第三十三話〜第三十六話
第三十三話
グリサンド
グリッサンドとも。ある一つの音から別の高さの音までを一息に連続的に(あるいは滑らせるように)発音する演奏法。
いちばん分かりやすいのは鍵盤楽器の場合。ピアノで、たとえば真ん中のドを叩いて、そのまま指を上げないまま上方向に滑らせていったら、だららららーっと白鍵ばかり連続した音の並びになります。その、だららららーっがグリサンドです。
管楽器の場合は二通りあって、まずピアノと同じように音階的に一音一音上行(または下降)する方法があります。普通の音階ではなく、半音階でやることもありますが、この辺は曲想によります。
でも、これがクラリネットとかサックスとかトロンボーンだと、エレキベースなどで指を滑らせてギュイーンと音を出す時みたいに、音階的な変化でなくて連続的な音高の変化で二音をなめらかにつなぐ奏法が選択できます(トロンボーンなどは、事実上そっちの奏法しかできません)。
どちらの奏法で鳴らすにしろ、どれぐらいの速さで音を移動するかは、曲想とその人のセンスによります。わざとゆっくりやったらだらしない、かつユーモラスな感じになりますし、グリサンドと気がつかないほど速くやれば、スタイリッシュな感じにな(ることもあ)ります。
前衛音楽
アバンギャルド・ミュジークの訳語。二十世紀真ん中辺りから使われた言葉で、学術的には、アメリカのジョン・ケージらの「実験音楽」に対して、シュトックハウゼンやブーレーズたちのヨーロッパの潮流を「前衛」と呼んで区別した――ということらしいですが、この作中で使ってる例などにあるように、普通は「わけのわからない音楽」の意味で使います。この感覚で言えば、「現代音楽」「実験音楽」「二十世紀音楽」などの用語はほぼ同じく「理解不能な音楽」の意味であって、特に区別はありません。まあ、あまり連発すると、コアなクラシックファンからツッコミが入りますが。
今日の映画は……どうも時代劇コメディみたいなノリだ。
適当にでっちあげた架空の映画のようですけれど、実在の映画です。
「ジャズ大名」。筒井康隆原作。岡本喜八監督。1986年公開。
今の視点で見たら、音楽賛美の映画と言うよりは平和ボケしたナンセンスギャグって感じなんですけれど、中心にあるのはやっぱり「音楽サイコー」って気分だと思います……思いたいですね。
コルネット
トランペットの、丸っこいフォームの親戚楽器……という言い方で一応通じますが、厳密には別系統の金管楽器。いや、見かけは本当に「丸いトランペット」なんですけど。
もともとトランペットという楽器は、二十世紀初頭までかなりキツイ響きの楽器だったので、柔らかく歌うように旋律を吹くということにはあんまり適してなかったのです。基本、長管でずっと上の方の倍音を使って名人芸で吹くというスタイルでしたから。
一方でコルネットという楽器は、郵便ラッパから派生したもので、トランペットよりはホルンの近縁です。最初から短管の楽器で、鳴らしやすい低い倍音をピストン機構で音階吹けるようにした、いわば庶民の楽器なんで、ディキシーランド・ジャズなんかで黒人が使ってるのは、トランペットでなく、コルネットがほとんどです。
当初は音色もそれと分かるほど、トランペットとコルネットは区別できていたんですけれど、二十世紀中期以降の金管楽器の製造技術の向上と、音楽のスタイルの変化や音色の流行、および全世界的に共通の楽器を使うユニバーサル化に伴って、トランペットの音色が豊かで柔らかくなり、ぱっと聞いた感じではこの二つは区別しにくくなってきました。
吹奏楽曲でも、八十年代までのアメリカ吹奏楽曲などではコルネットとトランペットの二つのパートがあって、はっきり役割も異なっていたのですが(A.リードやハワード・ハンソンなどの曲はほとんどがそうです)、今ではトランペットパートだけの曲が増えているとのこと。
それでも、コルネットのほうが柔らかい音色であるのは確かなので、響きにこだわる楽団は、あえてコルネットを指定して演奏することも。
なお、イギリスのブラスバンド(木管楽器を含んでいない、いわゆる本当の意味での金管バンド)ではトランペットは入らず、コルネットのみです。
第三十四話
マウスピース
管体を分割できる管楽器の場合で、いちばん口元に近いパーツ部分をマウスピースと呼びます。金管楽器の場合は、長さ十センチ少々の金属の塊で、ワイングラスの上半分を目一杯肉厚にして脚を太くしたような形をしてます。
