同級生のおじとめい②

「貴ちゃん」


 という呼び名は、近い距離であったからこそ、飛び出たのだろう。

 俺の視線で気がついた透流も女子二人を振り返り、完全に二組が顔を合わせた状態が作り出されてしまった。


「おう」


 こうなったら答えるしかなくて、雪菜に小さく手を挙げる。

 透流が、友達か? とでも言うような顔でこちらを見てきた。雪菜のほうも、興味深そうに透流を見ている。

 ……このまますれ違うのは無理だ。昼食中という静止状態で会話のできる状況下で、ただ挨拶をして終わるのは難しい。


「雪菜だ。昔なじみ。こっちはクラスメイトの城内透流」

「初めまして」

「こちらこそ。貴ちゃんがお世話になってます」

「やめろ。保護者か」

「お世話してます」

「城内も乗るなよ」

「ははっ、で、そっちは?」

「時雨ちゃんだよ、クラスメイト」


 ごく自然に紹介されてしまって、不自然な笑みになった。時雨のほうも、若干頬がひくついている。

 こんな予定じゃなかった、と言うのは互いの心の叫びだったかもしれない。


「そっちも加藤と知り合い?」

「いや、」

「少し」


 被った返答に、閉口する。

 どういうつもりだ、と睨んだが、時雨の眼光のほうがよっぽど冷たい色を含んでいて、引き下がりそうになった。


「図書委員で一緒だから。顔見知りではあるよ」


 そういえば、そうだった。

 当番の日は被っていないし、遭遇することもないので忘れていた。接点をなくそうと話していたくせに、委員会のことなんて、まったく気にしていなかった弊害だ。


「おいおい。お前、今いやって言わなかったか?」


 透流がひどいぞとばかりの呆れた視線を寄越す。声は被っていただろうに、ちゃんと聞き分けていたようだ。食堂の喧騒に掻き消されていればよかったものを。


「……顔見知りって言おうとしただけだよ」

「ひどいなぁ、貴大君は」

「あれ? 名前呼び?」


 その疑問を呈したのは、当然だろう。透流は関係を推し量るような目をしていた。そこに悪意はないが、好奇心は存分にある。

 アイコンタクトは一瞬だった。

 俺は何も言えなかったが、時雨は端から答えを用意していたらしい。

 ……思えば、両親の前でも表面上仲良くできていたのだから、取り繕うことは得意なのだろう。他人の心中や空気の流れを読み過ぎる、ということでもありそうだが。


「だって、加藤だから」

「加藤?」

「うん。加藤時雨」


 関係は言わなければバレることはない。だが、名前はどうやってもバレる。時雨のやり方は賢い。

 しかも、こうすることで、家と学校で呼び方を変えるなどの段階が必要なくなる。余計なことに気を回すのが不得手な俺たちには、ありがたい手法だった。


「そっか。貴ちゃんって加藤だったね」

「雪菜、そりゃないだろ。傷つくぞ」

「だって、普段意識しないもん。時雨ちゃんも最初っから時雨ちゃんって呼ぶようになっちゃったし」

「名前のほうが呼ばれ慣れてるから」


 微苦笑で答えるそれは、本音だろう。

 加藤になったのは春先。一ヶ月半かそこらしか経っていない。直接聞いたことはないけれど、そこにも思うところがあったはずだ。


「じゃあ、俺も時雨ちゃんって呼んでいい?」

「うん。私も透流君でいい?」

「もちろん。でも、そうすると加藤がややこしいな。貴ちゃん?」

「やめろよ。貴大でいい」

「お前も、透流でいいよ」


 出会って既に数週間が経っていながら、今になって透流と呼び方について確認するような事態になるとは思っていなかった。

 それもこれも、時雨と雪菜が友達になってしまった結果だろう。なかなか貴重な体験だ。できるならば、回避したかった。


「ていうか、話づらいだろ? こっちおいでよ。雪菜ちゃんも名前でいいよな?」

「うん。それじゃ、透流君のお誘いに乗ろうかな」


 そうして笑った雪菜の行動を止めることはできない。時雨も嫌だとは言い出せなかったようだ。二人が移動してくる。

 雪菜はそばであったからか。すぐに透流の隣を陣取った。となると、テーブルを越えることになる時雨がそのままこちら側に回ってくることになる。隣に腰を下ろしてくる時雨の顔は、殊更に笑顔だった。

