第75話 魔王、祝いの宴会をするのじゃ

「それでは、テイルの宮廷魔術師選抜合格を祝って、乾杯じゃーっ!!」


「「「「「かんぱーいっっ!!」」」」」


 わらわの音頭を受けて、島中の魔物達が乾杯の声を上げる。

 彼等は体格に合った小さなグラスや皿に注がれた酒を飲み、舐め、または酒に浸した果物を齧って最初の一口を味わう。


「テイルちゃんおめでとー」


「やったじゃねぇかテイルの姉御!!」


「流石ですなテイル嬢」


 皆が最初の一口を飲み終わると、今度はテイルへの祝いの行列が出来上がる。


「あ、ありがとうございましゅ……」


 対してテイルは褒められることに慣れていないのか、顔を真っ赤にして皆に礼を言っておった。


「うむ、これでテイルも自分の力に実力を持てるようになると良いのう」


 これまでのテイルは実力を発揮できなかったが故に、辛辣な扱いを受け続け、すっかり卑屈な性格になっておった。

 だからこそ、皆からの言葉を受けて自分に自信を持てるようになってほしいものじゃ。


「魔族の魔法の威力や精度は精神の影響を強く受けるからのう」


 人族の魔法は術式頼りな所が強い為、威力は低くとも正確に発動出来れば精神状態の影響を受ける事はない。

 しかし魔族は体内に魔法を発動させる為の器官をもっている故、心のありようで大きく威力が変動してしまうのじゃ。

 まぁ、魔族の場合、半ば感覚で魔法を使えてしまう事で威力が下がっても人族にとっては十分脅威な威力なんじゃがな。


「ま、その辺りはおいおい慣れていくしかあるまい」


 祝いの言葉を伝え終えた者達は、そのまま会場に並べられた料理に向かってゆく。

 毛玉スライムのような地を這う魔物や四つ足の獣型の魔物も多い故、料理の大半は慣らした地面の上にシートを敷いて、そこに皿を置く方式じゃ。


「おいしー」


「コイツは美味いぜ!!」


 魔物達はメイア達メイド隊が作った料理に舌鼓を打つ。

 何しろメイア達は我が魔王国でも有数の料理の腕を持っておるからのう。

 魔王国中からやって来る貴族や実力者達を持て成す為、彼女達は料理と酔っぱらいをぶっ飛ばす為の腕っぷしを磨いておるのじゃ。

 なお魔王国では質の悪い酔っぱらいはぶん殴って水魔法をぶっかける事になっておる。


「ふむ、そろそろじゃの」


 祝いの空気が落ち着いてきたところで、わらわはガルに合図を送ると、ガルも頷いて会場から姿を消す。

 そして少しすると、ズズズズッという重いものを引きずるような音が近づいてきた。

 事情を知らぬ皆はなんだなんだと困惑の声をあげる。


「心配はいらぬ。これはこの島の新しい住人の音じゃ」


