ぼく in the ぼく

ふあ(柴野日向)

第1話 ぼく in the ぼく


 ぼくは、よく夢を見ていた。

 それは何の変哲もない日常。入学したばかりの小学校で授業を受けて、友だちと遊んで、家に帰って宿題をして。特別なことなんて一つもない、子どもらしい生活の情景。

 とはいえ、そこにはたった一つだけ不思議なことがあった。

 両親も先生も友だちも、みんなぼくと目を合わせないんだ。誰もがぼくの頭の上を見て喋る。まるでぼくの上にいる誰かと話しているみたいに。ぼくには声も音も全部聞こえてて、褒められたら嬉しいし、怒られたら悲しくなる。夢の中のぼくは喋れないんだけど、ぼくの上にいる誰かが、代わりに返事をしてくれる。その誰かとぼくは非常に似通った感性を持っていて、ほとんどぼくの気持ちを代弁して喋ってくれる。そこまで言ったら、喧嘩になるよ。そう思うことも、時々あるんだけど。


 しばらくして、ぼくはあることに気が付いた。

 いつも見る夢は、その日の起きている時間の出来事だって。

「宿題が終わるまで、ケーキはだめ」

 前日の夜に父親が買ってきてくれた時から楽しみにしていたのに、おやつを母親におあずけされ、ぼくは泣いて抵抗した。それでも食べさせてくれなかったから、「お母さんのいじわる」って泣きながら宿題をした。後でせっかく口にした苺のショートケーキは、涙のせいでしょっぱくて、鼻が詰まっているおかげで味がよく分からなかった。

 そんな悔し泣きの一日を、夢の中で繰り返した。

「宿題が終わるまで、ケーキはだめ」

 一言一句違わず母親はぼくの頭の上に言い、ぼくは悔しくて悲しくてたまらなくなった。お母さんのいじわる。そう思うと、ぼくの頭の上にいる誰かが泣き声で、「お母さんのいじわる」と言った。

 ケーキを食べる前に夢から覚めて、ぼくはぼんやりと頭の中で夢を反芻しながらお腹をさすった。いつも夢で代わりに返事をするのはぼくの声。そして、見るのはぼくの一日。なのにやたらと低い視点。

 あの夢は、ぼくのお腹から見ている景色なのかも。

 そう思うと、夢の内容に合点がいった。みんながぼくの頭の上に話してるんじゃない。みんなはぼくに話しかけてて、夢の中でぼくのお腹にいる「誰か」がそれを見て聞いている。そして悲しいとか嬉しいとか思うと、ぼくもそんな気持ちを口にする。お腹の「誰か」はぼくより少し冷静で、そこまで言ったら、喧嘩になるよ。そう思ったりもする。


 ぼくのお腹に、誰かがいるよ。

 そんな夢物語を聞いて両親は笑った。変な夢を見るなあ。父の言葉に、怒りよりも何故か胸がつまる悲しさを覚えた。


 数年後、ぼくは盲腸で緊急の手術をした。

 術後の検査で、不思議な夢の正体がわかった。

 ひとりっこのぼくは、双子で生まれるはずだったらしい。けどお母さんのお腹の中で、すごくちっちゃい時に、もう一人の兄弟がぼくの中に入り込んじゃったんだって。そのままぼくは生まれて、お腹に兄弟を入れたまま大きくなった。

 夢の中の風景は、やっぱり本物だったんだ。

 なんだか嬉しかった。ぼくの中に、もう一人兄弟がいる。それはすごく頼もしい気がした。

 だけど、にこにこしてるのはぼくだけだった。

 医者は、手術をして摘出しましょうって言った。意味がよくわからないでいるぼくに、このままだと大人になるまでに悪いことが起きるかもしれないと説明した。だから、兄弟は出さないといけないんだって。

 そんなのいやだ! ぼくはお腹から叫んだ。そんなことしたら、ぼくの兄弟が死んじゃう。ぼくといっしょに生きてる双子の兄弟が、いなくなってしまう。

 だけど両親は医者に賛成し、ぼくは生まれて初めて絶望的な気分に陥った。

 それからぼくは拒絶し続けた。「大人になるためなんだよ」そう諭す父親に、絶対に嫌だと泣き叫んだ。「お願いだから手術を受けて」懇願する母親にも、嫌だ嫌だとわめきちらした。

 まだ盲腸の傷がじくじくと痛む夜、ぼくはお腹を抱きしめて泣きながら眠った。見る夢は、ぼくの兄弟が目にした景色と感情。いなくなるなんて、寂しすぎる。

 それからも、何度も夢を見た。ぼくのお腹から。

 夢の風景は、だんだんとぼやけていった。涙で徐々に視界がぼやけていくように、日を追うごとに景色は溶け、ぼんやりとしていった。

 ぼくの兄弟は、とっても優しかった。


 夢を見なくなった。そう言ってぼくは手術を受け入れた。実際、ぼくはもう夢を見ていなかった。

 両親は喜び、医者はぼくに手術を施した。


 手術の痕が、お腹に二つ。両親は頑張ったねとぼくを褒めた。お見舞いに来た学校の先生も労ってくれた。友だちは傷跡を見てかっこいいと言ったので、ぼくはまんざらでもない気分になった。

 そして今も夢の中、ぼくは今日を繰り返す。ぼくの目の高さで、学校に行って、友だちと遊んで、家でおやつを食べる。「チョコのケーキがよかったなあ」そう口を尖らせるぼくに、「わがまま言っちゃだめだよ」と夢のぼくが諭す。

 血も肉も溶けあった兄弟は、永遠にぼくの中で生き続ける。

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