自殺性癖のトゥイードル
ゆなづき
本文
高校の頃の友人である花凪帆可を殺した翌日に、私は新橋の酒場に来ていた。
「初めまして、あなたが?」
「そうです。IDの上三桁がApHの……本名は、」
物延葉弧──そう言いかけて、唇に人差し指をあてられた。
相手の、上三桁mWGの人は、前のめりになって私と目を合わせている。背の高い人だ。私と同じくらい。
「だめだめ。フルネームは、ここではナシ。名乗るとしてもあとでDMがいいです」
「……わかりました」
「インスタ、ありますか?」
「一応持ってます。見る専で、匿名無投稿のやつ」
「了解、じゃあ、とりあえずそれでいいです」
促されるままに、私たちはまずインスタのアカウントを照らし合わせる。名前欄に、本名の代わりに変な絵文字が一つあるアカウントが出てきた。
DMが来た。汀目紫音、それが目の前にいる彼女の名前らしい。こちらもチャット上で名乗っておく。
私は、「あなたも人を殺したんですよね?」と聞こうとして、やっぱりそれは流れ的にDMの方がいいかと思い、人から見られない位置取りでスマホを操作し始めた。
しかし慣れていなくてなかなか思い通りの速度が出ない。手間取っているうち、汀目紫音さんから、追加のDMが来る。
『どうせ誰も気にしてないから、そのまま喋っていいと思います。個人情報さえ言わなければオッケー』
そういうものらしい。私は普段、埼玉の人のいない地域に住んでいるから、新橋の勝手がわからない。集合前に軽く街を歩いてみたが、だいたい酒場と風俗しか見当たらなかった。
ここをセッティングした汀目さんはきっとよく来るのだろう。そして、周囲の人の適度な無関心具合を知っている。この酒場は全体的に少し寂れていて、きっと適した環境なのだと思う。
注文したカクテルが二人ともに到着するまで、会話を始めるのを待った。酒は最近呑み始めたばかりで種類や相場はよくわからないが、相手の頼んだウィスキーコークが度数強めのやつなのは雰囲気でわかる。
机上に来た、自分の分であるフルーツトニックを少し味わう。なんだか呑みやすい。風味はきつくないが、ペースに気をつけないとすぐに酔ってしまいそうだ。
「私のことはシオンって呼んでください」
「わかりました、シオンさん。こっちはヨウコで大丈夫です」
「ヨウコさんですね、了解です。ていうか、タメですよね? タメじゃなかったらちょっと困るんですけど」
「大丈夫です。私も二十一歳ですから」
「今、大学生?」
「専門卒のニートです」
「うし。じゃあ、タメで話します」
「わかりました、じゃあ私も」
「何人殺った?」
唐突な問いに、少し、肩が強ばる。しかしここで緊張する方が不審だろうと思って、私はさほど間を空けずに答えた。
「……一人」
「うおー、処女喪失だ。私は三人だよ」
処女というワードの意味がわからなくて戸惑ったが、「殺った」を「ヤッた」とかけているのだろう。なるほどこれなら周囲には女子同士の猥談としか思われない。
深夜帯で、周りには騒いでいるサラリーマンの六人組がいるくらいであり、要するにもう心配はしなくてよさそうだった。人の目を気にしてしまうタイプなので、こういう配慮した演技を誘導してくれるのはありがたい。
それとも、本気で殺人のことをセックスだと思っているのかもしれないが。
──昨日、花凪帆可を殺した。
久しぶりに会った高校の頃の同級生。途中までは何ともなかったのに、それなりに楽しく喋れていたのに、とあるタイミングで全部がお釈迦になった。
高校の頃に私たちは美術部員で、そこで一番仲がよかったのが帆可だった。私の方が絵が上手くて、帆可はいいやつで、だからあの子はしょっちゅう私の画力を称えてくれた。才能がある。絵心がある。きっとプロになれるレベルだという。それを真に受けた私は高校卒業後に美術の専門学校に入って、まぁ結局そんなもん無理だなとなって、見事に筆を折り一人暮らしの仕送りニートと化したのだが、
帆可はまだ絵を描いていた。
それを私に見せてきた。
だから──私は奴を殺したのだった。他意などない。
あのパース崩れのパルテノン神殿が気に入らなくて、我慢に我慢で我慢を重ね、帰りに、酔わせた状態で外に出し、後ろからナイフを刺した。かっとなってやった。それだけだ。何のウェットな感情も、倫理的な後悔もない。あるのは今後の人生設計がめちゃくちゃになったことに対する反省だけ。設計図なんて、書いたことはないのに。
しばらくショートしたみたいになった私は、家で、いつものようにネットの匿名掲示板を眺めた。関係ない話題に書き込んだりもした。平成文化は令和でも全然生きていて、いつ見ても更新はある。
色んなスレを見た。そして──どういう流れを辿ったのだったかは、もう正直自分でもあまり覚えていないのだけれど。私がディスプレイに現実逃避しているうち、とあるレスが出現したのだ。
『二十一歳、一六二センチの女性です。同じ立場で人を〇した人はいますか?』
そのレスがどんなふうに言われていたかは覚えていない。スパムとかドキュン目撃とかの感じでスルーされていたかもしれないし、突然浅瀬にあがってきたおもちゃとして嘲笑されていたかもしれない。
ただ、とにかく、私はそれに喰いついたのだ。提示された条件は、奇跡的なまでに私とそっくりだった。
IPアドレスとかそういう気にしなきゃいけないことは、本来たくさんあったんだろうけれど、人を殺したあとでまともな判断力があるわけもなかった。どういうスレを見ていたかもわからない。確か、どろどろに酒が入っていたのだった。