 わらわが声をかける事で皆の動揺が静まって来たところで、もう一人の宴の主役が到着した。


「うわー、デッカイ蛇―……ヘビ?」


 毛玉スライムが首を傾げたのも無理はない。

 何しろやってきたのは全身が毛に覆われた細長い巨体なのじゃからな。


「もしかして合体に失敗したのー?」


「は?」


「「「「ぶふぉっ!!」」」」


 毛玉スライムの疑問に困惑の声を上げる毛玉ヘビことレーベ。

 対して毛玉スライムが毛を結合して合体した巨大毛玉スライムの事を知っている者達は思わず噴き出した。


「こ奴はレーベイク。ガルと同じ聖獣じゃ」


「「「「聖獣!?」」」」


 聖獣と聞いて皆が声を上げる。


「「「って何?」」」


 しかし昔から島で暮らしていた魔物達は、聖獣が何なのか分からずに首を傾げる。


「気にする事はない。要は多少強い魔物と言うだけの事。改めて我からも挨拶させてもらおう。我の名はレーベイク。レーベと呼んでくれ」


 しかしレーベは聖獣が何かを知らないことに怒ったりはせず、気さくに愛称で呼ぶことを許した。


「レーベは蛇なのー?」


「そうだ蛇の魔物だ」


「デッケェなぁアンタ! グランドベアの旦那とタメ張るデカさだぜ!」


「まぁ体の大きさには多少自信があるな」


 魔物達はレーベの大きさに臆することなく、積極的に関わってゆく。

 このあたり世間知らずな魔物が多いからかのう。毛玉スライムはそもそもおおらかな性格じゃし。


「ともあれ、顔合わせは無事に済んだようで何よりじゃの」


「あわわわわっ」


 と思ったらテイルが真っ青な顔で震えておった。


「どうしたんじゃテイルよ?」


「どうしたって、私あの魔じゅ、聖獣様に思いっきり攻撃しちゃったんですけど!?」


「あー、そう言えばそうじゃったな」


 人族にとって聖獣は神が遣わした聖なる獣。

 強大な力で人族を守る守護神的な存在じゃ。

 それを攻撃したと知られたら、人族からは裏切者と思われても仕方ないからのう。


「まぁそう言うのは本人に聞くのが一番じゃ。おーいレーベよ」


「ちょっ、師匠!?」


 わらわはレーベを呼ぶと、先の戦闘でテイルがレーベに傷を負わせた事をどう思っているのか尋ねてみる。


「あわわ、そんな気軽に……」


 するとレーベはフンと鼻息を鳴らすと、気にする事はないと言い切った。


「アレは邪神の邪気に精神を侵されていた故の戦い、我の本気の立ち振る舞いではなかった。気にする必要はない」


「は、はぁ……」


 いやそれは傷を負わされた事ではなく、自分が負けそうになった事に対する弁解ではないかの?

