第10話 絶対に世界にとって大きな損失よ!損失!

「ね、ねえ!ちょっと!」


自分に絡んできたヤンキーギャル達を恐怖のどん底に陥れ、足りなかった物を補充する買い物を済ませ、まさにこれからの料理と食事、そしてその後の作業のことを思い浮かべながら自宅へと足を運んでいた龍馬。


そんな龍馬に、声をかける人物。


「…………」


しかし、例によって周囲に興味のない龍馬は、頭の中で思い描いているこの後のやることに思考をフル回転させている為、そんな声に全く反応などない。


「ちょ、ちょっと!待ってってば!」


自分の声が完全にスルーされていることに気づき、声の主は龍馬へと近寄って、自分より頭一つは身長の高い龍馬の肩に手をかけ、その場に引き留めようと掴んで離さないようにしてしまう。


「…………」


まさか自分にかけられた声だとは思っていなかった為、肩に手をかけられたことで龍馬はようやく声の主の方へと、ゆっくりと振り向く。

この後にやることで頭がいっぱいだったところに、まさに横やりを入れられる形になってしまった為、その不機嫌さを隠そうともしないのだが。


「…………」


声の主は、龍馬よりも幾分年上の女性だった。


身長は160cmあるかないかくらいだが、モデルと言っても通用しそうなスリムさと、ハイヒールを履いていることで、実際の身長よりも背が高い印象を受ける。

そのスリムさもあり、女性としての象徴は自己主張が控えめな感じだが、それでもある、とはっきりと分かる程度には、上半身の着衣であるビジネススーツを盛り上げている。

膝丈のタイトスカートから伸びる脚はほっそりとしていて形もよく、それを肌色のストッキングが包んでいる。


顔立ちはどちらかと言えば地味な感じだが、意思の強さを感じさせる吊り気味の目は、ぱっちりとした二重瞼にばさばさの長い睫毛という、天然の装飾が造形のよさを引き出している。

鼻もスッと筋が通っていて、程よい肉厚の唇には、うっすらとした桃色のルージュが塗られている。

それほどがっつりとしたメイクではなく、あくまで素材を引き立てる為の最低限のメイクと言ったところか。

髪は背中に届くかどうかというくらいの長さの、漆黒の黒髪で、それをシンプルに銀色のバレッタで留めている。


派手さはないが、異性とすれ違えばその目を惹くことは間違いないでであろう…

ひっそりとそこに佇んでいるような雰囲気の美人である。


そんな女性に、肩を掴まれて迫られている状況なのだが…

とっとと自宅に帰ってこれからやろうとしていることを、己の城である自宅に帰って思う存分やりたい龍馬にとっては邪魔以外の何者でもなく…


面倒事はそのままスルーしようと、肩を掴まれているにも関わらず歩き出そうと足を動かし始める。


「!ちょ、ちょっと待ってってば!うわ!力強すぎ!」


興味津々に声をかけているにも関わらず、まるで肩まで掴んでいる自分のことを認識していないかのように歩き始める龍馬に、驚きながらもどうにかその場に留めようとするのだが…