 こいつ、気まずいほど笑顔になるな。

 こうして外部との接触を通じると、時雨の特徴が鮮明になるものだ。時雨を知れることは悪くはないが、これほどヒリヒリした状況下は望んでいなかった。


「雪菜ちゃんと貴大は中学一緒ってこと?」

「小学生のころから同じだよ。仲良くなったのは四年くらいからだけど」

「図書委員で一緒になったからな」

「私と一緒だ」

「じゃあ、二人はこれから仲良くなるね」


 あっけらかん。前向きな雪菜の言葉には、揃って薄い笑みを浮かべるしかない。時雨の笑顔の件をどうこう言えたものではなかった。


「なんだよ、その愛想笑いは」


 言葉がないのは、さすがに胡散臭過ぎたらしい。


「そりゃ、そうだろ」

「急に言われても困るよ」


 こういったことにおいても、共感度は高いようだ。もっと穏やかなところで共感できるような生活がしたい。


「ごめんごめん。でも、時雨ちゃんも貴ちゃんも仲良くするといいよ。同じ苗字のよしみだし、私の友達だもん」


 後者もなかなか暴論だが、苗字のよしみには格別の苦々しさを噛み締めた。雪菜もまさか、口にしているよりもよっぽどよしみがあるとは、思いもしていないだろう。

 よしみどころが、同じ親族内の話だ。


「雪菜ちゃんが仲を取り持ってあげれば、あっさり仲良くなれそうだな」

「え~、そうかな~」


 雪菜は誰にでもフランクであるから、親しみやすい。透流の感想もあながち間違いではないだろう。

 だが、どこまで仲良くを貫くべきなのか。俺たちは横目でアイコンタクトを送り合う。どちらも相談ばかりで回答がないので、ただただ目線を交じり合わせているだけであった。無意味だ。

 俺たちのそんな無意味な応酬の間に、雪菜と透流の会話は盛り上がっていた。主には明るいねとか、金髪が綺麗だねとか、受ける印象で褒め合いを始めている。なんて肯定的で健全な交流だろうか。

 俺と時雨の初手、殺伐とまではいかずとも、素っ気なさ過ぎたやり取りを思い出すと、そのコミュニケーション能力には感服せずにはいられない。俺たちは解決策も見当たらず、会話に取り残されたふうを装って、昼食に進めることにした。

 淡々と食していくのは、いつも通りだ。時雨と食卓を囲むことには、もうすっかり慣れている。そんなものだから、お互いに相手の調子が読めていた。


「時雨、ソース取って」

「ん。じゃ、七味取って」


 とんかつ定食にソースはかかっているが、量はそれほどない。追加を求めて声をかけると、時雨はさっとソースを渡してくれながら、交換条件を出してくる。

 時雨が食べているうどんの上には、既に十分な七味がかけっているように見えたが、もう時雨の味覚に驚くのはやめた。あの後、理彩さんにさりげなく確認したが、なんとも悲しそうな顔をされたので、そういうことなのだろう。


「かけ過ぎるなよ」


 驚き過ぎることはなくなったが、ついつい口は出る。時雨は味覚がおかしいのであって、胃や腸が丈夫なわけではない。何でも食えるというわけでもないのだ。

 自分の好きな味を食べているだけ。なので、ちょくちょく食べ合わせの悪いものを口にして、気分が悪そうにしていたりするらしい。これも理彩さん情報だ。


「辛いの好きなんだもん」

「……ちゃんと辛いの分かってるんだな?」

「馬鹿にしてる?」


 時雨は味音痴ではあるが、許容範囲は広いようだった。一般的な味付けも、美味しいの範疇らしい。なので、自分の味覚がおかしいことに自覚がない。人と好みの味が違うのは当然であろうから、そういうものだと思っているのだ。

 そんなものだから、遠回しに味音痴を指摘するように言うと、ひどく不可解な顔をする。


「そんなに辛党だと知らなかっただけだ」

「でも甘いのも好きだよ」

「味が濃いのが好きなんだろうが」

「甘いって濃いの?」

「過剰に甘いってこと」

「そんなに甘党じゃないけど」

「……味覚がおかしいんだよ、お前は」

「だから、それは貴大君が神経質なんだって。同じもの食べてるでしょ」


 会話の最中に、こっちに戻してきた七味を置いて、こちらもソースを戻してもらった。

 他のことではここまでスムーズに行くとは思わないが、食事中のことだけは自信を持っていいのかもしれない。それほどまでに、ナチュラルなやり取りができていた。いつもと違う場所で日常行為をすると、際立って自覚が促されるものだ。