 まぁレーベが気にしないというのなら、わらわが口を挟むのは野暮というものか。


「と言う事じゃ。良かったのテイル」


「は、はぁ……ええと、本当に申し訳ありませんでした」


「うむ、その心意気は受け取ろう」


 あっさりとレーベとの和解が成立した事で、宴が再開される。


「はっはっはっ、なーにが我の本気の立ち振る舞いではないだ。どうせお前の事だ、操られていてもたかが人族相手に本気など出す必要もないと油断していたのだろう」


「何だと!? それを言ったら貴様とて、教会なぞに良いように利用された癖に! そのあげくが餓死する所だったとは情けない!!」


「何だと貴様!!」


「貴様こそ!!」


 そして宴もたけなわになると、騒動を起こす輩も現れる。

 どうやらガルとレーベはあまり相性が良くないようじゃの。


「ふん、一度貴様とは白黒はっきりつけたかったのだ」


「それはこちらのセリフだ。貴様には聖獣としての矜持を教えてやる必要があるようだな」


「「「「……」」」」


 争いの気配を察して二頭から離れていく魔物達。


「お二方、騒動を起こすつもりなら他所でやってくださいませ」


 そんな一触即発状態の二頭の間に現れたのは、包丁やフライパンを持ったメイア達メイド隊じゃった。


「それとも、お二方が宴のメインになりますか!」


 ズラリと並んだメイド達が一糸乱れぬ動きで包丁を構える異様な光景に、思わず二頭がたじろぐ。


「い、いや、別にここで始めるつもりは……」


「な、ないぞ。まったくないぞ」


「それはよろしゅうございました。では引き続き宴をお楽しみください」


 二頭が争う意思はないと降参すると、メイア達はあっさりと引き下がっていった。


「「……はぁ~~」」


 メイド達が居なくなった事で、ガル達が脱力する様に大きな溜息を吐く。


「なんなのだあの魔族の娘は。並大抵の殺気ではなかったぞ」


「殺気ですか?」


 レーベの言葉にテイルが首を傾げる。


「ああ、お主は気付かなんだか。メイア達はガルとレーベにだけ殺気を送っていたのじゃよ」


「ええ!? そうだったんですか!?」


 メイアはわらわの古参の部下じゃからな。特定の相手にだけ殺気を向けるなど訳無いのじゃ。

 当然メイアが鍛えたメイド隊もまた、同じ事が出来て然り。


「気が削がれた」


「うむ」


結局二頭は喧嘩を辞めると、お互い離れた場所に座り直して宴を再開しておった。


そうして宵の時間になると、ちらほらと眠る為に巣に帰る者達が出てくる。

中にはそのまま会場で眠る者達もおるな。

そうなるとまだ起きてる者達は静かに雑談に興じる様になる。


「それにしてもお主が宮廷魔術師か。人の子の人生はどう転ぶか分からぬなぁ」


「そうですね。私もびっくりです」


 自分が宮廷魔術師に選抜された事を、まるで人事のように語るテイル。

 まぁ実際実感が湧かんのじゃろうな。


「それもこれも師匠のお陰です」


「なんじゃ藪から棒に」


「事実ですよ。師匠に出会わなければいずれ私はあの失敗に行きついていました。そして借金の返済の為にトラビックと結婚する事になったでしょう。そして魔法使いとして一人前になることなく、ただ魔力の多さだけが取柄な役立たずとして一生を終えていたと思います」


 その独白をわらわは否定する事も肯定する事もせなんだ。

 確かにわらわと出会わなければそうなっていた可能性は高いじゃろう。

 じゃがそれはもしもの話じゃ。

 もしもの話なら、いずれテイルは自らの力を自力で何とか出来た可能性もある。


「はっはっはっ、それでは宮廷魔術師になってしっかり恩返しして貰うとするかのう」


 折角の祝い事の席で暗い話を続ける意味もあるまいと、わらわはあえて話題をズラす。


「あっ、それなんですが、私そのお話は辞退しようと思っているんです」


「なんじゃと!?」


 まさかの辞退宣言に、わらわは目を丸くする。


「宮廷魔術師を辞退してどうするつもりなのじゃ? まさか冒険者として生きていくつもりか?」


「冒険者、というよりも師匠の弟子を続けたいんです」


 わらわの弟子じゃと? 既にテイルには必要な事は教えたと言った筈じゃが……


「師匠の戦い方を見せて貰う度に思うんです。私はまだ師匠の足元にも及ばないって。傍て見ていれば見ている程、修行をすればする程、師匠の背中は近づくどころか遠ざかっていくのが分かるんです! だから私、もっと師匠の教えを受けたいんです!」


 ふぅむ、これは良くない傾向じゃのう。

 テイルめ、一人立ちへの不安から、師であるわらわに依存しておるようじゃ。

 これは一つ叱ってやらねば……


「だって師匠は、私の知らない魔法をいっぱい知ってるんですからっ!!」


「……んん?」


 何か予想と違う答えを言われたような気がしたんじゃが?


「師匠は魔族の魔法を沢山知っているんですよね?」


「そりゃまぁ、仮にも元魔王じゃからのう」


「それです!」


「どれじゃい?」


「師匠は魔王、つまりその気になれば魔族領域のあらゆる魔法を手に入れる事が出来た筈です! それに数百年以上魔王の座に君臨する師匠の伝説は、人族の領域にも広く知れ渡っています! つまり実際に師匠は強力な魔法を覚えている筈です!!」