だから私は、起きた時、『明日の二時に新橋のSLの広場で』という返信だけを記憶していた。
目が覚めた時点で十四時をとっくに過ぎていたので、深夜二時である可能性に賭ける。何が私をそうさせたのかわからないが、どうせ暇だし、どうすればいいかも知らないから行ってみた。もうどうにでもなってよかったから、終電に乗って行きしばらく散歩する。
さすがに人っ気もクソもなく、指定の時間に広場へ行くと、そこには一人の女性がいた。
私と同じ身長で、冬らしいトレンチコートを着た、多分同い年の茶髪の女だ。
十二月の深夜だってのにこの酒場は暖房が利かない。恨めしい思いを募らせながら、私は白桃色の酒をあおった。
カクテルの少ない店だけど、私たちはどちらもそういうのを呑んでいる。他よりちょっと値段が高いから、お互いやけがきているのかもしれない。
「囚人のジレンマって知ってる?」
シオンは、二杯目の酒を呑みながら聞いてきた。なんと同じ酒だ。相当慣れた場なのかも。
「何でしたっけ、それ」
「簡単に言うと、お互いに協力すればいいところで自分だけ得しようとすると、どうせ二人とも不幸な結果になっちゃうってやつ」
「ああ」
私は自分が敬語に戻っていることに気づいていたが、とくべつ気を遣って直す気もない。敬語を使わなくてもいいのに丁寧語で喋る、くらいの温度感が一番好みだった。特に指摘されないし構わないだろう。
囚人のジレンマ──思い出した。確か、共同で犯罪を行った二人の囚人を扱うたとえ話だ。
お互いに自分たちの罪を自白しなければ、刑期は二年で済む。片方だけが罪を自白すれば、その場で釈放、自白しなかった方は懲役十年。
ただしそれに目が眩んで両方ともが自白した場合、あるいは相手に抜けがけされて自分が十年罰になることを危惧した場合、二人ともが懲役五年となる。協力すれば懲役二年で済むにもかかわらず、だ。
「そう、囚人のジレンマはそういうオチ」
「それがどうしたんですか?」
「うん。それが今回の話のポイントでね。ちょっと考えてみてほしいんだけどさ。この話──囚人たちが同一人物だったらどうなると思う?」
囚人たちが同一人物だったら。
ありえない想定だが、何か意図があるのだろう。わざわざネットに変な書き込みをして、そしていたずらでなく本当に現地へ来たくらいだ。私は大人しくイントロダクションに乗ることにした。
「……たとえば二重人格の人に同じ出題をしたとして、そうしたら、抜けがけするメリットがなくなりますよね。だって、捕まる体はどっちにしろ一人分なんだから。お互い黙秘して、懲役二年を実現させられるんじゃないですか」
「そう、ヨウコちゃん、鋭い!」
茶髪を揺らし、シオンが声を張る。アルコールがちょっとキてるみたいだ。私にも茶髪だった時期はあるけれど染め直すのが面倒で、結局は黒髪を伸ばすのに落ち着いてしまった。
シオンは、「ねぇ」と乗り出してきた。
「整形しよう」
「…………整形、ですか?」
「そう。私と同じ顔になるの」
唐突に言われて、目の前の酒あおりを訝しむ。
もしかして、それが《今回の話のポイント》というやつなのだろうか。
「正確にはね、お互いの顔を少しずつ近づけていくんだ。えーと……ちょっと待ってね」
シオンはおもむろに財布を取り出すと、千円札と一万円札をそれぞれ机に置いた。
「ここに野口と福沢がいます」
「一万円札のことを『福沢』と呼ぶ人は初めて見ました」
「この二人って、どうせ同じくらいの歳のおっさんでしょ? だから見た目もそんなに変わんない。で、お札の真ん中のところには偽造防止のための透かしが入ってるよね」
野口と諭吉はだいぶ似てないと思うし、肖像画が描かれた年齢も一回りは違いそうだが。とにかく、シオンはその二枚のお札を重ねて、天井の白い照明に掲げた。
偽造防止の透かしで、二人の中年男性が重なっている。
「比率で言えば五分五分だね。さて、ここにいる人は野口と福沢、どっち?」
「……どちらでもないんじゃないでしょうか」
「んー、半分正解で半分不正解。どちらでもないし、どちらでもあるんだよ。だって、この二枚を合計した価値が一一〇〇〇円なのは変わらないんだし」
今のはちょっとたとえとしてよくなかった気がするが、言いたいことは何となくわかってきた。
整形して同じ顔になるということと、囚人のジレンマの二人が同一人物だったらどうなるかという仮定。
要するに、あれか。
「年齢と身長と性別が同じ私たちで、入れ替わりを実行しようとしている──ってことですか?」
「そう、理解が早いね!」
「まるでミステリ作品に出てくる双子のように」
「そうそう、厳密には入れ替わるんじゃなくて、捕まる確率を二分の一にするってことなんだけどね」
シオンは割合はしゃぎながら、手を挙げて三杯目を頼んだ。早い。私はまだストローを噛んでへこませているばかりだ。
よくない癖である。
「……無理があるんじゃないですか」
「え、そうかな?」
「まぁ、捕まる確率が二分の一になるっていうのは、確かに魅力的な提案ではあります。どちらかが両方の罪を背負ってくれれば、もう片方は無罪放免になるわけですからね」
「うん。ちなみに私のは無差別のやつだから、双方で犯人像に矛盾が起きることも多分ないよ」
「理論上は可能かもしれません。ただ、やっぱり、私は不可能だと思います」
「なんで?」
