耽溺


 刑事さん、お久しぶりですね。

 最後に会ったのは、二年前……。兄の死から、もう五年も経つのですね。


 急に呼び出してしまってすみません。お伝えしたいことがありまして。

 ……私は、兄を殺した犯人を知っています。


 いえ、殺害の瞬間を直接は見ていないので、いわば、最重要参考人、というものでしょう。

 警察の皆さんが知らないのも無理ありません。その人を知っているのは、私と兄だけでしたから。


 名前は、K.Y.さんと言います。兄より少し年上の男性です。関係は、兄の友人に当たります。

 すみません、写真は持っていないんです。ただ、容姿はよく覚えているので、似顔絵を描いてもらえるくらい、詳しく説明できます。


 Yさんと初めて会ったのは……○○というバーでした。私は、お酒を飲んだ兄を迎えるために、そこに赴きました。

 バーのテーブルで、べろべろに酔っ払った兄の隣に座っていたのが、Yさんでした。


 すみません、兄が――いえいえ、良いですよ――交わした会話は、それだけでした。私は、何とか歩ける兄を連れて、すぐにバーを出ましたから。

 しかし、その後からずっと、兄と一緒にいた男の人が気になって仕方なくなったんです。彼の振る舞いは、一瞬だけでしたが、兄と他の兄の友人とは違って、紳士的でしたから。


 翌朝、酔いの醒めた兄に、一緒にいた人は誰だったのか尋ねてみました。

 兄によると、一人飲みしていた時に隣りに来て、意気投合した相手だと言っていました。その時渡された名刺を、私にも見せてくれて、彼の名前を知りました。


 ……あ、その名刺、見つかっていませんでしたね。

 その理由は、後述いたします。


 Yさんは、その○○でしか兄と飲まなかったようです。兄の他の友人とは、会おうともしないそうで、兄も、Yさんのことはあまりよく知らなかったようです。

 兄とYさんは、好きな映画が共通していました。意気投合したきっかけも、Yさんが被っていた帽子が、その映画の主人公と同じものだったからだそうです。


 ひと月に一回くらいのペースで、私は○○を訪れて、酔っ払った兄を迎えに行きました。Yさんは、私に労いの言葉をかけてくれたり、歩けなくなった兄を私の車まで運んでくれたりと、とても優しかったんです。

 ごくたまに、兄が寝落ちしてしまっていた時は、Yさんと話をしました。と言っても、殆ど私の愚痴でしたが。


 刑事さんなら知っていると思いますが、兄はろくでもない人間でした。女好きで、恋人がいる人や結婚している人にも手を出して、トラブルになっては、父に揉み消してもらう、そんなことは日常茶飯事でした。

 友人がたくさんいましたが、どれも薄い付き合いで、兄が気前よく奢ってくれるのを狙うような、ハイエナのような人たちばかりでした。


 私も、兄も嫌っていました。兄を迎えに行った時に、一緒にいた兄の友人からお尻や胸を触られるなんて、しょっちゅうでしたし、兄の女性トラブルのせいで、私が友人を失ったことも何回もありました。

