第11話 ……なんだ、ここは…豚小屋か?

「…………」


心底面倒くさそうな仏頂面を隠そうともせず、その雰囲気だけで不機嫌だと分かる龍馬に対し、まるでこの世の幸せがいっぺんに来たかのようなふわふわとした、蕩けるような笑顔を浮かべながら、龍馬の左腕に抱き着いて離れない女性。


そんな状態で、二人が邂逅した場所から歩くこと数分。


龍馬の自宅からは徒歩十数分以内となる、龍馬の住むワンルームマンションといい勝負の、安い造りのマンションの一室。

さすがに龍馬の部屋と同じワンルームではなく、一応1DKの形にはなっているものの…

女性の一人暮らしには心もとない最低限の設備で、オートロックもなく…

かろうじてバスルームの追い炊きや浴室乾燥などの操作パネルがあり、龍馬の部屋と比べると白一面の部屋で日当たりもいい為、明るい印象になっている。


だが、よほど私生活がだらしないのか…

あちこちに脱いだものが散乱していて、コンビニで買ったのが分かる弁当の容器も、高さの低いダイニングテーブルの上に置かれたまま…

龍馬の部屋と比べると、シンクも広く、IHではあるもののコンロも二口あって使い勝手はよさそうなキッチンは使われた形跡が全くと言っていいほどない。


部屋の中のゴミ箱も、コンビニ弁当などの容器で埋め尽くされているところを見ても、お世辞にも家庭的な要素は見当たらなく、家事全般は壊滅的だろうと予想できてしまう。


「?どうしたの?さあ、入って?」


部屋に招かれ、玄関に足を踏み入れた龍馬が、そこから一歩も動かないことにあれ?と思った女性が、龍馬に部屋に入るように促す。


が、よく見ればこの女性の物であろう下着類まで散乱してしまっていることに、龍馬のこめかみにぴくぴくと青筋が浮かんできてしまう。

同じように一人暮らしをしている龍馬は、非常にきっちりと家事全般こなしており、こんな汚部屋と称するにふさわしい部屋に住みたくないし、足を踏み入れたくもない、と言う思いが非常に強い為…

