われて、ぱちくりと視線を瞬く。

 雪菜が? と咄嗟に思考が繋がらなかった。その疑問を即座に理解したのだろう。時雨は続けて口を開いた。


「だって、秘密にするんでしょ? 雪ちゃんにも秘密を抱えてもらわなきゃいけなくなるでしょ? 嘘つかせなきゃいけないこともあるじゃん」

「ああ……」


 考えが足りなかったかもしれない。

 雪菜なら大丈夫ということしか考えていなかった。やはり、気遣い屋というのは、こういう人間を言う。雪菜の言うそれを、今になってしっかりと感じていた。


「じゃあ、頑張ってバレないようにするしかないな」

「……うん」


 雪菜と仲良くしていきたいのだろう。時雨はそれ以上食い下がることなく、小さく頷いた。

 そうした気弱な態度を取られると、幼くか弱い少女に見える。

 だからだろうか。俺はほとんど反射的に、俯き気味のその頭をぽんぽんと撫でた。時雨の目が丸くこちらを窺う。


「なに?」

「いや。なんとなく」

「姪扱いなんてしないでよ」

「普通に、同級生として励ましてる」


 柔らかくて指通りのよい髪は、触り心地が良い。するすると撫でていると、時雨の顔つきが怪訝に染まっていく。


「……女慣れしてないなんて嘘じゃないの?」

「は?」


 ぽかんと手を止めると、時雨の瞳は訝る目つきになっていた。


「雪ちゃんに、こういうことしてんの?」

「しねぇよ」


 したことがあるかないかを考えるよりも先に、否定が飛び出していた。

 時雨の表情が複雑怪奇になっていく。しかめっ面と困惑顔を撹拌したかのような表情は、一体何を感じているのか分からない。

 首を傾げてると、時雨はふいと顔を逸らして唇を尖らせた。


「……こういうの、バレるでしょ」

「あ、ああ。気をつける?」


 確かに、他の誰にもしないことを時雨にしているというのは、仲の良さの証左になるだろう。疑われる要素だ。だが、ここまで過剰に反応されると思わずに、半端な声音になってしまった。

 時雨が、がたりと席を立つ。


「じゃあ、お互い気をつけるってことで」

「ああ」


 結局、他にどうしようもない。今更、時雨が雪菜と距離を置くのも、それはそれで怪しいだろう。動き出してしまった関係性は、やり直しがきかない。

 俺たちは現状維持と言動の注意を誓って解散した。

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