理不尽な処遇



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 部屋の扉が勢いよく開いて、息を切らせたクロエが飛び入って来た。


「マリアっ……ここを出て行かされるって本当?!」


 片手で抱えられるほどの小さなボストンバッグに、衣服を詰めていたマリアが顔を上げる。


「クロエったら。相変わらず情報が早いわね」

「早いのはあなたよ、やっと昼休みになったから飛んで来ちゃった。荷造りなんか始めて本当に出ていくつもりなの? そんな理不尽な処遇を黙って聞くなんて、マリアはお人好しすぎるのよ。私がメイド長様に抗議してやるっ!」


 目から火を吹きながら扉に向かおうとするクロエを、慌てて両手で繋ぎとめた。


「怒ってくれてありがと。でももう何を言っても無駄なの。私がそうしたくなくても、メイド長様に訴えても。この国のお偉い様方が決められた事だから……どうしようもないの」


「でもなんで!? なんでマリアが追い出されなきゃいけないの? あの囚人はマリアのおかげで命拾いしたって言うのに!」


「そのことは広めずに黙っておいてね? 宰相様のお知り合いの……ジルベルト……様? が人違いで捕まって拷問まで受けていた事が国内外に知られれば、宰相様はおろか国王様の信頼失墜にもつながるのですって。私もだいぶ脅されたのよ。『口外すれば命を失うものと思え!』って、もうあなたに話しちゃったけどね?」


 ふふっ、とマリアは無邪気に笑って見せた。


「マリア……あなたの呑気さにはほとほと呆れちゃう。誰かが漏らしたことをあなたのせいにされて、殺されたって知らないんだからっ」


 マリアが王宮に押し入り、ジルベルトと名乗る男の存在を宰相に伝えたのはつい昨日のこと。

 ジルベルトがちゃんと助け出されたかどうかも知らされぬまま、唐突に今朝、ウェイン城からの追放という処遇を言い渡されたのだ。


「……今更遅いわよ。誰を口止めしたって噂はきっと広まるわ」


 剣幕を胸中に収めたクロエは、荷造りの手を動かし始めたマリアの隣にぺたんと座った。

 

「それで、いつ発つの?」

「今夜」

「何それ……そんな急に?! 昨日今日のことなのにひどすぎるじゃない……」

「もう言わないで? 寂しくなっちゃうから」


「あんたの処遇には納得がいかないけど——。彼を助けたマリアまで口を割れば殺されるっていうくらい、そのジルベルトって人が要人だったってこと? ジルベルトって何者よ」


「さあ……よくわからないの。メイド長様にお尋ねしても『やんごとなき身分のお方で素性を伏せておられる』としかおっしゃらなくて」


 聞くところによると、マリアは色々と罪深いらしい。


 まず——そのやんごとなき身分でおられるジルベルトを『呼び捨て』にした不敬。

 彼の持ち物(とても大切なものだったらしい)に勝手に手を触れた不敬。しかもその「大切なもの」を勝手に持ち出した不敬。


 ニワトリを故意に放って周囲を騒然とさせた挙句、下級メイドが入ることを禁じられている王宮に忍び込んだ罪。

 侍従長(あの年配の侍従、使用人のトップに立つ偉い人だったらしい)の言い付けを拒絶し、真っ向から歯向かった罪。

 狂人とも取れる不適切な格好(とにかく必死で気付かなかったけどお仕着せが血まみれだった)で宰相の前に出た不敬と、じか談判した罪。


 ——つらつらと並べればこんなにある。


「宰相様の口利きで免れたけれど。メイド長様がおっしゃるには、これだけ罪を重ねれば絞首刑か流刑労働になってもおかしくなかったそうよ。それにね……今まで私、仕事を失敗してばかりだったから。メイド長様が引き留めて下さらないのも無理はないの。もっと早くお城を追い出されていたって文句は言えなかったのに、今まで置いてもらっていただけでも有り難いって思わなきゃ」


「やっぱりあんたはお人好しすぎるわ。マリア」


「でもね、本当に有り難いお話なの! メイド長様のはからいで、別の働き口を紹介してもらえる事になったから……っ」


「へ?! そうなの??」


「西の国境に近い小さな町なのだけど。そこにある酒場で住み込みで働けるのですって」


「良かった……。ここを出たあと、マリアがどうするのか心配だったの。西の国境なら休みの日に会いに行けるわ。でもマリアのことだから。また失敗ばかりして、その酒場まで追い出されないでよ……?」


 笑顔のまま背中を向けたクロエは、目尻に涙を滲ませている。

 マリアはクロエの肩が震えているのを察知して、彼女の華奢な背中にぐわっと抱きついた。


「ええ、きっとまた会えるわ。短い間だったけれど、あなたとルームメイトになれて楽しかったわ。今までありがとう……クロエ!」


 ジルベルトの容体が心配だけれど……。

 そこまでの要人にもしものことがあれば、ウェイン城内は今頃パニックになっているはずだ。そして、今のところその気配は見られない。


 ——あなたの命が助かったのなら、私はそれで良いの。


 月あかりの下で空を見上げていたジルベルト。

 下働きのマリアに優しい笑顔を見せてくれたジルベルト。


 マリアの頬に指先でそっとふれたジルベルト。

 あの瞬間、マリアの心は彼の青い瞳に奪い取られた。


 —— 誰かに会いに行くのを待ち遠しく思ったの、初めてなんです。もう二度と会えないってわかってる。でもせめて最後にもう一度だけ……あなたの笑顔が見たかった。


 この胸の痛みが何なのかわからぬまま、マリアはジルベルトへの想いをぎゅっと封じ込めるのだった。



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