嗄声


 今日も暑いねぇ。夕方のニュース見た? 今年最高気温だってさ。三日前も更新したばかりなのに。

 ……夏になると、思い出すことがあるんだけどね。ちょっと聞いてほしいな。


 私、中学の時も陸上部に入っていたの。今と同じ短距離で。結構強くてね、外部コーチを呼んだりして、かなり力を入れていたんだよね。

 だから、夏休みに合宿をしていたの。十日間。場所は、海岸沿いにある古い宿でね、砂浜を走るトレーニングをしていたっけ。


 周囲は結構田舎でね、夜七時を過ぎると随分暗くなった。街灯以外の電気が消えていたから。

 だから、夜に暇を持て余した部活生は、肝試しをしようってことになって。丁度、宿の裏側に、山があるから、そこでねって。


 私、ホラー漫画も読めないくらいに怖がりだからさ、めちゃくちゃ嫌で。何とか回避しようと思って、熱中症で気分が悪いふりをしたのよ。そしたら、信じてくれて、すごく心配されてコーチを呼ばれそうになったけれど、いいから行っておいでって、見送ることに成功したの。

 ただねぇ、誤算だったのは、古い旅館の大部屋に独りぼっち、っていうのも結構怖いってこと。テレビないし、携帯も持っていない頃だったから、すごく暇で、しかも周りが気になる。家鳴りがするたびに、ビクッて、体を震わしていたっけ。


 もう寝ようかなとは思うけれど、布団がないからどうしようもない。そしたら、ガラガラって襖が開いて、旅館の女将さんが来た。

 その女将さん、若いっていうか、子供だったの。当時の私と同じくらいに見えた。夏休みだから、ここの娘さんがお手伝いさせられているのかなって思ったけれど、その割には、襖を開ける所作とか、お辞儀の仕方とかがすごく丁寧だった。


 「お布団を敷きましょうか」と、その女将さんは言ったけれど、一瞬、何って言っているのか分からなかった。それくらい、しゃがれた、お婆さんみたいな声だった。

 まあ、丁度寝たかったから、「はい」って答えて、女将さんは布団を敷き始めた。私も手伝おうとしたけれど、「お客様ですので」と断られちゃった。また、すごいしゃがれ声で。


 おかみさんは、布団を敷きながら、邪魔にならないように部屋の隅で体育座りしている私に、「どうしてお一人なんですか?」って尋ねてきたの。私が、みんな肝試しに行ったけれど、私は怖がりだったから残ったことを説明したら、女将さんは、「フフッ」って、年相応の子供っぽく笑って。

 「あの山には何もありませんよ。むしろ、この町で恐ろしいのは海の方です」って、女将さんは言っていて。「確かに、水難事故で亡くなった人とか、化けて出てきそうですね」って答えたら、女将さんは首を振って、「いえ、あの海には人魚が出るんです」って。


 私は、思わず「ええ?」って顔を顰めちゃった。だって、人魚と言われて思い浮かぶのは、絵本とかアニメに出てくる、可愛らしい女の子だったから。でも、女将さんは、「そういう南蛮の人魚とは違って、日本の人魚は恐ろしいものですよ」とかいうのよね。

 古めかしい言い方をするなぁと思っている私の横で、女将さんはとても綺麗に、皺を殆どつけずにお布団を敷きながら、話してくれたの。この町にある人魚伝説を。


 昔から、人魚を食べると、不老不死になれると言われている。ここの海には、人魚がひっそりと暮らしていたから、それを求めた貪欲な人間たちが、何人も海へ旅立った。だけど、人魚たちの方が上手うわてで、沖の方まで導いて放置したり、嵐の中へ招いたりしたりして、何艘も船を沈めていった。

 だけど、そんなある日、海に現れた若者に、一人の人魚が恋をした。人魚はこっそりと、自分の体の一部を切り取って、若者に渡すと、若者は彼女に深く感謝をしながら、帰っていった。


 しかし、彼女の行為は他の人魚に知られて、海から追放されてしまった。行く当てのない人魚は、若者の元へと向かった。しかし、その若者は、人魚の肉を、不治の病だった恋人に食べさせていた。自分が勘違いしていたことを知った人魚は、宿命を嘆きながら、自らの命を絶った……。

