侍女の朝
「っあぁー、よく寝た」
チェルシーはゆっくりと伸びをした。
今日は仕事は非番。
いつもよりちょっとだけゆっくりの朝。
しかし身支度を整えるとすぐさま主のミューズの元ヘ行く。
コンコンとドアをノックすると「どうぞ」と室内からは柔らかな優しい声がした。
「おはようございます、ミューズ様」
「おはようチェルシー。今日も元気ね」
微笑む姿は大輪の薔薇のように華やかだ。
ミューズ=スフォリア公爵夫人。
チェルシーの麗しい主。
幼少の頃に子爵家次女だったチェルシーは、行儀奉公としてここスフォリア家に来た。
運良くミューズ付きの侍女の一人となった為、そこからは教養も刺繍もメイクの仕方も頑張って専属侍女にしてもらえた。
話題も、常に飽きさせないように色々な人と話をして仕入れてきた。
ミューズはスイーツと動物の話題が特に好きである。
ハキハキとして物怖じしないチェルシーが好き、と言われた時は天に召されるかと思った。
類稀なる美貌と、ふわふわとした柔らかできらびやかな金の髪。
白い肌に映える桃色の唇と神秘的なオッドアイは女のチェルシーすら惑わす。
豊かな胸と、今はやや大きくなったお腹をさするその顔は幼さをやや脱し、大人の女性へと変貌しつつある。
チェルシーの崇拝する女神だ。
「チェルシー、今日はあたしがミューズ様の担当だから。あなたはゆっくり休んでて頂戴」
ミューズの髪を優しく梳きながら、つんとした声で言われる。
チェルシーの代りに担当するコリンだ。
「ひと目、せめてひと目見たくて来たの。お願い、許して」
「ダメ。身支度中だし、とっとと出て行きなさい」
コリンとチェルシーのやり取りにクスリと笑う。
「仲良しで良いわね」
ミューズは目の前のやり取りを咎めたりはしない。
自分が今こうしていられるのは、支えてくれる人がいるからだとわかっているし、ミューズは不必要に偉ぶることをしない。
時にそれで調子に乗った者が出ても、夫である公爵が赦す事なく処罰するので基本ここは平和だ。
「んっ…!」
急にミューズが口元を押さえ、体を強張らせる。
コリンがすぐさま桶を準備し、背中を擦る。
ゆっくりと呼吸をし、涙目になりながらも何とか収まる。
「大丈夫、もう、落ち着くから」
ありがとうと言って、椅子に凭れかかる。
冷や汗が浮かび、唇も若干色を失っていた。
「もう少し経てばきっと落ち着きますので」
コリンが丁寧に汗を拭き、窓を開けて空気の入れ替えをする。
妊娠の初期症状、悪阻だ。
「安定するまでは辛いでしょうけど、もう幾日かすれば落ち着きますわ。無理なさらないで下さいね」
コリンが水を差し出すと、ミューズは少しだけ口をつけた。
最近は食べ物もあまり受け付けず、匂いによっては、吐き気を誘発されることも増えた。
はらはら心配そうに見つめるチェルシーに、ミューズは優しく声かける。
「私は大丈夫。それよりチェルシーは折角の休日でしょ?ゆっくりしてきなさい」
心配ではあるが、ここにいても逆に気を遣わせてしまう。
「コリン、ミューズ様をよろしくね」
「大丈夫よ。任せて頂戴」
チェルシーはそっと部屋を出た。
「確かにミューズ様の食べられる物は最近少なくなってるのです」
チェルシーに聞かれた従者のマオは、懐から分厚い手帳を取り出した。
今までの出したメニューや、どれをどのくらい口にしたかが事細かに書いてある。
「日によっても違うと聞いたです。その日の体調、気分…比較的果物は食べやすいみたいです」
統計的なメモを見せられた。
「あたし今日街に行くから、何か買ってこようかな」
非番で休日、だから好きに過ごせる。
その貴重な休みを主の為に使いたいと
思った。
「良いと思うです。ここには定期的に食材を卸してもらってるですが、市井に出たらまた違うのものもありそうです」
今までの食べていた果物一覧をささっとメモされ渡される。
「参考までに。あと果物だけではなくミューズ様が好きそうな物もお願いしたいです、そこはチェルシーの方が詳しいと思うので、頼りにしてるですよ」
「わかったわ」
やはりスイーツかしら。
チェルシーが色々考えながら歩いていると、玄関にて護衛騎士のライカと出会う。
鍛錬でもしてたのであろう、汗だくだ。
「何だ、朝早くに。もう出掛けるのか?」
ライカは随分とぶっきらぼうな挨拶をする。
「えぇ、ミューズ様に何か買いたくて。お口に合うものがあればいいんだけど」
心配そうなチェルシーの言葉に、ライカも頷いた。
「それはいい。ティタン様もとても気にされていたからな、鍛錬に身が入らないくらいに」
ミューズの夫は滅茶苦茶心配性である。
常に誰かに側にいてもらうよう命じているし、異変があればすぐに連絡するよう使用人全員キツく言われていた。
「そうよね、心配して普通よね。何も出来ないってやはり辛いもの」
悪阻は今のところ原因が解明されておらず、はっきりとした対処法がない。
時間の経過を待ち、何とか栄養を摂るしかないのだ。
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