第12話 ?……それは、生きてく上で必要なことなのか?

「も、申し遅れました。私、こういう者です」


この日とっ捕まえてきた、名前も知らない行きずりの男に、足の踏み場もないほどの惨状の部屋を見られ…

しかもその部屋を、まるで新築の状態かと思うほどに綺麗に掃除され、あげく脱ぎ捨ててあった下着まで丁寧に洗濯され、ひたすら羞恥に浸っていた女性。


だが、このままではいい加減話が進まず、そのせいで龍馬が今すぐにでもこの場を辞してしまいそうな雰囲気をあからさまにしてしまっているので、とにかく本題に入ろうと、ようやくと言った感じで彼女は自身を紹介するべく、名刺を龍馬に手渡す。


「……名取なとり 凛花りんか……フリーの、フォトグラファー……」


目の前の女性改め凛花から渡された名刺をじっと見つめ…

ようやく目の前の女性の名前と職業が分かった龍馬。

職業のフォトグラファーという文字を見て、『そういえばやたら写真が散らばってるところがあったな』などとのんきに思い返している。


だが、なぜそのフリーのフォトグラファーが、いきなり自分に声をかけてきたのかはまだ分からない。

が、ようやくとは言え、相手が自分の自己紹介をしてくれたこともあり…

龍馬は、自分も自己紹介するかと、自身が艶が出るほどに磨いたばかりの、背の低いテーブルの向かいに座っている、この部屋の主に向き直る。


「……神崎 龍馬だ…悪いが名刺は持っていない…」

「!龍馬くんね!覚えたわ!」

「……(いきなり名前呼びか…馴れ馴れしいにもほどがあるんだが…)」

「それにしても、龍馬くんってまだ十台よね?」

「?……なんで、そう思う?」

「え?だって肌とかめっちゃ綺麗だし、首元見ててもすっごく若いから、まだそのくらいかと思ったの」

「……意外と、見てるんだな」

「で?どうなの?」

「……確かに。俺は今十七歳だ」

「うわ!ほんとにまだ高校生じゃない!え、学校は?もしかしてサボり?」


人との付き合いを嫌い、必要最低限の言葉しか交わそうとしない龍馬とは対照的に、ぐいぐいと目の前の相手の心に入り込もうとする凛花。

いきなり下の名前で呼ばれたことに思うところはあったものの、とりあえずは何も言わないでいる龍馬。


だが、自分の年齢をほぼ正解まで言い当てられたことには、凛花の観察眼は確かなものだと、思わず感心してしまう。

そして、取り繕う必要もないと判断し、実際の年齢を答え合わせとして龍馬は口にする。


龍馬が十七歳だと聞いた凛花は、現役の高校生だと言うことに驚き、そんな彼がなぜ平日の日中に堂々と町中をうろついていたのか、興味を持ってしまう。


「……そんなこと、いちいち言わねえとだめなのか?」

「だって気になるじゃない!私もしかしたらちょっと授業を抜け出してきただけの男の子を、自分の部屋まで無理やり連れてきたってことになっちゃうし!」

「……しかも、俺から言い出したとはいえ、あの汚部屋を掃除させたり、脱ぎ散らかした下着まで洗濯させたり…」

「!そ、それは言わないで!私めっちゃ落ち込んじゃうから!」

「……だったら、ちょっとは自分で掃除や洗濯くらいはするんだな」

「うう…はい…で、龍馬くんは学校サボってきたいけない子なの?」

「……はあ……分かった、言うよ」


とにかくぐいぐいとくる凛花に、龍馬は自分のペースが狂わされっぱなしだと実感させられてしまう。

その腹いせに、名前も知らない男に自分の汚部屋を掃除させたり、脱ぎ散らかした下着を洗濯させたりしたことを凛花にチクリ。

さすがに結構なカウンターになったのか、そこで凛花の勢いは萎んでしまう。


だが、それでもぐいぐいと気になることを追求してくる姿勢の凛花に、龍馬は折れてしまう。


「……俺は学校には行ってねえ」

「え?不登校ってこと?」

「……違う。そもそも入学なんてしてねえし、自分で働いて生計立ててる」

「!え!?まだ十七歳よね!?」

