第92話 魔王、最弱を越えた最弱の再起を見るのじゃ
◆勇者SIDE◆
「……」
勇者は黄昏ていた。
「キャフゥーン」
そしてそんな勇者を心配げに見る聖女。
しかしその光景は物陰から寸詰まりの犬が同種の犬を見ているようにしか見えず、残念ながら悲壮さの欠片もなかった。
そんな勇者が黄昏ていたのは、自身の身に起きた出来事にあった。
「毛玉スライム以下の最弱の魔物……」
そう、勇者達は毛玉スライム以下の最弱の魔物になってしまったのだ。
それはどうあがいても、自分達がこれ以上強くなれないという事であった。
自分達が魔物の体に慣れていないだけならばやり様はあると考えていたが、その前提が崩れてしまったのだ。
基本的に魔物は体を鍛えたりはしない。
それは自身の肉体の扱い方を本能で理解しているからだ。
無論訓練すればチームワークが向上したり、今以上に体の使い方を理解できるようになるかもしれない。
しかし基礎的な身体能力が向上する事は基本的にないのである。
これは過去の魔物使い達が従えている魔物を強くしようとして判明した事実である為、例外はないとされていた。
それゆえ、魔物使いが戦力を増やすには、魔物を鍛えるよりも、より強い魔物を従えた方が現実的なのである。
唯一例外と言えるのは、子供から大人の体に成長する事だけであった。
しかし、仮に今の自分達が子供の体だとして、毛玉スライム以下と言われるような魔物が大人になってどれほど強くなれるのか。
そのあまりに儚くゼロに等しい希望に、勇者は打ちひしがれていたのだ。
「ははっ、魔王が生きていたと知った時は死を覚悟したが、まさかあまりにも弱くなりすぎてて自分達の正体に気付かれなかったとはね」
もう少し力のある魔物だったら、魔王と再会した時の発言から自分達が勇者と聖女だったと気付かれた事だろう。
しかし、あまりにも弱すぎて意思疎通すらできなかった事が、勇者達の命を救った。少なくとも勇者はそう思っていた。
実際には魔王にとって本来の勇者達であっても敵ではなかったのだが。
「ゆ、勇者様、諦めないでください。きっと元に戻る為の良い方法がある筈です!」
黄昏る勇者を聖女が気丈に励ます。
「どうやって? 仮に元に戻る方法があったとして、今の僕達は魔法すら使えない最弱の魔物だ。その方法を見つける前に毛玉スライムに襲われて死んでしまうよ」
自暴自棄としか言えない発言だが、実際にその通りなのでかける言葉もない。
今の勇者達は子供に枕を投げつけられただけで死んでしまうほど貧弱なのだ。
到底そんな秘術を探す旅に耐えられる筈もない。
「いっそ魔王に助けを求めてみるかい? 聖剣の封印にすら耐えらえた魔王だ。もしかしたら僕達を元に戻す方法を知っているかもしれないよ。おっと、今の僕達は弱すぎて言葉を伝える事も出来ないんだった。ははははっ」
乾いた笑い声を響かせる勇者の目は完全に死んでいた。
心がこれ以上ない程ポッキリ折れているのである。
「ああ、このままただの魔物として、魔王に保護されて一生を終えた方が幸せなのかもしれないね。それなら戦いとは無縁の人生、いや魔生かな、を送れる」
完全に諦観の眼差しで微笑む勇者。
「勇者様……」
そんな有り様になった勇者を見た聖女は……
「勇者様のバカァーッ!!」
勇者の頬を全力でひっぱたいた。肉球パンチである。
「なっっ!?」
「私は嫌です! 今更底辺で情けと残飯同然の食事に縋って生きていくなんて絶対嫌です!! 私は、聖女として、人に傅かれる生活に戻りたいです!!」
「シュ、シュガー?」
聖女のあまりにも聖女らしからぬ発言に目を丸くする勇者。