一般的な金管楽器の練習は、これを口に当ててビィビィ音を鳴らすところから始まります。トランペットなどはポケットに入れられる大きさで、練習用の樹脂製になるともっと軽いので、日常的に携帯している部員も多いはず。ただ、マウスピースだけで出した音は、どう好意的に形容してもブタの鳴き声、もしくはあれを放った音にしか聞こえないので、練習前に周辺への入念な説明が欠かせません。
マウスピースになにやら管をつけて
マウスピースだけの練習というのは、楽器をつけて吹いたときと比べると抵抗感が少なすぎるので、むしろ害であるとの意見さえ出ており、実際の話、あまり延々と続けるべき練習ではありません。そこで、ならば抵抗感をつければいいんだね、と発想を変えて、マウスピースに適当な長さの管をつけ、実演に近い吹き心地にして、かつ近隣の住人にも配慮した静かな練習方法が編み出されています。管というのはなんでもいいんですが、材質とかミリ単位のサイズとか、より一層現実に近い吹奏感を得られるよう、リアルの練習ほったらかしで、熱心に研究に取り組んでいる人も時々います。
やかましい草笛みたいな感じの音
その種の音を出すことをバズィングと言います。「蜂の羽音」が原義です。
ちなみに金管楽器のバズィングは、マウスピースを使わない、ハダカの唇だけでもできます。そちらもまたバズィングと呼びます。
チューバならチューバで一緒にカルテットできるなあと
トロンボーン四重奏と言えば、管楽器アンサンブルでも曲のラインナップが揃っている、いわば花形の分野ですが、この手のアンサンブルは特定のパートを他の楽器に入れ替えても演奏は可能なので、例えば四番パートをチューバに替えて楽しんだとしても、そう不自然な話にはなりません。少なくとも一番パートをトランペットにしてしまうよりは、まだ理にかなった形態です。もっとも、それはあくまで人数不足の部活の中で妥協して行うものであって、あまり表に出すべきものではないです。
ハイC
トランペットで言う「上の上のド」のこと(ト音記号を上にはみ出た音で、上第二線のCの音)。ですが、単に「上の上のド」と言うと解釈が二種類できてしまい、「楽譜にドと書いてある音(B♭)」なのか、「実際にドの高さである音(C)」なのかはっきりしません。
クラシック系の人は実音で話をすることが多く、「ハイC」と呼ぶ以上はハ音を指すのが普通のようですが、ジャズ・ポピュラー系の人は記譜上の音で話をするのが一般的で、「ハイC」と言えばたいてい変ロ音を指します。
ではクラシック系の人が高い変ロ音を指す時は何と呼べばいいのか。理屈の上では「ハイビーフラット」という呼び方になり、きちんとそう言っている人もいますけれど、正直、長ったらしいので、結局「ハイシー」で通してしまうことがしばしばあります。というわけで、作中のこの「ハイC」は、ト音記号の上第二間のB♭を指しています。
ちなみに、これのもう一音上のCの音(本来のハイCの音)が、クラシック系トランペットの上限です。ここまで安定的に出せれば、シンフォニーでも金管アンサンブルでもたいがいの曲は吹けます。でもジャズ系はさらにさらに上の音域を使うので、ハイCの一オクターブ上(ダブルハイCと呼びます)あたりまで音域を拡大しておかないと、セッションでもドヤ顔ができません。
あと、これは日本だけでしょうけれど、英語とドイツ語を混じえて「ハイB♭」を「ハイべー」と呼んでる例も見受けられます。湾多的には、誤用スレスレの楽語表現だと思うんですが。
第三十五話
高校の吹部はお金がかかるから。
一般的な部活動の中でも、吹奏楽部はとりわけ金を食う存在のようで、いわゆる「強豪校」だと、ン百万の楽器をあれこれ揃えたりとか、飛行機を使っての団体様の遠征費(それも何回となく)とか、一つの演奏会の中での何種類ものコスチュームとか(もちろん一人ひとり別仕立ての……だと思うけど)、正直、格差社会のいちばんいい見本なんじゃないかと。
まあそういう極端な例は置いておいて、割合一般的な、県大会も突破しないような吹部の場合はというと、それでも結構金食い虫なのは変わらず、ざざっと調べた範囲では、公立高校のふつーの吹部でも、部費及び関連出費として、各家庭ひと月あたりニ、三千円ぐらいというのが相場です。コンクールで勝ち上がっていったりすると、これに臨時出費がついて、誇らしくはあるけれども痛し痒しで、どこの保護者会でも金の話になると喧々囂々だとか。
親孝行したけりゃ吹部には入るな、なんて、そのうち言われそうですね。いや、もう言ってるのかな?