「……だから何だ?今の世の中、その気になれば俺ぐらいの年齢でも金を稼ぐことくらい、できるぞ?」

「そ、それはそうかもしれないけど…ご両親はなんて言ってるの?」

「……なんだ、それ?」

「え?」

「……俺は、物心ついた時から家族なんていねえ…ずっと、たった一人で生きてきた」

「!う、うそ…どうやって…」

「……俺は、俺ができることを増やして、それを金に換えてきただけだ…生きるか死ぬかの世界で、ひたすら生き延びてきた…ただ、それだけのことだ」


その龍馬の一言に、凛花は絶句してしまう。


ただただ、無機質な機械のように、淡々と事実を述べているだけの龍馬を見て、それが嘘でも、誇張した内容でないことも痛感させられてしまう。

まだ十七歳の、子供と言っても差し支えない年齢の龍馬から感じられる、数多の修羅場を潜り抜けてきた、壮絶な人生の年輪。

しかもそれを、恨みがましくもなく、かといって聞いてほしくて、と言った雰囲気もなく…

ただただ、聞かれたから答えただけ、と言う、あまりにも無機質な回答。


普通の人間なら、関わるべきではないと、ここで龍馬との関係を断ち切ってしまうことだろう。

そうなってしまう方が、圧倒的に多いはず。


だが、凛花はそうならなかった。

むしろ、さらに目の前の少年、神崎 龍馬に興味が沸いてきた。


「ね、ねえ、龍馬くん」

「……なんだ?」

「自分でお金稼いでるって言ってたけど、どんなお仕事してるの?」

「……俺はパソコンを使った創作や開発に縁があって、それを伸ばし続けてきた。そうしてネット上に出せるものを作り続けてきた結果、それが売れて金になっている。それだけだ」

「!え…じゃあ結構稼いでるんじゃないの?」

「……まあ、並の企業よりは稼いでるんじゃねえかな。比べたことねえから分からんが」

「!そんなに売れるもの作り続けてるんだったら、関連の雑誌とかのインタビューとか、されなかったの?」

「……作ったもののトラブル対応用の連絡先を用意してるだけで、それ以外はSNSも使ってねえしな…自分の活動を広めるようなことはしてねえし、どれか一つがバズったとかじゃなく、出した物が平均的に売れてる感じだから、メディアに目を付けられるなんてことも、ねえんじゃねえかな」


龍馬自身、無意識のうちに目の前の女性に対する警戒心が薄れているのか…

普段なら、聞かれても答えたりしないようなことまで、答えてしまっている。

最初は力づくで引き剥がしたりしたし、部屋に連れ込まれた時はさんざんディスったりもしたのだが…

それでも懸命に食い下がってきて、なおかつ自身に悪意を持たない、名取 凛花と言う女性に、少しは絆されているのかも知れない。


よく見てみないと分からないレベルではあるものの…

心なしか、龍馬の表情が普段よりも、わずかだが柔らかになっている。


「それって、龍馬くんが世に出したものって、本当の開発者が誰なのかがちゃんと世に認識されてないってこと?」

「……まあ、そうなるな」

「なんで?それってもったいないよ!」

「?……何がだ?」

「だってだって!龍馬くんがそんなにも凄いことできる子だってみんな知らないってことでしょ!?せっかく世の中に役立つものをいっぱい生み出して提供してるのに、その功績が龍馬くんのものにならないって、もったいないよ!」

「?……必要ならそれをダウンロードでも何でもして使って、それに対して金払うならそれでいいんじゃないのか?なんでわざわざ俺がそれを作った、なんてことをいちいち公にする必要だあるんだ?」

「え……それ本気で言ってる?」

「?……ああ…本気だが…」

「え?え?なんでなんで?地位とか名誉とか、欲しくないの?それだけのルックスまで持ってるし家事全般お手の物なんだったら、女の子なんかより取り見取りになるし!IT技術系の企業なんか絶対スカウトしにくるし!そしたらもっと生活安定するよ?」


