新婚夫婦と7つのお茶 2

 ブラッドリー家の執事、ブラウンの朝は早い。多くの他の家に仕える執事同様、陽が登る前、まだ外が暗いうちに起き出して夜遅くまで仕事は続く。とはいえ、両親もまたこのブラッドリー家に仕える使用人、特に父親は執事だったブラウンにとってはこの生活は当たり前のことだし、この仕事に誇りを持っている。


 さらに言えば、彼に取って2代目の主人に当たるトーマスは少々性格に難ありとはいえ、使用人にも気配りを持って接してくれ、勤勉で聡明な尊敬できる主人だし、最近ブラッドリー家の来た奥様、つまりシンシアもまた優しく穏やかな人物だった。加えて、初代以降ほぼ上り調子が続くブラッドリー家の財政を反映して、給料は良いし、使用人たちの生活にも気が配られている。つまりブラウンにとってここは理想の職場だった。


 とは言え、朝早い時間は眠くない訳ではない。もうそろそろ中年と言える歳も超えてきたブラウンにとっては余計だ。幸い息子も順調に他家で上級使用人としての経験を積みつつあるようだし、そろそろ引退も考え始める頃か、そんなことも頭の片隅で思いつつ、ブラウンはキッチンへと向かった。


「この一杯はあなたのために……」


 キッチンからは落ち着いた、そして聞き慣れた声が聞こえる。妻であり、この家の女性使用人の一人であるアンナだ。先代の奥様の侍女であった彼女はあの悲しい事故のあとは、一使用人として、しかしメイド頭のミセスリードに次ぐ古参としてこの家を支えている。トーマスは妻を迎えるに当たって彼女を侍女に、と考えたようだったが、「侍女は年齢が近いほうが良い」というアンナの意見を取り入れて、若いメイドが抜擢された。


「入るよ? アンナ。目覚めのお茶をいただけるかい?」

「ま! あなた。」


 そう言ってキッチンへ入っていくと、驚きの声を上げるアンナ。夫の登場に驚かなくても、と思うが、さしずめ誰か来るとは思っていなかったのだろう。廊下に漏れ聞こえる程度には歌っていたのだから。


 ポットに茶葉を入れながら唱える歌は奥様であるシンシアがお茶を淹れる時の口癖だ。飲む人のことを思って愛らしく歌う姿は、夫であるトーマスはもちろん使用人達も笑顔にし、そしてその口癖が伝染る人が続出した。まぁお客様の前でされては困るが、そうでなければ問題はないし、今朝は妻の可愛らしい姿を見られて役得だ。


 一方少し恥ずかしそうにしつつ、ポットのお茶をカップに移したアンナはブラウンにカップを渡す。主人夫妻が飲むような美しく豪奢なものではなく、無骨なマグカップだが、妻が入れたお茶は世界一だと思う。カップに口をつけつつ、ところで、と妻に声をかける。


「今朝の朝食の給仕は君かい?」

「えぇ、後はメグとロッシュが担当になってますわ」

「分かった。だったらロッシュに手が空いたら私のところへ来るよう言ってくれないか。そろそろ多少の勘定仕事も教えようかと思っている」

「それは良いですわね」


 ロッシュは15の少年だ。下町の生まれで雑用として雇ったが、物覚えが早くブラウンが従僕に引き上げた。彼の頭の回転の良さと、気が利くことを気に入ったブラウンは彼を自身の息子の右腕の候補の一人と見ていた。こんなことが出来るのも主人であるトーマスがブラウンを信用し、家のことを任せてくれるからだ。


「さて、では私は屋敷を見回ってくる。今日も良い一日を」

「えぇ、良い一日を」


 ブラッドリー家を支える夫婦は笑顔を交わして、キッチンを出ていった。




 シワひとつないクロスに静謐な空気が舞うサンルーム。ここが初代の頃からブラッドリー家の朝食の場所だ。パンは焼き立てだし、今日も料理人達が腕を振るった朝食は磨き上げられた白い皿に映えている。


「完璧だわ」


 そうアンナはこころの中でつぶやく。ライセル王国において朝食は食事の中でもかなり重視されるものだ。焼き立てのパンには北の牧草地帯で作られたバターにマーマレードをたっぷりと。料理人の腕が試されるオムレツは見るからにふんわりと優しい色に輝いて、その側にはトマトの赤が映える。マッシュルームのグリルにベーコンとソーセージ。ボリュームたっぷりな朝食の脇で今日は野花を描いた愛らしいポットが控えている。


 万事が整う中、主人夫妻が現れた。最近でこそ休日は多少寝坊することも出てきたが、トーマスの朝は基本的に早い。そしてすでにシワひとつないシャツにクラヴァットも締め、髪もなでつけて寸分の隙もない装いだ。


 結婚当初は夫に避けられ続け、食事も別だった奥様も今は特に朝食は一緒に摂るようになった。ただ勤勉すぎる程勤勉故に朝は早いトーマスに付き合うと当然奥様の起床時間も早くなる。朝食とはいえ、そこはオフィシャルな空間。男性よりも支度に時間がかかる奥様にとっては負担ではないかとトーマスも使用人たちも心配したが、


「確かに早起きは少〜しだけ大変ですが……、ランチの時はもちろん旦那様は職場ですし、ディナーも予定が会う時は少ないでしょう? だからせめて一日に一食ぐらいは一緒に食事がしたいんです」


 と、それは可愛らしく言われてしまえば何も言えない。それでもできるだけシンシアに負担をかけないようにか、前よりかは家を出る時間を遅くしている。ちなみにこれはトーマスに合わせて出勤しなければならないロベルには願ったりかなったりであり、シンシアは商会で彼にいたく感謝されることとなった。


 二人が席に着いたら、頃合いを見計らって入れていたお茶をそれぞれのカップに注ぎ朝食が始まる。

 これからの一日の始まりとなる朝食には濃い目に淹れたお茶に砂糖を一杯、そしてミルク。共にお茶と縁深い生活をしていた夫婦の朝のお茶へのこだわりは一致している。それをお互いに知ったのも一緒に朝食を食べ始めてからだ。


 どちらかと言えば無口なトーマスと、出勤前の夫にあまり話しかけるのも、と思っているシンシアは軽く今日の予定を話す程度で特に会話が弾むわけではない。


 それでもお互い別々に同じ食事をしていた頃とは全く違う。アンナは空になったシンシアのカップにお茶を注ぎつつ、今日も素敵な一日となる予感がしていた。

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