深緋


 昆虫採集?

 ……ああ、好きだったね。今、兄ちゃんに言われるまで、忘れていたけど。


 うん。そう。あんなに夢中になっていたのに、辞めたんだ。ぱったりと。

 兄ちゃんから見たら、突然の出来事だったかもしれないけれど、ちゃんと理由はあるんだよね。当時の僕は、上手く話せなかったけれど。


 覚えてる? あの頃の僕が、よく新種の虫を見つけるんだぁーって言っていたこと。だから、網と虫かご持って、一日中、野山を駆け回っていたんだけどね。

 いくら田舎でも、そう簡単には新種なんて見つけられないって、兄ちゃんは思っていたでしょ。でもね、見つけていたんだよ。新種を。


 それはね、見た目はアオスジアゲハだったんだけど、その羽の青い部分が、みんな赤色だったんだ。緑色っぽいのは見たことあったけれど、赤色なんてありえない。僕はすぐに新種だと思ったね。

 ほら、あの、××旅館の裏側を流れている川原。そこの石の一つに止まっているのを、網で捕まえたんだ。


 傷つけないように、気をつけながら虫かごに入れて、家に連れて帰った。兄ちゃんは当時サッカーで忙しくて、気付いていなかったと思うけれど、大体三日ぐらい飼っていたよ?

 発見を横取りされたくないからね、父さんや母さんにも内緒で、机の下の引き出しから取り出しては、うっとり眺めていたんだ。週末になったら、バスを乗り継いで、昆虫博物館に持っていこうって決めていて。


 だけど、その前に死んじゃった。いや、死んだっていいのかな? ともかく、出来なかった。

 その瞬間まで、元気に飛び回っていたんだけどね。ただ、飼育ケースの中に摘んできたばかりの花を、プリンのカップに水を入れて、挿していたんだけど、飲んでいる様子はなかったね。僕が見ていなかっただけだと思うけれど。


 そんな風に大切にしていた、三日目。家から帰ってきて、すぐにケースをみたら、ちゃんとそこにいた。よしよしって思いながら、トイレに行こうと一回部屋を出たんだよ。

 それで、戻ってきたら、いなくなっていた。信じられなかったよ。だって、家の中には僕以外にいなくて、部屋から出たのも二三分のことだったから。


 ただ、フタが閉まったままのケースの中に、血が……。蝶の体液とかじゃない。人の血液みたいなものの二三摘分が、透明なケースの底に溜まっていた。

 恐る恐るフタを開けて、中の液体に触ってみたよ。色も、ねっちょりしているのも、人の血っぽい。匂いを嗅いでみると、確かに鉄臭さがある。味も血と同じだったんじゃないかな?


 ものすごく不気味でね、意味が分かんなかったね。いや、普通に考えたら、蝶が血の固まりになったということかもしれないけれど、それでも可笑しいじゃない。

 それから、何となく昆虫採集する気にはなれなくって。もちろん、全部の蝶がああなるとは思わないけれど、そのまんまにしていた飼育ケースを見る気もしなくって。


 あ、今思い出したけれど、誰にも見せなかったって言ったけれど、一人だけ見せたんだよね、あの蝶のことを。ほら、近くに住んでいたJ君に。

 あの蝶を捕まえて、帰る途中にすれ違ったんだ。僕が嬉しそうだったから、何かいいことあったの? って聞かれて。


 J君は口が堅いから、誰にも言わないでねって念を押して、新種を見つけたんだって、かごの中を見せたんだよ。

 それを見たJ君、だんだん青ざめていって、それって蝶? って、聞いてきたんだよね。僕は、蛾ではないと思うよって答えたけれど……今思うと、ちょっと変だったなぁ。J君、虫が苦手ではないはずなのに、青ざめたまま、そうなんだってだけ返して、行っちゃったし。


 まあ、元々変わっているところがあった子だったから、あまり気にしていなかったけれどね。

 でも、あの蝶の奇妙な消え方を思い返すと、J君は、あれが蝶ではない、別の何かに見えていたのかもね……。






























  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る