第13話 証言の円舞

 警察寮に戻ると、ほどなく加古のスマホが鳴った。野津からだ。

「加古くん、どこかで体液を採取された覚えはないか?」

「あ、それはその、あります、けど、いま言えません」しどろもどろになる。黒猫みゃあこしか思い浮かばなかったから、慶菜の前では話せない。

「わかった。じゃあ、ちょっとそこへ行くから、寮の前で話そう」

スマホを置くと慶菜が、

「どうかした?」といぶかった。

「いや野津さんと個人的に話があるんだ」努めて平静を装う。

 10分も経たないうちに野津が来て、加古は寮の前に出た。

「高島さんに言えないということは、他の女性と?」野津は小声で訊く。

「はい、じつは、黒猫みゃあこと会って、Hしたんです」

「なるほどね。それは彼女には言えないよな。黒猫にゃあこの正体はすぐ調べる。これで何かがハッキリするかも知れない。ただし・・・」

「ただし?」

「下手に要人が関わっていると厄介なんだよ」野津の思案顔に、

「バイオレットピープル関連ということも?」と加古は尋ねる。

「そうなんだ。まあ、素性次第だけどね。正直にありがとう。もちろん彼女には内緒だ」と野津はおかしそうに微笑んだ。

 彼が署に帰ると、岩田が興奮気味に話しかけてきた。

「陽晴が取り調べで重要な発言をした。品田風美は痴漢被害のダミーで、陽晴は前もって現場に来るように頼まれていたというんだ。鬼公園に逃げるように仕向けたとも言った。相手が梶谷だったのは驚いたらしい。アイグレーとアンダーテイカーの連携プレーだそうだが」

「それは、凄い情報ですね。他の二件も、サラリーマン風の男が怪しい」

「陽晴もそこまでは知らないと言っているが、似たようなものかも知れんな」

「二つの組織は横の繋がりがあまりないんですかね」

「多少はあるようだが、アイグレーのほうはウィクトーリアという名でメールが来て、そこから下に伝達やオーダーがいくようだ。それは品田にもよく聞きたいが」

「ガンさん、昼飯の時間ですけど、いつもの蕎麦屋にします?」

「うん、午後も忙しいから蕎麦でちょうどいい」

 蕎麦屋は昼時で混雑していたが、なんとか二人席が空いた。

「最近、ほとんどここ来てませんでしたね」野津が言う。

「そうだな。オレは来てたけど、ノリベンとは久し振りだ」

「午後のさやかはもちろんとして、品田のほうは話せる状態には?」

「明日くらいには医師の許可が下りそうな具合だ」

「陽晴含めて三人の証言で、どこまで真相に迫れるかですね」

「まあ、気は早っているが、真犯人に行き着くかは分からん」

「ですねえ。久し振りのざる蕎麦がうまいです。もう一枚いこうかな」

「おい、もう満腹に食べても平気なのか?」心配性の岩田が言う。

「ええ。まったく大丈夫です。完治してますよ」と野津は笑顔で答える。


 余裕をもって1時間前の13時に署から車を出す。平日でも渋滞している場所がある。それでも14時前に八王子に着くだろう。先日、野津は甲州街道から日野バイパスで行ったが、きょうは公用として中央自動車道を使った。八王子インターで降りて、ほぼ南下する。子安町という地番の中に篠崎さやかの自宅がある。中央道も途中少し渋滞したが、10分前には到着した。岩田、平岡、江頭と四人だ。万一の、逃亡や自死などを防ぐためである。

 14時ちょうど、さやかの家のインターホンを鳴らす。さやかが「はい」と出た。

「三鷹北警察です」野津は言う。無言だったが、さやかが玄関に出てきた。

「失礼ですが、お子さんは?」と野津が言うと、

「学童保育に行かせました。きょうは丸々一日休みなので、散らかっていますけど、どうぞ」

 四人は狭い靴脱ぎから上がり、リビングに通された。小学生がいる割りにはそう散らかってはいない。よほど片付けたのだろうか。椅子が四脚なので、平岡は立ち、さやかを座らせた。

