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結局シンシアはホールトン邸に2日間ほど滞在してからブラッドリー家へ戻ってきた。アデルはもっといても良いのに、と言ってくれたがあまり彼女に負担をかける訳にはいかないし、ずっと屋敷を空けたままにするわけにも行かない。きちんと話せないまま逃げてきてしまったトーマスにもきちんと謝りたいから、というとアデルは穏やかに微笑んで、
「トーマスとしっかり話し合いなさい。次はメースウェル伯爵の晩餐会ね」
と言って、送り出してくれた。そうして彼女は2日ぶりにいつの間にやら馴染んだブラッドリー邸のドアを開けた。
この時間に戻ることはホールトン邸から先に知らせてもらっていたので、待ってくれていたらしいブラウンが迎えてくれる。他の使用人達も彼女が帰ってきた様子を知りわらわらと玄関へやってきた。
「皆さん、只今戻りましたわ。心配と迷惑をかけてごめんなさい」
そう言って頭を下げるシンシアにみんなを代表してかブラウンが首を振る。
「心配はいたしましたが、迷惑など。さ、大店の奥様が使用人に頭を下げるものではありませんよ。先代のときにもよくありましたからね、気になさらず。とりあえずお部屋へ向かわれますか?」
そう言っていつもの笑みを浮かべてくれるブラウンや他の面々に心が暖かくなりつつ、シンシアはブラウンに声をかける。
「ありがとう、ブラウンさん。そうね、そうさせてもらうわ。あと旦那様ともお話したいのだけど……今日の戻りは遅いかしら」
そう言うシンシアにブラウンは少し気まずげな顔をする。そしてシンシアに答えた。
「それがですね。急遽ラッシェルトの支店に向かわなければならなくなりまして、朝の汽車で発ってしまわれました。メースウェル伯爵との晩餐会には間に合わせると仰ってましたが」
「そう……。分かったわ、旦那さまとは晩餐会が終わってから話すことにするわ」
そう言ったシンシアは自室へと戻ることにする。ラッシェルトは汽車で半日程のところにある街だ。本当は早く旦那様に謝って、話し合いたかったのだが、仕事が入ってしまった以上仕方ない。少し残念に思いつつシンシアは晩餐会に向けた準備を始めたのだった。
トーマスはメースウェル伯爵の晩餐会に間に合うよう帰ってきたが、シンシアと話し合う時間まではなかった。そのせいか馬車の中では気まずい空気が流れていたが、伯爵の屋敷に着くと、二人共ブラッドリー夫妻として振る舞うことができた。
メースウェル伯爵は東方の文化に昔から興味を持っていることで知られており、あちらの国との貿易が多いブラッドリー商会も贔屓にしてくれ、同時に上流階級とのつながりを作ってくれる貴重な人物だった。侯爵までは行かずとも雲の上の存在なことには変わらないからシンシアも緊張したが、最近は上流の方々と話す機会も増え、ある程度落ち着いて過ごすことができた。
むしろ問題は、先程から時折好意的とは言えない目線を感じる女性。アーシェル子爵夫人もまたこの晩餐会に出席していることだった。アーシェル子爵家もまた東方貿易を中心に行っている商家だからメースウェル伯爵とつながりがあってもおかしくはない。「まあ、流石に夫人も伯爵夫妻の元でおかしなことはできないだろう」とはトーマスの言葉だが、シンシアもまさか伯爵邸でなにかするとは思っていなかったのだが、その考えが甘かったことがわかるのは晩餐の後のことである。
今日の晩餐会の出席者は十数組程、規模としては中くらいだろうか。毎年この時期に催されているそうで、ブラッドリー家も先々代の頃から誘われているのだという。ライセルの中流以上の晩餐では、食事が終わった後は男女に分かれることが一般的だ。共に食堂から移動し、男性陣はカードを嗜みつつ食後酒を、女性陣はお茶をいただく。
ほとんどが目上の人ばかりの中、一人で社交に望まなければならないこの時間はシンシアにとっては少し荷が重い時間であったが、とは言え今日は友人のアデルも出席しているし、この数ヶ月で仲良くなった女性もいる。そのため比較的落ち着いて過ごすことができた。
