第3話 魔王、最弱のモフモフと遭遇するのじゃ

  フィルツボス大河、それは魔族領域を流れる巨大な大河の名称じゃ。

 魔峰リィブキ山脈から流れ出た水から集まったいくつもの川が合流して出来上がったその大河は川底が大きく削れており、場所によっては下手な湖よりも水深の深い特異な河川じゃった。


 そうした環境から魚だけでなく巨大な水棲の魔物も住処として暮らしており、迂闊に人が近づこうものなら、乗っている船ごと餌にされてしまう恐ろしい大河なのじゃよ。

 そんな大河の河畔に一つの影が浮かび上がると、川岸の大地へと上陸した。

 そう、わらわじゃ。


「ふぅ、これだけ王都から離れればヒルデガルドの追手も諦めた事じゃろう」


 わらわは魔王都ガイラリアの傍に流れるフィルツボス大河に不時着する振りをしてヒルデガルド達の眼から逃れると、そのまま川底を水中活動魔法を行使して高速で泳ぎ、魔王都から遥か離れた土地まで逃げてきたのじゃ。


「流石に体が冷えたのぅ」


 と言ってもわらわ程の使い手となるとたかが数時間水に浸かったくらいで具合を悪くする事など無い。

 単純に気分の問題じゃ。


「しかしこれからどうしたものかのぅ」


 念願の自由を得たわらわじゃったが、自由を得たら得たで何をすれば良いかと途方に暮れてしまう。

 い、いかん、数千年間魔王仕事をしておった所為で、今更何をすれば良いか思いつかぬ!


 おおおお……、もしかしてわらわってばワーカホリックじゃったのか!?

 おかしいのう。魔王となる前は普通にだらだらとその日暮らしをしておったはずなのじゃが……


「まずは次の仕事を探すか? いやいや折角魔王を止めたのじゃぞ。暫くはのんびり過ごすべきじゃ。また面倒な役割を押し付けられては堪らぬからのぅ。じゃがのんびり何をする? 昼寝でもすれば良いのか? 他には何をすれば良かったかのう?」


 どうやらそれほどまでに魔王と言う職務はわらわの魂と密接に、一体化していたようであった……って笑えんわ!!


「……」


「ん?」


 その時じゃった。わらわは自分に集まる視線を感じとったのじゃ。


(誰じゃ? 複数の視線? まさかヒルデガルドの部下か? それにしては早過ぎる)


 ヒルデガルドが叛意を翻したのはわらわが城に帰還して僅か一時間分にも満たない時間じゃ。

それを考えれば通信魔法を使って国内に潜む子飼いの部下達にわらわが逃亡した時に備えて捜索を命じた可能性はなくもない。


 じゃが追跡部隊が捜索準備を完了し、更にはピンポイントでこの場所にくるとは考えられぬ。

 っていうかそれが出来たらとんでもなく優秀な部下じゃぞそれ。寧ろわらわの部下にスカウトしたいわい。まぁ、魔王辞めたけどの。


(といってもたまたま偶然という可能性はある。大河に落ちる所を見られていた以上、川沿いに捜索の眼を集中させるのは当然じゃろうしなぁ)


 とはいえこれ以上考え続けるのも無意味。寧ろヒルデガルドに連絡をされる前に視線の主を誘い出した方が良かろうて。


「誰じゃ? 出てくるが良い」


(さて、素直に出て来るかの? それとも陰から奇襲をしてくるか?)


 警戒していたわらわじゃったが、意外にも視線の主達は素直にその姿を現した。

 

「大丈夫ー?」


「何?」


 現れたのは楕円形の毛玉じゃった。

 じゃがモフモフの毛の間から覗くクリクリとした二つの眼がそ己は生き物であると雄弁に語っておった。

 