「だって私たち──言うて似てないじゃないですか」
自分で言いながら、確かな納得をする。そう。シオンと私は似ていない。彼女は茶髪のツインテールだし、胸もあちらのが大きい。
顔のパーツも少しずつ違うし、私たちが五十パーセントずつ添っていくことは無理だろう。中間値をとれる値じゃない。ろくなスキンケアもしていない自堕落な私より、シオンの方が──可愛い。
「……なんだか期待はずれです。別の案を考えましょうよ。せっかく仲間に出会えたんですから、私だって心細いのが終わって嬉しいんですよ」
フルーツトニックのグラスからストローを取り去って、縁に口をつけてそのまま呑む。残っていた分を一気に。二、三口でその液体の移動が完了して、
グラスを下げると、目と鼻の先にシオンの顔があった。
「えっ……」
シオンは戸惑う私の頬に両手を当て、固定するように力を込めた。
背もたれに背中はついていないし、椅子に尻はついていないらしい。こっちに身を立たせ、私の目線を、自分の顔に突きつけさせている。
「──似てるよ」
シオンは、そう言った。
そう言ったまま。
左手を頬から避けて、私の右手を掴み、自分の胸に触れさせた。
ぺたり、と感触。
トレンチコートがたるんでいる胸元は、
見えたほどは大きくなかった。
「ね、イケるでしょ?」
急速に、胸がぽかぽかしてくる。酒を一気に呑んだのがよくなかったか、あるいはそのタイミングを狙われたのか、私が不覚にもちょっとえっちな気分にさせられたのかは、わからない。
と思っていたら、いつの間にか私の胸がシオンに触られていた。セクハラだし普通に取っ払おうと思ったが、酔いが回ったせいか、へなへなの動作しかできない。それでも手はちゃんと退けてくれて、シオンは再び席に座った。
「写真撮るね」
赤くなった顔にスマホカメラが向けられる。右手で隠そうとして間に合わなかったが、まぁべつにそうする必要もない。
机上のスマホが震える。
インスタのDMに、シオンの顔写真が送られてきていた。正面からの画角だ。断言できないが、一応自撮り棒で撮ったように見える。
「整形すればいい場所のリスト、送るから。お金は全部私が出す。ここのお代も、帰りのタクシー代もね」
そう言いながら、シオンは手を挙げてウィスキーコークとレモンサワーを一気に注文した。もしかして私に呑ます気か。
でも、他人の金で酔えるのは、べつに悪い気しない。
「それじゃあ、一ヶ月後にまたここで」
結局それからべろんべろんに酔った私をタクシー乗り場まで介抱したシオンは、最後に次の約束をして、手を振りながら別れの挨拶をした。
それに、朦朧とした意識で、手を振り返した。
シオンの計画は、私が想像していたよりずっと周到だった。
何とか家に帰った私が翌朝床で目覚めると、既に一ヶ月分、整形とスキンケアと体型維持のスケジュールが組まれていたのだ。それと、『PayPay教えて』というメッセージ。
『持ってないです』
『作って』
仕方ないのでそうすると、『ありがと』という返信とともに、十万円が送られてきた。
十万円だ。
しかも、それを、五回。
そのお金の使い道も書いてある。整形にウン万、交通費にウン万、美容用品にウン万、ちょっといい食事をするためにウン万。PayPayの送金限度額は三十日間に五十万らしい。ささやかな異常への恐怖と、この計画の本気度への驚きがあった。
気になって調べてみたら、殺人罪の慰謝料の相場は三〇〇〇万とか三五〇〇万とか、そういう、感じらしい。ちょっと真剣な命の危険を感じる。当然、仕送りで払える額ではない。
時は過ぎ。今日は、シオンにまた会う日だ。送金のやりとりをしたあと、私は何のDMも送らなかったし、あちらからも何も来なかった。だから色々なものが積もっている。
「さて」
私はすっかりシオンの顔写真に似てきた自分の顔を鏡で認め、それなりのおしゃれをして外に出た。
朝、一ヶ月ぶりに来ていた連絡によると、今日はちょっといい店になるらしい。だから正装をしただけだ。
私の殺人は、奇跡的にまだバレていなかった。これはどう考えても奇跡だ。帆可は、きっと誰にも行き先を告げなかったのだと思う。
パルテノン神殿みたいなできそこないが描かれた例のブツは、既に全部白塗りにした。絵の具のチューブを全部出してキャンパスを上塗り、それから、自分で絵を描いた。裏の青空を隠すために赤色をたくさん使った。鮪の寿司がたくさんある地獄をイメージした抽象画。あれは紛うことなき自分の絵で、不思議なことに、専門にいた頃と比べても一番筆が乗った。
西武新宿駅から少し歩き、その辺りの、確かに高級そうなバーに着いた。
考えてみれば、私はシオンのことを何も知らない。三人殺したプッツンということ以外何も。ただ、それ自体は本当に間違いないらしかった。あの日、死体の写真を三枚見せてもらった覚えがある。私はそのあと呑みすぎで吐いた。
「お待たせー!」
そういう声とともに、シオンが、来た。
一ヶ月ぶりに会うのに、まともに顔も見せないまますっと店の中に入ってしまう。どれだけ慣れてるんだよと思いつつ私も着いていく。なるべく人目を避けたいのだろうと思った。もう二十四時だが、新宿の真ん中には活気がある。
バーに入り案内されたのは、なんと個室だった。
「送ったお金、どのくらい残ってる?」
「いえ、必要な分以外、手つけてないです」
「おっけい。じゃ、そっから出そう。ここPayPay対応してるから」
「はあ……」
