精霊祭に隠し事を

 ライセル王国の王都ローグス。年も暮れに近づくと寒さは一段となり、北から吹く風が石とレンガで出来た町並みを凍えさせる。時には雪も降り、雲がどっしりと低く街を覆うが、それでもそれを跳ね返す賑やかさが少しずつ街を包み始めていた。


 ライセルをはじめこのあたりの国の一年は精霊祭で締めくくられる。多くの国で信仰され不思議な力を持つとされる精霊たち。その不思議な力を実際に見ることはほとんどなくなったとはいえ、今も国々は精霊の加護で守られていると信じられており、その力に感謝し来年の幸せを守る日だ。


 一年でもっとも大切な日ともいえる精霊祭と、そこから始まる休暇に向け、街は少しずつ飾り付けられ、パン屋にも菓子屋にも精霊祭で食べられるドライフルーツやスパイスをふんだんに使ったパンやお菓子が並び始める。そんな街角を足早に歩くのは、なんとか休暇までに仕事に区切りをつけようと慌ただしく歩く人々。


 どこか浮足立ち、でも祭と休暇への待ち遠しさを感じる。そんな町並みをガラス越しに眺め、軽くため息を着いたのは当代一の紅茶店、ブラッドリー商会の若奥様、シンシアだった。


「お疲れですか? 奥様?」


 そう言って、気遣わしげに彼女に声をかけたのはブライト。ブラッドリー商会本店の支配人を務める男だ。その声に慌ててシンシアは居住まいを正した。


「いえ、何でもないの、ごめんなさい。これから精霊祭に向けた商戦だというのに気を抜いていてはいけないわね」

「そこまで気を張られなくても大丈夫ですよ、若奥様。今年も我が商会の経営は順調そのものですし、商戦は長丁場です。あまり最初から頑張りすぎては旦那様も心配されます」

「ありがとうブライト。気を付けるわ。ところでいくつかカタログを持っているようだけど……?」

「えぇ、旦那様が地方へ行ってらっしゃいますので、若奥様にお伺いしたいことが」

「もちろん構わないわ」


 その答えにブライトは微笑み、手にしていた精霊祭向けのカタログを広げて説明し始めた。






「そろそろ精霊祭のプレゼントを用意しないと行けないのよね……。でもその前の問題が生まれてしまったわ」


 ブライトと相談していたのは、精霊祭のプレゼント向けに店頭に並べる商品の相談だ。もちろん今すでに精霊祭向けの商品はたくさんあるのだが、特に今年は下町の店の売れ行きが良いらしい。プレゼント向けの紅茶やギフトボックスは元々は中流階級向けにトーマスが展開し始めたものだが、少しずつ庶民にも広がっているらしい。もう少し下町の店に卸す為の商品を強化しよう、ということで商品の選定の意見を聞きたかったそうだ。


 そんな話をしていると、またしてもシンシアは先程から頭の片隅にあった悩みを思い出してしまった。悩み、ずばりそれはまだまだ新婚、と言える彼女の夫、トーマスのことである。


 結婚したてこそ、仮面夫婦まっしぐらの関係だった二人だが、とある事件をきっかけに二人の間にあった壁は取り払われ今は名実ともにまさに新婚。仕事が忙しいとは言え、細やかにシンシアに愛情を示してくれ、そしてブラッドリー商会の当主の妻、としても敬意を払ってくれるトーマスの事をシンシアもまた深く愛している。


 そしてもうすぐ二人が迎える初めての精霊祭。そうなるとやはり夫へのプレゼント選びにも気合が入る、というものなのだが、そこで思わぬ噂を聞いてしまった。


「旦那様は精霊祭がお嫌いらしい」


 そう話していたのはブラッドリー商会本店に務める配達人の少年たちの言葉である。噂をすること自体を咎めるつもりはシンシアにはない。彼らが話をしていたのはお客様が入らない通路で、近道をしよう、とシンシアが彼らの領域に踏み込んでしまっただけだし、業務上よろしくなければ彼らの上司が叱るだろう。それはそうとして、精霊祭が嫌い? その言葉を反芻し、そしてシンシアは自身の夫の生い立ちを思い返した。


