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「お待たせしました。熱いのでお気をつけになって」
そう言いながらシンシアはトーマスが書類を避けたことで出来たスペースに紅茶を置く。
「ありがとう、シンシアさんもどこか適当なところに座ると良い」
「ありがとうございます。そうさせていただきますわ」
そう言ってあたりを見回したシンシアはトーマスが座る椅子のそばに置かれたソファに腰をおろした。
その様子を見てからトーマスはお茶に口をつける。
「うん、美味しい」
「喜んでいただけて嬉しいですわ。旦那様」
思わず漏れ出た声をシンシアはしっかりと拾ってニコニコとしている。なんというか不思議な女だな。トーマスはそう思わざるを得なかった。
階級としては庶民に分類されるとはいえ、各王族の御用達をもらい、国内でも有数の商家と知られるブラッドリー家。その財力は相当なものだし、騎士の称号を得て一代貴族の栄誉を受けるのも時間の問題との噂だ。そんな家の長たるトーマスの妻になりたい、という女は商家にも貴族にも多い。
そんな彼のもとに集まる女はだいたい、自分に自信があり、そして自分の美しさをよくわかっている。彼自身はそんな彼女達を否定するつもりはない。美しさは男女問わず武器になるし、かくいうトーマス自身も割と整っている方だと思う自身の容貌を利用することもある。
ただ自分の好みとなると話は別だ。周りの勧めもありそんな女性たちの数人と付き合ってみたが、いずれも愛されることを当然と思っており、トーマスの無愛想さに怒った。彼とて、商売の場で仏頂面をしているわけではないし、部下や使用人を労う際には笑顔を心がけている。ただプライベートな付き合いとなるとまた別だった。彼女たちとの付き合いはトーマスにとっては疲れるだけで、彼女たちにとっては不機嫌の種でしかなかった。
そんな彼だから、田舎の名家のお嬢様だ、というシンシアを妻にするとなった時、彼女も確実にそんな女性だと思った。何なら狭い社会でチヤホヤされた分だけよりタチが悪いかも知れない。そう内心うんざりしていたのだ。ところがどうだろう。その妻は新婚早々の「先に寝ておけ」宣言に怒ることもなく、かといって泣き寝入りするでもなくティーセットを携えて書斎に突撃する、という斜め上の行動に出た。
かと思えば、特に話しかけもしない自分になにか言うでもなく、ニコニコと、しかし洗練された仕草でお茶を楽しんでいる。普通女というのは男に気の利いた会話の一つも出来ることを求めないのか?そんな疑問が湧きつつ彼の口から出たのは到底気が効いてない話題だった。
「シンシアさんは怒らないのですか?」
「怒る? 何にですか?」
その表情は本当に想定外のことを聞かれた、という顔をしていてトーマスは苦笑する。
「普通、新婚初夜の頃から夫に放っておかれたら怒るものではないですか?」
「そう……なのでしょうか?実家ではあまり友人はいなかったのでそういったことには疎くて。でもトーマス様は我が家に援助をしてくださった方ですし、それに商いの手伝いもしてくださるとか。でしたらこのくらいで私が怒るのはお門違いではありませんか? むしろ勝手なことをするなと怒られるかな? と思っていたのですが」
そう言って彼女は自身の持つカップに目を落とす。
彼女の言う通り、今回の結婚で基本的に得をしたのはレイクトン家だろう。レイクトン家は丘陵地帯で知られるリーンという地方都市の名家であり、陶磁器メーカーとして知られていた。ただ船の性能が上がった今、レイクトンは物珍しく安価な外来の陶磁器に押されその売上を大きく落としていた。
そこで白羽の矢が立ったのが、陶磁器とは切っても切れない縁があるブラッドリー家との婚姻だ。ブラッドリー家としてもなんだかんだ3代続いているとはいえ、それとは比べ物にならない歴史を持ち、陶磁器で名を馳せるずっと前から名家と知られていたレイクトン家との繋がりを持てば箔がつくし、将来の展望を考えると陶磁器メーカーとのつながりは有って損はない。その上今回この結婚を仲介してくれた人はトーマスにとって恩人で断ることも難しかった。
そんなわけで確かに世間から見ればレイクトン家が得をした結婚だが、こちらに利がないわけではない。もっともそこを説明するつもりもないトーマスはお茶をまた一口飲む。
「まあ、そうかもしれないが……。別に私はシンシアさんのことを疎んでいるわけではない。もうあなたはこの家の奥方なのだから家の中のことは好きにすれば良い。不足があればブラウンに言えば手配するだろうし、彼に難しいことならば私に言えば良い」
「まぁ、ありがとうございます。お優しいですのね?」
優しい? 誰の話だ。そう思いつつも流石に声には出さなかったトーマスをどう思ったのか。いつの間にかお茶を飲み終えたらしいシンシアは椅子を立ってカップをカートに戻す。
「あまりここにいてもお仕事の邪魔ですわよね。よかったら明日もこうしてお茶を淹れに来てもよろしいですか?」
「ん、あぁ、好きにすれば良い」
そんな無愛想な返事もニコニコと受け取った彼女は楽しそうにカートを押して部屋を出ていく。
手の中では彼女を思わせる穏やかな香りがカップから漂っていた。
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