「ご存知かも知れませんが、モルヒネのことは追及しません。ただ、千堂さんとの関係などはお聞きしたいです」と野津はゆっくり言う。

「千堂?なぜそれを」さやかは驚いた。

「京くんに写真を見せたんです。そうしたら矢野さんと付き合っていたことも、現在千堂聡介と関係があることも分かりました」さやかは俯いて返答しない。岩田が、

「警察に出頭できないのはそれが理由ですね。大物政治家とあなたの接点はいったい何ですか?」と続ける。さやかは消え入りそうな声で、

「あの、絶対内緒にしていただきたいのですが、バイオレットピープル繋がりです」

野津は諭すように言う。

「外部には決して漏らしません。モルヒネの出処は想像できますけど、それは追及できないです。あなたから陽晴さん、品田さん、多和田さんと流れたわけだと思いますが」

「京にはお母さんの大切な人と言っていますけど、あの子何か言ってましたか?」

「最後に来たのが1ヶ月前くらいだということと、留守番をさせられて二人で出かけることがあった。それだけですよ」野津は記憶を辿るように言った。岩田が後を引き受けて、

「あなたには、いままでも疑いがかかっているんです、連続殺人の。千堂と関係があるなら尚のこと、千堂か、あなたとの共犯か、アリバイが不完全なだけではなく、実行犯は他にいたとして、真犯人を捜査しているんですよ」

「わたしは何も知りません。仮に千堂が関与していても、わたしには分かりません」    

 淡々と言うのは信憑性が高い。目が泳いだり顔が横を向くような挙動不審なところもない。四人は無言で小さく頷き合った。

「では陽晴くんなのですが、梶谷さんの件で品田風美に依頼されて現場に行き、梶谷さんと知ってびっくりしたが頼まれていた通り、公園に逃げるように詰め寄ったと言っています。それについてはどう思います?」岩田は質問を変えた。

「弟のことは、わたしも分らない点が多くて。付き合いでライブに行くこともありますが、結構モテていて、決まった相手はいないと思っていました。品田さんは彼女ではなく『同志』なのではないかと」弟が梶谷事件の犯行に関わっていたと知り、さやかは落ち込んだ様子だ。

「なるほど。確かに仮想のカップルと思えば納得できる。しかし不思議なのは、梶谷宅から発見されたモルヒネと陽晴くんが所持していたモルヒネが同じものだということです」

「それは、梶谷に渡すために入手したのを陽晴に見つかって取られたんです」少し悔し気にさやかは言う。

「梶谷さんがまったく手を付けていなかったことについては?」

「もし病院の薬でも痛みで苦しむようだったらこれを、と言って渡したので、最近は体調がよかったんだと思います。サインバルタを増量してから痛みが軽くなったと言っていましたし」

「増量?」と野津。

「1日40mg服用していたんですが、3ヶ月ほど前に60mgに増やされて、彼にはそれが効いたようです。便秘や眠気など副作用もある薬ですが、元々抗うつ剤なので、梶谷には合っていたのでしょうね」さやかは少し遠い目になった。梶谷の生前を思い出しているのだろう。