「慣れない? こういうとこは初めて?」
「まぁ、そうです」
残高は12万円分くらい残っている。まさかここで使い切ることもないだろうと思うのだけど、テーブルチャージがいくらなのかもわかっていない。下手したらオーバーする未来までありそうだ。
シオンは、写真と比べて明らかに顔が変わっていた。全く変わらないのは茶髪ツインテとトレンチコートだけ。
久しぶりの再会でも、これでは感慨も何もない。けれどこういうのが、私たちが、というか主にシオンがやろうとしていることだ。私と同じかそれ以上の根気とペースで整形と体型改造を行ったのだろう。
パッと見はあまり変わらなくても、前よりは、少し華がなくなっているような気がした。
「大丈夫だよ、すぐに慣れる」
シオンはなんとノンアルを頼んだ。フルーツトニックのアルコール抜きだ。
「呑まないんですか」
「車で来ちゃってね」
「じゃあ、私も」
「だめだめ。せっかく高い店来たんだから、呑まないと損だよ?」
そう言ってシオンはバイオレットフィズというカクテルを勝手に頼んだ。どんな味がするのかも知らない。先にフルーツトニックを頼まれてしまったから、便乗する気にもなれなかった。
机の上の端末で注文すれば勝手に酒が運ばれてくるらしい。バーってそういうもんなんだっけ、って少し思った。お金がないので、普段は外で呑むことがほぼない。
「一つ、いいですか」
「なあに? ヨウコちゃん」
「シオンさん、あなたの計画には一つ、決定的な欠陥があったと思います」
「ほう」
ノンアルの甘いだけドリンクと度数高そうな酒が運ばれてきた。それには口をつけず、細身の中年男性が出ていったタイミングで続きを話す。
「私が殺ったのは一人で、シオンさんが殺ったのは三人ですよね。だから、この計画って、私の方が不利なんですよ」
「……確かにそうだ」
最初から考えていなかったとも思えないけれど、シオンは得心そうに指をさしてきた。
この計画は、片方が捕まった時に、もう片方の罪をついでに背負うというものだ。殺人の際に目撃情報があっても、防犯カメラに映ってしまっていても、それと同じ体格、顔、性別の人物がいれば、二人の犯人は一人にまとめられる。
私が捕まれば、花凪帆可を初めとした四人は私が殺したことになるし、シオンが捕まれば、例の三人を初めとした四人は汀目紫音が殺したことになる。それが、シオンの提案のポイントだった。
でも、これは明らかに平等じゃない。だって、一人より、三人殺した方が罪が重いから。
「なので、対策してきたんです」
「対策?」
「はい、平等になるように気を遣いました」
と言っても過去は変わらない。シオンが殺した人数を減らすことはどうやったって不可能だし、私が花凪帆可を殺した過去も改変しようがない。では、どうするか?
簡単だ。私が殺した人数を変えればいい。
「二人、追加で殺りました」
「──ひゅう」
シオンは茶化すように笑った。私は仏頂面のままだ。
どうせなら、殺してみようと思った。
一人殺したら二人も三人も変わらなかった。自分の周りにいた中で、一際ムカつく奴を二人殺した。最初は最近国立大学を卒業したお姉ちゃんを殺そうかと思ったけど、地元が地方の田舎だし、近親者はさすがにバレるだろうと思ってやめた。
結果、専門の頃にどさくさに紛れて私でワンチャン狙ってきた男と、絵が上手なくせにさっさとエリート企業に就職した女を殺した。
特に感慨もない。貯金があったから使った、みたいな気持ちだった。シオンと完全に同じになるためにはこうするしかない。──ただ、この一ヶ月間で三人も殺したのが一切バレなかったのは、さすがに嬉しかった。犯罪者特有のスリルを感じている。
「それぞれ、金城光也、村上日南という名前です。捕まったら、この二人の話をしてください」
「最高。いいね、気に入ったよ」
シオンは上機嫌そうにグラスを傾けた。色だけ見れば様になっているが酔うことはないだろう。
「呑まないの?」
「……呑みますけど」
私はバイオレットフィズをぐいっといった。
グラスを置いて、シオンの顔を見る。やっぱり今日の私はなんだかどっかムカついてるんだけど、その理由が何なのかわからない。
「次は何するんですか」
私はシオンに尋ねた。
「どうもしないよ。これまで通り、整形して体型整えていくだけ。そうだね、この分なら、あと二ヶ月もあれば整うかな」
「──二ヶ月」
今日までの一ヶ月と合わせて三ヶ月、お互いが中間値に寄せようとしていると考えれば六ヶ月分。半年。
半年で顔を改造するというのはなんだか現実味がなかったけれど、確かにそれくらいで十分そうな気はした。初めて会った時に見込まれた通り、私たちは結構似ているのだと思う。
顔と、
体が。
「やっぱりなんか不平等です。そっちもアルコールいってくださいよ」
「ヨウコちゃん、そんなに呑んでほしいんだったら、端末で注文しちゃえばいいのに」
「人の金で勝手に注文するのは嫌です」
「そこは常識あるんだ」
そこは、というのが気になったが、三人殺したことを報告した直後なので何も言えなかった。それに頭がぼうっとしてきている。私はどうも、酔うのが速すぎるみたいだ。
「じゃあ、私が注文したげる」
シオンは端末を取って、またノンアルと強そうなカクテルを注文した。バイオレットフィズもまだ呑み終わってないのに。
「飲酒運転くらい、いいじゃないですか」
「だめだめ。検問捕まっちゃうし」
「人殺しのくせに」
「人殺しだから余計、ね」