「まぁその通りじゃが……」


「ですよね!」


 テイルの勢いが何やら怖いが、言っておる事は間違いではない。

 魔族の世界は弱肉強食、力ある者が全てを得る世界。

 それゆえ、力を持つことには皆貪欲じゃし、倒した敵から優れた技術を学び取る事も当然のように行ってきた。


 ただまぁ、強力な魔法を持つ者を倒すのは並大抵の苦労ではない故、そういった強者の優れた技術を得られるのは当然より強い者に限られておった。

 つまり強い奴の下に力が集まるという事じゃの。

 人族にも金は金持ちの下に集まるという言葉があるが、それと同じじゃ。


「と言う訳で私は魔族の魔法の知識をもっと知りたいんです! ああ、魔族の魔法、どんな魔法があるんでしょう! 転移魔法も変身魔法だけでも人族の魔力じゃとても使いこなせない魔法なんですよ! それってつまり、人族の能力では現実的じゃない、机上の空論だと笑われた魔法や、私達が想像もしないような複雑怪奇な魔力制御を必要とする大魔法もあるって事だと思うんですよ! だって人族は限られた魔力をやりくりして常により強力な魔法を研究してきたんですから、魔族だって研究してない訳がないですよね! 知りたいです、魔族の魔法! 今まで私が使ってきた魔法は殆どが人族の魔法です。師匠から教わったのは変身魔法などのごく一部の魔法だけ。つまりまだ全然師匠から魔法を学んでいないって事です! だからこれからも師匠の下で学ばせてください!!」


「長い長い!」


 そう言えばこ奴、魔法を使えるようになるために手当たり次第に魔法書を読みふけっておったんじゃったな。

 もしやそれが高じて、というか拗らせて、魔法に対して人並み以上、いや異常に強い執着を持つようになってしまったのかもしれん。


 今までは魔法が満足に使えなんだ所為でそれどころでは無かったようじゃが、その枷が外れた事でこうして本性とも言うべきものが湧きだしてきおったようじゃ。


「……というか、今のこやつに魔法を教えるの危険かもしれんの」


 何せ枷の外れた今のテイルは魔法限定の知的好奇心の塊じゃ。

 もしかしたら以前わらわが一人前になったと免許皆伝を言い渡して一人だしさせようとした時も、本人は己の未熟を不安に感じて弟子でいる事を選んだつもりが、実際には魔法に対する執着心がわらわとの繋がりが断たれる事で未知の魔法を覚えれなくなる事を無意識に危惧したのかもしれん。


 そんな奴にあれやこれや強力な魔法を教えてしまったら、それこそ即実践となるのは目に見える。

 その結果、うっかり現在の実力で扱いきれぬ魔法に手を出そうものなら……


「うむ、大惨事じゃな」


 そうならぬようにするには……


「甘いぞテイルよ」


「え?」


「お主は人族の魔法を知り尽くしたつもりでおるようじゃが、大事な事を忘れておる」


「大事な事……ですか? 師匠の魔法知識以上に大事な事ってありましたっけ?」


「ある」


 わらわは断言した。

 そして違う切り口からテイルの説得を行う事にする。


「人族には、禁呪というものがあるのを忘れておらぬか?」


「えっ? あ、はい。それは知っていますが、それが一体?」


「禁呪は何故禁じられたのか言ってみよ」


「危険すぎるからです。単純に術者が失敗した際に負うリスクが高すぎる魔法、そして発動した際に周囲に甚大な被害をもたらすからです」


「その通りじゃ。それ故に危険すぎる魔法は禁呪として封印され、特別な許可を得た者にしか見る事は許されん。では質問じゃ。その特別な許可を得る事が出来る者とは、どのような立場の者じゃと思う?」


「それは……あっ!」


 そこでテイルはわらわの言葉の意図を理解して声を上げる。


「分かったようじゃな。ただの冒険者では禁呪が記された本の閲覧など出来ん。しかしお主が宮廷魔術師になれば……」


「いずれ禁書庫を閲覧する許可が得られるという事ですか!?」


「その通りじゃ」


 たぶんの。


「禁呪の記された禁書庫……見渡す限りの未知の魔法の山……ジュルリ」


 禁書庫に入って思うがままに未知の魔法知識を読みふける事を想像して、テイルの口の端から涎が垂れる……ってはしたないぞ我が弟子!!