正直、今の部費だってキツい。
で、中学校の吹部の場合はと言うと、これも一般的には、ですが、高校よりは少ない印象。でもどんなに安く上げてるところでも、だいたい月額千五百円ぐらいの部費は取ってるみたいです。年間二万円弱。スパイクなんかを履きつぶす野球やサッカーなどより安いのか高いのかは微妙でしょうか。子育てって大変。
第三十六話
ルバート
テンポ・ルバートの略。難しい歴史的な議論をさておいて簡単に言うと、メロディー、または音楽全体を拍に対して早めたり遅めたりする演奏法。
この語の説明で圧倒的に多く取り上げられるのが演歌の歌い方ですね。その例でだいたい日本人はみんな納得してくれるのですが、演歌は楽譜に書かれた音に対して、時に思いっきり音の出だしを遅めて(タメと言います)気持ちを高めたりし、ひいてはそのテンポ感の伸び縮みそのものが大きな技術ポイントになってます。
いわゆる西洋音楽でもそういうテクニックはあって、楽譜に書かれたタイミングに対して、大きく出だしを遅らせたり、逆に急き立てるような感じでわざとメロディーを飛び出させたりするやり方が大昔からありました。たとえばオペラのアリア、それからショパンやリストのメロディックなロマン派の音楽など。ヨハン・シュトラウスのワルツなども、だいぶん様式化されてはいるものの、緩急の加減が著しい部分についてはテンポ・ルバートの一種と見られることも。
上手にテンポ・ルバートすることは大変難しいとされていて(ルバートをかける、という言い方をします)、でも日本人は「要するに演歌っぽくやればいいんだよ」で何となく要領がつかめた気になれるから便利です。まあでも、下手なルバートなんて聞けたもんじゃないんですが。そのあたりはみなさんカラオケでよくご存知ですよね?
「フェリスタス」
全日本吹奏楽コンクール1979年度課題曲A。青木進作曲。
吹コンの課題曲というのは公募形式で、その中に「三部形式の(演奏会用)序曲スタイルの音楽」という募集項目があります(というか、ありました)。多くの場合それは急緩急の構成になるんですが、七十年代から八十年代にかけては「熱血」がもてはやされた時代なんで(だからなのかどうかはなんとも言えませんけど)、吹奏楽曲にもやたらとカッコいいイントロとエキサイティングな終結部がもれなくつけられるようになり、五分前後の時間で詰め込めるだけ詰め込んだ三時間映画みたいなドラマティック〝序曲〟がわんさか量産されてました。
で、「フェリスタス」はある意味、そのタイプのどまんなかの曲です。
以下、音楽に詳しくない方には、この項の最後まで不親切な説明で恐縮ですが。
この曲を順に描写すると――まずイントロはラフマニノフの「ヴォカリーズ」。続けて昭和歌謡丸出しのメインテーマ。なかなか泣かせるメロディーなんで、まあいい曲かな、と思ったのもつかの間、いきなりカバレフスキーかショスタコヴィッチなシロフォンが駆け抜けるアレグロに。でもそれもすぐに収まって、また昭和歌謡のやり直し、それからアレグロもやり直して、またまたテンポダウンして。いったいどうするつもりなんだ? と思ってたら、無理やりという感じで盛り上がっていって、絶頂を極めつつ、最後はストラヴィンスキーの「火の鳥」。
……なんて説明じゃいくらなんでも、と思うんで、もう少しちゃんとした説明をすると。
作中でも説明を入れますけれども、この曲は表向き三部形式ということになってますが、実は変奏曲形式です。作曲者自身はひとこともそうだと言ってないし、どこにもそうだと書いてませんが、聞けば分かります 笑。ではなぜ変奏曲形式だと明言しないかと言えば、ややうがった推測ながら、やはり募集項目に「三部形式」と書いてあるから、ではないかと。規定にそう書いてある以上、選ばれた曲が実はそうでなかったと言うわけにはいかない、という、暗黙の圧力と言うか、忖度みたいなものがあったせいではないかと。