当然ながら、龍馬の人外レベルの剛力相手にそんなことができるはずもなく、逆にずるずると引きずられることと、なってしまっている。


それでも、よほど龍馬を逃したくないのか、とうとう龍馬の前に回り込んで龍馬に抱き着いてまで、龍馬を止めようとしてしまう。


「お、お願い!話だけでも聞いて!」

「…………」


自分の胸に顔を埋めるような形になりながら、抵抗になってすらいない抵抗を続ける目の前の女性。

このままでは、自宅にまで付きまとってくるような雰囲気まである。


ここ最近のような、自分の財布や命を狙う輩と言った感じはなく…

そもそも、分かりやすいほどに敵意もない。


心底、煩わしそうな深いため息を一つ吐くと、龍馬はようやく目の前の女性をまともに扱う気になったようで…




「……何か、用か?」




ここで初めて、その声を発した。


「!うわ!なんかぞくってしちゃいそうな低音ボイス!いいわ~!」

「…………」

「それに、見た目すっごく華奢な感じなのに、すっごくがっしりしてる!めっちゃ鍛えてるのね~!」

「…………」


問いかけの形にしたはずの自分の声に対して、何も回答がない女性。

それどころか、異性である龍馬の身体に、無遠慮にべたべたと触ってきて、勝手に品評会のようなノリにまでしてしまっている。


さらには…




「それに!それに!」

「…………!!」




龍馬がかけている、黒縁の分厚いレンズの眼鏡を取り去り、その暖簾のように顔を覆い隠す前髪を、左にある分け目に沿って横に流してしまう。

普段なら絶対に露わになることのない、龍馬の素顔が、その場に晒されてしまう。


「やっぱり!思ってた通りのすっごいイケメン君!」

「…………」

「こんなすっごいスタイルに、こんなイケメンフェイスの持ち主なんて!」

「…………い」

「こんなの隠してるなんて、絶対に世界にとって大きな損失よ!損失!」

「…………おい」

「ああ~もうどうしよう!こんなにも素敵な素材に巡り合えるなんて!早く話…むぎゅっ!!??」


眼鏡を取られ、前髪をいじられてその顔を晒され…

好き勝手したあげくに、自分にべったりと抱き着いたまま一人で盛り上がっているその女性に、龍馬は苛立ちを隠そうともせず…


その不機嫌さを露骨に表す自分の声にも、まるで反応しない女性に業を煮やしたのか…

ついに龍馬は、夢うつつになっている女性の顔を容赦なくその左手で鷲掴みにしてしまう。


「……何の用だと、聞いているんだが?」


まるで汚物を見るかのような、底冷えした視線を向けつつ、さらには聞いただけで寒気がしそうな声で、再度問いかけの言葉を放つ龍馬。


「ちょ!?ちょ、待っ…!!あ、あああああああ!!痛い痛い痛い痛い!!」


いきなり顔を鷲掴みにされて、驚きと戸惑いを隠せない女性。

しかも、顔を鷲掴みにしている手から、じょじょに圧力が込められていっている為…

その圧力がもたらす痛みに抵抗せんがごとく、両手で龍馬の左手を剥がそうとする。


だが、当然龍馬の剛力に逆らえるはずもなく、引き剥がすどころかさらに増していく圧力に、女性はさらに困惑の渦に落とされてしまう。


「……とっとと俺の問いに答えねえと、その顔がどうなるか分からねえぞ」

「い、痛い痛い痛あ~~~~~~い!!わ、分かりました!!分かりましたから!!だ、だからこの手を離して!!離して~~~~~!!!!!」

「……ふん」


ようやく自分の声に対して反応し、会話として成立するまでに至ったことで、龍馬はその憤りを収め、女性の顔を舌打ちをしつつもぱっと解放する。


「っ!!~~~~~~~ああ~もお!!痛かった!!すっごく痛かった!!」


龍馬の左手による、凄まじい圧力の拘束からようやく解放された女性。

あからさまな程に、自分の顔が鷲掴みされて痛めつけられたことによる文句を言うかのように、痛かったことをアピールすると…

そのまま、こてんと龍馬の胸に顔を埋め、その両腕を龍馬の身体に寄りかかるように回して、その痛みを慰めてもらおうと、すりすりと頬ずりを始めてしまう。


「……何してんだ?おい…」

「え~?だってすっごく痛かったから!だから、このスリムだけどたくましい身体に癒されちゃおうかなって!」


悪びれもなく、至極当然と言わんばかりに自身の身体にべったりと抱き着いて離れない女性に、龍馬のこめかみがぴきりと音を立てる。


先程、女性の顔にそうしたように、またしても龍馬の左手がこの女性を排除しようと動きを見せ始める。


「!!ちょ!!ちょっと!!その手で何しようとしてるのよ!!??」

「……何を、だと?俺は俺にたかりよる虫を、払おうとしてるだけだが?」

「!!む、虫って何よ虫って!?だ、だいたい、こんな美人が寄りかかるみたいに抱き着いてるのに!!男ならそんな女性に優しくするもんじゃないの!?」


再び自分の顔を鷲掴みにしようとしている龍馬の動きを過敏に察知し、その行為に対する抗議の声をきゃんきゃんと上げ始める女性。


そんな彼女に対し、龍馬はその怜悧冷徹な表情を揺らすことすらなく、たかる虫を払うだけだと言い切ってしまう。


そんな龍馬の言葉が、女性は癇に障ったのか、男なら女性を大事にするもんじゃないのかと、フェミニズムを強調するような言葉を言い放つ。

しかしそれでも、龍馬の胸の中が心地がいいのか…

一向に離れる素振りも、見せる様子はないのだが。




「……俺の行く手を阻む真似するような虫を、女性として扱え、だと?笑わせんじゃねえ」




しかし、これからの予定を盛大に邪魔されて、かなりお冠なのか…

龍馬は、目の前の女性を女性どころか人としてすら、扱う様子などなく…

睨まれただけで凍り付いてしまいそうな、絶対零度の視線を向けながら、女性の言葉に嘲笑を返してしまう。


「!!……」