仮にも異性である龍馬に、下着すら脱ぎ散らかしたままの部屋へ入れ、などと言うこの女性の神経が、龍馬には信じられなかった。


「……なんだ、ここは…豚小屋か?」

「!!ちょ、言うに事欠いてなんてこと言うのよ!!私の部屋なのに!!」

「……人間が住む部屋とは思えねえ…ふざけんな、ってレベルの汚さじゃねえか」

「!!ひ、ひどい!!わ、私だって片付けとかしようとは思ってるの!!」

「……仮にも女が、下着脱ぎ散らかした部屋に男上げるとか、それだけで俺はその神経疑うんだが?」

「!!だ、だってだって!!二人っきりで話したかったし、他の誰にも話聞かれたくなかったから!!他に場所がなかったのよ!!」


まるで汚物を見るかのような龍馬の視線、そして容赦ない指摘に、女性は懸命に言い訳をするのだが…

すればするほど龍馬の顔が険しくなってしまっていることに気づき、ますます慌てて言い訳のネタをひねり出そうとするも、全く出てこない。


そんな女性に、龍馬は苛立ちの表情を隠そうともせず――――




「……てめえ、これからここで話しよう、なんてぬかすなら、俺は即ここから出て家に帰るぞ」




と、容赦なく切り捨てる発言をしてしまう。


「!!そ、それはだめ!!お、お願い!!他にいい場所がないの!!行かないで、お願い!!」


当然、ようやっとと言った感じで無理やり、龍馬に来てもらったのだから…

女性は龍馬にべったりと抱き着いて、ひたすら懇願してしまう。


そんな女性に、龍馬は心底呆れたような深いため息を一つつくと――――




「……なら、条件がある」




と、見られただけで貫かれてしまいそうな、鋭利な真剣そのものな表情を浮かべつつ、目の前の女性に突きつける。


「!!な、何!?条件って!?お、お姉さんにできることなら何でも聞くから!!」


その凄みと真剣さに、一体何を要求されるのかと一瞬怯んでしまうものの…

それでも、よほど龍馬をここから逃がしたくないのか、できることなら何でも、という言葉をついつい出してしまう。


しかし、龍馬の次の発言に、思わず女性の表情がぽかんとしてしまう。




「……この部屋、俺に片付けさせろ」




龍馬が放ったその言葉。

それを言われた瞬間、女性は一体何を言われたのか、全く分からなかった。


「……え?」

「……え、じゃねえよ。どうせてめえ、ここまで放置してたってことは、自分で片付けとか全然、できねえんだろ?」

「!!う…は、はい…」

「……しかもキッチンは全く使った形跡がねえ…てことは、家事全般ダメダメってことだろ?」

「!!は、はい…その通りです…」

「……ったく、呆れたもんだな…別に男女差別するつもりはねえんだが、てめえ、一体何年女やってんだ?あ?」

「あ、うう……い、言わないで……」

「……とにかく、俺はこんな汚部屋で話なんかするつもりはねえ…だが、てめえは家事全般できねえ…つまり、てめえに片付け任せてもできる見込みはねえし、できたとしてもいつまでかかるか、分かんねえってことだな?」

