第2話地下牢獄にて

 ヴァロームの棺から現れた青年、

 20歳の元ひきこもり大学生、黒瀬 樹〈クロセ イツキ〉は今、王国の地下牢獄に収監されていた。


 手枷を天井に、足枷を地面に、鎖伝いに繋げられ、

 さらには身ぐるみを剥がされ、腰に布一切れを巻かれて。

 その姿はまるで十字架に磔になったキリストのようだった。

 そんな状況の中、朧げな記憶を掘り起こすように、ここに来るまでの経緯を思い出した。


 はじめに彼の意識がはっきりしたのは、薄暗い遺跡の中で、軽装を纏い剣を腰に携えた女が話しかけてきた時だった。

 それ以前の記憶は曖昧だった。


「elitsoh ton uoy era?」


 女の言葉は日本語でも英語でもなく、イツキには聞き取ることは出来なかった。

 後ろでは鎧を着た武装集団が様子を伺っていた。

 彼らは女の指示に従うようにイツキを拘束し、馬車に乱暴に乗せた。


 そこから馬車に揺られ、あれよあれよという間に肌寒い地下牢獄へと入れられたのだ。


「なんで俺がこんな目に……」


 既にイツキが閉じ込められてから丸一日が経過していた。

 彼はいつ何をされてもおかしくない恐怖心で一睡もできず、精神的にも肉体的にも疲労していた。


 牢屋の外には2人、

 左右に1人ずつ、牢番が突っ立っていた。


 イツキは叫ぶ。


「俺を殺そうったてそうはいかないぞ!

 俺はまだ本当の力を出してないんだからな!」


 すると、2人の牢番はこちらを一瞥し、互いを見やって会話した。


「gniyas yob eht si tahw?」


「wonk ton od i wonk uoy」


 それはやはり日本語でも英語でもなかった。

 イツキは思った。


 ——やっぱりここは異世界……


 イツキにはそうとしか考えられなかった。

 彼らは2人揃って西洋風の甲冑を見に纏い、剣を腰に携えていた。

 見知らぬ土地、聞き覚えのない言語に加えて、現代とは思えない格好。

 それはもう異世界としか考えられなかった。


「グ〜〜〜〜〜〜」


 空腹に耐え切れず、イツキのお腹が音を鳴らした。


「あの、俺、昨日から何も食べてなくて……

 何でも良いので何か食べるものをもらえませんか?」


 イツキは牢番に語りかける。

 さっきの虚勢はどこかに消えていた。


 2人の牢番は再びこちらを一瞥し、


「sdrol nomed xis eht fo eno yllaer yug siht si?」


「wonk ton od i wonk uoy」


 と、何かを話した後、


「「ahahahahahahahaha!!!」」


 笑い合った。

 言葉さえ通じれば、状況は変わったかもしれない。

 しかしそれは叶わなかった。


 イツキは絶望した。

 身動きも取れない、言葉も通じない。

 自分にできることは何一つなかった。


 絶望を感じながらも、

 疲労の限界を迎えていたイツキの肉体は、意識を失うように眠りについた——。


   ※※※


「お疲れさまです。

 牢番任務の交代の時間です」

 

 ルナリス王国、

 ヴァローム対策本部、

 所属、第一部隊、

 女剣士『リンシャ・オズレイ』は言った。


「ようやくかよ。

 後は任せたぞ、リンシャ、ルドック」


「長時間の任務、お疲れ様です」


 リンシャは律儀に敬礼をする。

 そこにリンシャの相方、ルドックが口を挟む。


「なーにが任務だ。木偶の坊みてーにただ突っ立ってるだけじゃねーか」


「ルドック、言葉を慎んで」


 リンシャとルドックは現部隊に配属される以前はルナリス王国直属のルナリス騎士団の騎士であった。

 ルナリス騎士団には階級ランクが存在する。

 その中でもリンシャとルドックは中位階級の『白銀騎士』だった。

 一方、それまで牢番をしていた男2人は、当時は上位階級の『黄金騎士』だ。

 故に敬意を払うべきというのがリンシャの思いだった。


「いいさリンシャ。こいつの言う通りだ。

 こんなのは俺たちの仕事じゃない。

 王国直属の騎士団所属だった俺たちが、番兵の真似事なんて馬鹿げてる」


「そうですか……」


 ルドックの不遜な態度を気にしない様子にリンシャは安堵する。


「ところで、何か変わったことはありませんでしたか?」


 リンシャはある男の様体を伺う。


「相変わらずさ、特に問題もない。

 吠えたと思ったら弱々しくなったり、しまいには疲れて寝ちまったみたいだな」


 牢獄に収監されている1人の男。

 それは昨日収監されたばかりの魔王である。

 チラリとその姿を覗くと、話の通り、目を閉じ、頭をカクカクと揺らしながら眠っていた。


「魔王とは、一体なんなのでしょうか……」


「さぁな、それを俺たちが気にする必要はねぇさ。

 俺たちはただ国に言われたことをやってりゃいいのよ」


 そう言って、じゃあな、と2人の男は去っていった。


 リンシャとルドックはそれぞれ持ち場につき、任務を開始する。


 牢番の任は3時間交代だ。

 普通の任務なら大した時間ではないが、何もせず3時間というのは気が滅入る。


 暫く沈黙が続いたが、の状況に我慢ができなかったルドックが堪らず口を開く。


「なぁ、リンシャは不満に思わねーのか?