「よくわかりました。あなたへの嫌疑が晴れたわけではないですが、十分参考になるお話でした」と岩田が腰を上げる。

「また何か進展があればご連絡させて貰います」そう岩田は言い添えた。

 帰路の車中で、四人は話し合っていた。岩田は、

「さやかは犯人候補から外してもいいかな」と言ったが、平岡は、

「いや、ああいう、しれっとした犯人もいますからねえ」と反対した。江頭は、

「医療従事者にはサイコパス的な人物が一般人より多いですし」と言う。

「千堂との繋がりがバイオレットピープルというのも気にはなりますね」と野津は中立かつ冷静に判断した。

「おれはお人好しなのかも知れんな」岩田が自嘲気味に呟いた。

「そもそも、加古くんの部屋から野津さんを襲ったナイフが出て来て、加古くんの痕跡があるって、どういうわけですかね」と江頭は疑問を呈した。

「それなんですが、黒猫にゃあこの正体さえ分かれば、その先が見えそうですよ」野津が答える。車は調布インターを降りて、もうすぐ署に着くところだった。


 四人が署に戻ると、若手刑事が野津と岩田のところへ来て、

「あの、ドローンのことなんですが」と言う。

「ドローンがどうかしたか?」岩田が疑問を投げかける。

「連続飛行可能距離なんですが、性能の良いものでも12キロ程度のようで。ネットで調べたんですけど」

「えっ、それじゃあ多和田茜には野津を襲うのは無理だったというわけか」

「そういうことになります」

「すると、三鷹の写真に写っていたドローンと同じ持ち主は誰ですかね」と野津。

「て言うと、一人で二台以上持っていたってことか」

「そうとしか考えられませんよ」

 そこへ田代と瀬上のコンビが来る。田代が言う。

「黒猫みゃあこの素性がやっと判明しました。千堂聡介の妻の連れ子で、瑞穂という24歳の女です。千堂自身の子はいないですね」一番驚いたのは野津だ。

「ええっ、にゃあこが千堂の義理の娘だって?」

「住所は三鷹市下連雀のマンションです」と瀬上。

「久我山のわたしのマンションに往復するには余裕の距離だな」野津はみゃあこ、じつは千堂瑞穂に疑いを向ける。

「任意の取り調べや家宅捜索に応じるか、微妙だな。なにせ大物政治家の娘だ」岩田は腕を組んで顔をしかめた。

 それにしても、続々と情報が入る。岩田のスマホが鳴り、出ると三角刑事だった。

「いま、加古芳也のアパートにいるんですが、3日前の夕方、管理人の男が部屋のドアを施錠せずに10分ほどトイレに入っていたそうで、そのタイミングしかマスターキーを盗用できませんね。監視カメラ映像はループなのでもう消えていますが」

「各部屋の前の監視カメラも同じか?」

「ですね。4時間ごとにディスクが上書きされてしまうシステムです」

「なるほど。まあご苦労様。一応だが、盗用されたと思われるマスターキーを指紋が付かないように借りて欲しい。あと、管理人の指紋はティッシュか何かに付けて貰ってくれ」

「わかりました」

 岩田は電話を切ると、

「参ったね。ナイフを置いた者の映像がない。おそらく指紋も出ないとは思う」

野津が話しかける。

「ガンさん、ナイフに加古くんの体液を付けられるのは二人しかいません。一人は高島さんなので除外で、もう一人は千堂瑞穂です。彼の名誉のために絶対漏洩して欲しくない情報ですが」

「そうか。ノリベンの血と加古くんの体液。両方が揃うとすれば瑞穂が限りなく怪しい」

「ただ、取り調べは千堂聡介と切り離して聞き込むしかないですが。本当は千堂・さやかラインが怪しいんですけど」

 野津は試しに瑞穂に電話した。長く鳴らしても出ないので諦めかけたときに出た。

「三鷹北署の野津です。あなたを千堂瑞穂と知って事情を聞きたいのですが、どうですか」

「バレちゃいましたか、本名。今夜19時なら、電話で少しなら。言えないこともありますけど」

「お父さんに関することはとりあえず聞かない。では後で電話します」

「どうだった?」と岩田。

「19時に電話での聴取ならと。言えないこともあるそうですが」

「だろうな。千堂聡介に目を付けても、よほどの確信がないと調べられないからな」

 淹れ立てのコーヒーを若手刑事が持って来た。

「お、ありがと」「気が利くね」と二人。

「吉永と申します。新年度から配属されました。よろしくお願いいたします」

「うん。頑張ってくれ。いまちょうど大変な時期でな。きみは捜査メンバー?」

「いえ、まだ見習いなもので。書類関係は少しやらせていただいてます。では」とお辞儀をして去っていった。

「挨拶回りも大変だな。自分が新人だったころを思い出すよ」

「ガンさんにも当然新人時代があったわけですよね」

「おれのときはもう20年前だから、結構厳しく言われたよ。いまはほら、パワハラとか言われるからな」

 その後、品田風美が入院している病院からも連絡があり、明日の15時に10分だけという条件で面会が許可された。まだ十分な回復ではないらしいが、通常の会話は可能とのことだった。

「瑞穂と品田が何を言うか、興味深いな」岩田は鋭い眼差しになっている。

「そういえばガンさん、もう上がっていいですよ。いまなら色川さんとの待ち合わせに間に合いますよ」野津は時計を見ながら岩田を気遣った。

「いやいいんだけどさ。ノリベンこそまた残業していいのか?」

「妻とはきのうデートしました」とはにかみながら言う。

「本当に行ってください。ガンさん、チャンスですよ」

「なんの?」

「それはもちろん、将来的に結婚という」

「おいおい、彼女とは釣り合いが取れないよ」と笑う岩田。

「身分とかそういうの、気にしなくていいんですよ。色川さんも気にしてないと思います」

「まあ、きょうのところはお前の言う通りにするよ」とコートを羽織った。

「息抜きだと思って仕事は忘れて楽しんでください」

「わかったよ」と岩田も満更ではない様子だ。


 科捜研の水野がやって来て野津に言う。

「八王子の品田のオフィスの下足痕ですが、ありふれたスニーカーの中に23センチのものがありました。防犯カメラに映っていた位置にもそれがあったので、おそらく女性の小柄な人物ではと。思い当たる関係者はいますか?」

「多和田という学生が小柄なくらいだ。一応叩いては見ますよ」

 多和田が絡んでいるとまた厄介だなと野津は思った。アイグレーはどこまで暗躍しているのか。加古を脱臼させたり、車で至近距離を襲った犯人もまだ分かっていない。アイグレー代表と思われるウィクトーリアがキーパーソンだが、それが誰なのかわからない。そもそもウィクトーリアという名の由来はなんだ。

