4品目 エビルオークのワイン生姜焼き (1)
酒場にせよ、宿屋にせよ、その店の主人はマスターと呼ばれる。
でもこれは主人が男性のとき限定の呼び方で、女主人のときはミストレスと呼ぶのが一般的……なんだけど。
実は私はこの『ミストレス』って呼び方があまり好きじゃない。なんだか大仰だし、心のカベを感じるし、背中がムズムズしてくるから。
だから、うちの店で私を呼ぶときは「オカミサン」って呼んでちょうだい。
え?
「オカミサン」ってどういう意味かって?
私もくわしくは知らないんだけど、前にうちに来てくれた冒険者さんが教えてくれたの。
今作ってる料理も、実はその冒険者さんから教えてもらったメニューよ。あんまり美味しかったから、お品書きに加えちゃった。
――この食欲を誘う匂い。ほら、炊きたての白いお米が欲しくなってくるでしょ?
🍺 🍗 🍺 🍳 🍺 🍝 🍺 🥩 🍺
これは私が食堂『ヴィオレッタ』をはじめたばかりの頃の話だ。
「ミストレス。おかわり貰えるか? ……って、どうした? そんな難しい顔して」
私がキッチンで首を傾げていると、本日2杯目のエールを空にしたマルコさんが声をかけてきた。
この頃からマルコさんはうちのお店の常連だった。当時はまだ兵士長ではなかったと思う。
「あ、ごめん、ごめん。お得意先から珍しいソースを貰ったんだけど……どう使えばいいのかなって。舐めてみる?」
小皿に出した黒いソースを、マルコさんが興味津々とひと舐めする。
「へぇ、どれどれ……(ペロリ)。うぇぇ、しょっぺぇな。匂いも変わってるし、なんだこりゃ」
よほど塩辛かったのか、しかめっ面になったマルコさんの顔は申し訳ないけどちょっと面白かった。
「イーストソースよ。東の方から運ばれて来たからそう呼ばれてるんですって」
「ふーん、東からねえ。ゾッとしねぇな」
こちらの大陸と東の大陸は海を隔てているから、かなり文化が違う。
それはもちろん食文化も同じだ。
だからマルコさんに限らず、東から届いた食べ物を警戒する人は少なくない。
そのとき、
「ショウユ? お兄さん、このソースを知ってるの?」
「ショウユなんて聞いたことねぇよ、なにから出来てんだ?」
私とマルコさんが勢いよく食いついたものだから、一見さんはちょっと腰が引けてたわ。
「あ、あ、えっと。ソイソースはわかります?」
「うーん。知らないわねぇ……マメから作ったソースなのかしら」
「兄ちゃんの故郷のソースかい?」
マルコさんが尋ねると、一見さんは少し困った表彰をした。
「故郷……といえば、そうなんですけど。同じかどうかはちょっと」
それもそうだ。
まだ匂いだけで、味見させてないことに遅まきながら気がついた。
「はい、どうぞ」
「え?」
ショウユを小皿に出すと、一見さんが目を丸くした。
「舐めたらわかるんじゃない? 同じかどうか」
「あ、そっか。そうですよね。じゃあ、失礼して……(ペロッ)」
そしたらもう大変!
ショウユをひと舐めした一見さんが、「この世界にもあったんだ」ってつぶやいたあと、そのままボロボロと泣き出しちゃって。
隣りにいたマルコさんも驚いてワタワタしながらなだめたりなんかして、ちょっとしたコントみたいだったわ。
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