 トーマスの両親は元々旅行好きの現場主義者で各地の茶の生産地を一年中巡るような生活をしていた、という。もちろん二人が作り上げた仕入れのネットワークが今のブラッドリー商会の礎になっているのだから、そのことには感謝しかないが、それはそれとして外国は危険もあるから、と基本的にローグスで育ったトーマスは両親と過ごす時間があまりなかったらしい。


 最近は船の性能が大きく上がったが、それでも海外へ行くのは大仕事。トーマスが子供の頃はそれ以上で、精霊祭の休暇期間だから、と両親が必ずライセルにいたわけでもないとは、執事のブラウン達から聞いたことがある。それに輪を欠けて、二人はトーマスが学生のうちに事故で亡くなっている。それらのことを考慮すれば確かに家族で過ごす日、とされる精霊祭をトーマスが嫌うのも無理はないと思えた。


「この一杯は私のために、もう一杯は……」


 シンシアの私室に彼女が呟くように歌う声が響く。昨日からトーマスはライセル各地を巡る出張に出ているので屋敷には使用人たちを除くと一人。いつもは二人分淹れる夜のお茶も今日は一人分だから美味しく淹れるための歌も短い。


 年の暮れは忙しいものだから仕方がないとは言え、どうしても感じてしまう寂しさが余計にシンシアを考え事へといなざった。


 勿論常に両親が不在だったわけではないらしいが、この広い屋敷で一人で過ごすことも多かったと言う少年時代の夫はやはり寂しさを感じていたのだろうか。感じていたとしてもそれを口に出せないことは容易に想像できる。


 毎年両親がいなかった訳ではないらしく、精霊祭の休暇の時期に二人がライセルに戻ってきていた時は多くの家庭同様に家族で集まり、お祝いをしていたそうなのだが、家族で過ごす時間の賑わいを知ると、反対にそうでない時の寂しさを一段と強く感じてしまうのも事実だろう。それはたとえトーマスの事を気にかけてくれる使用人たちいてもまた別の話。


 と、そこでふとシンシアは思考を止めた。


「使用人、従業員、家族……」


 そうだ、トーマスには血の繋がった家族とは別に、家族と言える存在がいるでは無いか。あることを思いついたシンシアは明日の予定を確かめなければ、と侍女を呼ぼうとし、その前に、砂時計の砂がもうすぐ落ちきることに気付き、まずはポットの方へ向かったのだった。






 翌日、早速ブラッドリー商会の本店に向かい、計画をブライトに話すと、彼は喜んで賛成してくれた。


「素晴らしい案だと思います。確かに旦那様は精霊祭の季節になると少々憂鬱にされていましたからね。特に商会を継がれてからは……」

「やはり、そうなのですか」


 遠くを見るような目をするロイドにシンシアも少し声を落とす。


「もちろん、従業員たちにはきちんと休暇を下さいますし、ちょっとしたプレゼントなども用意して下さいます。ただ本人は、独身の取引仲間の集まりに参加されるか、もしくは一人で屋敷にいらっしゃるかで、いずれにせよあまり精霊祭を楽しんでいらっしゃるようには思えませんでした」

「でも、今年は旦那様も一人ではありませんものね」

「えぇ、シンシア様がいらっしゃって旦那様も随分お変わりになりましたから。きっとシンシア様の案も喜んで下さいますよ」

「えぇ、きっとそうですわよね。あと、せっかくだから旦那様を驚かせたいと思って、今回のことは内緒で進めたいのですが」


 シンシアの言葉に一瞬目を瞬かせたブライトだったがすぐにニッコリと笑い


「面白いかもしれません。では従業員たちにもそう言って、こっそり準備させるようにしましょう」

「ありがとう、ブライトさん」


 支配人の許可を取り付けたシンシアは、他の店の従業員達の元へも向かい、話をするのだった。






「どうやらシンシアは私になにか隠し事をしているようだね」

「そうおっしゃる割には楽しそうでいらっしゃいますね」


 取引先からの帰りにふと寄った本店の1階で偶然シンシアと合うことが出来たトーマスは珍しく事務所に上がってきても御機嫌であること隠さなかった。妻が隠し事をしているらしい、ということに気付いたらしいにも関わらず、嬉しそうなトーマスに思わずそう返したのは、彼に続いて部屋に入ったブライトだ。