「もう二度と下町の生活なんて御免です! 厳しい聖女の修行に耐えて来たのも、聖女として皆にチヤホヤされて、美味しい物を食べて、温かい家で暮らす為です!」
「え、ええと、神の教えは清貧なんじゃ……」
「そんなの建前です! 偉い司祭様達も美味しい物を食べて贅沢してますよ! 聖女である私にゴマをする為に受けた接待でもそうだったんですから!」
「そ、そうなんだ……」
思わぬところから教会の腐敗を聞かされて、呆然となる勇者。
「いいですか勇者様! 今まで私が聖女として規律正しく振る舞ってきたのは、聖女に与えられる特権を維持する為です! でなければ危険な魔族や魔物との戦いなんてする訳ないじゃないですか!」
「そ、そうだったの!?」
それどころか、神の僕として魔族と戦う事すら本心ではなかったと聞いて、聖女に抱いていたイメージがガラガラと崩れる勇者。
「前にも言いましたが、私は下町の住民です。教会に保護されてシスターになったのも、少しでも良い生活をする為です」
確かに城から逃げている最中にそんな事を言っていたと思い返す勇者。
「聖女の資格を得た時はそれはもう嬉しかったです。自分が選ばれた人間だと分かったんですから。もう誰かの顔色を窺わなくていい。奪われる側から、手に入れる側になったんだって!」
それは、分かりやすく搾取する側、下克上の考え方だった。
旅の間ずっと傍にいた仲間が、そんな事を考えていたと知って、少なからずショックを受ける勇者。
「神の教えなんて本当はどうでも良かったんです。聖女らしくしていればご飯も服もなにもかも用意して貰える。だからお淑やかに聖女をしていたんです! だから、私は私から聖女の地位を奪う者を許しません! それが大恩ある大司教さまであってもです! だから私は、なんとしても聖女の地位を取り戻したい!」
あまりにも堂々と俗な理由で聖女の地位奪還を宣言する聖女に茫然となる勇者。
俗な欲望とは無縁と思っていた聖女が、これほどまでに内心で自身の地位に固執しているとは思ってもいなかったのだ。
(でも、それでも……何もない僕に比べれば彼女の方がよっぽど立派だ)
聖女の告白に勇者は自分の過去を思い出す。
(僕が勇者に選ばれたのは自分でも殆ど覚えていないくらい小さい頃だ。聖剣の試しと呼ばれる儀式に成功した事で、僕は勇者候補として王都に行くことになった。あの時は自分が二度と両親と会えるとは知らず、皆が喜んでいるからと喜んだんだよなぁ)
しかし王都にやってきた勇者を待っていたのは厳しい修行の日々だった。
見知らぬ人間達、貴族と言う未知の生態の生き物達の欲望に晒された幼い子供が、両親のもとに帰りたいと思うのは当然の事だった。
しかしその希望は当然のように却下され、更に幼い身では自分がどこから連れてこられたか分からず、王都から逃げだす事すら出来なかった。
否、無計画に飛び出しはしたが、すぐに捕らえられてしまったのだ。
(あの時のお仕置きはきつかったなぁ。夜遅くまでぶっ通しで休憩なしに訓練させられて、しかもご飯抜きだったんだもん。しかも翌日まで怪我の治療をしてもらえなかったから、殆ど眠れなかったんだよなぁ)
過去に受けた仕打ちを思い出してため息を吐く勇者。
(でもあの件があったからこそ、僕は強くなろうと思ったんだよな。強くなって、勇者として魔王を倒す為の旅に出れば、いつかどこかで両親と再会できる筈だって)
そう思えばこそ、勇者は味方の居ない場所で厳しい修行に耐える事が出来た。
そして全ての準備が整い、漸く魔王討伐の旅に出たのだった。