 でも、こうやって兄の言うことを聞いているのは、結局、兄からのお小遣いが欲しいからだ、私も兄のハイエナのような友達といっしょなんだ……そう、Yさんに愚痴りました。


 「自分の醜さを自覚している花が、最も美しい」――Yさんは、私の愚痴に対して、そう慰めてくれました。

 その瞬間です。私が、恋に落ちたのは。


 当時、大学生だった私は、兄やその友人を見て、男性というものに嫌悪感を抱いていました。その一方で、恋愛というものを異常に神聖化していました。

 紳士的で、私のことを思った言葉を言ってくれたYさんは、今まであったどんな男の人とは違うと感じました。私がYさんに夢中になったのは、言うまでもありません。


 四六時中、Yさんのことを考えていました。ただ、私はYさんの仕事と好きな映画しか知りませんでした。恋人がいるかどうかも分かりません。

 兄に尋ねれば手っ取り早いのでしょうが、この恋を兄の横槍によって台無しにされたくありませんでした。とはいえ、直接Yさんに聞いてみる勇気もありません。


 私と兄とYさんの三竦さんすくみの関係は、そのままずっと続きました。兄が死ぬその日まで、私の気持ちを、彼らは気付いていなかったと思います。

 ああ、自分の話ばかりしてしまいましたね。ただ、この恋心が重要なんです。


 Yさんと出会って、七カ月が経ったある日。私は、駅へ向かう途中で、Yさんとすれ違いました。

 ただ、その人がYさんだとは、最初気付きませんでした。Yさんは……髪形やファッション、そして纏う雰囲気さえも、いつもとは違っていたからです。


 私のように、Yさんのことが好きでたまらない人ではないと、分からなかったと思います。驚いた私は、Yさんがどこに行くのか気になって、跡をつけました。

 ただ、Yさんにバレるととても恥ずかしいので、近くのタクシーを拾って、Yさんを追いかけてもらいました。車道が混んでいたので、のろのろ走っていても、怪しまれませんでした。


 追いかけているYさんが、急に足を速めました。何だろうとその目線の先を見ると、パチンコ屋から兄が出てきたところでした。

 Yさんは、兄に向っているようです。私は興ざめして、運転手さんにお願いし、二人の横を素通りしていきました。


 その四時間後。飲み屋街の路地裏で、背中を刃物で一突きにされた兄の死体が見つかりました。

 ……そうです。私は、兄が最後に会った人を見たのです。


 一報を聞いて、まず私がしたことは、Yさんの名刺を処分することでした。兄は、Yさんのメアドや携帯番号を知らないと言っていたので、その存在を示している名刺を隠し、私が口を噤めば、誰にも気付かれない、そう思ったからです。

 兄の部屋に入り、不自然に散らからないよう気を付けながら探って、机の引き出しの片隅に名刺を見つけました。それは細かく破いて、私が大学に行く途中のコンビニのごみ箱に捨てました。


 そうして、やっと私はほっとできました。Yさんは捕まらないだろう、そう思ったけれど、兄が死んで悲しいとは思いませんでした。先述した通り、ろくでもない兄でしたから。

 兄の交友関係は広く、恨みを抱いている人も数多くいたので、捜査は難航していましたね。だけど、Yさんの名前は容疑者候補として出て来なくて、それでも、無事であるようにと、いつも祈っていました。


 あの時以降、Yさんには会っていません。見かけることもありませんでした。

 兄が死んでから二年後、もう大丈夫かもしれないと、あのバーにも行ってみましたが、いませんでした。店員さんに聞いてみましたが、数年ほど見かけていないという曖昧な答えでした。


 この五年間、私にも恋人が何人か出来ました。しかし、誰を愛しても、どんな恋をしても、Yさんのことを、決して忘れることなどありませんでした。

 初恋というのは、そういうものだと思いますよ。胸の奥で、キラキラ光る宝石。くすんだり、色褪せてたりしても、決してなくなりはしない、そんな大切なもの。


 ……ええ、だから、今の私の告白とは、矛盾しています。

 正直に言いましょう。私は、もう、Yさんのことを愛していないのです。


 きっかけは、この前放送されていた、白黒の日本映画でした。その中で、主人公の男性が一人の女性に対して、こんな口説き文句を言っていたのです。

 「自分の醜さを自覚している花が、最も美しい」――Yさんが、私にくれた慰めの言葉です。


 あれは、映画の引用であって、私のための言葉ではなかったんだ……。そう思うと、自分の燃え尽きずにいた初恋が、急激に冷えていくのを感じました。

 ほら、アニメとかで、カナヅチのキャラが池に落ちて、「溺れるー!」と慌てていたら、実は足が付くぐらい浅かった、そんなシーンがありますよね? あんな風に、幻想が崩れて、「なーんだ、こんなもんか」と思ってしまったんです。


 そうしたら急に、怖くなりました。兄がどうのこうのとかいう前に、殺人犯を、私は必死に庇ったこと自体が、悪いことだという認識がやっと生まれたのです。

 だから、こうして、全てを刑事さんに話すことにしました。


 今更、こんなこと言ってくるなんて、自分勝手だと分かっています。でも、刑事さん、お願いします。

 Yさんを捕まえてください。そのための協力なら、いくらでもしますから――





























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