「まあ一般的には妻が隠し事をしていたら夫は怪しむものだろう。だがシンシアは私に隠れてなにか悪いことをするような人だと思うかい?」

「いえ、全く」

「そうだろう? むしろ必死になにかを隠そうと取り繕っているのに、そういったことに慣れていないせいか、全く上手く行っていないのも可愛い。……まあ社交界や経済界では少々苦労するかもしれないが」


 冬が明けたらまた始まるシーズンを思い浮かべ少し不安げな顔をトーマスはする。


「そこは旦那様がお助けにあれば良いのでは。それに奥様もリーンの名家のご出身。場数はしっかり踏んでいらっしゃいます」

「それもそうだな。まあ、ともかくもうすぐ精霊祭だ。この時期の隠し事はむしろ楽しいものだろう?」

「まさか旦那様からそんなお言葉があるとは。それに旦那様も隠し事をしていらっしゃいますものね。あれほどあまり高価過ぎる贈り物は、と悩まれていのに、衝動買いなど旦那様には珍しい」


 そう言ってブライトはいたずらな目でトーマスが座る執務机を見る。彼の言う通り、トーマスの執務机の引き出しの隠しには精霊祭の贈り物がひっそりと隠してある。シンシアと結婚して初めての精霊祭に何を贈るか悩みに悩んでいたトーマスがある宝飾店で見つけ、その場で買い求めた一品だ。


「私自身も驚いているよ。それに商会や屋敷の皆には少々済まなかったとも思っている」

「何をおっしゃいますか。旦那様はきちんと精霊祭の休暇もくださってましたし、お祝いの品も毎年くださってました。きっと皆、旦那様が精霊祭を待ち遠しく思えるようになったことを心からうれしく思っていますよ」


 シンシアに話した通り、家族で過ごす日、に家族が側にいない、と言う経験を何度もしてきたトーマスは必ずしも精霊祭を楽しみだ、とは思ってこなかった。特に両親を失ってからのトーマスにとっての精霊祭は屋敷で静かに一人で迎えるもの。そんな姿を知っているロベルは近づく精霊祭に心を躍らせるトーマスの姿を見て自分も嬉しくなっていたのだった。


「そういえばブライトはシンシアの隠し事についてなにか知っているのかい?」

「いえ、何も存じ上げません」

「そうか、なら良い」


 そういったトーマスだが、その言葉をそのままに受け取った訳ではない。長年商売の世界で生きているブライトは笑顔で嘘をつけるタイプだ。


 ……とは言え


 彼が、トーマスに不都合な嘘をつく人物でないことも十分承知している。少なくともシンシアの隠し事はトーマスにとって良いものだろう。そう考えたトーマスは近づく休暇に向けて帳簿を開いたのだった。






 国中が待ちに待った精霊祭の前夜。街はいたるところに飾り付けがなされ、人々はどこか浮足立っている。


 精霊祭から年をまたいで数日後まではほとんどの人々が休暇となる。そしてその精霊際の前日の会社や商店は早仕舞いをするのが恒例。ブラッドリー商会の本店もまた、午後のお茶の時間を少し過ぎた頃に「閉店」の看板を出した。


 今年最後の営業の帳簿をブライトが付け終え、他の従業員たちも掃除や片付けが終わったとところで、ブリストル達とともにお茶の整理を手伝っていたシンシアが店の中央にやってきた。


「さ、みんな! 始めましょうか」


 その掛け声と同時に、従業員たちはなにかの準備を始める。店の中央付近の売り場台は隅に寄せられ、商品も壊さないようにそっと売り場の端に集められる。


「どうしたんだい、シンシア? これからなにか始めるのか?」

「黙っていてごめんなさい、旦那様。実は精霊祭のパーティーをみんなでしようと思って」

「みんなで?」


「はい! 旦那様はご家族の事情で精霊祭に良い思い出ばかりでなく、あまり好きでない、と聞きました。勿論今年は私が家族ですが、それだけでなく、もっと素敵な思い出を作って頂きたい、と思いまして……


 ブラッドリー商会の皆さんや屋敷のみなさんも私達の大事な家族でしょう?」


 そう話すと同時に、トントン、と「閉店」の看板を掲げたはずの玄関を叩く音がする。トーマスがそちらを振り返ると、ブラッドリー邸の執事、ブラウンとその妻アンナを先頭に屋敷の使用人達や、ブラッドリー商会のローグスの支店に務める者たち、それにブラッドリー商会の従業員の子どもたちも揃っていた。