(でも魔王討伐の旅は魔王の元まで行くために必要な物を手の入れる為の遺跡や秘境の探索ばかりで、町にやって来ても周囲はその土地の領主の護衛達に囲まれて町を散策どころじゃなかったんだよね。市街地での戦いは、貴族の人気取りに使われる為に人前に顔出しさせられたくらいで、町に出て話をする事も出来なかった。道中魔物が地方の村を襲っているという話を聞いた時はもしかしたらと思って救援を進言したけど、魔王討伐とはなんの関係もないからって却下されたんだよなぁ)
結果、勇者は魔王討伐の旅の間に両親に出会うどころか、その痕跡を探す事さえ許されなかった。
そして幾度もの危険な魔物討伐命に失敗し、今に至るのである。
(結局、僕ってなんだったんだろうな。勇者と持て囃されて、貴族達に良いように使われて、その結果がこれかぁ)
そう考えると、目の前で再起に燃える聖女が眩しく見えてくる勇者。
(今更だけど、僕には本当に何にも無かったんだな。勇者としての使命も、元々は両親と再会する為だった。魔物を倒すと皆が喜んでくれたから、少しはやりがいがあったけど、失敗が続いたら皆手のひらを返してこの有り様だし、こんな姿じゃ今更両親と再会しても僕と分かって貰えないどころか、魔物として退治されちゃうよね)
「本当に、シュガーは凄いなぁ」
心に沸き上がった言葉が、自然と漏れる。
「勇者様?」
結果から言えば、聖女の叱咤は勇者を再び立ち上がらせる事は出来なかった。
自分の都合だけを叫んだのだから、当然である。
しかし、その行いは別の出会いを二人に与える事となった。
「何やら騒がしいな」
そんな呟きと共に現れたのは燃えるような紅い毛並みを持つ巨大な四肢の獣であった。
「「っ!?」」」
普通に考えれば危険な肉食獣か魔物が現れたと警戒した事だろう。
しかし二人はこの獣が何者であるかを知っていた。
「「聖獣!?」」
そう、現れた獣の名は聖獣ガールウェルことガルだった。
「ほう、我の事を知っているのか」
「何を言っているんだ! 僕達は勇モガッ!?」
ガルに対して自分が勇者だと告げようとした勇者を、聖女が覆いかぶさって阻止する。
そして勇者を引きずってガルから離れた場所に連れてゆく。
「何をするんだシュガー!? 彼は聖獣だぞ。助けを求めるなら最適の相手じゃないか!」
「何を言ってるんですか、聖獣は教会に属しているんですよ!? 私達の事を明かしたら大司教様に情報が届くのは間違いありません!」
「あっ」
聖女の言葉にガルが聖女、つまり教会と関係の深い存在だと思いだす。
「今は私達の素性を隠し、上手く聖獣から情報を得て教会の動きを探りましょう」
「わ、分かったよ」
「話は済んだのか?」
「は、はい」
「お、お待たせしました」
聖女の提案を受け入れた勇者は、中座した事を謝罪しつつガルの下へと戻る。
「ふむ、それにしても本当にウィーキィドッグなのだな。久しぶりに見たぞ」
ガルは改めて勇者達を見ると、懐かしむように語った。
「え? 僕達を知っているんですか?」
「うむ。我もそれなりに長い時を生きているからな。随分前の事だが、お前達の仲間に出会った事がある」
「そ、そうなんですね。でも随分前と言う事は最近は……」
「とんと見たことが無いな。お前達の祖先はそれはもう弱かったからな。とっくに他の魔物の餌になって滅びたと思っていたぞ」
「は、はは、そうですか……」
聖獣であるガルの口から聞かされた言葉に、やはり自分達は弱い魔物になってしまったのだと落ち込む勇者。
「……聖獣様に尋ねたい事がございます!」
そんな勇者とは対照的に、聖女が臆することなくガルに話しかける。
「うむ、何を聞きたいのだ?」
「聖獣様はあの小さな城に住む者が魔王だと知っているのですか?」
「む?」
「あっ」
聖女の言葉にガルと勇者が声を上げる。
(そうだ。よく考えたら魔王の住処のすぐ傍に聖獣がいるなんておかしいじゃないか!)
