秘密


 こんばんは。

 今日も良い夜ね。


 そう。この店は初めてなの。

 ええ。バーテンダーさんの腕がいいわね。このカクテルも絶品で、作る時の手際もうっとりするほど素晴らしかったわ。


 ああ、次でラストオーダー……ねえ、何か、お勧めのおつまみはないかしら? これね。じゃあ、これを二人前とあたしと同じ一杯を。

 ふふっ。いいのよ。教えてくれたお礼。


 それとも……口止め料、かしら?

 こんな、一期一会で、名前も素性も知れないあなただからこそ、あたしの秘密を聞いてほしくて。


 あたしね、とある証券会社の経理をしているの。父親が他の部署の部長で、そのコネで入った、みたいな。面接とかはしたけれどね。

 経理の部長から、色んな仕事を教えられたけれど、ある書類作成だけは、自分でも何やっているか分からない、謎の仕事だったの。でも、社会人一年目だから、複雑なことは気にしなかった。


 それが、だんだんと年月が経って、あたしもこの書類作成は可笑しいと気が付いたのよ。この作業が、部長の横領の手伝いだという事に。

 あたしは遠回しに、この書類作成を辞めたいと言ってみた。だけど、部長は、人事の部長と自分が仲が良いって返したの。


 すぐに察したわ。人事部長もグルだって。そして、あたしは父をいつでも左遷できると、人質に取られている……。

 横領の手伝いを、そうだと知っていながら、続けるしかなかったのよ。誰にも、特に父になんて、相談できない。そんな、鬱屈した気持ちを抱えたまま……。


 というのが、私が初めて一人でバーに行った夜に、隣のお客さんに話した全ての内容よ。

 え? 私? 私は証券会社勤めではないわ。普通の仕事をしているの。


 なんで、そんな話をしたのか、私にもよく分からないの。いつも仕事帰りに見かけるバーに、思い切って入ってみて、気が付くと隣にいる人に、さっきの話をしていた。全部、自分のことじゃないのに、誰かに操られたかのように、口が動いていた。

 いいえ。虚言癖なんて、無いわ。空想癖もそんなに。いたって普通な、どこまでも平凡な半生を送っているわ。


 だから、無意識のストレスが溜まっているのか、何の特徴もない自分にコンプレックスがあって、誰かの前では違う人を演じたいと思って、そんな話をしているかも。

 そう自分で納得して、あちこちのバーに行くたびに、私は隣のお客さんにさも自分の秘密のように、作り話をしていたの。


 パートナーからのDVに思い悩んでいた子。自分の娘に手を上げそうになったことがある母親。心と体の性別の違いに思い悩んで、家出した子。家族には内緒で、薬物に手を染めている子。

 自分でも、びっくりするくらい、すらすらと話せたわ。作り話なのに、私も知らない情報や感覚が口をついて来て、いつも心の中でびっくりする。どこで見聞きしたんだろうと、話した後で首を傾げるくらい。


 そう。作り話。そう思っていたけれどね……。

 さっきの証券会社の子の話、聞き覚えあるでしょ? ほら、数年前に発覚してニュースにもなった横領事件。新聞記事とか見たら、経理のOLが巻き込まれていたって書いているわ。


 私が無意識で話していたことは、誰かの人生だったのよ。

 他にも、DVされていた子は、それが判明して、パートナーが逮捕されたわ。それ以外にも、私が知らないだけで、その人たちは、今も苦しんでいたり、救われたりしているのかもしれない。


 抱えきれないほど辛い思いを、誰かに話したい、でもできない。その出口が、きっと私の口だったのでしょうね。どうして選ばれたのか、私にも分からないけれど。

 ……さっき、私は自分の人生を、平凡なものだと言っていたけれど、唯一普通と違うのは、こんな風に誰にシンクロして、秘密を打ち明ける、それくらいでしょうね。


 というのが、私の秘密。もしかしたら、このこと自体も、誰かの秘密かもしれない。

 じゃあ、私はそろそろ行くわね。おつまみ、おいしかったわ。ありがとう。


 さようなら。

















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