第三章
同級生のおじとめい①
俺と時雨は、リビングで作戦会議を開いていた。
俺たちは、むしろ夫婦が出かけている間に一緒にいるようになっている。
それなりに距離を縮めていくと、保護者に微笑ましい顔をされるようになった。そのほうが、居心地が悪い。その微笑ましい顔を勘弁して欲しいと俎上に載せて、俺たちが仲を深めていることには気がついていないだろう。
まぁ、何にしてもバランスが取れ始めたといっていい。そこで作戦会議だ。
「学校、どうする?」
「同じクラスになることあるのか?」
「ないんじゃない? 配慮しないの?」
「知らねぇよ、そんなの」
「……義理の姉弟ってことにする手もあるよね」
L字ソファの長いほうに腰掛けた時雨が、背もたれに反り返りながら零す。乗り気でない声音だ。
「黙ってれば分かんないんじゃないのか? 加藤なんざ、珍しくもないだろ」
「でも、三者面談とかあるよね?」
「あー」
思い至ってなかった行事に、頭を抱えてラグマットを見つめた。
「俺のほうは、兄ちゃんが来るだろうけど」
「私のほうは、お母さんかな?」
「じゃあ、大丈夫じゃないか?」
俺の保護者は兄ちゃんだ。理彩さんだって家族となっているが、三者面談には遠いだろう。
ただ、時雨のほうは、少し怪しい。兄ちゃんはお義父さんになったのだから、理彩さんが忙しければその役割を担うこともあるだろう。繊細な部分であるから、よほどでなければ理彩さんが兄ちゃんに任せるとは思わないけれど。けれど、絶対ではない。
それは、俺のほうも同じだ。どうしても抜けられない要件が浮上すれば、理彩さんが代理を担うこともあるだろう。
何より同級生は言わなければ分からないだろうが、教師には明白になる。俺たちのどちらかに何かがあれば、どちらかに連絡が行くことは間違いない。
そうすれば、簡単に知れ渡ってしまうものだ。危うい橋だ、と苦い気持ちになる。
時雨も、大丈夫、とは軽率に同意できないのだろう。しんとした沈黙が、リビングに横たわっていた。しかし、時雨の沈黙は、俺のものよりも深いものであったらしい。
「……体育祭とか、どうしてた?」
世間話にしては重いトーンに、聞きたいことが分かって、ため息を零してしまった。
「親がいないことを気にしてるみたいに、ちゃんと毎年顔を出してくれてた。……そっちは?」
「うちも。いっつも張り切ってビデオ持ってきてたくらい」
「うちもだ」
確認したことで心配事は増す。揃って項垂れた。
「……来ないって線はないかな?」
その言いざまは、自分でありえないと分かりきっているようだった。望みであるのだろう。縋りたいのは山々だったが、現実は正しく見なければならない。そのための会議であるのだから。
「来るだろうな。高校生になったから、って余計に気合いが入ってそうだ」
「回避する道はないかな?」
むぅと唇を尖らせた時雨が、ほとんど独り言のように零す。そんなものは存在していないとばかりの声音だった。その諦念には、残念ながら同意だ。
「今年は一人じゃなくて、お互いがいるから気にしなくていいとか……ダメだな」
「どうして?」
何か問題があるのかと、時雨が首を傾げる。時雨は小さいほうだが、いつもは表情まで幼くはない。それがあどけない顔色を滲ませると、姪っ子であることを意識する。妹でもいい。
なんというか、庇護欲をそそられるのだ。
「可愛い娘ができたからだよ」
庇護欲に任せて口を開くものじゃない。
余計な形容詞に、時雨が照れくさそうに頬を染めた。淡い朱色に、こちらまで照れくさくなる。
「……そんなもの?」
「そんなもんじゃねぇの? 言っとくけど、兄ちゃんは親バカになるタイプだと思うぞ」
兄ちゃんが時雨に対して猫を被っているとは思わない。だが、距離感を慮ってはいるだろう。俺の世話を焼いてきた。年下に甘めの男が、時雨を甘やかさないわけがない。
体育祭は無論、文化祭も来たがるはずだ。授業参観があるとすれば、それも参加したがるかもしれない。
そんなことになれば、当然俺も見ていくだろう。俺と時雨の関係がバレるのも早晩だ。
「裕貴さんが……?」
「遠慮してんだよ」
「あ、それは母さんもかも」
「は?」
「だって、もっと口うるさいんだよ。貴大君は義理の弟だから、遠慮っていうか、いい義姉さんぶってる」
「理彩さんがねぇ」
お互い、見えている保護者の生態が違う。それは当然のことで、扱いの違いに文句なんて欠片もない。だが、やはり知らぬ面を知らされると、思いを巡らせてしまうものだ。
時雨も同じなのだろう。考えるように視線が遠くを見ていた。
「体育祭でバレるだろうな」
「親戚って顔してればいいかな?」
「てか、それ事実だろ」
「そっか。叔父さん」
「やめろ」