異常な状況が続いていた事で、当然思いついたであろう疑問を抱く事も忘れていた事に気付く勇者。
「うむ、知っているぞ」
「っ!? 知っていたのに魔王を放っておいたのですか!? 教会に報告して勇者様に魔王討伐要請をするべきなのではないのですか!?」
これは聖女も予想外、いや、もしかしたらそうかもしれないが、流石にそれはないと強引に意識の外に押し出していた事だった。
(もし聖獣が魔王の正体に気付いていなかったのなら、私の発言で勇者様の必要性を感じ、教会に私と勇者様の復権を進言する筈。いくら王国と教会が私達を切り捨てようとしたとしても、魔王はこの世界共通の敵。内輪の争いよりも世界の平和の為に私達の力を求める筈。今から魔王を討伐する新しい勇者と聖女を育成するには時間が足りないのですから)
しかし聖女の予想はまたしても覆されることになる。
「何故我がそのような事をせねばならぬのだ」
「「え?」」
聖獣は教会の、そして聖女の味方という常識がある聖女にとって、魔王を放置するも同然のガルの発言は予想外過ぎるものだった。
「だ、だって魔王ですよ!? 世界の敵で、神の教えでも敵とされる魔族なのですよ!?」
「おかしなことを言う。魔王はただの一国の王だぞ。魔族もこの世界に暮らす一種族だ。お前達、魔物のくせにあの国の人族のような事を言うのだな」
「「なっ!?」」
長年魔王と魔族は敵、神が討伐を命じた邪悪と教え込まれてきた勇者と聖女は衝撃を受ける。
地方の村と下町の生まれで決して箱入りとは言えない勇者と聖女だったが、元の生活も外の世界とは無縁に近い環境だった為に、魔族が一般的な地上の一種族だとは知らなかったのだ。
「で、ですが、聖獣様は神に遣わされた人族の味方なのではないですか。もしその言葉が本当なら、何故貴方は人族の味方をしてくれたのです……?」
勇者の問いに、ガルは首をかしげて不思議がる。
「成る程、さてはお前達、イヌか何かと間違われて人族に飼われていたな」
「「え?」」
「成る程、ウィーキィドッグがいまだに生きていたのも納得だ。人族に都合の良い事情を刷り込まれてきたと見える」
想定外の勘違いに、面食らう勇者達。
しかしガルは自分の勘違いに納得の頷きをすると、勇者達が訂正する事も忘れるような衝撃の事実を語った。
「言っておくが我は人族にも教会にも力を貸した事など無いぞ。あくまで初代聖女から受けた借りを返す為に聖女に力を貸していたに過ぎん。これは他の聖獣と呼ばれる者達も同様だ」
「そうだったんですか!?」
「さらに言うと我等は人族が思っているような神の使いではない」
「「ええっ!?」」
畳みかけるように衝撃の事実を語るガル。もはや二人共会話についていくので精いっぱいだ。
「たまたま聖女に力を貸して、人と意思疎通ができるからと、教会が箔付けの為に我等を勝手に聖獣と呼びだしただけだ」
「「ええーっ!?」」
聖獣本人、いや本獣から立て続けに衝撃の事実を告げられ、ショックを受ける勇者と聖女。
あまりに衝撃的事実の猛攻に、自分達の置かれた状況すら忘れる程であった。
「ぽぇ~」
特に聖獣と密接な関係にあった聖女は、許容量を超えて放心しかけていた。
いかに聖女としての信仰心が殆ど無かったとはいえ、教会の根幹を揺るがすような出来事にはショックを受けるのは当然であった。
何しろ、自分が手足同然に使っていた聖獣達が、神の命令で絶対服従していたのではなく、単に気分で力を貸してくれていただけだとというのだから、顔面蒼白にもなろうというものである。
(ど、どどどどうしましょう!? 私、かなり聖獣に無茶振りしていましたよ!?)