「東京湾で男性の遺体が発見されました。両手両足を縛られており、死因は溺死と思われます。男性はフリーライター岸村健一さんと分かりました」署内で常時つけているテレビからニュースが流れている。

 野津は本当に驚いて声を上げそうになった。岸村が消された。何か重要な秘密を握っていたのだろう。だが、データは仲間も共有していて、岸村が死んだらリークされるはずだ。犯人はどうやってそれを止めるのだろう。バラしたら殺すという意味の見せしめ殺人か。これで少なくとも四人殺害されたことになる。どれほどの闇があるのか、光明も見えるが触れてはいけない事実もありそうだ。壁の時計を見るともうすぐ19時だった。

 瑞穂に電話する。彼女は落ち込んだ風な声で出た。

「おとうさんのことは敢えて聞かない。それ以外のことを答えて欲しい」と野津はゆっくり言う。

「ドローンのこととか?」瑞穂は暗い声で呟く。

「それと加古くんのアパートから発見されたナイフだ」

「ナイフ?えっ!それって、盗まれたんですよ、わたし」

「盗まれた?ということは隠してあったが盗まれた?」

「そうです。ドローンで野津さんを襲ったのはわたしです。ナイフは集合ポストの自分のところに隠してあったんですけど、この間見たらなくなっていて」

「わたしを襲ったのはなぜだ」

「ウィクトーリアという名前でメールが来て、『刑事を襲え。やらないと千堂家の秘密を露見させる』という内容で、父に相談したら『仕方ない。殺さない程度にやれ』と言われて」

「ウィクトーリア。確かにその名前だね?」

「はい、どうしてわたしのメルアドを知ったのかは分かりませんが」

「ナイフを盗むとしたら方法は?」

「簡単な金庫みたいなダイヤルで、開けられて盗まれたのかなって」

「どう使おうと思っていたんだ?」

「それは父に聞かないと分かりません」千堂聡介のみぞ知るというのは歯がゆい。それにしても、ウィクトーリアと名乗る人物は誰か。

「三鷹の加古くんたちを見張っていたドローンもきみのだね?」

「はい。スマホのGPSでは居場所がわからないと知って、加古くんのアパートの庭に待機させていました」

「加古くんを危険な目に遭わせたのはきみか?」探りを入れる。

「自転車のブレーキはわたしです。すみません」

「それだけ?しかし、どうして加古くんを狙う」

「それも父の命令ですが、『探偵ごっこの学生が邪魔だ』と言っていました」

「なるほど。他にも加古くんを危険な目に遭わせた事実があるんだが知らないのか」

「ホントに自転車だけです。わたし、野津さんのことと併せて逮捕ですか?」

「ま、そうだね。お父さんからの圧力は承知の上でだが。明日には警察が迎えに行くから準備をしておきなさい」と厳し目に言った。

 瑞穂との電話を切り、逮捕の手配をすると、野津はナイフの盗難とウィクトーリアについて深く考えてみた。加古の体液がついたナイフは何に使う予定だったのだろう。本当は何かの殺傷事件の犯人として真犯人を分からなくする目的だったのではないか。盗んだ者と目的もよく分からない。瑞穂逮捕のきっかけを作ったのは事実であるわけだ。加古の体液までは知らなかったか。ウィクトーリアの目的は何だ。警察車両追突、加古の脱臼、加古たちに対する暴走車、これらに関与しているのか。明日の品田風美への聴取が待ち遠しい。野津は雑念を残したまま署を後にした。