「ごめんなさいね。寒いでしょう? 今開けますからね」


 驚きの顔をするトーマスをひとまず置いておいてシンシアはドアの方へ走る。一方トーマスの元へはブライトがやってきていた。


「シンシアの隠し事については何も知らなかったのでは?」


 そう厳しい顔を作りブライトに問うトーマスだが、その声は笑っている。


「申し訳ございません、旦那様。精霊祭の隠し事は楽しいもの、とのことでしたので」


 一方招待客たちを迎え入れたシンシアはトーマスの側へと戻ってきた。


「勿論皆さんもそれぞれにお祝いがあるでしょうから長くはできませんが、精霊祭の前日は早仕舞いをすることを思い出しまして……皆さんに協力頂いたのですわ」


 そうこうしているうちに、普段は整然とお茶を始めとした商品が並ぶ売り場は、大きな広間となった。数は少ないもののこの本店の売り場で大規模な茶会をすることもあることを知っていたシンシアは、この売り場にパーティーをする会場を作ることが出来ることを知っていた。


 もともと本店の売り場は精霊祭に向けて飾り付けられ、店に入った人が最初に視線を向ける場所には大きなツリーが置かれている。


 さらに中央に残されたテーブルには、ブラッドリー家の菓子職人が1ヶ月まえから時間をかけて仕込んだプディングが鎮座する。その周りにはクッキーやパイ、そして料理人が作ったちょっとした料理なども並んでいる。


 店にやってきた子どもたちは、普段は入ることが許されない本店の雰囲気と、並んだ美味しそうなお菓子にすでに目を輝かせていた。


「黙っていてごめんなさい。せっかくだったら驚かせたくて。それとも……やはり精霊祭はお嫌いですか?」


 突然のことに先程から表情が固まっているトーマスに恐る恐る聞くシンシア。その言葉を聞いてようやくトーマスは表情を緩めた。


「いや……とても嬉しいよ、本当に嬉しい。シンシアもそしてみんなも本当にありがとう」


 そう言ったトーマスの方を店に集まった全員が見る。その様子を見てホッとしたように微笑んだシンシアはいつもの引き出しの前でトーマスの方を見ているブリストル達に目配せした。


 すると彼女を始めとした商会のブレンダー達が何やらシャンパングラスに入った黄金色の飲み物を持ってくる。それを受け取ったトーマスは子どもたちにも同じものが配られたのをみて少し首をかしげ、そしてシンシアに問いかけた。


「これはお茶かい?」

「そうですわ! ブリストルさん達にお願いして作って漏らしましたの。果物を漬け込んだお茶をソーダで割った飲み物です。見た目はシャンパンみたいに華やかですけど、お酒じゃないから酔わないでしょう? それにここはライセル一のお茶屋さんですから」


 少し最後は芝居掛かって言ったシンシアに


「なるほど。よく考えたね」


 と、言うとついで自身に集まった視線とグラスを交互に見る。そんなトーマスにシンシアは微笑んだ。


「さ、ブラッドリーの当主は旦那様ですわ。挨拶をお願いしても?」


 そんな彼女の言葉にトーマスもまた微笑んだ。


「そうだな。みんな!」


 その声に店にいる全員が期待を込めた視線をトーマスに向ける。


「今日は、こんな素敵な場所を用意してくれてありがとう。そしていつも皆の働きには感謝している。ブラッドリー商会が今年も一年無事に終えられたのはみんなのおかげだ。短い休暇かもしれないが、ゆっくり休んでほしい。では……この場のみんなに精霊の加護がありますように!」

