第58話 魔王、の知らんところで大海戦なのじゃ?

 ◆勇者SIDE◆


 それはまるで幽霊船の船団であった。

 否、甲板上を見れば人の姿が確認出来た。

 しかしその顔は誰も彼もがゴーストの様に打ちひしがれていた。


「悪夢だ……まさかクラーケンの群れだなんて……」


 そう呟いたのはこの船団を率いる司令官補佐だった。

 だが彼が乗る船は船団の旗艦と思えないような凡庸な船だった。

 それもその筈、彼が乗っているのは船団の一般的な軍艦であって旗艦ではないからだ。


 では何故司令官補佐が旗艦に乗って居ないのか?

 否、この船団には旗艦が存在していないのだ。

 というのも、司令官が乗っていた旗艦は、戦闘開始直前に海底から浮上してきたクラーケンの群れによって海に引きずり込まれたからだ。

 当然司令官も船と共に海の藻屑だ。


 彼が無事だったのは、偶々勇者達が乗っている船に作戦開始前の最終打ち合わせに向かっていたからに他ならない。

 本来なら彼ほどの地位の人間がそのような使い走りの役目をする事はあり得ないのだが、相手が魔王を倒し、また船団の主力となる勇者であった為にやむなく彼が出向く必要があったのだ。

 しかし旗艦に起きた悲劇を考えれば不幸中の幸いと呼ぶべきだろう。


 だが残された者達はそれどころではなかった。

 旗艦が開幕轟沈した事で指揮系統は乱れに乱れ、ようやく勇者と司令官補佐の乗る船を新たな旗艦とした頃には船団は大打撃を受けていたからだ。


「だから万が一の時の為の指揮系統の引継ぎを決めて置けばよかったんだ」


 通常軍隊は階級の高い者が優先的な指揮権を持つ。

 そして上位の指揮権を持つ者が戦死した場合は次に階級の高い者が指揮を引き継ぐ。

 しかしその際に同一の階級の者が複数いると厄介なことになる。


 派閥争いや権力闘争から指揮権を得ようと、指揮権争いが発生することがあるのだ。

 本来のならそうした状況にならないよう、大規模な作戦ではあらかじめ指揮権の譲渡順が決められる。

 だが生憎と亡き司令官は自分以外の者に権力が移る事を良しとしなかった。


 つまり指揮権の譲渡先を意図的に決めなかったのだ。

 何より、彼は自分が死ぬという可能性を欠片も信じていなかったのである。

 結果部下達がそのツケを支払う事になるのだから目も当てられない。

 更に言えば司令官補佐は複数の派閥から派遣されていた為、指揮権がメチャクチャになってしまったのだ。


 だがそれでも彼等は健闘した。

 特に乱戦に慣れ、少人数で行動する経験の多い冒険者達がクラーケンを上手く迎撃したのだ。

 次いで勇者達もその役割柄、単独行動に慣れているためにクラーケンの牽制に尽力した。


 更に勇者と共に行動していた司令官補佐が勇者を旗印にする事で何とか周辺の味方の指揮権を確保した事で、クラーケン達に一矢報いる事に成功した。

 ……そこまでは良かった。

 だがとどめを刺す前にクラーケン達は海中に逃亡してしまったのだ。


 そして入れ替わりに現れたのは無傷のクラーケンの群れ。

 しかも数は倍以上というのだから堪らない。

 こうなってはもはや戦闘どころではなく、船団は蜘蛛の子を散らすようにてんでバラバラに逃走を開始。

 クラーケン達はこれ幸いと船を確固撃破していき、なんとか近くにいる船団を従わせる事の出来た司令官補佐達だけが逃げ延びたのである。


「残ったのは船は出港時の1/10、しかも船はボロボロ……元の規模まで戻すのに何年かかるやら……」


 彼がため息を吐く理由は単純に戦力の再建問題だけではなかった。


「責任……追及されるよなぁ」


 陸に戻ってもお先真っ暗と司令官補佐はガックリとうなだれた。

 そして同じようにうな垂れている者が近くにいた。


「くそっ、あと少しだったのに!」


 勇者である。


「あと少しって後から出てきた連中はピンピンしてただろうに」


 勇者のトンチンカンな発言に近衛筆頭騎士が呆れた声をあげる。


「高位冒険者達と協力して大魔法の準備がもうすぐ完了するところだったんだ。あと少し頑張っていれば、あのクラーケン達を一掃できたんだよ! あれだけ大きな体なら魔法を避ける事も出来なかった! なのに司令官補佐が僕の言葉を聞かずに逃走を命令したから……!」


「……まぁ集団戦なんてそんなもんだ。お前が悪いわけじゃないさ」


 そう言いつつも、近衛騎士筆頭は勇者の楽観的な発言に呆れていた。


(クラーケンは障壁で魔法使い達の魔法を跳ね返していた。だからこそ冒険者連中も大魔法で障壁ごと貫こうとしたんだろうが、たった一匹のクラーケンにすらそこまでする必要があったのに次から次へとやって来るクラーケンを全て倒すのは無理だ。魔力が保たんしそもそも大魔法が完了するまで待ってくれる馬鹿はいない)