 「えっ!令状が出ない?」

翌日出勤した野津は声を荒げた。三角が申し訳なさそうに言う。

「高柳さんに『上からの指示だ』と言われまして」

瑞穂が父親に連絡したのだろう。早速圧力がかかった。

「どうりで素直に吐いたわけか」岩田は苦笑している。

「まあ、でも犯行は認めましたからね」と野津は諦めきれずに囁く。

 岩田は朝から機嫌がいい。が、服が昨日と同じだった。

「昨夜はどうでした?」野津が尋ねると、

「いやいや、色川さんが酔ってさ、送っていくのが大変だったよ」

「で、泊ったんですね」野津は笑いそうになった。

「ああ、まあ、急に抱きついてきたからビックリしたけどね」照れている。

「よかったじゃないですか。ガンさんにも春が来ましたね」

「それより、瑞穂に令状が出ないって余程の圧力だよな。千堂だけの仕業じゃない。警察内部にも、バイオレットピープルの謎がバレては困る人間がいるとしか思えん」

「確かに、それもそうですよね」野津は妙に納得した。要人というのは警察関係にも存在する。そういう人物が合意痴漢グループでない証拠はないからだ。

「岸村がおそらく口封じで殺されたのも、誰の犯行か突き止められない気がする」岩田が真顔になって言う。

「仲間にデータは提供してあるのがセオリーですが、怖くて発表できないでしょうね」

「きょうの品田の発言が鍵になるかも知れん。たった10分だから、質問項目をまとめておこう」

「そうですね。午前中に作ります」

「ウィクトーリアというのが誰か分かれば話は早いんだがな」

「あと、品田の会社のカメラが捉えた人物の下足痕が23センチと小さいので、わたしは多和田茜を疑っています」野津は声を低くして話した。

「そうか。アイグレー同士のいざこざなのかな」

「それも重要な質問項目ですね」


 千堂聡介は党本部の自室で一人、頭を抱えて怒っていた。

「証拠のないことは黙っていろと言ったのに。まったく面倒がかかる娘だ」

そこへ根尾が入ってきた。

「先生、水巻という男をご存知ですよね?」

「ああ、情報屋として使っている」機嫌が悪い。

「その水巻が警視庁に追われています。彼は藤中組の構成員で、岸村殺害の犯人として指名手配になりました」根尾は困ったような顔で言う。

「なんだと。藤中組は別件で用がある反社だが」と後半は呟く千堂。

「はい?別件とは」不思議そうな顔をする。

「あ、いや、お前は知らなくていいことだ。だが水巻が捕まるのはちょっと」

「先生、くれぐれも危ないことはしないでください。党の命運を握っておられる立場です」

「それは分かっている。だが、政治家は清濁併せ呑むものだ。それはお前もよく知っておけ。いま起きていることは胸にしまっておくようにな。わたし個人の問題ではないんだ」腕をきつく組んで千堂は言い放った。

「はい、申し訳ありません。先生と党のために頑張ります」と一礼して根尾は退室した。 


 14時50分。野津と岩田は昨日とほぼ同じルートで八王子の病院に着いた。面会受付で予約を言い、警察手帳を見せる。15時ジャスト、病室に入る。品田風美は窓に向いて寝ており、入口には背を向けていた。看護師が、

「品田さん、警察の方ですよ」と告げると、だるそうに起き上がった。看護師は、

「まだ判断力が不十分なので、あまり問い詰めないでくださいね」と言った。

 看護師が去るのを確認して、野津が質問を始めた。

「入院中にすみません。一刻も早く伺いたいことが多いもので」

「はい」定まらない目の焦点のまま風美は答えた。

「あなたに薬を飲ませたのは誰だか分かりますか?」

「いえ。でも、小柄だったので女性かと」

「顔や声は?」

「顔はフードとマスクで隠していました。声は、聞いてません。スケッチブックに『持っている薬を全部飲め』と。とまどっていると、無言でナイフをちらつかせられて」

「そうですか。その人は雨で濡れていましたか?」

「いえ。土砂降りだったのに、まったく濡れていませんでした。タクシーか何かで来たのかと」

「なるほど。濡れていなかったわけですね。あなたはアイグレー内部の揉め事とは思いませんでしたか?」核心部分の質問だ。

「いえ、そうは思いません。けど、警察に目を付けられているわたしが邪魔になったのかも」下を俯いて表情が曇った。

「わたしはアイグレーのためにいろいろと連絡や相談をしてきたのに、組織に不利益となったら殺そうとするんですかね」と大粒の涙を流し始めた。困った野津は、

「あなたが言う通りと決まったわけじゃない。犯人はこちらで何としても捕まえますから」

岩田も口を開き、

「あなたに尾行をつけたのは、あなたがダミーの痴漢被害者ではないかと思ったからです。篠崎くんて、本当は彼氏じゃないですよね。よかれと思ってあなたが行動したのは分かります」

 風美は泣きながら無言で頷いた。そこへ看護師が現れて、

「もう時間ですよ。あら!品田さん大丈夫?刑事さんたち、泣かせちゃダメですよ」と怒られた。野津たちは仕方なく詫びて、病室を後にした。病院玄関まで歩きながら、

 「ガンさん、犯人が濡れていなかったとは、自分か同伴者が車を運転して横付けしたのでは?」

「オレもそう思う。帰りを考えたらタクシーのわけがない。当時の車の目撃情報が欲しいな」

「品田を追っていたコンビに頼みます」と車に乗り込みながら野津は答えた。

 

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