結局それから二時間くらいそこにいて、店が閉まる時間だからと追い出された。うーとかあーとか言ってる私を、以前みたいに、シオンがタクシーまで案内してくれた。
「ん、また一ヶ月後ね」
ついにシオンに関することはほとんど聞けなかったか、聞いても酔ってて覚えてないか、そんなとこだった。二時間くらいかけて私はタクシーに返してもらった。えげつない料金がPayPay決済で無問題になる。
途中で、信号待ちの時間。振り向いてきたタクシーの運転手にこう聞かれた。
「あの人はお友達ですか?」
私は答えた。
「まぁそんなとこです」
シオンが茶髪ツインテを崩さないのは賢いことなのだということに、私は二月に入った辺りで気がついた。黒髪ロングの、高校生みたいなダッフルコートを着ている私と、傍から見て区別できるシンボルが必要なのだ。
もしこれで片方が片方に寄せてしまえば、私たちを見た人は、双子か何かだと勘違いしてしまう。そしてそれは本来この計画の肝であり、普段からそんなことがあってもメリットは何もない。
私が花凪帆可を殺したのが十二月十四日。シオンに初めて会ったのが十二月十五日。そして今日が二月十五日だった。
バレンタインデーの翌日、三回目に会う日だ。
「はい、これ」
午前一時。
目の前のシオンから、ラッピング済みの四角い箱が手渡される。
「……何ですか、これ」
「バレンタインチョコだよ」
「お店の中でそういうの、いいんですか」
「べつにいいでしょ、個室だし」
個室。私たちはこの間と同じバーにいた。営業時間は曜日によって違っていて、今日は日付を跨いだあともやっているそうだ。二人きりの室内は、気取ったBGMもなく、薄明るい照明がビターな雰囲気を醸成する居心地のいい空間だった。
「……ありがとうございます」
私は手渡されたそれを素直に──か、どうかはわからないけれど、とりあえず受け取って鞄の中に入れた。計画に関すること以外では連絡も取り合わない、自分に似た顔の共犯者の、一日遅れのバレンタインチョコ。
それを開けるのが、少しだけ楽しみではあった。
「今日は私も呑むから。いくら残ってる?」
「十七万あります」
「うお、もしかして手つけてないの?」
「つけてません。私のお金じゃありませんから」
PayPayの送金は続いていたが、元から、他人にもらったお金を使い込むのは抵抗があった。相手がシオンならなおさらである。気が引けるとかじゃなくて、彼女にもらったお金を使うということが、なぜだかすごい背徳的な行いであるような気がしてしまうのだ。整形に行く時もいつも感じること。
私は現金主義なので。付け加えてそんな皮肉めいたことを言うと、シオンは、
「真面目だねぇ」
と、楽しそうに微笑んだ。
「じゃ、頼んじゃうから。何か希望とかある?」
「いえ、特に。普段カクテルとか呑まないんで」
「おっけー」
いつものように、というか前回のように、彼女がタブレットを操作する。するとなんかよくわからん赤い酒が運ばれてくる。今日は画面を見せてもらわなかったから、これがどういう名前の酒なのかも知らない。
「ヨウコちゃんは、なんで三人を殺ったの?」
お互いカクテルを呑みながら会話が始まる。三度目にして、ようやく雑談らしい議題が出た。
そういえば捕まった時の友情契約を結ぶだけなら、特に酒を呑む必要はないのだけれど、私たちはなんで毎回酒場やらバーやらで集まっているのだろう。
まぁ、おいしいからいいや。
「べつに理由なんか。ただ、ムカつくから殺したんです」
「どんなところがムカついたの?」
「そんなのいいじゃないですか。嫉妬とか、軽蔑とか、失望とか、そういうしょうもない怒りのカテゴリが色々あって、何にしろそれがでっかくなったら、いつの間にか行動しちゃってるんですよ。一人目を殺ってからタガが外れちゃったんですかね」
「その感じだと、あれからまた追加で殺ったのかな」
「いえ、やってません。数合わせなきゃなんないんで」
私は赤い酒を喉に流し込んだ。すると味で、この前呑んだバイオレットフィズとやらが正体なのだとわかる。照明のせいで赤く見えたのだが、よく見ると紫色の液体だった。
「私は四人目を殺したよ」
「…………そうなんですか」
「うん」
シオンは普通そうに言ったが、笑みが消えているのはわかった。だから多分、少しくらいは私に悪いなとは思っているだろう。
シオンが四人目を殺した。
じゃあ、私もまた、四人目を殺さなきゃいけない。
もっともそれに改まって文句を言える立場でないことはわかっている。元々、私だって余分な人死にを出して周囲の警戒度を上げているのだ。
殺せる人数が一人増えた、くらいに思っておくことにしよう。そうだ。捕まる確率が二分の一なんだから、殺害人数も偶数にしておかないと気持ちが悪い。二人か四人か六人というのが一番いいだろう。
「シオンさんは、なんで人を殺すんですか?」
「うーん、衝動的なもの?」
「嘘ですよね。なんとなくわかりますよ」
シオンは衝動で人殺しなんてしない。彼女は生まれもっての殺人鬼気質ではないだろうと私は思っていた。なんでそんなことを思うのかは、自分でも、よくわからないけれど。
もう捕まっても捕まらなくても正直どっちでもよかった。
仮の話、シオンに裏切られて警察に突き出されてもいい。その場合私は汀目紫音のことを告発するだけだ。捕まるのは二人。この計画は、お互いにお互いを守る気持ちがなければ成立しない。