 「悲しいお話ですね」と、私が言うと、丁度布団を敷き終わった女将さんも、俯き加減に微笑んで、小さく頷いた。「ですから、その人魚を慰める小さなお祭りが、この町にはあるのです」と語っていて、私はちょっとほっとしたの。


 「その人魚さんも、安心しているでしょうね」と返したら、女将さんは急に暗い顔をして、「しかし、おなごを喰らう男というのは、いつの時代もいるものです」とだけ言って、一礼すると部屋から出てしまったの。

 どういう意味だろう、今までの話と何か関係あるのだろうか、と考えていたけれど、部活のみんなが帰ってきた。「何にもなかったー」「雰囲気はばっちりだったけどねー」とか、みんなが話しているのを聞いていて、行かなくて良かったかもなぁって思ったの。


 ……その翌日から、急にコーチの姿が見えなくなったの。どうしたんだろうって思いながらも、昨日と同じ練習していると、同じ短距離走で、特別可愛い子から、相談があるって、人気のいないところに呼ばれた。

 昨日、私がいる部屋から、女の子の女将さんが出るのを見たけど、あの子と何話していたのかを、彼女が訊いて来て、この町の伝説を教えてくれたよって正直に答えたら、相手はほっとしていたのよ。それで、ここに来たばかりの頃に、あの子から話しかけられたことを言ってきて。


 実をいうとね、彼女、コーチからセクハラを受けていたの。私たちには気付かれないような形で……具体例は言わなかったけれど、真っ青になっていたから、とんでもないことを言われたりされたりしたんだろうなって。

 ここに着いた直後も、セクハラされて、トイレに駆け込んだところを、私が会った女将さんが来て。「窓から、あなたが何かされているのを見ました。大丈夫ですか?」って、しゃがれ声で聞かれて……彼女は、「大丈夫です」って強がって出ていったけれど、心配されたのは嬉しかったって。


 もちろん私は、彼女がセクハラされていたことに驚いたけれど、もしかしたらあの女将さんは、一人きりの私がコーチに狙われないように、来てくれたのかなって思った。ともかく、コーチの件は学校側に話しそうって、彼女と話をまとめたけれど。

 でも、コーチはその日、現れなかった。それとは別に、私と彼女とで、あの女将さんのことも探してみたけれど、見つからなくて。別の女将さんに聞いてみたけれど、曖昧な返事しか返って来なかった。


 ……その晩、旅館に警察の人が何人も来て。コーチが見つかった。岬の下にある岩の上、頭だけが海に浸かるような形で、死んでいたって。

 部活生たちはパニックになっていた。でも、旅館の人たちは……顔をしかめていたけれど、そんなに驚いていないように見えたのが、妙に気になった。それで、その中にも、しゃがれ声の女将さんは、いなかったの。


 当然、合宿どころじゃなくなったから、翌日には帰ることになったの。そしたら、私と彼女に、一番年配の女将さんがこっそり話しかけてきて。

 「あの子のこと、怖がらないでください。ずっと昔から、弱い女の子の味方なだけですから」……何となく、その意味が分かったから、ただ頷いて、私たちは旅館を去った。


 帰りのバスの中で、私は彼女に、しゃがれ声の女将さんが教えてくれた人魚の伝説を語ったの。それを聞いた彼女は、「一体どっちなんだろうね」って言いだして。

 「人魚の肉を食べた女の子だったら、不老不死になって、今も生きているかもしれない。でも、その人魚が死んだっていうのが嘘なのかもしれない」って言っていてね。私も悩んだの。人魚だったら、ああいう殺し方もできるだろうし、でも、足を持って歩いていたから、不老不死になった子かもしれないし。


 どれだけ考えても、答えは出ないけどね。声だけが、お婆さんみたいな理由も分からないし。ともかく、来年はあの町で開かれる、人魚を慰める祭りへ行こうって、彼女と約束したの。

 それで、後から調べて分かったことだけど、あの町ではごく稀に、海辺で男性の不審死が起きていた。あのコーチが亡くなった後も続いているから、あの子は、心を痛めながらも、今もずっと女の子を守っているのだろうね。






























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