箱庭世界と神アプリ

@romze

第1話 おっさんは落っこちる

 俺、北村春人きたむらはるとは、どうしても働けなかった。

 とくに、『これ』という理由はなかったのに。体が、頭が、労働という行為を受け入れてくれなくて、職場と名前が付く場所にいる時間そのものが苦痛でしかなかった。


 仕事に行きたくない。だけど行かなきゃいけない。気持ちよく働きたいけど、それが出来ない。どうすればいい?。

 そんな答えの無い事をずっと悩んでると、眠れなくなって、朝の出勤前には吐き気が止まらなくなった。

 理由なんて自分でもわからない、働くという行為そのものを嫌悪してしまった時点で、俺の人生は詰んでいた。


 そんな状態で、親のすねをかじりながらなんとか生きてきたけど、50代が見えてきた自分に未来の希望なんてまるで見えなくて。


 カッコいい顔にでも産まれてたなら、主夫になって女性に食わせてもらうなんて道もあったかもしれないが、垢ぬけない、どこか冴えない顔に産まれ、運動不足の体は、デブではないものの小太りといっていい、ポッコリお腹が気になってきている中年でしかない。

 学生時代にはその容姿のせいで軽いいじめにあっていて、いまだに軽くトラウマになっている。


 学校へも行ったり休んだり、当然進学出来るわけもなく、運が悪いことに就職氷河期と言われる時代、フリーターにしかなれなかった。

 アルバイトのままではと求職活動に力を入れても芳しくなく、仕方なしに派遣で食いつないでいたけど、そこでの陰湿なイジメ、パワハラで心を病んで今では立派な引きこもりだ。


 周りの親族はそれでも俺を見捨てたりはしなくて、心療内科に連れだしてくれたりした。

 家族が見捨てずに支援してくれて、お小遣い程度のお金と最低限の衣食住を維持出来てるのだけが小さな救いだ。家族には頭が上がらない。


「煙草もやめなきゃいけないんだけどなぁ…」


 外に出るのも嫌になったのは何年前からだっただろうか。

 他者との違いが怖い。

 他者と共感できないのが怖い。

 他者と同じ事が出来ないのが怖い。


 唯一外出するのは煙草が切れた時だけで、人目の少ない夜中に最寄りのコンビニに買いに行く。

 近年の煙草の値上げは確実にお財布にダメージを与え続けて、少ないお小遣いでは致命傷レベルにまでなりつつある。それでもやめられない煙草。自分の意志の弱さにこれまた泣きそうになる。


「はぁ、帰りたい」


 俺の口癖になってしまった言葉。早く家に帰りたいと思ってついつい口にした。

 でも、家にいる時にさえ口をついて出てしまう事がある。家に居るのに、そこからどこへ帰るというのかと、自分の言葉に自分で突っ込む事も最近多い。


 妙な事を考えながら道を歩いてたのがいけなかったのだろうか。

 いや、いつもの道だ。警戒しながら歩けという方が無理がある気もするけど、俺はその時気づいていなかった。

 あたりまえに地面があると思って踏み出した足が、踏みしめるはずだった地面を捕らえられず、一瞬だけ体に、感じるはずの無い浮遊感を感じて思わず硬直してしまう。


「うおっ!!」


 薄暗い細い道とはいえ、警戒しながら注意深く歩いていたら、地面が2~3m程の黒い円形のもやに覆われていたのが見えたはずだ。

 考え事をしながら歩いていた俺は、それに気付かず、あるいは気付いていたけど無警戒にそこに踏み込んだ。


 黒い影のようにしか見えなかったそれは、どうやら穴のような物だったようで、そこに俺は落ちていく、今まで感じた事の無い程強烈な死の恐怖に硬直した体は、何も出来ないままに穴の中へ吸い込まれていく。

 吸い込まれる瞬間の数秒が、妙に長く感じられる。頭の中は混乱したままなのに、周りの様子は妙に鮮明に見えて、だけど体は動かない。


 穴の中に落ちていく俺は、混乱したまま妙に覚醒した感じの意識の中で何故か自分の死を確信して、妙に疲れた気分になった。やっと帰れる。どこへとは思わなかった、ただ、そう思ってしまっていた。


 完全に穴に落ちると、死を目前にして妙な感じに覚醒していた意識は、抵抗できない強い眠気に襲われて、俺の意識はそこで途切れてしまった。

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