凛花は割と自己顕示欲が強い傾向にあるのか、作品さえ売れれば何も問題はないという龍馬のスタンスが信じられない様子。

その功績を世に公表して、地位も名誉も得られる、と言う凛花の言葉が、逆に龍馬にはよく分からず、きょとんとした表情まで浮かべてしまっている。


「……地位とか、名誉とか、俺には必要なもんだとは思えねえな」

「?え?」

「……それがあったからって、俺に必要なもんが来るとは、到底思えねえ」

「?な、なんで?さっきも言ったけど、女の子とか、企業のスカウトとか…」




「……俺がそんなもん、必要だと、一言でも言ったか?」




「!!え……」


少しその能面のような無表情がほぐれてきた感のある龍馬の雰囲気が、またしても怜悧冷徹なものへと変わったことに、凛花は一気に緊張感が最大になってしまう。


「……俺は、んだよ。別に誰かにチヤホヤされたいなんて、これっぽっちも思ってねえ」

「な、なんで?」

「……煩わしいんだよ。わざわざ合わせる必要もねえ他人のペースに合わせるなんてのが、な」

「え?で、でも社会に出る以上、それは…」

「……、一人でやりてえことやってんだが?」

「さ、寂しくないの?そんな生き方…」

「……寂しいって、なんだ?それは、なのか?」

「!!そ、それ…本気で言ってる…の?」

「?……ああ、本気だが?」


必然的に孤独を強いられていると、凛花はそう思っていた。

だからこそ、これまでの功績を公にして世間を味方につけるべきだと、凛花は思った。


だが、ことを、他ならぬ龍馬の言葉で思い知らされる。


良くも悪くも純粋で真っすぐな龍馬の言葉だからこそ、言っていることの一つ一つに全く嘘偽りないと言うことが、嫌と言うほどに分かってしまう。


寂しい、という言葉に疑問符を浮かべ、知らないと言ったことも、龍馬がそれを嘘偽りなく、本気で言っていることが伝わってきた。


だからこそ、凛花にとって龍馬は、この世のものではない、別の世界の何かのように思えてしまう。


「で、でも…女の子にいやらしいことしたい、とか…思ったりするんでしょ?」


女性である自分が、こんなことを言い出すのはどうかと、さすがに思った凛花だが…

いくら何でも、生物としての本能に起因する、絶対的な欲求は満たす必要があるだろうと思い、恐る恐る問いかけてみた。




「?……それは、なのか?」




だが、少しきょとんとしたような、しかし無機質な表情で龍馬が声に出したその台詞を聞いて、そんな人として当然の欲求すら持ち合わせていないことを、凛花は突きつけられることとなった。


凛花はますます、自身の目の前にいる、神崎 龍馬と言う存在が…


人間の枠組みから外れた何かのように思えて、仕方がなくなってしまっている。


「え?ちょ、待って…」

「?……さっきから何を言ってるんだ?…訳が分からねえ」

「わ、私にべったり抱き着かれたりした時とか、欲情とかしたりしなかったの?」

「?……なんでだ?そもそも――――」




「――――欲情って、もんなのか?」




ことごとく、噛み合わない。

そのあまりの噛み合わなさに、絶望感すら凛花の心に出てきてしまっている。


どうしたら、こんな人間になれるのか。

どんな生き方をしたら、ここまでこの世のことわりから外れた存在になってしまうのか。


現在十七歳の、思春期真っただ中の健全な男子の思考ではない。

トップクラスのモデルや芸能人ほどではないものの、凛花の容姿もかなり整っていて、それなりに男ウケするスタイルもしている。


そんな凛花が、先程まで執拗な程にべったりと抱き着いていたのにも関わらず…

龍馬には、と言う意識そのものが、完全に欠落していた。


まともに息をしていない、生けるゾンビと言った方がまだしっくりときてしまう。


それほどに、凛花にとって龍馬との認識の乖離が大きく…

そして、恐ろしいものだった。


「ど、どうして?」

「?……何がだ?」

「龍馬くんって、今まで…どんな人生を、歩んできたの?」

「……どんな人生、って言われたら…そうだな…」




「……生きるか、死ぬか…食うか、食われるか…たったそれだけの、人生だったような気も、するな…」




その一言に、凛花はむき出しの背筋に氷を這わされたような寒気を感じてしまう。


目の前の、若干十七歳の男子は、文字通り死と隣り合わせの人生を、生き抜いてきた…

そんな、人としての当然の欲求すら失ってしまうほどの過酷な人生を歩んできたのだと、痛感させられてしまう。


同時に、言いようのない、深い悲しみが凛花の心に沁み込んでくる。

ちょっと手を伸ばせばすぐ届く、そんな位置にいる年下の男子が、あまりにも遠い存在のように思えて…

そんな存在が、人として悲しくて、苦しくて、どうにもできなくてたまらない…

そんな感情すら、失ってしまった哀れな存在のように思えて。


気が付くと、凛花は自分の頬に何かがぽろぽろと、零れ落ちていることに気づく。


それが自身の、悲しい心から生み出される涙だと言うことに、少し遅れて気づくこととなる。


「?……どうした?」

「え?」

「……何がそんなに、悲しいんだ?なんで、泣いてるんだ?」


いきなりぽろぽろと、涙を零し始めた凛花に、龍馬は疑問符を浮かべてしまう。


ここまでの話で、何か泣くようなことはあっただろうか。

ここまでの話で、そこまで悲しいと思えるようなことはあっただろうか。


そんなことを龍馬が何の疑いもなく、純粋に思っていることを、凛花は感じ取ってしまう。

そんな龍馬がますます悲しい存在に思えて、凛花はとうとう、泣きながら龍馬に近づくと…

龍馬の肩口に顔を埋めるようにして、龍馬のことをぎゅうっと抱きしめてしまう。


「?……お、おい?……」


静かに涙を流し続けながら、何も言わずに龍馬を抱きしめている凛花に、龍馬は訳が分からなくなってしまう。

だが、凛花からは悪意も感じず、どうしたら泣き止むのかを考えても、さっぱり分からない龍馬は、とりあえずは凛花の思うようにさせようと、しばらくそのままでいることにするのであった。

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