私の場合、人なんか殺さなくても元々人生終わりだ。共犯関係が満了したら、自首でもしてついでに彼女の罪を背負ってやろうか──くらいに考えていた。
「自分じゃないものがムカつくんだよね」
シオンは唐突にそう言った。それが先程の質問の答えであることに、数瞬置いて気がつく。
「自分じゃないものがムカつくって、それ、全部じゃないですか」
「うん。だから私は生きづらいんだ。このグラスやら何やらもムカつく。無機物も気に入らないし、有機物なら、人間ならもっと気が向かない。ある程度自分と似てるくせにどこか決定的に自分と似てないものが、嫌」
「……はあ」
「だからさ、殺した時の写真、全部女だったでしょ? パッと見は私っぽいのによく見たら違うから、つい殺っちゃうんだ。四人目も女だよ。街中とか歩いてて、たまにね、『あぁ、自分じゃないな』ってなって落ち着かないことがあるんだよ」
話を聞きながら、私は納得感と不信感を同時に感じていた。
ある程度自分と似てるくせにどこか決定的に自分と似てないものが嫌い。
じゃあ。
私がここにいることの、本当の意味は──。
「でもね」
こちらの思考をかき消すように、シオンが言葉を捩じ込んできた。
「逆に言えばだよ。私はね、私のことが大好きなんだ」
「自分のことが、大好き──?」
「そう」
シオンは酒を呑んだ。
つられて、私もグラスに手を触れる、
「自分のこと傷つけるのとかも、好きなの」
「いきなりとんでもないこと言い出しました?」
「べつに、連続殺人鬼だもん。これくらい普通だよ。そこらのメンヘラだってみんなやってる」
「まぁ、それはそうですけど……」
私は基本メンがヘラってる割に、自傷行為に手を出したことは一度もない。怖くて無理だった。
人を殺した今なら、あるいはできるものだろうか。
「よっと」
雰囲気のない声を出しながら、急に、シオンが席を立った。
トイレに行くのかと思いきや、進行方向が出口に向かない。何をするのかと訝しんでいたら、こちらの後ろに回られて、
背後から、シオンの手が私の胸を触ってきた。
「…………何するんですか」
「べつに、セクシュアル・ハラスメント」
「直球ですね。覚悟はいいですか? 私、酒の入った殺人犯なんですけど」
「物騒だなぁ。ちゃんと一ヶ月後に整形や体型改造が完了するか、診たげようとしてるんだよ」
一応そういう大義名分は用意してくれているらしかった。しかし、どう考えても最初の触診が胸なのは、人としておかしい。目的とずれている。
「でも、いきなり触られるのは不愉快です」
私はシオンの手を見ながらそう言った。とはいえそこまで嫌じゃない。そういうことになるなら、そういうことになればいいと、思っていた。あるいは最初から、最初に会ったあの時から、頭のどこかで想像していた事態だったかもしれない。
彼女の手に身を任せる。そういうつもりで、だから、口で嫌だと言っているのも演技だった。そういうプレイみたいなのの方が気持ちいいと思った。
けれど。
シオンが、急にせせら笑って、
「──何、楽しんじゃってんのさ」
と、言って。
「…………え」
私はその時、一瞬頭が真っ白になった。
「わかってる? 自分の立場。私たち、殺人犯なんだよ」
「……は、い」
シオンの手が動く。体の微妙に感じる部分を触られたりなんだりして、快感と不快感が、三対七くらいの割合で迫ってくる。時々右手が離れてグラスを勧めてくるので、酔いの周りに従って、次第に快感の方が大きくなった。
「いいよ、楽しんで」
「…………はい」
「ごめんね、いじわる言って」
私はその時間で、何度か、
自分が殺人犯に背後を取られているということを認識した。
もしかしたらこのまま殺られるんじゃないか、という疑念は何度か浮上した。けれども最終そんなことはなかった。
酒を何杯か、呑む。呑まされる。
結局体の色んなところを探られて、けれど何がしか決定的なものっていうのは一個もなく、やべぇ気持ちになりながら帰宅した。いつものようにタクシーに乗ったし、今日はシオンもそうやって帰ったらしい。一緒に呑んでくれたのは、少し嬉しかった。
そして、この時点の私は全然ぴんと来ていなかったが。
この一ヶ月後に、私たちの関係は終わることとなる。
一ヶ月後、三月十五日。
私が起きたのは十七時半だった。自分でもふざけてるとしか思えないが、私の生活リズムはこんなものだ。まず渇いた口をどうにかするため、うがいがしたくて洗面所に行く。
そこにいたのはもうなんというかほぼシオンだった。
今日がシオンの見立てだと整形完了の日だ。鏡に写る私は、最初に送られてきたシオンの顔写真とそっくり。私ばかりがこんなに似すぎていいのか、という不安はあるが、シオンの指示通りだから多分きっと間違いないだろう。そこは信頼している。他の部分は、やっぱりいかつい重犯罪者ってイメージしかないけれど。
ただ、それは私が言えたことではない。昨日、間に合わせるみたいに四人目を殺してきた。
一人目と二人目と三人目は変わらなかったし、
三人目と四人目も、まぁ、当然変わらない。
時間が過ぎたので私は外に出た。家を出たのは二十三時を過ぎた頃だ。ぎりぎりある電車に乗って、集合時刻の午前一時まで待つ。今回来たのは渋谷だ。ハチ公前に私はいる。
電車なんてそんなにない時間なのに、彼女はいつもどうやって来ているんだろうと不思議に思う。私は待ち時間の間ずっとシオンのことを考えていた。
「お待たせ!」