「……俺はとっとと家に帰って、俺のやりてえことやりてえんだ」

「…………」

「……てめえが絡んでくるせいで、それができねえでイライラしてんだよ」

「…………」

「……何のつもりで、俺に絡んできたのかは知らねえが、邪魔すんじゃねえ」

「…………」

「……?おい、聞いてんのか?」


その視線に、女性ははっとしたように身を縮こまらせ、その視線から逃れるかのように、龍馬の胸に顔を埋めてしまう。

そんな女性に龍馬はさらにうんざりしたのか、容赦なくその苛立ちをぶつけるように言葉を放ち続ける。


だが、一向に反応がなく、心なしか女性がその顔を埋めている自分の胸に、妙な生暖かさを感じてしまい、聞いているのかと問いかける。


「……すっごい」

「?……はあ?」

「……もお!ぞくってして、腰抜けちゃうかと思った~!」

「??……はああ?」

「……こんなイケメンに、こんなぞくってしちゃう視線向けられて…私もうどうにかなっちゃいそう!」

「?……何言ってんだ?こいつは…」


てっきり怯えているのかと思い、問いかけてみたのだが…


予想もしなかった女性の反応に、今度は龍馬の方が困惑してしまう。

ますます、その身体を押し付けるかのようにべったりと抱き着いてくる女性に対し、龍馬はこの女性が何を考えているのか分からず、棒立ちになってしまっている。


しかも、女性の目には心なしかハートの形が浮かんでいるように見えるのは、自分の気のせいなのかと、龍馬は思ってしまう。


「すっごいわ!あなたって、めちゃくちゃ硬派なのね!」

「……何言ってんだ?」

「私みたいな美人なお姉さんにこ~んな風にべったりされちゃってるのに、鼻の下伸ばすどころか気にも留めてないなんて!今時信じられないわ!」

「……頭、大丈夫か?」

「やだ!どうしよう!なんか私の方が鼻の下伸ばしちゃってる感じ?これ?でもねでもね!この男のフェロモンむんむんの、セクシーな身体とイケメンすぎる顔とヴォイス!!それらがぜ~んぶいけないの!」

「……なあ、本当に何言ってんだ?」

「こんな素敵な男子が、日の目を見ないでいるなんて損失も損失!そんなの、お天道様が許しても、この私が絶対に許さないわ!」

「…………」


会話になっているようで、まるで会話になっていない龍馬と女性のやりとり。

この女性の勢いには、さすがの龍馬もその能面のような表情が少し崩れ、戸惑いの表情が浮かんでいる。


龍馬にしては珍しく、他人を気に掛けるような言葉を口にしているのだが…

そんな龍馬の言葉も、彼女には届いていない。


「……なあ、そろそろ会話してくれねえか?」


自分にべったりと抱き着いて、一方的によく分からないことをまくしたてているだけの彼女に、いい加減自分と向き合って会話してほしいと、自分でもらしくない、と思いながら龍馬は告げる。


本来の龍馬であれば、自分を利用しようとか、自分を敵視するとか、そういった悪意を感じたなら即、力づくで引き剥がしているのだが…

この女性に関して言えば、何を考えているのか分からないところはあるものの、そのような悪意は一切、感じられないからだ。


さすがの龍馬も、自分に悪意を抱かない人間には無闇に手を出すことは躊躇いを覚えてしまう。


「ね、ねえ!!ちょっとだけでいいの!!ちょっとだけでいいから、お姉さんにあなたの時間、くれない?」

「??……はあ?」

「あなたにお話したいことがあるの!!あなたにとって、決して悪い話じゃないから!!」

「……いや、俺はもう帰りてえんだが…」

「お願い!!もう、うんって言ってくれるまで離さない!!」

「……お、おい、こら…」


女性は、どうしても龍馬のことを離したくないのか…

少しでいいから、一度自分と話をしてくれないか、と懇願してくる。


当然、そんなことに興味もないばかりか、冗談じゃないと言わんばかりの龍馬は、さっさと自宅に帰りたいと告げるのだが…

その瞬間、女性はますます龍馬をその場に拘束せんがごとく、両腕に目いっぱいの力を込めて、龍馬にべったりと抱き着いて離れる素振りすらも見せなくなってしまう。


さっきはつい顔を鷲掴みにするなどの行為に出てしまったものの…

こうなると龍馬も荒事に出る気にもなれず、かといってこのまま延々と拘束されるのも困るわけで…




「……はあ…分かった」




非常に渋々ながらも、龍馬は女性の懇願を受け入れる発言をしてしまう。


「!!ほ、ほんと?」

「……とりあえず、話を聞いてやるだけだ…」

「!!あ、ありがとう!!」


基本的に能面な無表情である龍馬とは対照的に、喜怒哀楽がはっきりとしているこの女性。

その顔に、一目で分かるほどの喜びを表した笑顔を浮かべ、しかし一向に龍馬から離れる様子はない。


「さあ!!あなたの気が変わらないうちに、行きましょう!!」

「……なあ、いい加減離してくんねえか?」

「だめ!!離したらあなた、逃げちゃいそうだもん!!」

「……自分で首を縦に振ったんだ…今更そんなことしねえって…」

「いや!!どうせなら彼氏彼女な気分に浸らせてよ!!」

「……思いっきりてめえの私利私欲じゃねえかそれ…」

「だってだって!!あなたみたいな硬派なイケメンに、彼女って感じでべったりできることなんか、今後生きてたってあるか分かんないんだもん!!」


完全に女性のペースに巻き込まれ、うんざりした様子の龍馬。

しかし、自分の意思で了承した以上、話だけは聞く姿勢は貫こうとする。


だが、それでも自分から離れようとせず、今度は龍馬の左腕にべったりと抱き着いて、恋人気分に浸ろうとまでしてくる図々しさ。

そんな彼女を見て、龍馬は話を聞くだけでも首を縦に振った自分の行為を、早々に後悔し始めるので、あった。

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