「「「「「精霊の加護がありますように!」」」」」


 最後は精霊祭のお決まりの言葉で締めたトーマスに、人々の声がこだまする。


 グラスを掲げ、始まった精霊祭の「お茶会」のにぎやかな声があちこちで響き初めた。


 子どもたちは先程トーマスとシンシアから手渡されたプレゼントに目を輝かせ親の元へいって早速プレゼントの紐をほどき始めている。

 中央のテーブルでは切り分けられたプディングがみんなに配られて、大人たちもまた話に花を咲かせつつニコニコしている。

 そんな中、まだ若いながらトーマスの信頼も厚いロベルがどこからか取り出してきたのはヴァイオリンだ。


 喧騒の中を跳ねるような陽気なメロディが流れ出すと、どこからともなくダンスの輪ができ始める。その様子を眺めているトーマスの袖を引っ張るのはシンシアだ。


「旦那様? よかったら私達もご一緒しません?」


 そう言うシンシアは普段しないような少しいたずらな笑みだ。そんな彼女の誘いに


「もちろん」


 と短く答えたトーマスは彼女の腰に手を回しダンスの輪と入っていった。


 当主夫妻までもがダンスの輪へやってきたことで会場はわっと盛り上がり、中央が二人のために開かれる。普段夜会で踊るよりもずっと早いテンポのステップだが、シンシアはリーンの祭りで、トーマスも地方に行った際などに招かれる歓迎の場で何度も踊っているので迷いはない。


「ふふっ、上手ですのね旦那様」

「光栄なお言葉で」


 軽口を交わす余裕も見せながら1パートを踊りきると拍手が巻きおこる。軽くお辞儀をして二人で視線を交わすとそれぞれに取り囲む輪の中から男女を輪の中央で誘う。今年結婚したばかりの若い従業員のカップルだ。普段は違う部署で働く二人が手を取り合って踊り始めると、また歓声がわき、トーマスとシンシアは彼らを囲む輪の中に飛び込んだ。


 賑やかなテンポで次々と踊る相手が変わるのがこのダンスの特徴だ。巧みにステップを踏みながら店内を回り、そして中央でまたトーマスの腕に収まったシンシアをトーマスがぐっと引き寄せる。


「やっとこちらへ戻ってきたね」

「まあ! 旦那さまったら」


 普段はあまり見せないトーマスのあからさまなシンシアへの独占欲に周りは微笑ましそうに微笑んだり、歓声を上げたりする。


 ちなみに色んな人と踊る、といってもシンシアの相手はブラウンのような年配の既婚者か子供、そして女性ばかりだった。これは勿論新婚の雇い主に対する周りの配慮にほかならない。


 楽しいい雰囲気にあてられたのかさらにトーマスがシンシアを抱き寄せると、シンシアもギュッとトーマスの方へ近寄るのだった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。いつの間にか本来の営業時間を少し過ぎたあたり。これから今度はそれぞれの家族で精霊祭を楽しんでもらわないと行けないから、お店でのパーティーはお開きだ。


 トーマスやシンシアまで一緒になって周りを少し恐縮させつつ片付けをすると、さっきまでの喧騒が嘘のようにお店は普段の売り場に戻る。それでもどこか非日常な雰囲気は残したまま、従業員たちを見送った二人は、最後まで残ってくれたブライトを始めとした幹部達とも改めて挨拶を交わし、店を出たのだった。






「おはようシンシア、早いんだね」


 まだ朝と言っても早い時間。隣に眠るぬくもりがないことにトーマスが目を覚ますと、そっとドアが開き、お湯が入っているらしいポットを手にしたシンシアが部屋に入ってきた。


「旦那様、起こしてしまいましたか? 精霊祭の朝はいつも気分が高揚して早く起きてしまうんです。まるで子供みたいですわよね」


 そう言ってシンシアは少し恥ずかしそうにする。確かにまだ普段でも起きていないような時間だし、冬なだけあって外もまだ真っ暗な用だ。


「いや、気にすることはない。それに今日は色々と予定があるから早く起きるにこしたことはないよ」


 今日は精霊祭の当日。午前中は教会に家族で向かい、そして家に買ってきてから正餐をいただく、というのがライセルの習慣だ。あまりに早く起き出してしまい、お茶を入れよう、とシンシアが向かった厨房ではすでに使用人たちが準備を初めていた。


「それにしても早すぎますわよね。でも旦那様も起きられたのでしたら、お茶はいかがですか? 今日は冷えるので生姜のお茶を用意したのですが」

「それは温まりそうだね。お願いして良いかい?」

「勿論ですわ」


 にっこり笑ったシンシアは寝室のテーブルにティーセットを広げ迷いなくお茶の準備を始める。程なく部屋にはお茶の芳醇な香りと生姜のスパイシーな香りが広がりはじめた。


「はい、旦那様。お熱いのでお気をつけになって」

「ありがとう、シンシア」


 そう行ってカップを受け取り一口口をつけたトーマスは体が温まっていく感覚にほっ、息を吐く。その隣では同じくシンシアがカップを手にしていた。


 ある程度お茶を飲んだところで、そうだ、とシンシアが座っていたベッドから降り、どこかへ向かう。寝室と続きになっているシンシアのドレッシングルームに消えたシンシアが戻ってくると、その手にはなにかの小箱があった。