常に意識に付きまとわれなくなったのはよいが、その代わり不意に呼ばれることが出てきた。それは冗談で、からかいの種になると学んだからだろう。そんな学びはいらなかった。
こだわるのも癪なので、流し去って話を続ける。
「一緒の家に住んでるってのが、知られると気まずいよな」
「そこだよねぇ。邪推されそうだし」
もっとも懸念しているのはそこだ。
家庭事情に首を突っ込まれるのは面倒くさい。それは両親を亡くしてから、しみじみ思い知らされている。噂になるのはごめんだ。ましてや、邪推とともになんて、尾びれも胸びれも長々と豪勢なものがつきそうである。
「どうする?」
「だから、親戚って顔をしとけばいいんじゃない?」
「それで収まるか?」
「……同級生の叔父と姪だもんね」
それだけで、年齢関係的に想像を巡らせる余地がある。
どうすれば、そんな家系図になるのか。好奇心や邪推を呼ぶのに、いくらだって手を貸すことだろう。厄介極まりない。
だから、待ってくれればよかったものを。
何度も思わずにはいられないことに、ため息が零れ落ちる。それは二重になっていて、思わずそちらに顔を向けた。その動線は時雨も同じだったのだろう。顔を見合わせて、苦笑いを交わし合った。
無言で共有できる心情は、もう少し明るいものであってくれれば良かったというのに。俺たちは、こうした面倒事だけ、やけにスムーズに共有してしまうようにできている。
「とりあえず、聞かれるまで放置するしかないんじゃないか」
「余計なことして墓穴掘りたくないしね」
「しょうがないな」
「しょうがないよ」
あの日から、それはまるで合い言葉だ。同じ感情を持て余す人間としての、共鳴を呼び起こす合い言葉。
決して、ポジティブな言い回しではないだろう。しかし、俺たちにとっては、そっと息を吐き出すような心地になる言い回しであった。それを交わし合って、ソファに深く身体を沈める。
作戦会議は、何の実りもなく閉会された。
「加藤、食堂行くぞー」
実りのない作戦会議から、一ヶ月が経とうとしている。
すっかり忘れていた入学式というもっともハラハラするイベントを乗り越えた俺たちは、平穏な高校生活を送っていた。
式だけに顔を出した兄夫婦と、別々の帰宅ルートを取れたのはラッキーでしかなかっただろう。クラスが違ったのもラッキーで、緊張感など抱くこともなかった。
俺はクラスメイトの
透流は染みひとつない金髪にピアス。なかなか目立つスマートななりをした男だ。見た目のわりにカースト上位に君臨するような態度はなく、俺と教室の片隅でぽつぽつ喋るのが好きらしい。妙なやつだと言いたくなることもあるが、そうすると自分にも返ってくるので黙っている。
こうして、気軽に声をかけてくれるいい友だ。
俺と透流は並んで食堂へ向かった。ごった返した食堂を、透流はひょいひょい歩く。派手ななりであるものだから、人が避けてくれていた。透流はそういった目は気にも留めずに、あえて役立てて動こうとすることがある。
そうして席を確保すると、おぼんを持った俺を呼ぶのだ。
追いかけるように対面へ腰を下ろすと、
「あ、」
と声が上がって、目をそちらへ向けた。
ひとつ奥のテーブルだ。透流の後ろに雪菜がいて、その向かい。俺と視線の合う場所に、時雨が座っている。ひくり、と頬が引きつった。
ここ一ヶ月、食堂で姿を見たことは何度だってある。だが、遠目であったし、こんなに至近距離になったことはない。
雪菜が俺に気がついているときもあったが、雪菜は大声を上げて人混みを掻き分けてくるようなタイプではなかった。相手によってはするのかもしれないが、俺がそういうのを好まないと分かっている。なので、せいぜい小さく微笑み合う程度の交流だった。
それに、向こうは日によって人数がまちまちだったのだ。
まだ、新年度。始まったばかりの高校生活を誰と過ごすのかを見極めているかのような。そこまで大仰でないとしても、仲良くなれそうな相手を探しているような。そんな雰囲気の複数人の団体だった。
だが、今日は二人きりだ。それは、仲良くやっているということだろう。時雨は器用でないから、間違いなくそうだ。
よりにもよって、という気持ちが膨らむ。
いや、時雨が誰と仲良くなろうと、それは時雨の自由だ。だが、ここで友人が被ってしまうというのは、関係を知られたくない事実上、厄介ではある。リスクが高い。だからと言って、今更、俺と雪菜と仲がいいなんて言い出しても手遅れだろう。
何より、たった今時雨が声を上げたのが手遅れへの王手だった。時雨の声に気がついた雪菜がこちらを振り返って、俺を見る。
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