仮死


 いやさ、ちょっと聞いてほしんだけど。

 え? 何って、彼女の話だよ。当然だろ。


 ノロケじゃない! ノロケじゃない!

 本気で悩んでんだよ。真剣に聞いてくれよな。


 彼女さ、よく寝るんだよね。これは、前も言ったか。

 仕事から帰ってきてからも、飯食ってからも、ナニの後もさ……。本当に、気持ちよさそうに……。


 ほら、よく、死んだように寝ているって、例えあるだろ?

 例えじゃないんだよな、彼女の場合。本当に死んでるっぽいから。


 最初に気付いたのは……確か、同棲初日だったな。

 ダブルベッドで二人寝転んで、なんかいい感じで、俺は緊張して、寝れねぇと思ってたら、彼女は先に寝てて。


 目ぇ、覚めちまったなとか言ってみても、なんも反応がねぇんだ。横を見たら、しっかり目を閉じてて。

 なんじゃそりゃってずっこけたよ。いや、大袈裟じゃなくて、本当に、ガクって肩を落としたんだから。そこはどうでもいいけど。


 ぐっすり寝てんのに感心して、ほぼ初めて、彼女の寝顔をよく見てみたんだよ。

 眠り姫みたいだった。あ、ノロケっぽくなったな。本気で思ったから、しょうがないだろ。


 けどな、眠っているというには、妙な感じだったんだよ。まず、寝息を立てていない。唇はぴったりと閉じられていて、ちょっとの隙間もない。

 寝てても、睫毛が微かに揺れてたりするだろ? それも無かった。それに、いつもよりも顔色が白くなっているような気がする。


 奇妙さに焦りながら、胸に目を向けてみた……そこは、変な意味じゃないから。

 するとな、そこも全く動いていない。つまり、息をしていなかった。


 そんなわけがない。もう、鳥肌立っちぱなしよ。

 脈を測ろうと思って、手を取ってみたんだ。その体温は、ぞっとするほど冷たくてな……当たり前のように、鼓動が無くなっていた。


 もう、パニックよ。人生で一番慌ててたな。

おい! おい! って大声で叫びながら、肩を揺すって見たけれど、反応が何も無い。マネキンに触っているかのようだった。


 救急車を呼ばないと。それに気付いて、スマホを取ろうとしたんだよな。

 そしたら、彼女のスマホが鳴り出して。こんな状況だったから、うわあ! って叫んじまった。


 直後、彼女が目を開けた。パチって、あっさりと。

 ベッドから転がり落ちそうな恰好で、動きが止まっていた俺の方を見て、何してんのって、笑ったんだよな。


 怖くなったよ。あまりに、普通の反応だったから。

 当然、さっきまで死んでた? なんて訊けないから、何しても起きないから、びっくりしたって、誤魔化してさ。


 そしたら彼女、そーなの、私、寝つき良いの、って。いや、寝つきが良いってレベルじゃないんだけどさ、こっちも頷くしないし。

 名前呼んだり、体を揺すられたりしたくらいじゃあさ、起きないくらいだから、電話や目覚ましのベルの音に反応できるよう練習したってさ。よく分からんけど。


 どうやら、彼女は自分が寝ている間、息も脈も止まっているとは知らないようなんだ。

 いつからこうなったのか分かんねぇけど、誰も言う人いなかったんかな? まあ、直接は言えないよな。


 その後も、彼女が寝ている瞬間を度々見かけたけど、やっぱり死んでる。うとうとしている瞬間は無くて、ちらっと見るとすでに死んだように寝ているんだよな。

 俺も、そのうち慣れてきてな、本当に何やっても起きないのか、っていうのが気になってきて、実験してみたんだよ。


 まず、彼女が寝ている時に、様々な音を出してみた。隣の部屋から壁をノックされるくらい、テレビの音を大きくしても起きないし、耳元で、蚊が飛ぶ音とか黒板を引っ掻く音とか、人間が嫌がるような音を流して見ても、反応しない。

 次に、肌に刺激を与えてみることにした。彼女はくすぐったり屋だけど、足裏をこちょこちょしてみても、ネットで調べてみためちゃくちゃ痛い足つぼでも、効果なし。起きている時にやったら、ちゃんと笑ったり痛がったりするのに。


 で、肌に触ってみて気付いたんだが、柔らかさは変わらないのに、跡が全然ついていなんだよな。足つぼした時に、爪を立ちまって、やべって思ったけど、彼女の足裏は綺麗なままだった。

 ここから、引くなよ……。俺は、爪楊枝で彼女の腕を刺してみた……。反応しないのは当然なんだが、一度押された皮膚は、穴が開くこともなく、普通に戻っていった。

 なんか、寝ている間は固くなってるみたいなんだよな、彼女の皮下脂肪みたいな部分が。


 お前、クマムシって知ってるか? ギリギリ目で見えるくらいの小さい虫……昆虫とは違う仲間なんだが、そいつは、仮死状態になれるんだよ。

 水分を失って、カラカラのミイラみたいになったら、高温や低温でも、宇宙空間でも、放射能にさらされても、水を貰ったら、蘇生できるっつー生き物だ。


 じゃあ、彼女も、クマムシみたいに、寝ている間はどんな状況にさらされても、平気なんじゃないか?

 そんなことを考えたら、急に怖くなってきて。いや、彼女のことじゃなくて、俺のことが。


 つまりはさ、彼女と喧嘩したり、ムカつくことがあったりしたら、俺が寝ている彼女に対して、何しでかすか分かんねぇだろ。ナイフで傷つけても、ライターで肌を炙っても、喉を締め上げても……彼女に気付かれないってことだからな。

 俺は怖えよ。彼女が平気だとしても、人としてダメだろ、そんなことしちゃあ。



 だから、今後、俺が彼女と喧嘩とかしたら、お前のところに来てもいいか?

 心でいけないと分かっていても、彼女と同じ屋根の下にいたら、何しでかすのか、自分でも分かんねぇから。




























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