「なんじゃ、毛玉スライムか」


 毛玉スライム。それは魔王国のみならず世界中で生息する魔物の名前じゃ。

 体表はフワフワの毛で覆われており、その正体は液状の生命体スライムである。

あ奴ら毛玉スライムはゼリー状の体の表面にフワフワの毛を生やしているのじゃ。


しかしその毛は獅子のたてがみのような防御効果はほとんどない。

何しろ本体がゼリー状のスライムじゃからな。攻撃を受けたら毛皮が無事でも中の本体が簡単につぶれてしまうのじゃよ。


その事から毛玉スライムは世界最弱の魔物と呼ばれ、冒険者や騎士を目指す子供達の練習台にされたり、弱い魔物達の餌になる生態系の最下点に住む生物なのじゃった。


 その姿を見たわらわは力を抜く。

 ただし警戒は完全に解いてはおらぬ。

 無関係な毛玉スライムを囮にわらわが隙を見せるのを待っている追手が居ないとは限らんからの。


「濡れてるー」


 どうやら毛玉スライムは大河から現れたわらわに興味を示してやってきたとみえる。

 こ奴らは弱い癖に好奇心旺盛な生き物なのじゃ。


「寒そうー」


「冷たいー?」


「乾かすー」


「温めるー」


 そう言うと毛玉スライム達はわらわの体に群がってくる。


「おいおい、くすぐったいぞ」


 あっという間にわらわの体はモフモフの毛玉に包まれた。

 同時にくっついた毛玉スライム達がわらわの体に付着した水分を吸い取ってゆく。

 これは毛玉スライム達がわらわの体の水分を食べているからじゃ。


 毛玉スライム達の主食は水分である。

 それゆえ水分のある物ならなんでもこ奴らの食料になるのじゃよ。

 といっても毛玉スライムは世界一最弱の魔物と呼ばれるほど弱い魔物じゃからな、生き物から直接水分を吸収する事は出来ぬ。

 生物の持つ抵抗力に弾かれて水分を吸収できないのじゃ。

 出来るのは意志の薄い植物かこのように他者の体に付着した水分のみなのじゃ。


「魔力いっぱいー、美味しいー」


 どうやら毛玉スライム達はわらわが自然に放出しておる魔力が染みわたった川の水がお気に召したらしい。

 そうこうしている間にわらわの体と衣服を濡らしていた水分は綺麗に吸収されたのじゃった。


「と言うか、フカフカじゃのう……」


乾いた体を生きた毛布とでも言うべき毛玉スライム達の体が温める。

 正直これはたまらん。


「おお~、極楽じゃぁ~」


 ヌクヌクフカフカな毛玉スライム達の中におると、毛布にくるまれておるかの様な気分じゃぁ。


「はっ! いかんいかん。危うく眠ってしまうところじゃった」


 流石にこんな所で眠る訳にはいかん。

 ちゃんと隠れる事の出来る場所を探さんとな。


「助かった。礼を言うぞ」


 わらわは毛玉スライム達の善意の行動に感謝の言葉を述べる。

 わらわ程の魔法の使い手ならば、衣服に付着した水分だけを蒸発させる事も、川の水で冷えた体温を温める事も容易い事であったが、ただ純粋な毛玉スライム達の善意は久しく感じた事のない暖かなものだったのじゃ。


「僕達こそ美味しいお水をありがとうー」


 毛玉スライム達から心底歓喜した気配が伝わってくる。


(ふふっ、権力争いと無縁な魔物は可愛いものじゃな)


 昔はわらわの周りもそういう者達ばかりだったんじゃがのう。

 ついついわらわを慕う者達を守っておったら魔王なんぞに祭り上げられてしもうたわ。


「久しぶりのお水だから僕達も助かったよー」


 じゃがそこで毛玉スライム達が奇妙な事を口にした。口がどこか分からんが。


「何? 水などそこら中にあるではないか」


 事実フィルツボス大河には大量の水が流れており、それ以外の河川や水源が狩れたと言う話は聞かず、例えそうだとしても明け方の植物の葉に溜まった朝露が毛玉スライム達の食事となるのは有名な話じゃ。

 しかし毛玉スライム達達が食事にありつけない問題は水そのものが原因ではなかった。


「皆が僕達を食べ始めたからご飯を食べるの大変なのー」


 ふむ、どうやら外敵が原因のようじゃな。

 しかし毛玉スライムの外敵なんぞそこら中におる。にも関わらず毛玉スライム達がここまで言うとはどういう事じゃ?


「一体何があったのじゃ?」


 ともあれ詳しい事情を聞かなければ詳細は分からぬと、わらわは毛玉スライム達に説明を求める。


「えっとねー、戦争の為に強い魔物の餌にするって魔人達が言ってたんだってー」


「聞いた子は食べられたー」


魔人とは魔王国に住む種族の一つじゃ。

 魔王国はわらわ魔王を始めとした魔人の国と思われがちじゃが、実際には複数の種族が暮らす他種族国家である。

 そして魔王国の中で最も強く賢い者が魔王の座に君臨するのじゃ。


(ふむ、確か以前提出された申請書の中に強力な魔物を育成して戦力にするといった計画があったの。恐らく毛玉スライム達はその魔物達を育てる為の餌に利用されたのじゃろう。じゃがあの計画は問題があった為に保留していた筈。誰ぞが先走ったかの?)