シオンは午前一時七分に来た。もしかしたらシオンは派遣の仕事か何かをしていて、だから集合場所がまちまちだったり時間が遅かったりするのかもしれない、と見当をつける。
ただ、その日の彼女を見て、私は少し驚いた。
「……髪」
「ん?」
「髪、染めたんですか」
「ああ」
とりあえず入ろう、と言って歩き出すので、私はそんなシオンに着いていった。
質問の返答はもらえないままだが確実に染めていた。黒染めだ。普段のツインテも解いてストレートのロングにしているし、来ている服もトレンチコートじゃなくて、高校生みたいな黒いダッフルコートになっている。
まるで私だった。
私は──今日は、茶髪ツインテで、春先に着るみたいな薄いトレンチコートを着ているんだけれど、それについては、いったん触れられなかった。
案内された酒場に着き、席に座る。個室ではないテーブル席だが、周りに人の目はない。
「まだお金ある?」
「二十三万円残ってます」
「おおー、いいね。じゃあ一番高いお酒頼んじゃおうよ」
一番高いのは六千円くらいするお酒だった。よくわからん名前のカクテルで、シオンに聞いてみたけど、「青いやつ」としか説明してもらえなかった。
「ちょっと、お手洗い行ってきます」
ことわって、私はトイレに向かった。着いたばかりだったけれど、元々埼玉から渋谷じゃ時間がかかる。家で済ませておいても近くなる時は仕方ない。
女子トイレの個室の中で、私は考えた。
私が茶髪ツインテにしたのは、ちょっとしたどっきりみたいなものだった。最終日なんだから、ついにこんなに似たんだよーっていうのを見せてやろうと思ったのだ。それで何か粗があるなら指摘してもらおうと思った。
ただ、シオンのあれは、多分意味が違う。
もしかしたら今日どっちが捕まるか決めるのではないかと思った。そんな取り決めはなかったし、決めるにしてもどうやるのかわからないが、しかしシオンがああいうことをするのにはどう考えても必ず意図がある。深遠で、深淵な意図が。
私が捕まれば、物延葉弧が八人殺したことになるし、
シオンが捕まれば、汀目紫音が八人殺したことになる。
「……お待たせしました」
私はトイレから戻ってシオンに声をかけた。机上には、シオンが頼んだ、コルコバードとかいう名前のカクテルが置いてある。
私は、用意したプレゼントを渡すタイミングで迷った。この前バレンタインチョコをもらったから、お返しにホワイトデー用のクッキーを持ってきたのだ。
けれど、シオンにひとまずお酒を勧められた。まぁまだ何もまともに話していないし、あとでいいかと思って、私は酒をあおった。さっぱりした味わいだったのでぐいぐい呑んでしまった。
そして、そのあと、
私は──。
「……ヨウコちゃん、ばかだねぇ」
ほどなくして、意識を失った。
目が覚めると、私は自宅にいた。
困惑してまず辺りを見渡す。最初は夢を見ていたのだと思ったが、頭を起こして左隣を見てみると、シオンがそこに座っていた。だったらまだ幻覚か明晰夢を見ていることになるだろうがよと思ったが、少なくとも、夢である可能性はなさそうだ。
頭が、ひどく、痛い。
「……なんで」
「なんで私がこんなことしたのかって?」
「違う。なんで、ここにいるんですか。そこから、わかってないです」
「──ああ」
シオンは、私みたいな顔で、私が絶対にしないような笑顔で告げた。
「二回目に会った時、あとつけてたから」
「……は」
「だからさ、ヨウコちゃんが乗ってたタクシーの後ろについて、ヨウコちゃんがどこで降りたか、全部見てたんだよ。それで住所がわかったの」
意味がわからなかった。そもそも、それは、「どうやってここに来たか」の話であって、「なんでここにいるのか」の回答ではない。
ただ、言われてみれば、あの日、
タクシーの運転手が振り返って、「あの人はお友達ですか?」と聞いてきたような覚えがある。
あれは──私がシオンに介抱されて乗り込んだ時の話ではなくて、後ろをつけている車についてのことだった、ということ。
「意味がわかりません」
「わかってもらうよ。これから。だってそうじゃなきゃ意味がないんだもん」
シオンは家の中なのにまだコートを着ていた。そして生意気にも冷房をつけている。しばらく使っていないエアコン特有の、癖のある匂い。設定温度は何度なんだよ、電気代かかるだろうが、おい。
「まず、私は今日、ヨウコちゃんのお酒に睡眠薬を盛りました。入れると青くなるやつね」
「なんでそんなことしたんですか、なんで」
「だってそうしないと」
「住所くらい教えましたよ、私。そんなに信じてくれなかったんですか」
「そうじゃなくて」
シオンはコートのポケットから、何か小さいものを取りだした。そして、ここで脳が本当に理解を拒んだのだけど、一つ、おかしい点があることに気づいた。
ダッフルコートの、上から二つ目の紐が、やけにほつれている。
それは、デザインが同じとかそういう小さい話じゃなくて、
シオンが着ているのは、つまり、私の家のクローゼットにあるはずの私のコートだった。
「入れ替わるのに──色々、準備が必要だったから」
シオンがポケットから取り出したのは、そして、私の保険証だ。
「……え」
「ヨウコちゃんの家に盗聴器仕掛けてたんだけどさ、本当に外出ないんだね。でも三日前に長めに外出したでしょう? その隙に、忍び込んで、色々拝借させてもらった。もう三月半ばだしこんなコート着ないもんね」
入れ替わるのに、必要だった?