万が一自分の正体がバレたら、あの頃仕打ちの復讐として八つ裂きにされると想像し震える聖女。
「とはいえ、我はもう人族を見限ったから二度と人族に力を貸す事はないがな」
「そ、それはなぜですか!?」
「人族に裏切られたからだ……」
そうして、魔王と出会うまでに自分達が受けた仕打ちを語り始めるガル。
「そ、そんな……教会がそんな事を!?」
「偶然魔王が通りがかったお陰で我等は救われたが、あのままだったら我等は皆飢え死にしていただろう」
人族の味方だった筈の聖獣とその守り人達へのあまりの仕打ちに驚愕を受ける勇者。
同時に聖女は三代目聖女の苛烈すぎる行いにショックを受けていた。
「そんな、三代目聖女様がそんな事を……」
「他の聖獣達も皆似たような気持ちだろうさ。我等が認めたのはあくまで初代聖女だ。彼女に恩義があるからと、後継者達に力を貸し続けたのは間違いだったのかもしれんな。まぁそう思えるようになったのも、つい最近の事なのだが」
更に止めを刺すかのように、自分達が力を貸した事は間違いだったと言い出したガルに、勇者達は彼から教会の情報を仕入れるどころではなかった。
寧ろガルの方こそ教会に追われる身も同然だったのだから。
「だ、だから今度は魔族に与するのですか?」
勇者は放心しかける自分を叱咤してガルに問いかける。
しかしそれは敵に就く事を選んだガルを責めるものではなかった。
ただ、純粋にそれだけの仕打ちを受けたガルがどうするのか、知りたかったのだ。
同じように裏切られた者として。
「いや、魔族に与するつもりもない。我等は魔王が統治するこの島で暮らすことにしただけだ。家賃程度に面倒事を手伝う事はあるだろうが、もう戦争に関わる気はない」
ガルの答えは穏やかなものだった。
裏切られたものとして、復讐を求めたりする気はないと言ったのだ。
「復讐したりはしないんですか?」
「争えば魔王の仲間になったと思われるだけだ。どのみち今の人族は昔とは比べ物にならぬほど弱体化している。というか手加減されているのだろうな。それもあって我はもう人族の国がどうなろうと知った事ではないのだ。ここで争いのことなど忘れて、我に付いて来た者達の行く末を見守るのみよ」
復讐よりも自分を信じて付いて来た守り人達の将来の方が重要だとガルは語る。
それは裏切られたばかりの勇者達には理解できない感情だったが、それでもその結論を否定してはいけない気がした。
(今の聖獣になら、僕達の正体を明かしても良いのかもしれない)
ガルが人族と魔族の争いからドロップアウトしたのなら、自分達の素性を明かしても敵対する事はないのではないかと考える勇者。
その事を聖女に相談しようと視線を彼女に向けたが、肝心の聖女は衝撃の連続で完全に上の空になっていた。
(……自分で考えろって事か)
聖女の有り様を見て、観念する勇者。実際にはただ我を失っているだけなのだが。
(僕の正体を明かしても、聖獣様が手助けしてくれることはないだろうな。精々魔王に僕達の正体を黙っていてくれるくらいか)
あまりにも衝撃的な事が続いた事で、絶望に沈んでいた勇者の頭の中は冷静さを取り戻していた。
「聖獣様、長き時を生きていた貴方に聞きたい事があります。僕は強くなれるでしょうか?」
それは藁にも縋るような質問だった。
「無理だな」
そしてあっさりと答えがもたらされる。
「そ、そうですか」
「うむ、お前達ウィーキィドッグは弱すぎる。肉体の弱さもそうだが、単純に身に纏う魔力が少ないのだ。肉体が弱い者が強くなるには魔力を操って魔法を使うなり、肉体強化を行うしかない。しかしお前達はその魔力が少なすぎる。魔物使いと意思疎通すらできない程に魔力がない」
「魔王とも会話が出来ませんでしたしね……あれ? それじゃあ何で聖獣様とは会話ができるんですか?」