 俺は槍士として、お前は剣士として、高みを目指す誇り高き騎士だっただろーが。それがこんな役回りなんてよ」


「気持ちは分かるけど、再封印の準備が終わるまでの辛抱でしょう?」


 ルドックの思いが分からない訳ではなかったが、今の任務も期限付きのため、リンシャはさして気にしていなかった。


 それよりも気にしていることがあった。


「ルドック、貴方はこの男が本当に魔王だと思う?」


「あのなリンシャ、お前も見ただろ?

 こいつが死んでも復活したところを」


「それはそうなんだけど……」


 リンシャは言葉を濁す。


「お前の考えてることは分かる。

 こいつの弱っていく姿に同情してるんだろ?

 確かに普通の人間なら、捕まって問答無用で牢屋に入れられるなんて酷な話だ。

 だがこいつは魔王だ。そんな同情必要ないと思うぜ」


「そうなのかな……」


 ルドックに諭されても、リンシャの心のしこりは残ったままだった。


   ※※※


 収監から3日が経過した頃。

 水一滴すら摂取していないイツキの肉体は、水分量が著しく低下し、酷い脱水症状に襲われ、死に追い込まれていた。

 発熱、口渇、意識の混濁。

 空腹感などとうになくなっていた。


 ——ああ、俺はここで死ぬのか


 死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。


 きっとこれは今まで何も努力してこなかった自分への罰だ。

 もしも輪廻転生が存在するなら、来世はもう少し努力しよう。

 こんな苦しい死に方は二度とごめんだから。


 そう思いながら、地下牢獄の中でイツキは息を引き取った。


 死因、脱水症状。


   ※※※


 ——数分前。


 牢番はリンシャとルドックの2人組だった。

 リンシャはピクリとも動かない魔王を見て、相方のルドックに訪ねた。


「ねぇ、これってもう死んでるんじゃないの?」


「かもな」


 ルドックは淡泊に答えた。

 一方リンシャは、衰弱し苦しむ姿に憐れみを捨て切ることができなかった。


「やっぱり私思うんだけど、こんな扱い、良くないと思う」


「ハハ、相変わらずガキだなおめーは」


「仮にこの人が本当に魔王だったとして、魔王が何をしたっていうの?」


「六極の魔王は世界を混沌に導く。

 お前も知ってるだろ?」


 世界に点在する封印に閉じ込められた『六極の魔王』の言い伝え。

 そのことはこの国の人なら誰もが知っていた。

 無論、リンシャも例外ではなかった。


 だが、実際に魔王を見た時から、

 討伐任務のあの日から、

 その言い伝えが本当なのか疑問に感じていた。


「私は言い伝えなんかより、自分の目で見たものを信じるべきだと思う」


「おう、言うじゃねーの、若いねー」


 そもそも、魔王が人びとに危害を加えたという史実は存在しない。

 言い伝えを信じる根拠がなかった。


 リンシャは生きているかも分からない男を助けるために、牢獄の鍵を開け、中へと入った。


「おいおいマジかよ、そこまでするかね普通」


 ルドックはそう言いながら、リンシャをただ見守っていた。

 それはリンシャの行動に肯定的だったわけではない。

 牢獄の中に入るのは命令違反。

 既に牢獄の中に入ってしまったリンシャを連れ戻すために自分も中に入れば、同罪になってしまうかもしれないからだ。


「下手したら反逆罪でソッコー処刑モンだぞそれ」


「そんなこと、言われなくても分かってるよ」


 リンシャはルドックに呼び止められても構わず1人の男の元へと歩み寄った。

 そして、手枷に繋がれた鎖を外すために魔王の手元へと手を伸ばす。

 リンシャの腕が魔王の腕に触れた。

 その時——


「え……?」


 魔王の周囲から黒い闇が現れ、その全身を包んだ。

 それは、魔王討伐任務でいくら殺しても魔王が復活した際の現象と同じだった。


 だがその時と違う点もあった。

 魔王に接触していたリンシャの肉体もまた、その闇に飲み込まれたのだ。


 その様子をただ一人、ルドックだけが見ていた。

 闇はほどなくして霧散するように晴れていき、

 そこにあったのは——


「どうなってるんだ……こりゃあ」


 ——否。

 なかったのは、先ほどまでいたはずの2人の姿だった。


「消えちまった……」


 一人地下牢獄に取り残されたルドックは、ただその場に立ち尽くした。

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