開口


 皆様。恐らく初めましてではないでしょうか。わたくしは、○○亭□□と言います。どうぞお見知りおきを。

 えー。普段は落語家として、古い劇場の寄席などに出ているので、このような怪談の舞台に上がらせていただくのは最初ですね。というのも、私が飲みの席でぽろりと話した内容が、巡り巡って、ここの主催者様に届いたからでございまして……。


 ……私らがよく舞台に上がっている劇場の一つには、かの大空襲を逃れて、現代まで残っていたという歴史ある建物もございます。ただ、そういう古い建物にはお決まりなのでしょう、奇妙な噂話が流れていました。

 それは、舞台袖に噺家の幽霊が出るという噂でございます。舞台が終わって、その舞台袖を通りますと、見慣れぬ男が正座をし、深々と頭を下げているのが目に入る、というものでした。


 実のところ、この幽霊自体を、見た噺家は数多くいるのです。私は見たことありませんが、師匠とその一番弟子が見たことあると話していたので、もしかすると、この幽霊を見た者は、出世するのではないかという願望めいた噂もありました。

 それだけでは、他愛のないものでございましたが、噂には続きはあります。それは、この幽霊が顔を上げて、何か話していることを聴くと、悪いことが起きるというものでした。……その悪いことははっきりと分かりません。師匠もそれに遭遇した方を知りませんでしたから。


 ある日、自分の出番が終わった、私の一つ上のあにさんが、酷く青い顔をして楽屋へ戻ってきました。こちらが理由を聞くより先に、「あの幽霊を見た」と言います。良かったじゃないかですかと言おうとしましたが、それは「顔を上げて、何か喋っていた」という兄さんの声に阻まれました。

 辺りは、水を打ったようにシーンとしています。私は、勇気があると言いますか、空気が読めないと言いますか、「何を話していたのですか?」と思い切って尋ねました。すると、兄さんは首をかしげながら、「何か演目のような気がしたが、何なのか分からない」と言い返したのです。全員、さらに青くなりました。


 というのも、この兄さん、歩く落語辞典というダサい……失礼、言葉が過ぎました、自信に満ち溢れたあだ名を自称するほど、落語については詳しかったのです。そんな兄さんの知らない演目というのが、この世にあるのかと、全員が思ってしまいました。

 弟子たちの一人が、「もしかして、『牛の首』ではないか」と、恐ろしいことを口にします。可哀そうに兄さんは、息を止めたかのように、どんどん顔から生気が抜けていきました。


 怖い話が好きな皆さんなら知っていると思いますが、改めて説明しますと、『牛の首』というのは、現代では失われてしまった怪談の都市伝説です。これを聞いた者は、その恐ろしさのあまり三日後には死んでしまうので、怪談の作者自身がそれを封印したという伝承が残っています。

 しかし、私は「待ってください」と言いました。「仮にそれが本当の『牛の首』だったとしても、兄さんは一部しか聞いていないので、平気ではないのでしょうか」と言い切りました。それに、『牛の首』以外にも、寄席には戦時中に不適切だからと封印された話がいくつもある、戦前の幽霊がそれを語っていても可笑しくないのではと聞いて、やっと兄さんも納得の表情を浮かべていました。


 それから数日後、同じ劇場で、例の兄さんが舞台に上がりました。自分の見聞きしたものも忘れたかのように、平然としていた兄さんでしたが、戻ってきた時に、何やら考え込んでいます。理由を尋ねると、また舞台袖の幽霊が、「何か話しかけてきた」というのではありませんか。

 私たちは度肝を抜かれましたが、今回の兄さんは怖がっている様子はありません。どうやら語っているのは怪談ではないらしいのです。「その噺を繋ぎ合わせると、失われた噺を蘇らせることが出来るかもしれない」と、兄さんは目を輝かせながら言ってきたので、この落語馬鹿に付ける薬はないなと、私たちは苦笑を浮かべました。


 それから兄さんは、師匠に無理を言って、自分の出番がない時でも、その劇場へ向かい、舞台袖を見張るようになりました。しかし、噺家の幽霊は全く出てきません。どうやら、兄さんが舞台から降りてくる一瞬だけしか、その語りを聴くことが出来ない様なのです。

 兄さんは、噺を蘇らせることに躍起になっていました。聞いた噺の一部を書き留めていますが、この前聞いた部分と今日聞いた部分が連続しているとは限りませんので、どう並べるのかがミソです。そもそも、いくつかの話のほんの一部ずつではないかという可能性もあるのですが、そこは深く考えないようにしている様子でした。


 他の一門の師匠方にも話を聞いたり、古い落語の本に目を通したりと、私生活はどんどんその噺の再生に侵食されています。明らかに寝食を削っているのは、兄さんの頬と体がこけ、一方で目の下にクマが出来たことで分かりました。

 とうとう、酷い貧血で兄さんは倒れてしまいました。幸いにも、場所が畳敷きの楽屋だったので、頭を酷く打ってしまう事はなく、数日の入院で済みました。


 見舞いに行きますと、しっかり睡眠と食事をとれた兄さんは、以前よりもずっと元気になっていました。「ちょっとやりすぎたな」と自分を反省する余裕もあります。

 「噺家の幽霊が喋っているのを見ると、悪いことが起きるとは、このことだったんだな。お前は何かに夢中になりすぎるきらいがあるぞという、警告だったんだろう」と、兄さんはあっけらかんと話していました。しかし、私にはそう思えずに、無言を貫いていました。


 そもそもの話として、兄さんが例の噺家の喋る瞬間を見なければ、こんなことが起こるはずがありませんでしたから。それに、私は見てしまったのです。兄さんが倒れた後、荷物を彼の自宅へ届ける時に、兄さんが書き記していた噺の内容を。

 ノートには、ただ、「いろはにほへといろはにほへと」が繰り返し書かれていました。文字数が変わっていたり、段落が変化したり、矢印や下線が書かれていたりはありましたが、読める日本語は「いろはにほへと」だけです。私は恐ろしくなり、そのノートを外のごみカゴに捨てました。


 退院した兄さんは、私が荷物を回収してくれたことにお礼を言いましたが、あのノートについての言及は一切ありません。そんなノートなど、最初から無かったかのように振舞っています。

 現在も、兄さんは何の問題もなく舞台に出ています。それが、私には酷く恐ろしいのです。兄さんが聞いてしまったのは、人を一時期的に狂わせてしまう、『牛の首』よりも悍ましい噺ではなかったのではないか、と。























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