「それは我の魔力が豊富で、かつ我等が同系統の魔物同士だからだな。四足の獣型同士など、系統の近い魔物同士は他種でも意思疎通がしやすいのだ。また大きく種が違っても、共通点が多い魔物同士でもある程度の意思疎通ができる。例えば毛玉スライムと我は毛に覆われているから他種でも意思疎通が容易だ」
「ええ!? そんな理由で会話ができるようになるんですか!?」
まさかの魔物の生態に驚く勇者。
「だが魔族は魔物ではないから、魔力の少ないお前に意思疎通は難しいな。獣人なら多少は伝わるかもしれんが」
「そ、そうなんですね」
他者と会話できる可能性に多少は希望が持てるかと思ったが、そもそも獣人の魔物使いの知己が居ない為、落ち込む勇者。
「だが、強くなる方法が皆無とは言わん」
「え?」
これまでとは真逆の言葉に強く反応する勇者。
「戦いは身体能力や魔力の過多が全てではない。人族のように武術を学べば、最適化した動きで敵に攻撃を加える事も出来るし、相手の動きを先読みする事で肉体の能力に大きく差があっても攻撃を回避する事も出来る」
「魔物の身で武術を学べと?」
「そうだ。魔物の肉体を使った武術だ」
それは考えたことも無い選択肢だった。
「おのれの肉体を最大限に活かす体の使い方を編み出すのだ」
「そんな事できるんですか!?」
「難しいだろう。だが、無理だと諦めて何もしないよりは可能性がある」
ガルの言葉に衝撃を受ける勇者。
まさに今の自分こそ、ガルの言った何もしないものだったのだから。
「僕は……強くなりたい」
「ならば鍛えるしかあるまい」
「たとえ無駄だったとしてもですか?」
「そうだ。無駄だったとしてもだ」
お前にその覚悟があるかとガルの目が問う。
「……」
勇者は迷った。
本当にそんな事が出来るのか。
仮にできたとして、大司教に勝てるのか、そもそも勝っても元に戻れる保証がない。
しかし、火がついてしまった。
いままでの流されるままに、他人の思惑で動かされてきた勇者に、自分の意思で決断をする機会が訪れたのだ。
(怖い。決断する事が凄く怖い。勇者の使命だからと勢いで動くんじゃない。自分の意思で自分の未来を決める事は、こんなにも恐ろしいのか)
なのに、勇者の心は昂っていた。
今なら、自分の人生を自分で選べるのだ。
「やります! 僕は強くなります!!」
「よく言った! ならば我がお前の修行の面倒を見てやろう! これも獣種の魔物のよしみよ!」
「ありがとうございます師匠!!」
端的に言えば、勇者は酔っていた。
自分の未来を自分で選んだという決断に酔っていたのだ。
どうあがいても、ウィーキィドッグという最弱の魔物になった勇者では、どれだけ鍛え、どれだけ強くなっても大司教に勝てる道理が無いのである。
だが、この選択が勇者の人生観を大きく変えるきっかけとなったのは間違え様のない事実であり、遠い将来勇者のこの選択が彼に強い影響を与える事になるのだった。
「ウィーキィドッグよ、お前に名はあるか?」
「僕の名?」
「そうだ。共に鍛錬を積むなら、名を知るべきだろう? 人族の飼い主に付けられた名はないのか?」
ガルの言葉に勇者は衝撃を受けた。
これまで自分は誰からも勇者としか呼ばれた事がなかったからだ。
仲間も、婚約者である姫ですら、自分を勇者というブランド名で呼び、個人を認識する名で呼ぶどころか尋ねようとすらしなかったのだ。
それを目の前の聖獣は聞いてきた。
その事が、彼の心を強く揺さぶった。理由は本人にも分からない。
「僕の名……僕の名は……」
思い出そうとして勇者は困惑していた。
あまりにも長い間勇者としか呼ばれなかった為に、自分の名前を思い出せなくなっていたのだ。
自分自身ですら、己を一人の人間ではなく、勇者という記号として認識するようになっていた事に驚愕する勇者。
それ故に勇者は必死で己の記憶を探った。
(思い出さなきゃ! この名前だけは思い出さないと!)
