第117話 タイミング

「龍夜さん………?」


 脱衣室の扉から、ひょっこりと顔だけを出して辺りを見回す柚梪。俺の名前を呼ぶも、何一つ返事が返ってこず、柚梪は脱衣室の扉を開いて、脱衣室から外へ出る。


 今度は、夕食を取ったりした主な広間に顔だけを出して、部屋全体を見回す。


 その静かな部屋には、テーブルに座布団に小型テレビ、俺と柚梪の荷物しか置かれてなく、俺の姿は見当たらなかった。


「あれ? 龍夜さん、どこ行ったんだろ」


 そして柚梪は、少し戸惑いながらも広間の中へと入る。


 その柚梪の姿は、すでに用意されていた旅館のバスタオルを胸から太ももまで巻いた姿だった。


 綺麗な胸の谷間に、鎖骨や肩、足の肌をさらけ出した状態の柚梪は、部屋の隅に置かれているキャリーバッグへと向かう。


 柚梪はお風呂に入る際に、何も用意せずそのまま脱衣室へ向かった。旅館の寝巻きはあるものの、肝心の下着を忘れてしまい、こうしてバスタオル姿で脱衣室から出る事に。


 まだ体や髪は少々濡れており、寝巻きを着るには早いのだ。


 体と髪の水気を拭き取ってから、寝巻きで身体を隠しつつ下着を取りに行けばいいのだが、柚梪は俺が部屋に居ない事から、今取りに行くべきだと判断したのだろう。


「はぁ、何か忘れてると思ったら、下着だったなんて………恥ずかしい」


 監視カメラなど部屋にはついていない。


 しかし、誰にも見られていないとは言えど、俺達や他のお客さんが使った部屋に、ほぼ全裸の状態で居るのだ。


「えっと………ここかな? あれ、違う………。えっ、どこにあるの………?」


 柚梪はキャリーバッグの中をひたすら探すが、なぜか自分の下着が見当たらない。


 3着は持って来ており、家を出発する際にも確認している。実家で1着使っているとは言え、母さんの素早い洗濯のおかげで、しっかりと3着持って来ているはず。


 柚梪は必死になって自分の下着を探すが………


「たくっ、道具くらい借りて来いっての」

「………!?」


 なんとタイミング悪く、彩音に頼まれて隣の部屋でビンの蓋を開けていた俺が帰って来てしまったのだ。


「………ん? 脱衣室の電気がついてるって事は、まだ柚梪は入ってんのか。まあ、そんな時間経ってないしな」


 そして俺は、広間へ向かって歩き始める。


 バスタオル姿の柚梪は、徐々に俺の歩く音が近づいてくる事に焦ってしまい、パッとその場で立ち上がってしまう。


「ど、どうしよう………へっ!?」


 しかし、勢いよく立ち上がった柚梪の体に巻かれたバスタオルの下部分が、キャリーバッグのチャックの牙に少しだけ引っ掛かってしまい、柚梪の体からバスタオルがほどけ落ちる。


 だが、柚梪は自分の体全てがさらけ出されるまえに、なんとかほどけ落ちるバスタオルをキッャチし、瞬時に座り込むと、両手でバスタオルを握りしめ、必死に胸と言った見られたくない場所を隠す。


「さてと、何するかな………っと」


 そして、俺が広間へと足を踏み入れると、キャリーバッグの前でバスタオルを持って前を隠しながら、顔を赤くして座る柚梪と目が合う。


「………」

「………あっ」


 そこから約10秒ほど、俺と柚梪の間に沈黙が続き、俺はようやく今起きている事を理解する。


「え? えぇ!? 柚梪っ!? 何してんだっ!?」

「あわわわ………っ、違うんです龍夜さん………! はっ!? てか、み………見ないでぇ!!」


 ぐっと目を閉じて俺から顔を反らす柚梪。


「あぁぁ、すまん………! すぐ出てくからっ」


 俺はそう言うと、瞬く間に部屋から出て、靴を履くと外へ出て行く。


 それにしても、まさかほぼ全裸姿の柚梪が部屋に居たとは思いもしなかった。キャリーバッグの前に居たと言う事は、おそらく着替えを忘れたのだろう。


「にしても………タイミング悪すぎやろ」


 高鳴る心臓を落ち着かせ、柚梪が脱衣室に戻るのを、040番の部屋の扉を背もたれにして静かに待つ。


 一方柚梪は、部屋から俺が出て行った事を確認すると、気を取り直してキャリーバッグへと視線を向ける。


「あ、龍夜さんに下着の場所聞いてない………」


 ふと思った事を呟くと、柚梪はバスタオルを体に巻き直し、俺が背もたれにしている玄関的な扉へと歩み寄る。


「あの、龍夜さん………? 居ますか?」

「うおっ、ビックリした………どうした? 柚梪」


 突然柚梪の声が背後から聞こえて、体を震わせた俺だが、すぐに柚梪からの声かけに応える。


「あのですね、下着を出し忘れてしまったんですけど………キャリーバッグの中になくて」

「あぁ、下着か………。 それなら、俺が目に入らないよう、キャリーバッグの上に黒いスポンジのカバーがあると思う。そのカバーを外してみ?」

「上………ですか? 分かりました」


 俺も着替えや下着を取る際に、キャリーバッグを開くと柚梪の下着が目に入ってしまうのだ。


 そのため、カバーを使ってキャリーバッグの内側の上に挟んで、隠してあるのだ。俺の下着は、キャリーバッグの一番下に入れてある。


 俺から下着の場所を聞いた柚梪は、再びキャリーバッグの前へと向かい、キャリーバッグの内側の蓋の上を手で触ると、確かに柔らかいスポンジの感触があった。


 柚梪はキャリーバッグと同じくらいの平らな面積を持つスポンジを外して、柚梪用の女性下着が出てきた。


「こんなところに………でも、そうですよね。龍夜さんは男性だし………仕方ないですよね。私は別に、龍夜さんに身に付けてない下着くらい見られても、気にしないんですけどね………」


 柚梪はそう呟くと、上と下の下着を持って、脱衣室へと戻っていく。


 脱衣室の扉を閉める寸前で、柚梪は玄関の扉に向かって「龍夜さん、もう大丈夫ですよ」と、少し大きめな声でそう言う。


 やがて、柚梪の声が聞こえた俺は、恐る恐る部屋の中へと入り、柚梪が居ない事を確認したら、広間へと足を動かした。


「はぁ、心臓に悪い………」


 

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