 俺はそのことに多少の感心を覚えながら、箸を進める。時雨も着々とうどんを啜っていた。

 その間、雪菜と透流の会話に耳を傾けてどうこうするという発想がなかった。それは俺たちの落ち度だったのかもしれない。


「既に仲良いな、お前ら」


 前方から声をかけられて、隣の箸の動きが止まったのが視界の端に見える。こちらも手を止めてしまいそうになったが、それは過剰な反応になる。そう思ってとんかつを自分の口に運んだのは、根性か火事場の馬鹿力かのどちらかだった。


「息ぴったりだね、二人とも」


 追い打ちに硬直している時雨の笑みが深まる。

 それを嘘くさいと思うのは、その心情が手に取るように分かっているからだろうか。雪菜や透流は、そんなふうには思っていないようだった。

 ……こんなに分かりやすいというのに。


「何度か委員会で一緒になったから」

「その割には、好みの食べ物とか」

「そういう話になったの」

「貴ちゃんは料理得意だし、人の好み聞くの好きだよね」

「そういうわけじゃないけど。時雨のを聞いたのはたまたまだって」


 時雨のそれを把握しているのは、実体験だ。わざわざ好みを聞かなくたって、理彩さんのメニューからも、時雨の間食からも、いくらだって情報は収集できてしまう。

 だいたい、人の好みを聞くのが好きなんて妙な癖は俺にはない。雪菜のそれを聞いたことがあるのは、何度かうちで料理を振る舞う機会があったからに過ぎなかった。


「貴大が女子を名前で呼ぶのって実は珍しいよな?」

「なんだよ、急に」

「いや、雪菜ちゃんとは昔なじみだからってのもあって気にしてなかったけど、クラスメイトはさん付けだろ? 時雨ちゃんのことを呼ぶの慣れてるよな」

「……だから、加藤さんってわけにはいかないだろ。俺も気持ち悪いし」

「まぁ、そうなんだけどさぁ」


 雪菜は俺たちが仲がいい……友人同士が仲がいいのを素直に喜んでいるらしい。けろっとした顔で笑っている。一方で、透流はどこか疑問を抱いている様子であった。

 確かに、俺は女子と話すほうじゃない。だが、それはそもそもクラスメイトと騒ぐことが少ないだけだ。透流もそれは分かっているのだから、そこまで疑問を抱くこともないだろうに。

 何か察するものがあるのだろうか。透流は勘が鋭いのかもしれない、と警戒心が高まった。雪菜のほうはどうにかなるかもしれないが、今日ここで会ったが運の尽きだ。リスクは跳ね上がっただろう。

 ひとまず、透流はそれで引っ込めてくれたようだ。二人も食事に集中し始めた。ほうっと息を吐き出してしまったのは、仕方がないことだろう。

 しかし、その油断というか。二人の目があるうちに気を抜いたことは迂闊だったというか。

 横から時雨の足が伸びてきて、すねの辺りを緩く蹴った。いくら弁慶の泣き所といえど、痛くない程度に緩いものではある。あるが、蹴られていい心地がすることはない。睨みつけてやるも、時雨は素知らぬ顔をしていた。

 取り繕うのが本当に上手いことだ。

 俺も時雨の態度に倣って、表情は取り澄まして、足を緩く蹴り返してやった。一瞬で、鋭い視線が飛んでくる。時雨がやったようにスルーするのがお返しのルールだろう。

 やられたらやり返す。

 そうした信条にもとったものだったが、時雨も同じ信条を持っていたらしい。二度目の足蹴が飛んできた。

 そんな面倒なところだけ似ていなくてもいいのに、と遠い目をしたくなる。

 それから、しばらく足蹴の応酬を繰り返した。そんなことをしていれば、暴発もする。互いにそれなりのダメージ調整をしていただろうが、そう上手くいくものではない。

 時雨のつま先ががつんとすねを蹴り上げた。


「って」


 思わず声を上げてしまった俺に、眼前の二人の視線が集まる。


「ごめん! 大丈夫?」


 反射のように謝ってきた時雨のすっとぼけた態度に、こめかみがひくついた。

 だが、時雨もそれなりに貼り付けたような笑顔なので、失態を取り戻そうというリスク管理なのだろう。本気で蹴り上げたわけではないはずだ。

 ここで馬鹿正直にやり合っていたことを明かしてもいいことはない。こっちもやり返していたわけなので、あちら側にだけ非があるわけでもなかった。

 こちらも笑顔で受け答える。


「平気、平気。ビビっただけだから」

「ごめんね」


 誤魔化すとするならば、笑顔になるものらしい。二人が収まってくれたものだから、貼り付けたような笑みを引っ込めるわけにもいかなくなる。

 時雨の笑顔に妙な学びを得た昼食だった。

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