それは、計画にはない内容のはずだ。
しかも──三日前の外出は、私がシオンにホワイトデーのプレゼントを買いに行った時のことだった。
「つまりヨウコちゃんは騙されてたってこと。まぁ、騙されること自体は予想ついてたかもしれないけど、こんなに手際よくやられるとは思わなかったかな?」
「…………」
私は黙ってしまう。しかし。
確かに、騙されているということ自体は、どこかで想像していた。
シオンは底の読めない人間だ。だから、もしかしたら、最終的には私と入れ替わることで別の人生を歩み始めるかもしれない。想像はした。どちらも同じ数の人間を殺してるんだからそんなことしたって意味ないし、とかの理由で否定していた可能性だけど、そういうオチ予測自体は頭の片隅にあった。
「じゃあ何ですか、シオンさんは、最初から私と入れ替わることが目的だったんですか」
戸惑いながら、私が言うべき台詞を言う。
それだって、べつによかった。
私はシオンのことが好きなのかもしれなかった。一緒にいて安心するとかそういうのは全然ないが、少なくとも、私が彼女に利用してもらえること自体は悪いことじゃないと考えている。そういう自分がいる。
どうせ場末の先のない人生だ。魔性に捕まってめちゃくちゃになっても、もう、なんでもいい。期待していたのとは違うけれど、とにかく、そう思っていた。
けれど。
私が本気でこの女のことを嫌いになったのは、ここからだった。
「全然違うよ」
「は? じゃあ、なんで」
「私はね、きみに殺してもらいたいんだよ」
意味がわからず、硬直する。
そうしていると、シオンがコートの袖をまくった。裸にコートを着ているらしい。意味がわからないが、その次に見た光景で、私は色んなものがどうでもよくなっていった。
シオンの腕に浮かんでいたのは、どう考えても異常すぎる量の、リスカ痕だった。
「すごいでしょ、これ」
「気持ち悪いで、す」
「んーん、睡眠薬でまだ頭も安定していないだろうしね。そりゃこんなもの見せられたら嫌な気持ちになるよねぇ」
左腕ひとつ見ても、どう見ても、異常だった。ボールペンだったら一本使い切るんじゃないかという量の赤色が、薄白い肌に履い回っている。
単純に、グロテスクだ。
「タナトフィリアって知ってる?」
「死性愛のこと」
「そう。で、私はそれなんだよね。死性愛者なの。特に、自分で自分の顔を見ながら手首を切るのが一番ハマる。その辺り、ナルシシズムも入ってるわけね」
薬で痛む頭で、ようやく理解が始まってきた。
まさか。
シオンが、私を自分に似せた目的は。
「そうだよ。私は、私と同じ姿の人間に殺してもらおうと思ったの。そのために三ヶ月かけてきみを私みたいな顔にして、体型も変えさせて、そして──きみが私を殺したくなるような状況をつくった」
「それが、今この場ってことですか」
「その通り。ああ、ちなみに、ヨウコちゃんのポケットには私の身分証とかが入ってるからね。当然ヨウコちゃんの指紋をつけてある」
頭が痛む。私は体を起こして、膝立ちになっていた。まだくらくらする。
つまり、私のこととか、殺した人とか、共犯関係とかはどうでもよくて、こいつには、初めから自分しか見えていなかったんだ。
は?
頭、逝ってるのか?
私は、私は、あんなに色んな感情をお前に対して持っていたのに?
「あーあー、怒っちゃったかな?」
「ふざけんな。この、ブタ女」
「やっとタメ語使ってくれた。そう──それだよ、それ。私、言わなかっただけで結構不満だったんだよね」
殺したいような状況。
今、この場。
汀目紫音と物延葉弧の中間値の顔をした私たち二人と、汀目紫音みたいな私と、物延葉弧みたいなシオン──。
「もっとも、『殺さなきゃいけなくなるような状況』じゃだめなんだよね。人質をとるとか……それだと萌えない。きちんと殺意を持って、普通の殺人と同じように、私を殺さない方が得をする状況で殺ってほしいわけ」
私は、何の返事もできなかった。
シオンを殺さない方が得をする状況。なるほど、これは、確かに、そうだ。
「もう警察呼んでるんですか」
「うん」
予想通りの返答がきた。
今、この家に警察が向かっている。この状況のまま警察が来るとどうなるかと言うと、
多分、シオンが全ての罪を背負って、自首する。
「当たり」
「黙って」
「いいよ。黙っててあげる。少しだけね」
シオンが今の状態で警察に自首すると、どうなるか? 簡単なことだ。私が三人殺せばよかったことくらい簡単だ。
私は、汀目紫音として生きることになるのである。
なぜなら、物延葉弧──「私」は、八人の連続殺人の罪を背負って、警察に逮捕されてしまうからだ。
あとに残るのは、汀目紫音みたいな姿で汀目紫音の身分証を持った物延葉弧と、誰も殺していないことになった汀目紫音という立場。
入れ替わりが、成立する。
つまり、私は、こいつを殺さない方が得だ。
「──喋るね。どうする? このまま私を見過ごして汀目紫音として生きるか、あるいは、いま私を殺して物延葉弧として逮捕されるか。選びなよ。自分の意思で」
自分の意思。
それを、こいつは、何だと思っているのだろう。
包丁が私の前に置かれた。ことん、と、似合わない安穏な音を伴って。
心臓の鼓動が聞こえる。
寝てる間に何か盛られていてもおかしくなかった。そのくらい興奮していた。
冷静に見れば、私がこいつを殺すメリットなんて、ないのに、
私は、
もうなんかよくわからないけれどこんなに手ひどく裏切られたっていうその事実そのものがどうしても我慢できないくらい悲しくて、
それは多分シオンの計画とはちょっと違った感情だっただろうけれど、
だから──、
「……いいね、一番いいよ」
私は、汀目紫音を包丁で刺した。
腹に、私が使った包丁が突き刺さっている。黒いダッフルコートに、血が、赤黒く滲む。
シオンは辛そうにして、上記の台詞を言い切ってから、そのあと、倒れた。
「……最悪だよ」
私はため息をついた。そして、過去の自分にも悪態をつく。
何が、一人殺したら二人も三人も変わらない、だ。
四人と五人じゃ、変わるじゃないか。
「しゃらくさいよ、本当」
立ち上がらず、私の指紋がべっとりとついたであろう包丁を引き抜く。当然傷口から蓋が消えて返り血が付着する。私は白い服を着ていたから、ふと、最初の殺人で、キャンパスを塗り替えたことを思い出した。
その時の絵は、押し入れにしまってある。
外でサイレンの音が聞こえた。
自殺性癖のトゥイードル ゆなづき @yunaduki
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