第57話 甘くてちょっぴり気まずい雰囲気

 朝食を取り終えた俺は、いつもの如くソファーに腰かけて、のんびりとする電子小説を読んでいた。

 しかし、1つ気になることがある……


「なぁ、柚梪? 甘えてくる分には全然ウェルカムなんだけどさ……ちょっと、小説が読みずらいなぁ~って気もするんだよね」

「多分気のせいですよ」

「案外左腕疲れるんだけど……」

「気のせいですよ」

「……なんか怒ってる……?」

「気のせいです」


 今俺は、スマホで電子小説を読んでいる。でも、柚梪は俺の膝の上へと座り、身体を極限までくっつけてくるんだ。


 いつもなら、肩に寄り添ってくるぐらいなのに、今日に限っては、やけに積極的だ。

 昨日まであんなに避けられていたのが、まるで嘘かのように。


 柚梪から香るほのかな良い匂いに、とても柔らかい何かが、服の布越しに伝わってくる。


 くそぉ、集中して小説が読めねぇ……!

 いや、平常心だ平常心。少し甘え方が激しくなっただけで、こうして寄り添ってくるのはいつものことだ。今さらなんてこともない。


 俺は一度、深呼吸をして心を落ち着かせると、左手から右手にスマホを持ち替え、再び小説に目を通す。


「……っ!」


 それを見た柚梪は、眉間にシワを寄せて、ムッとした顔になる。


 しかし、柚梪は行動に出ようとするが、またもや羞恥心が邪魔をし、顔を赤く染め始める。


 『しっかりアピールしていれば、いずれは気づいてくれるよ』

 

 彩音から貰った言葉が、再度脳内に響き渡る。


 やりたいことがあるのなら、感じ取って欲しいことかあるのなら、何もかも行動をしなければならない。

 ただ止まっているだけでは、当然何も起こることはない。


「……めて……ください」

「……? 何か言った?」


 下を向きながら、柚梪が俺に対して何かを伝えてきた。しかし、またもや声が小さかったため、最初らへんが聞き取れなかった。


 柚梪は強く歯を噛み締める……


「抱きしめて……ください……!」

「……っ!」


 赤くした顔を俺に向けて、上目遣いで見つめてくる。いつもと違う顔でお願いをしてくる柚梪に、俺はドキッとしてしまった。


「えっと……やっぱり怒ってる……? なんか、いつもと違うような……?」

「……」

「分かった分かった……! ほら、これでいいか?」


 無言で見つめてくる柚梪に、俺は空いた左腕を柚梪の背中へと通し、左手を柚梪の左肩の上に優しく置く。


「……両腕で……抱きしめてください」

「両腕で……?」


 俺は右手でスマホの電源を切って、ソファーの空いたスペースに置いた。

 空いた右腕をさらに柚梪の背中へと通し、右手は柚梪の腰元を触れる。


 いつもの甘え方と全然違う……頼み方も体制も全く異なる。まるで……恋人同士みたいだ。ヤバい……心臓の鼓動が高鳴ってきた……っ


 だが、それでも柚梪は満足していないご様子……


「……もっと、強く……」

「……え?」

「もっと強く……抱きしめて……」


 嘘だろ……まだ要求してくるのか……!?


 だが……柚梪の機嫌があまり良くないみたいだし、この要求で機嫌を直してくれるのなら……やるしかないか……


 俺は両手・腕に力を入れ、腕の中に居る柚梪の身体を、さらに俺の体へと抱き寄せる。


 ギュッと抱きしめる俺に、抱きしめられる柚梪は、お互いに顔を赤く染める。


 より力を入れて抱き寄せたことで、柚梪の柔らかい胸の感触がより強くなり、少しでも下に目を向けると、服の首もとから柚梪の豊満な胸の谷間が見えてしまう。


 男の理性をぶち壊すボディに、圧倒的可愛いさ。少しでも気を抜けば、最悪……やりかねない。

 それだけは避けなければ……柚梪を汚すことだけは、絶対に……


 柚梪を抱きしめたまま、数分が経過し、リビング全体に気まずい雰囲気が漂い始める。


 いつまで抱きしめていればいいのか。何を話したらいいのか。どうしたらいいのか。


 心臓をバクバクとさせながら、理性を保つために頭をフル回転させて考えていると、玄関の扉が開き、誰かがリビングへと入ってきた。


「たっだいま~! 彩音ちゃんのお帰り~……あっ」


 それは、朝早くから買い物に出掛けていた彩音だった。


 彩音は、柚梪を抱きしめる俺を見て、動きが停止してしまう。


「(あちゃー……イチャついてる最中だったかぁ……タイミング悪かったかも……) ごめんね……! 私、もう少し出掛けてくるね……!」

「あっ、ちょっと待ってくれ! 彩音……っ!」


 そのままえげつない速度で家を出る彩音に、俺は左手を付き出していた。


 頼む……助けてくれ彩音ぇ! 俺もうこの空気に耐えられねぇんだよぉ!!!


 まあ、そんな思いが届くはずもなく、俺はもうしばらく、この甘くて少し気まずい雰囲気を堪能することになった。

 


 



 

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