というわけで、以下「フェリスタス」は変奏曲形式という扱いで説明し直します。
この曲は序奏に続けて主題と五つの変奏(あるいは四つの変奏とフィナーレ)からなる音楽で、序奏とメインテーマの曲想はネオ・バロック調を狙ったものになってます。ピカルディー終止なんかも入って、典雅な宮廷音楽イメージ(ただし二十世紀スタイルの)で書かれてます。序奏の「ヴォカリーズみたいな」という印象は、そもそもラフマニノフのあの曲がバッハの平均律第一巻第二十二曲のプレリュードからインスパイアされてる曲なので(というのは実は湾多の説なんですが ^^)、その意味ではやはりバロックには違いないです。とは言え、メインテーマのバスがストレートに下降進行してるとことか、あの時代の歌謡曲スタイルにすごく近い感じではあるんですよね。
続けて第一変奏は、やはりカバレフスキー流としか言いようがない 笑。なんだか「道化師のギャロップ」そのまんまですよね。あの運動会の音楽として定番の。
第二変奏は変拍子風に(実際変拍子なのかな? 楽譜見てないんで)エレジー調。
第三変奏は第一変奏の再現に近い形で、これを持って「やはりこの曲は三部形式だ」という言い方も出来るんですが、他の部分が壊れ過ぎだしね。
第四変奏はインベンション形式の対位法音楽であり、同時に次の部分へのつなぎ(ブリッジ)的な役割を担ってます。
そして第五変奏。メインテーマをモチーフに分解してエコーファンファーレ風に……て言っても、すごく短い部分なんで説得力ないですね。とにかく、他のところもそうですが、短い演奏時間になんとか詰め込もうとして、よく言えば密度が高い、悪く言えば慌ただしい構成ばかり。この第五変奏は特にそう。
で、コーダはやはりストラヴィンスキーの「火の鳥」……の最後のクライマックス部分。あの、弦と木管の保続音の中で金管のハーモニーが半音上昇しているところね。知ってる人はみんな叫んだことと思いますが、ほんとにそっくり 笑。これは絶対狙ってやってますね。ストラヴィンスキーへのオマージュ、という言い方に収めることもできるんでしょうが、この時代だと、まあ言い方としては「パロディ」になるのかな?
という感じで、一つ一つの変奏にもツッコミどころ満載、語れることは山ほどあるネタだらけの音楽なんですが。
なんにしろ、「詰め込み過ぎの音楽」の印象は免れないと思います。でも、吹く立場で見直してみると、なんか気分的にたまらないところがある曲なんですね。あらゆるところに最大限思い入れをこめて練習できる曲と言いますか。これに思い出が絡んでると、「泣けて泣けて仕方がない」曲になるんでしょうか。この際だから言いますけれど、私も好きです、「フェリスタス」。
「フェリスタス」の二種類のスコアを
二種類というのは、フルスコアとコンデンストスコア。
フルスコアは日本語で「総譜」。室内楽や管弦楽や吹奏楽の曲の、全部の楽器の楽譜が何十行もの段にまとめられている譜面。楽器の表記順はルールが決まっていて、吹奏楽だといちばん上がピッコロ、いちばん下はパーカッション。パーカッションのすぐ上が弦バス、それからチューバ(時にピアノやハープが挟まることも)。
コンデンストスコアは、一般にはコンデンススコア、簡易スコアと呼ばれているもの。全部の音が載っているのだけれど、二段譜から三段譜ぐらいの規模に抑えられていて、音をうまく分担すればそのままピアノ連弾なんかで音出しが可能。何十段もの総譜じゃ、移調楽器なんかもあって「結局ここの和音、なんなんだ?」ということがわかりにくいので、こういう楽譜があります。
出版楽譜によっては、総譜が存在せず、このコンデンストスコアのみ、という商品も多くあります。ポップスアレンジ譜とか行進曲なんかでそういうのが多いです。
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