「……はい…その通りです……」

「……なら、俺がやるしかねえじゃねえか…ったく、余計な手間かけさせやがって」

「で、でも…あなた家事できるの?」


部屋一つでボロボロに言われて、すっかり涙目の女性。

しかも、家事全般壊滅的なことまで見抜かれてしまい、よりそのメンタルに傷を負ってしまう。


龍馬が自ら、この汚部屋を片付け、掃除まですると言い切ったことに、女性は龍馬が家事できるのか、つい確認の言葉を出してしまう。


「……てめえと一緒にすんじゃねえ…同じ一人暮らしでも、俺は家事全部きっちりやってるよ」


そして、龍馬のこの返しに、女性はさらに涙目となってしまうので、あった。




――――




「……ふん、まあ、こんなところか」

「…う、うわあ~~~~」


龍馬がこめかみに青筋立てて、自ら部屋の掃除をする、と宣言し…

それから作業を始めて小一時間。


龍馬に豚小屋と称されるほどにひどかった部屋は、その汚さがまるで嘘のように本来の姿を取り戻していた。


しかも、どうして知っているのか分からないが女性の下着も含めて、脱ぎ散らかされていた衣類全般を丁寧に扱ってきっちりと洗濯し…

ゴミは全て分別してその地区指定のポリ袋にまとめ…

部屋の上の方からその長身を活かして埃などを落としていき、窓ふきまでして下にゴミを落としてからしっかりと掃除機で吸い取り…


龍馬が一通りの作業を終えた頃には、TVの企画でも使えそうなほどの劇的ビフォーアフターが完成していた。


さすがに洗濯機は持っていたので、それを使おうとしたのだが…

中のゴミがひどく詰まっていた為、洗濯機の掃除、そして洗濯槽のクリーンから始めることとなったのはご愛敬。

その洗濯機も、龍馬の手入れによって復活し、今はきっちりと中に入った洗濯物を洗濯している。


「え!?え!?ここほんとに私の部屋なの!?」

「……てめえの部屋じゃなかったら、誰の部屋なんだよ、全く」

「だ、だってだって!あ、あんなに物が散乱して!!ゴミも散らかってて!!」

「……わざと散らかしたとしても、こうはならねえな、ってくらいだったもんな」

「!!うう…で、でも、そんな部屋がこんな短時間で……」

「……一体どのくれえ、掃除も片付けもせずに放置してたんだ?」

「あ、うう…に、二週間…」

「!……二週間で、あそこまで散らかしてたってのか」

「き、聞かないでよ~…」


足の踏み場を探すのも苦労しそうなほどに散らかっていた部屋が、嘘のように綺麗になって床が見えるようになったことに、女性は驚きの顔を隠せない。

フローリングの床も、龍馬が綺麗に雑巾がけをして綺麗にしたから、艶が見えるほどになっている。


途中、自分が着用していた下着を龍馬に洗われることに羞恥心を感じてしまい…

しかも、当の龍馬が何も意識していないことが分かる、能面のような無表情で淡々と洗っていたこともあって、余計にその羞恥を煽られることとなってしまっていた。

もっとも、これほどの汚部屋を今日、初めて会ったばかりの異性に見られた時点で羞恥を感じるべきでは、あったのだが。


龍馬にさんざん、汚部屋のことでいじられ、すっかり恥ずかしくなってしまった女性。

なぜか龍馬にべったりと抱き着き、その胸に顔を埋めているのだが。


「……つーかてめえ、なんでまた俺にべったりとくっついてきてんだよ」

「え~?だってますます離したくなくなっちゃったんだもん」

「……なんでだ?」

「だってだって!!こんなにもイケメンでスタイルもよくて!!おまけに家事もできるなんて!!こんな優良物件、他にはないから!!」

「……だからなんだ?」

「ねえ?私をお嫁さんに、してくれない?」

「…………」

「な、なんでそんな嫌そうな顔するのよ!?」

「……冗談もほどほどにしやがれ、ったく…何が悲しくて家事の一つもできねえ女、嫁に迎えなきゃなんねえんだよ」

「!!そ、そこまで言わなくってもいいじゃない!!」

「……そこまで言われるようなことしたのは、どこの誰だ?あ?」

「!!さ、さあ~…な、何のことだか…」

「……今日初めて会っただけの男に、この汚部屋掃除させた挙句、てめえの履いた下着まで洗濯させといて、か?」

「い、言わないでえ……もうすっごく恥ずかしいからあ……」


夢見る少女のような、きらきらとした上目遣いで龍馬に迫ってくる女性だが…

当の龍馬は、『こいつ一体何言ってんだ?』と言わんばかりの、嫌悪感丸出しの表情を浮かべてしまう。


しかも、そこからは龍馬から、女として容赦ないダメ出しをされてしまい…

あまりにも恥ずかしくて…

あまりにも情けなくて…

それでも、再び龍馬の胸に顔を埋めて、龍馬のことを離さないようにべったりと抱き着いてくる。


「……てか、肝心の話ってのは、一体なんなんだ?」


なかなか本題に入れないことに対する苛立ちを隠そうともしない、不機嫌な表情を浮かべつつ、龍馬は女性に本題を促そうとしてくる。


他でもない自分が、話だけは聞くと言ってしまったのだから…

いい加減、その話を聞いてしまいたいと思っている。


最も、聞いたところで女性の意に沿うかと言えばそうではなく、聞くだけ聞いて断ってそのままさよならしたいと、龍馬は思っている。


「?え?」

「……え?じゃねえだろ、おい…てめえが俺に話があるとか、抜かしてたんじゃねえか」

「!あ、ああ!そうね!わ、忘れてたわ!あ、あはははは…」

「…………」


人に見せられないような状態の部屋に、行きずりの異性である龍馬を連れ込むような真似をしてまでしたい話があると言ってきたのは、他でもない彼女のはずなのに…

その彼女が、その話について完全に頭から抜け落ちていたことに、またしても龍馬のこめかみにぴきりと、その苛立ちを表す青筋が浮かんでしまう。


そして、自分の身体にべったりと抱き着いている女性をべりっと引き剥がすと、踵を返して玄関の方へと向かっていこうとする。


「!ま、待って待って!」


当然、龍馬のそんな行動を見過ごすはずなどない彼女は、自分に背を向けてここから立ち去ろうとする龍馬にべったりと抱き着いて、この場所につなぎとめようとする。


「……何しやがる」

「そ、それはこっちの台詞よ!な、なんで帰ろうとしてるのよ!?」

「……てめえが一向に本題に入る気配がねえから、だ」

「!そ、それはごめんなさい!あ、あまりにも恥ずかしくて情けなくてで、つい頭から抜け落ちちゃって…」

「……てめえ…俺がわざわざこの汚部屋綺麗にしてやったのは何のためだと思ってるんだ?あ?」

「!わ~!わ~!ごめんなさいごめんなさい!お願い!許して~!」

「……ふざけんじゃねえ…どれだけ俺の時間無駄にすれば気が済むんだてめえは…」

「!ち、違うの!そ、そんなつもりはないの!お、お願い!早まらないで!」

「……いちいちべたべたとくっついてくるんじゃねえ。うっとうしい」

「だ、だって!こんなイケメンにべったりできるチャンスなんてないもん!いいじゃない!私みたいな美人にべったりされて!嬉しくないの!?」

「……誰がてめえみてえな、ある意味女捨ててるようなのに抱き着かれて嬉しいなんて思うんだ?寝言は寝てから言うもんだぞ?」

「!ああ~!!ひどいひどいひどいひどすぎ~!!こんないたいけな乙女の心傷つけるなんて~!!」

「?……いたいけな、乙女?」

「な、なんなのよその疑わしきものを見るような目は~!!」

「……むしろ本当に女なのか?と思っちまったくらいなんだが…」

「!もう無理!私の心はすっごく傷ついちゃった!だからこうやって私のこと慰めて!」


執拗に龍馬をここに引き留めつつ、龍馬にべったりと抱き着いて離れない彼女にいい加減うんざりしてしまっている龍馬。


こんなことなら、最初から突き放して自宅に帰ればよかったと、心底後悔し始める龍馬なので、あった。

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