「分かりました師匠! 私、宮廷魔術師になります! 宮廷魔術師になって禁書庫の魔法を学んできます!」


「うむ、魔族の魔法はいずれお主が人族の世界に居づらくなって、宮廷魔術師を辞めた後で学べば良い。それまでは人族の領域のまだ見ぬ魔法を学ぶと良いのじゃ」


「はい!」


 よし、これで魔族の魔法を手当たり次第に学んで大惨事になるのは免れた。

 テイルも魔族の端くれ、いずれ時が経って年相応の落ち着きを学んだと判断した頃に魔族の魔法を教えてやればよかろうて。

 うむ、わらわ今世界を救った気がするぞ。

 魔族の危険な魔法に比べれば、人族の禁呪の危険度は低いからの。


「それはそれとして、メイアよ、テイルが禁書庫への出入りを許可されんように手を回しておくのじゃ。そして万が一許可が下りた際は……」


「はっ、使い魔に命じて覚えた魔法を報告いたします」


「うむ」


 わらわ達は通信魔法で秘密裏にテイルの禁呪習得を遅らせる手配をする。

 魔族の術に比べて危険度は少ないとはいえ、弱体化する前の古代の人族の魔法には危険な物もあった。

 もっとも、彼等は強い力を制御する精神を持っていたゆえに、そうした危険な魔法を自ら封じる理性があったが、今のテイルと人族にそれを望むのは酷というもの。


 万が一の時は、テイルの学んだ禁呪を封じるための対策を講じておかねばならん。

 なんか弟子の方が人族にとって脅威な気がするんじゃが?


「って、何でわらわが弟子のやらかしを心配せねばならんのじゃ!」


「リンド様は面倒見が良いお方ですから」


 そう言うのが嫌で魔王を辞めたんじゃけどなー。


「まぁそれでもテイルが権威を得るのは良い事じゃ。どれだけ実力があろうとも、権威が無ければ侮られるのが人族の常じゃ。テイルが人として生きている間は、人族に通じる権威を持つのは悪い事ではない」


 本当はその権威に見合う心の強さも身に着けてほしいんじゃがの。

 まぁそれはおいおい、テイルが成長していけば自然と身に付くじゃろ。


「その通りですね。そして彼女が宮廷魔術師として確固たる地位を得れば、人族の魔法関連の情報は我々に筒抜けになるという事でもあります」


「うむ。情報を制する者は争いを制する。人族と魔族の全面戦争にならぬように上手くバランスを取らねばの」


 折角弟子が敵国の中枢に食い込んでくれるのじゃ。

 授業料代わりに頑張ってもらうとするかの。

 主に雑用的な意味で。


「ブルッ、なんだか嫌な予感が?」


「気のせいではないかの?」


 はっはっはっ、意外と感が良いのかの?


「そういえば師匠。結局のところ、クラーケンってどうなったんでしょう? どこかに引っ越したんでしょうか?」


 と、そこでテイルがふと思い出したとばかりにクラーケンの話題を振って来る。


「む? クラーケンか?」


 そう言えばそうじゃの。

 クラーケンは滅多な事で縄張りを変えぬ魔物じゃ。

 しかし今回の宮廷魔術師選別では一匹も姿を現さなんだ。


「私が修行で戦っていた頃はまだ沢山いたんですけど……」


 そう言えばテイルに修行がてらクラーケン狩りを命じておったの。

 お陰で最近は多少遠出しても海が安全になったとペンドリー達が感謝しておったが、流石にクラーケンが縄張りを変える程に損害を与えたとは思えん。


「それなのですが、お伝えしたい事が」


 首を傾げるわらわ達に、メイアが宴が終わってからするつもりだった報告があると告げてきた。


「緊急性の低い内容でしたので、後回しにしていた事なのですが……」


◆宰相SIDE◆


「勇者一行再三の敗走。ふふ、良い傾向ですね」


 ヒルデガルドは部下から送られてきた報告書を読んで静かに微笑んでいた。


「やはりクラーケンを人族の領海に移住させたのは正解でしたね。いかに魔王、いえ元魔王を封印したとはいえ、海は人族にとっては不利な戦場。しかも魔法に対する高い抵抗力を持つクラーケンとなれば、一部の強者以外ではそもそも相手にならない」