「精霊祭のプレゼントですわ。来年もよろしくお願いしますね」

「ありがとう。パーティーだけでなくプレゼントももらえるとは」

「ふふっ、パーティーはまた別ですわ。せっかくですし中身もご覧になって」

「ああ、そうだな」


 トーマスが慎重に小箱の包装を解くとその中から現れたのはシンプルだが品の良いデザインのネクタイピンだった。


「色々と迷ったのですが、どうせでしたら普段使い出来る方が良いかと思いまして。すでにたくさん持っていらっしゃるでしょうけど、たまに使っていただけたら」

「ありがとう! 大事に使うよ。でも偶になんてもったいない。これからは毎日このピンを使うことにするよ」

「そんな、大げさなですわ」


 トーマスの言葉にシンシアがクスクスと笑っていると、トーマスもまた「実は私も渡すものがあるんだ」


 と部屋を出る。少しして戻ってきたトーマスは先程シンシアが持っていたより少し大きな箱を手にしていた。


「私からも精霊祭のプレゼントだ。気に入っってくれると嬉しい」

「まあ! ありがとうございます、旦那様。開けてみても?」

「勿論だ」


 トーマスに促されゆっくりと包みを解いたシンシアはその中から現れたものに息を呑み、そして少し顔をこわばらせた。


「素敵だわ! でも旦那様? これってもしかしてとても上等なものでは……?」


 シンシアが開けた小箱の中には冬薔薇をモチーフにしたネックレスが入っていた。薔薇をかたどった部分にはいくつもの真紅のガーネットが使われ、その周りにもいくつもの宝石が使われている。その細工自体も熟練の技、とわかるものだった。


「私も色々迷ったんだが、ふ、と通りがかった店先で偶然見つけてね。シンシアはあまり高価なプレゼントを貰っても却って困ってしまうだろう、とはわかっていたのだが……」

「困るだなんて! とても綺麗ですし、嬉しいですわ。私なんかがこんなに素敵なものをもらって良いのか心配になってしまうだけで」

「でもきっとシンシアに似合うはずだし、それを身に着けたシンシアはとても美しいと思うよ」


 直球のトーマスの言葉にシンシアは口ごもる。


「それにいわばこれは……私のわがままのようなものだから、シンシアが気にすることはない」

「わがまま……ですか?」

「そう、このネックレスを付けたシンシアを見てみたい、という私のわがままだ。実際見つけてすぐに衝動買いしてしまってね、随分とロイドにからかわれたよ」

「確かに旦那様が衝動買いって……想像がつかないです」

「そうだろう? それにシンシアだってわがままではないが私に隠し事をしていただろう? それも屋敷のものや従業員には話して、私にだけ」

「いや、それはせっかくなので旦那様に驚いて……」


 少し下を向きつつ話すトーマスにシンシアが慌てだすと、トーマスはいたずらな顔をする。


「別に怒っていないさ。ただ」

「ただ……?」

「今日の正餐ではこのネックレスを付けてドレスアップしてくれるかい?」

「もちろんですわ」


 そんな話をしているといつの間にか陽も登り初めたらしく、段々と下の階で、使用人たちが働く音が聞こえ始めてくる。


 トーマスが新婚の妻と初めて過ごす精霊祭に選んだプレゼントを正餐の席で身に着けたい、というシンシアに侍女たちは俄然やる気を出し、彼女達によって磨かれ、飾られたシンシアを一目見たトーマスは感嘆の息を漏らし、そっと彼女を抱き寄せ、賛美の雨を降らす。そんなトーマスにシンシアは頬を染め、仲睦まじい当主夫妻を使用人たちは笑顔で見守る。そんな使用人たちもまた、交代でではあるが休暇に入り、家族との時間を過ごすのだ。


 精霊祭を楽しむ人々の声が街を包みつつあった。

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