 わらわは毛玉スライム達の言葉から、過去に提案された計画のことを思い出す。


「その魔物はお前達だけを襲うのか?」


「うんー、僕たちだけー」


 わらわの質問に毛玉スライム達は体を揺らして頷く。

 肯定の言葉が無ければ体を揺らして遊んでいるようにも見える光景じゃな。


「となると今はまだ育成を開始して間もない為に、毛玉スライム達くらいしか食える相手がおらぬという事か」


 しかしわらわは毛玉スライム達の言葉に別の不安を感じた。


「お主らを襲う魔物達の傍に魔人はどれだけおっいた?」


「ひとりー」


「二人じゃないー?」


「居ない群れも居たー」


「飛んでる群れには居なかったー」


 毛玉スライム達の返事にわらわは己の予感が間違っていなかったと確信してしまう。


「やはり魔物を従えるテイマーの数が不足しておるな。そしてテイマーの居ない群れはほぼ放し飼いと言う事か」


 テイマーとは魔物を従える特殊な技術を持った職業の事じゃ。

 従える方法は主に二つ。


 一つは直接倒して力関係を分からせる事じゃ。

 仲間を頼ってもよいが、その場合は有効な攻撃をいくつも当て、止めの攻撃もテイマーが担当しないとならぬ。

その為強力な魔物をテイムしたい者がテイマーの素質を持った強力な戦士や魔法使いでないと厳しい。


 もう一つの方法は赤ん坊や卵の頃から育てる場合じゃ。

 この場合は魔物がテイマーの事を親と思う為、格上の魔物であってもテイマーに従順となる。

 計画によれば現状は二つ目の方法を行っておる筈じゃが、明らかにテイマーの数と魔物の数が合っていない為に結構な数の魔物達が放し飼いとなっておるようじゃな。


(不味いのぅ。これではテイマーの支配力が魔物達全体に行き渡らぬ。となると支配力の弱い魔物が餌を求めて遠出した結果、テイマーの下に戻らず野生化するぞ。いや、恐らく既に逃げ出した小さな群れがいくつかおる筈じゃ)


 知りたくない事実を知ってしまったわらわは大きなため息を吐く。


「このままではテイマーの手を離れた魔物達が無差別に繁殖を繰り返して王国中に溢れてしまうぞ。しかも人族の領域に攻め込む為の戦力として数えていると言う事はある程度の戦力を持つ魔物の筈。とてもではないがテイマー達が再テイム出来るとは思えぬ」


 計画を見切り発車した者が被害に遭うなら自業自得じゃが、これ間違いなく被害が広がるじゃろうなぁ。


 じゃが相手はわらわの命令を無視して計画を実行するような馬鹿者じゃ。

 わらわが姿を見せて計画の中止を命じても表面上は素直に頷いておきながら、裏でこっそり計画を続ける可能性が高い。


 何より計画が行われているのがこの近隣だけとは限らず、また計画を実行している者が誰か分からぬのが問題じゃった。


 書類を提出した立案者はただ名前を貸しただけで本当のそれを進めたい者は別の誰かという事も政治の世界ではよくある事じゃからなぁ。

 

(さらに言えば、今表舞台に戻っては折角ヒルデガルドめに仕事を押し付けた事が台無しになってしまうし、勇者達にもわらわが封印されていなかったと気づかれてしまう。しかし育成中の魔物達をわらわがこっそり全滅させてはそれこそ第三者の介入を警戒されてしまうしのぅ。いっそ毛玉スライム達をどこか別の場所に隠してしまう……か)


 そこまで考えたわらわはハッとなる。


「どうしたのー?」


 そんなわらわに毛玉スライム達が問いかけてくる。


「難しい顔ー」


「人生にお悩みー?」


 今まさに自分達の命が狙われているにもかからわず、毛玉スライム達はわらわの心配をしていたのだ。

 その底抜けの優しさと純朴さに思わずわらわも苦笑してしまう。

故にわらわは一つの決心をした。


「のぅ毛玉スライム達よ」


「なぁにー?」


「お主ら、わらわと共に引っ越さぬか?」


「お引越しー?」


「うむ。魔物に襲われぬ場所に引っ越すのじゃ」


毛玉スライム達を別の場所に逃がす。それこそがわらわが導き出した結論じゃった。


(容易に手に入る餌が無くなれば魔物達が無差別に成長する事を抑えられる。餌が無くなった事で一時的な混乱が生じるが、十分に成長繁殖した野生の魔物の群れが大々的に民を襲い出すよりは対処のしようがあるじゃろう)


 悪くない考えだと思ったわらわじゃったが、何故か毛玉スライム達の反応は芳しくなかった。


「どうした? 嫌なのか?」


(ふぅむ、魔物とはいえ己が生まれた土地に愛着があるか?)