名前、それは自分に残された家族との唯一の絆なのだから。
「っ!! 僕の名前、僕の名前は……!」
震える口を必死で動かす勇者。
「僕の名はカイルです!!」
それが、勇者という肩書を捨て、本来の自分を思い出した少年の名前だった。
◆
「ワンワワン!!」
「キャンキャキャン!!」
なんとも気の抜けた犬の鳴き声で目が覚めた。
はて、どこぞで誰かが犬の散歩をさせておるのかの?
などと寝ぼけた頭で思いながらベッドで微睡んでいたが、脳が覚醒するにつれてよく考えたらこの島に普通の犬などおらぬと気付く。
「では今の鳴き声は……?」
窓をあけて外を見ると、そこには大きな四つ足の獣と小さな二匹の獣の姿があった。
……おお、ガルとウィーキィドッグ達か。
「よぉし! それではゆくぞ!」
「ワンワワン!!」
「キャンキャキャン!!」
三匹はいずこかへと向かって走ってゆく。
「ふむ、仲良くなった、と言う事かの?」
まぁガルは聖獣じゃし、任せておいても問題なかろう。
「強くなるにはとにかく走れ! 走って足腰を鍛えろ!」
どうやらウィーキィドッグ達はガルに師事を仰いで強くなる事にしたらしい。
ガルと交流した事で何か思うところがあったと見える。
「まぁ、不貞腐れて自暴自棄になるよりは健全じゃの」
しかし、最弱の魔物であるウィーキィドッグが体を鍛えたからと言って強くなれるのじゃろうか?
そんな疑問を抱きながら三匹を見ていると、ウィーキィドッグ達の速度がどんどん落ちてゆく。
「どうした! この程度でへばったのか? 気合を見せろカイル!」
「わ、わふ!」
名を呼ばれたウィーキィドッグが雄叫びを返し、追いつこうと食らいつく。
「わんわわ……ぜぇはぁ」
「キャキャキャふぅ……」
しかしガルの叱咤もむなしく、少しだけ速度を取り戻したウィーキィドッグは地面にへたり込んでしもうた。
いかんな、身体能力に差があり過ぎてあっという間に死にかけておるではないか。
「これでは強くなるにはどれだけ時間と手間がかかるか分からんのう」
「なにしてるのー?」
「かけっこー?」
そんなウィーキィドッグたちの下に、遊んでいると勘違いした毛玉スライム達が集まる。
「よし、お前達も一緒に走るぞ!」
「「「わーい」」」
そしてなし崩しに始まる追いかけっこ。
とはいっても、ガルが早すぎてあっという間に皆置いてけぼりになっておるのじゃが。
「ガルのおじちゃんまってー」
「おじちゃんはやーい!」
ポテンポテンとガルを追いかける毛玉スライム達。
「ワ、ワフン!」
「キ、キャウン!!」
そして毛玉スライムに負けるかと再び走り始めるウィーキィドッグ達。
ほほう、どうやら毛玉スライム達にライバル心を刺激されたと見える。
二種の魔物達は団子状態となってはるか先を行くガルを追いかけてゆくのじゃった。
うむうむ、これならウィーキィドッグ達も島に馴染むことじゃろう。
「ワフゥ~ン、バタッ」
あっ、力尽きたのじゃ。
「仕方ない。少し休憩といくか。そら、メイド達が作ってくれたクッキーと茶だ。美味いぞ」
ウィーキィドッグ達が限界となった所で、ガルはメイア達が用意した菓子と茶で休憩を行う。
「わふっ!」
「きゃふっ!」
メイア達の用意した菓子を食べて尻尾をぶんぶんと振って喜びをアピールするウィーキィドッグ達。
「本日のお茶はラグラの実の皮を干したラグラ茶でございます。クッキーには干しラグラの実と魔物蜂のハチミツを混ぜ、味と栄養の双方を両立させてみました」
「うむ、流石だな! 食べているだけで体の疲れが癒えるようだ! そして美味い!」
「おいしー」
「美味ー」
「わふっ!」
「きゃふっ!」
メイド隊の説明に歓声で返す魔物達。
「ふむ、他者と共に食事を出来るようになったのは良い事じゃの」
さて、わらも朝食を食べるとするかの。
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