第2話 落ちた先で

「知らない天井だ」


 青い空を見上げながら、混乱したままの思考の中で、なぜかそんな冗談をいえる余裕があった。

 意味不明な穴に落っこちて、俺は死んだと思ったけど、なぜかちゃんと意識は戻ってしまった。これが死後の世界というやつなんだろうか。


 俺は小さな泉にプカプカと浮かんでいた。体を起こすと、腰まで浸かるくらい浅い泉で、よく駅前にありがちな感じのふちのついた感じの泉だった。

 周りを見渡してみると、一番に目に入るのは等身大のおそらく女神像と思われる石造が泉の真ん中で凛々しくたたずんでいる。


 なんで女神像って思ったかというと、絵巻に描かれているような古い日本の神様的な衣装を身にまとってうっすらと光っていたからだ。


「煙草切れて吸えないまま死んじゃったなぁ」


 一番に煙草の事を考えるあたり、自分でもどうしようもない奴だと思う。


 まだ、頭がきちんと働いていないのだろうか。俺は自分の置かれた状況をまるで理解出来なかった。

 それはそうだろう。嫌々ながらコンビニまで行こうとしたら、わけのわからない穴に落っこちて、いきなり女神像らしきものがある泉にプカプカ浮いていたんだ。

 窒息死しなかっただけでもよかったのか。いや、死後の世界なら窒息なんてしないのかな?


「はぁ、わけわかんねー…」


 愚痴っぽい独り言を言いつつ、泉から出る。


 まったく、世界は理不尽だ。平等なんて甘い理想で、平和なんて脆い幻想で、人権なんて踏みにじる為に誰かが作った妄想でしかない。

 その証拠に、生まれた環境で、また産んだ親の人柄で、随分と人には差が生まれる。


 世界を広く見渡せば、俺は恵まれた方なんだと思える。最低限の労働すら出来ない、出来損ないのクズにもかかわらず、親兄弟に見捨てられる事無く、あれこれと心配して世話を焼いてくれた。


 俺が余裕の無い国の余裕のない親の元に生まれていたら、きっと見捨てられて野垂れ死にするか、犯罪者になって撃ち殺されているかしていたのだろう。


 今のこの、突然で理不尽な状況は、ぬるま湯のような環境にあって、甘えた愚痴ばかり口にして生きてきた俺への天罰とでも思えばいいのだろうか?

 突然の死、いや、まったく違和感も異常も感じられないし、とても死んでるとは思えない程いつも通りなんだけど。


「よくあるラノベとかだと、女神様が状況説明とかしてくれるはずなんだけど…、そんなご都合主義的な展開はないか」


 いつの間にか癖になった、状況確認的な独り言を口にしつつ、よく回りを観察してみる。


 泉を中心にして数百メートルくらいの円形は草原のようになっていて、その周りはすべて森。

 獣道らしき細い隙間は四方にあって、ただそれだけだった。


「なんなんだ?この状況。何が起きてどうなったんだ?俺生きてるの?死んでるの?」


 疑問符だらけだ。

 日は低い位置にあるけれど、午前なのか午後なのかすらわからない。


 円形の泉のふちをよく見ると、女神像が向いている方向のふちに地図記号の方位を示す記号が刻まれていた。


「あっちが北って事なら、今はまだ午前中なのかな?」


 方位と日の位置関係から、大体の時間を推測してみる。方位記号を信用した上で、ここが地球と同じだとしたらという前提だけど。


「今更になるけど、ここ、地球じゃないよな。穴っぽい何かに落っこちて、地球上の別の場所にテレポートなんて考えるより、死後の世界って考える方がまだ信憑性あると思うし」


 でも、死んだにしては穴に落ちる前と驚くほど何もかわらない。


「あ、そうだ、持ち物の確認しとかないと」


 思い出したようにポケットの中身を探ると、持ち歩いていた物は大体そのまま持ったままになっていた。

 ライターと、当然のように圏外になってるスマホ、スマホにつけてたまに使うイヤホンと財布。持ち歩いているものなんてその程度だったけど。


「死んだなら同じ服は百歩譲っていいとしても、持ち物までそのままなのは謎だな…」


 やっぱり生きているんじゃないだろうか?

 女神像をもう一度見てみるが、静かにひっそり光っているだけだ。


 女神像の正面に立って、祈るように疑問をぶつけてみても、何も変化なし。


「あのー。こういう時は事情説明とかしていただけると助かるのですが」


 声に出して的外れな質問を投げかけてみるものの、特に返事はない。


 ピコン


「うわっ…。へっ?なに?」


 圏外のはずのスマホに、何らかの着信音が鳴る。

 慌ててスマホを確認してみると、さっきまで無かったはずの謎アプリがいつの間にかインストールされていて、そのアプリに着信が一件。深呼吸一つして確認してみる。


『北村春人様へ。

 この度は我々の、神の手違いにより、次元の揺らぎに巻き込んでしまった事。誠に申し訳なく思っております。

 北村様はいわゆる神隠しと言われる様なものに巻き込まれたと思って下さい。

 不安定な空間に迷い込まれた北村様は、踏み込んだ空間といっしょに歪み、ねじ切れて一度死んでしまいましたが、ほぼ生前と変わらない状況にまで復元しました。ですが、元の空間へ戻す事だけはすぐには出来ませんでした。

 元の空間へ戻れる状況になるまで、一時的に小さな世界を構築して避難して頂いている状況です。

 我々と北村様とでは、存在の前提条件が違いすぎて、直接言葉を交わす事が叶いません。このスマホと呼ばれる通信装置を使っての通知になる事をご了承ください。また、我々はこの度の異常事態の対応に忙しく、心苦しいですがそちらからの質問等に返答する余裕がございません。

 こちらから一方的にメッセージを押し付けるような形になってしまいます事、身を低くしてお詫びもうしあげます。

 簡単にですが、以上が現状説明できる範囲での状況説明となります。

 北村様が生きていく為に必要なものは、スマホアプリを通して揃えておりますのでご確認ください。

 なお、元の世界に戻れるまで『死んでも大丈夫』なように対処はいたしますので、どうかご容赦くださいませ。』


 謎の長文のメッセージ。現状説明のようだけど、全然足りないよ!

 まぁ、だらだらと言い訳だけを読まされるよりよほどマシだけど。ってか神様なのに腰低いな!?


「要するに、神様が原因の異常事態に巻き込まれて殺されちゃったから、生き返らせてもらえたけど、すぐに元の世界に戻せる状態じゃなくて、忙しいからとりあえずここで生きててねって事か」


 まったく、俺みたいなクズをどうして見捨てないんだろうな。神様にまで気を使われるとは思わなかったよ。


 俺みたいな出来損ない、死んでもいいってのに。

 生きる理由も無く、ダラダラ生きてただけの俺の人生、これから一体どうなるんだろうな。

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