「お引越ししたいけど僕達足が遅いのー」


「遅いから隠れられる場所が無い所じゃ追いつかれて食べられるのー」


「だからお引越し出来ないのー」


 毛玉スライム達の言う通り、こ奴らの移動速度は決して早くない。

 何しろスライムのなので地面をゆっくり這うしかできないのじゃ。


 感情的な理由では強要は出来ないと考えておったわらわじゃったが、手段の問題で悩んでいるのなら問題ない。


「そのような事か。安心しろ。わらわがお主らを運んでやろう」


「運んでくれるのー?」


「助けてくれるのー?」


「うむ。わらわもこの国から出て行こうと思っておったのじゃ。だからお主らさえよければわらわと引っ越しせぬか?」


 事実、魔王であるわらわの魔力をもってすれば、毛玉スライム達を外敵から守りながら移動するのは容易である。


「嬉しいけどなんでー?」


「どうして助けてくれるのー?」


「だーれも僕達を助けてくれなかったのにー」


 毛玉スライム達の問いかけにわらわは困惑する。

 実際わらわも今まで毛玉スライム達に特別な情を抱いたりすることは無かったからじゃ。

 そして毛玉スライム達が魔物繁殖のための餌にされると言う計画を聞いても、計画の確実性こそ気にすれど毛玉スライム達に対しての憐憫の情を感じる事も無かった。


(違うとすれば、今のわらわは魔王国の王ではなく、ただの私個人であることくらいか。そして……)


 わらわは自分の身を案じて近づいてきた毛玉スライム達の温もりを思い出す。

 それは王として君臨してからの自分が感じた事のない感覚であった。

 魔王と言う地位に対して敬意、畏怖、恐怖、敵意、叛意そういった感情を受けた事こそあれ、わらわ個人に対して感情を向ける者は少なかった。


 そして先ほどまで魔王の責務から解放されこれから何をすればよいか悩んでいたにも関わらず、今の自分が不思議な充足感に満たされていた事に気付く。


「どうして、か……」


(そうか、わらわは……)


 わらわは己の中で形を成した答えを明確な言葉として意識する。


(モフモフによる癒しを求めておったのじゃな!)


 モフセラピー、それはれっきとした医療行為じゃ。

 仕事に、人間関係に、人生に疲れ果てた者達が最後に行きつく唯一無二にして最高の治療法……とかメイド達が話しておった気がするのぅ。


「そうじゃの。一人で暮らすのは味気ない(モフモフに癒されたい)からかの」


「味がしないのかー」


「味がしないのはいやー」


「美味しいのがいいー」


 わらわの説明に納得した毛玉スライム達がうんうんと同意しながら体を震わせる。


「うむ、じゃから一緒にノンビリ暮らせる場所に行かぬか?」


「のんびりしたいー」


「ご飯食べてる時に襲われない所にいきたいー」


「いきたいー」


 毛玉スライム達が一斉に感情を放つ。


「決まりじゃの。それではわらわと一緒に引っ越しじゃ!」


「「「「わーい」」」」


 毛玉スライム達が喜びの感情と共に体をユラユラと弾ませる。

 まるで毛布が動いているかのような光景を見たわらわは、思わずその真ん中に飛び込みたくなるが、鉄の意志でそれを封じる。


(耐えろわらわ! 流石に飛び込んだら毛玉スライム達が潰れかねぬ! というか確実につぶれる!)


「ねぇねぇ、君の名前を教えてー」


抗いがたい欲求に必死で耐えていたわらわに、一匹の毛玉スライムが名を教えて欲しいと問いかけてきた。


「わらわの名前か? ふっ、よかろう。教えてやろう」


 わらわはバサリと魔王のマントを翻すと、毛玉スライム達に向けて己が名を告げた。


「わらわの名は魔王、いや元魔王ラグリンド=ジェネルフ=コウラソーダである!」


 ただし全身が毛玉スライムまみれなので威厳もへったくれもあったものではないが。

 あとマントにまとわりついていた毛玉スライム達が、マントを翻した勢いで吹き飛ばされて転がっていく。


「うわー、すっごく長い名前ー」


「それに元魔王だってー」


「元魔王なんだー」


「元魔王なのかー」


「「「「……」」」」


 と、そこで毛玉スライム達の声が止まる。


「「「「魔王――――――っ!?」」」」


 のんびりとした生態で知られる毛玉スライム達が、歴史上はじめて叫ぶ姿が観測された瞬間であった。

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