あれこれと話題は移り変わり、ふとそれぞれが持つカップに入ったお茶の話になる。今日のお茶を提供したのはブラッドリー商会だから当然、会話の中心はシンシアになった。
「このお茶はボーレ山脈のものよね? 私もよく頂くけど今日のはまた格別に美味しいわ」
「お褒めいただき光栄ですわ。今日はボーレ山脈でもブラッドリー商会が特に信頼している茶園のものを用意させていただきましたの」
メースウェル伯爵夫人の賛美にシンシアは答える。伯爵夫人に続くように女性たちが次々と今日のお茶の色の美しさ、香りの芳しさ、味の芳醇さを口々に褒め称える。唯一面白くなさそうなのは、シンシアとは少し離れた位置に座るアーシェル夫人だけだった。そして事件は起こる。
「でも、ブラッドリー夫人でしたらボーレ産でももっと美味しいお茶もよく楽しんでいらっしゃるのでは? それこそ初摘みですとか」
話題はそれぞれがどんな希少なお茶を飲んだことがあるか? といったことに移る。すべて輸入品で賄われるお茶は高価なものは本当に希少であり、そういった品を楽しめることもまた、上流のステータスと言える。
「まあ……そうですわね。でも本当に稀にですわよ。いくら家がお茶を扱っていてもあんな高級品、庶民ではなかなかいただけませんわ」
「ふふふ、ご冗談を。でもあのお茶は本当に貴重なんですってね。私もほとんど飲んだことがありませんわ」
「わたしは一度も飲んだことがありませんわ? シンシアさんもやっぱり特別な時に楽しまれるのですか?」
ボーレ産のお茶の中でも飛び抜けて高価だとされる初摘みの話になりシンシアはまだ記憶に新しい、そのお茶の思い出を思い起こす。そしてあの時の暖かな気持ちを思い出した。
「ええ、実を言うと私も一度しか飲んだことがないのですが……、夫と外国のお客様をもてなした時、頑張ったご褒美だ、と夫が用意してくれたのです。素敵なプレゼントでしたわ」
その瞬間、夢見る少女のようにうっとりとした表情に変わるシンシアに新婚らしい初々しさを感じ、シンシアよりも年齢が上の女性がほとんどの出席者達が微笑ましげな顔になる。
ところが一人、そんなシンシアの言葉を聞いて、ソファを跳ね飛ばすように立ち上がった女性がいた。そう、アーシェル夫人だ。
突然の無作法にどよめく周りを気にもせずにスッとシンシアの前まで来ると
「皆さん、彼女に騙されてはいけませんわ。シンシアさんはブラッドリーのお茶どころか財産を食いつぶそうとしているのです。没落寸前のレイクトンの娘が当代一の商家の妻に収まってさぞ嬉しいでしょうね。でも安心なさい、トーマスに捨てられるのも時間の問題よ」
「やめなさい、エリーさん。品位のない行為は慎みなさい」
彼女の言葉を聞き咎めたメースウェル夫人が厳しい口調で彼女を諭す。しかし頭に血が登っているらしいアーシェル夫人の言葉は止まらなかった。
「ねぇ、本当は来れないはずの上流の社交場でチヤホヤされてどういう気持ち? さぞ気持ちの良いことでしょうね。でも残念ながら田舎臭さは隠せてないわよ」
「あなたっ」
夫人の言いように立ち上がりかけたアデルを伯爵夫人が制す。一方何も言わないシンシアにアーシェル夫人は更に畳み掛ける。
「私、よくわからないわ、どうしてトーマスがあなたのようななんの取り柄もない娘を選んだのか。まさかトーマスが脅されたり、騙されたりするとは思えないものね。ふーん、まあ見た目は悪くないし? その体で取り入ったのかしら」
「旦那様は……そんな方ではありませんわ」
「黙りなさい」
シンシアの言葉に激高したアーシェル夫人は手に持ったままだったカップをシンシアに投げつける。ものを投げた経験などないのだろう。あらぬ方向へ飛んだカップは、シンシアのドレスの広がった裾に当たるだけで済んだが、彼女の新しいドレスにはお茶のしみが広がる。その様子を険しい顔で見た男が部屋に入ってくる。
「黙るべきはあなただと思いますが。アーシェル子爵夫人?」
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