 事実魔法の準備をしている間にも多くの犠牲が出ていたのだから近衛騎士筆頭の判断は正しい。

 そして勇者の発言に呆れているのは近衛騎士筆頭だけではなかった。


「勇者様は乗ってるだけだから気楽なもんだよな。誰が船を動かすと思ってんだ」


「全くだ。こっちはいつ船が転覆するかとヒヤヒヤしてたってのによ」


 そう愚痴を漏らしたのは船を動かす船員達だ。

 いや船員達だけではない。勇者と共に戦った冒険者達も同様だ。

 もっとも彼らの場合は勇者だけでなく、騎士団の指揮官達にも不満を募らせていたのだが。

 国に強引に徴集された挙句、指揮権争いに巻き込まれて満足に戦えなかったのだから彼等もたまったものではないだろう。


 船内に充満する不満に危機感を感じつつ、近衛騎士筆頭は小さくため息を吐く。


(まぁ勇者は対魔王用の訓練を施されただけで戦略的な思考は教えられていないからな)


「あいつ等が生きていればなぁ」


 近衛騎士筆頭が言ったあいつ等とは、魔王討伐の旅に同行していた魔法使い達の事だ。

 勇者達の戦いにおいて、強力な魔族に対抗するために魔法によるサポートは必須。

 この戦いでも彼らがいれば強力な戦力になった事だろう。


 だが魔法使いは魔法に特化しているせいで身体的能力が著しく低いという欠点があった。

 接近されればなす術もなく魔物の爪に引き裂かれ、逃走すればすぐに息切れを起こしてへたり込み敵に捕まって死んだ。


 そう、人族にとって魔法使いとは後方から援護する為の持ち運びが可能だが壊れやすい砲台扱いだったのだ。

 結果旅の間に魔法使い達は何人も戦死し、偽りの魔王城での決戦においてはそこにたどり着く前に脱落していたのである。

 

 とはいえ魔法使いが無能な訳ではない。

 今回のような自由に動けない戦場に置いては魔法使いの価値は高い。

 だからこそ国は冒険者ギルドに命じて優秀な魔法使いを招集したのだから。


 なお余談ではあるが、全ての魔法使いが身体的に貧弱という訳ではない。

 冒険者やフィールドワークをする魔法使いは屋外活動をする関係でそれなりに動くことが出来る。

 勇者の仲間の魔法使い達が次々と戦死したのはあくまでも魔法の威力や使用できる数だけで判断されたからであり、実戦経験などはあまり考慮されなかったのだ。

 つまり栄光ある魔王との戦いに選ばれたのは実戦経験の少ないエリート魔術師頭でっかちばかりだったのである。


(昔の魔法使いは魔王との戦いにも最後まで付いてこれたらしいけどな)


「やはり優秀な魔法使いが必要だな。それもお高く留まった宮廷魔術師なんかじゃない、本物の実力者を……」


 誰もが敗戦の打ちひしがれている中、近衛騎士筆頭だけが次の戦いに意識を映していたのだった。


 ◆宰相SIDE◆


「ヒルデガルド宰相、勇者達は敗走したそうです」


 勇者達が戦った海域から遠く離れた魔王国の王都で、ヒルデガルドは戦況の報告を受けていた。


「ふふ、そうでしょうとも」


 ヒルデガルドはご満悦だった。

 何しろこの作戦は彼女が直々に指揮を執ったからだ。


「我が魔王国の領海に住むクラーケンの群れを人族の領域に移す作戦は大成功ですね」


 そう、勇者達が戦ったクラーケンは元々魔王国の海で暮らす魔物だったのである。

 それをおびき寄せて人族の領域に強引に引っ越しさせたのだ。


「とはいえ、この件で海魔族にも結構な被害が出ております。彼らの不満を何とかしないと我々の交易路に悪影響が出ます」


 上機嫌のヒルデガルドとは対照的に、彼女の部下は不安そうな顔をしていた。

 海魔族は生活域が水中に限定される代わりに、水の中では無類の力を発揮する。

 その事から船団の護衛を行ったり、時には海賊の様に略奪をする者達もいた。

 つまり水のある場所で海魔族の機嫌を損ねるのは危険なのだ。

 

「問題ありません。クラーケンが居なくなったことであのあたりの海域は安全になりましたから。逆に人族の海域では海魔族の先導があればクラーケンを回避しながら移動できます。人族にはそれが出来ませんから我々が圧倒的に有利になります。あとは奪った海域を彼らの新しい縄張りとして与えれば不満も消えますよ」


「ですが相手は魔王様を封印した勇者です。次の戦いでは何らかの対策を立ててくると思われます」


「それならそれで構いませんよ」


「と、仰いますと?」


「勇者達がどのような対策を立てようとも、クラーケンの群れとの戦いは楽な物ではありません。疲れ果てたところで海魔族に襲わせれば良いのです。彼等も勇者討伐の名誉を得たいでしょうからね」


「おお、確かに!」


 魔族は力ある者が権威を持つ社会構造をしている。

 ゆえに人族の最強戦力である勇者を倒したという事実は何よりの力の象徴となるのだ。

 その名声を得られたなら海魔族達も自らが被った損耗は安かったと判断するだろう。


(もっとも、勇者討伐の名誉は私達が得ることになるのですけれどね)


 計算高いヒルデガルドは海魔族が襲撃する際には自らの部下も同行させるよう海魔族の長と密約を交わしていた。

 それというのも勇者を倒した者が次の魔王であるという幹部間の盟約があるからだ。


「クラーケンが勝とうが倒されようがどちらに転んでも私に損はない。損をするのは私の敵だけなのですからね! ふふふふふふっ」


 自らの狙い通りに進む状況に、ヒルデガルドは薄い笑みを浮かべるのだった。

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