 手にしたワインのグラスを弄びながら、ヒルデガルドは勝利を確信する。


「厄介だったクラーケンを排除した事で我が国の海運事情は安定する。代わりに人族の海運は大打撃を受け、更には勇者一行の名声も貶める。良い事尽くめですね」


 クラーケンは滅多に縄張りを変えない。

 そして人族にはクラーケンが自主的に縄張りを変えるような大海戦力はない。

 人族側は完全に積んでいた。

 だからこそ、ヒルデガルドは勝利を確信していたのである。


「ふふっ」


 前回の計画の失敗を帳消しにする成果に、ヒルデガルドは満足しながら口元に運んだグラスを傾けた……その時だった。


「大変ですヒルデガルド宰相! クラーケンが我等の領海に戻ってきました!」


「ブハッ!!」


 血相を変えて執務室に飛び込んできた部下の言葉に思わず口に含んだワインを拭きだすヒルデガルド。


「ああ勿体ない!? じゃなくて人族の領海に追いやった筈のクラーケンが戻ってきたのです!」


「なんでーっ!?」


 ありえない報告に思わず悲鳴をあげるヒルデガルド。

 何しろクラーケンが滅多に縄張りを変えないという習性を利用して作戦を決めたのはほかならぬヒルデガルド自身だからだ。


「報告ではクラーケンは著しく数を減少しており、戦闘で受けたと思しき大きな傷を負った個体もいたそうです。恐らくは人族の領域での戦闘が原因と思われます」


「馬鹿な! 今の人族にその様な強者が居る筈がありません! 勇者ですらクラーケンの群れに敗走したというのに!」


「それが、どうも人族の間でクラーケンを狩る女神なる存在が目撃されているようで……恐らくはその者がクラーケンに縄張りの移動を決意させるほどの被害を与えたと思われます」


「なんですかそれは!? クラーケンを狩る女神!? 何の冗談ですか!?」


 それはリンドの命令でクラーケン相手に修行を行っていたテイルの事であった。


 そしてクラーケン達も本来ならテイルの与えた被害程度では縄張りを変える事も無かったのだが、彼等は元々住んでいた縄張りを強引に追い出された身。

そして移住した先でたった一人を相手に碌に手も足も出ず、それどころか戦う度に戦い慣れてどんどん強くなるテイルの存在は関係者の予想以上にクラーケン達に恐怖を与えていたのである。


 結果クラーケンは、戦いにすらならない相手と全滅必至の覚悟で戦うよりは、元の縄張りに戻ってまだまともに戦える相手と再び争った方が良いと判断したのである。

 見た目は巨大な動物だが、自然界の動物は人が思う以上に賢い者が多い。

 クラーケン達もまた、言葉を介さぬだけで決して低くない知性を持っていたのだ。


 尚、他の縄張りは別の強者の縄張りであった為、弱体化したクラーケン達にはほかに選択肢が無かったとも言える。

 広い海は地上の民以上に海の民にとっても厳しい環境なのであった。


 だがそんな裏の事情を知らないヒルデガルドにとって、部下の報告は質の悪い冗談のような話だった。


(ですが現実問題クラーケンが戻ってきた以上、人族には相当な力を持った術者が居たという事。一体何者なのです!?)


「なお、クラーケンの帰還に伴い、クラーケン移動作戦で犠牲者を多く出した海魔族から苦情と賠償の請求が求められています!」


 そう言いながら部下は海魔族からの怒りの籠った苦情が書き殴られた書状を差し出してくる。

 

「だから何でぇーっ!?」


 本日二度目の悲鳴が魔王城に響き渡るのだった。

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