長い夜 ~タケルの呟き~

 シャワーを止め、脱衣場へ。温まった体をタオルで拭く。まさか、こんな形で志穂とホテルに来るなど、思ってもいなかった。


 帰りたくなかった。

 


 それは確かだ。だから嬉しくないと言えば嘘になる。

 ただ……、


 そういう目的ではなく、ここにいるというのが問題だ。理性を保ちきれるのだろうか。


 大きめの雷の音のあと、パチン、と電気が消える。部屋の外から志穂の悲鳴が聞こえた。

「有野さん、大丈夫っ? うわ、こっちも真っ暗かよ」

 とりあえず手探りで志穂の元へ向かう。怯える彼女をなだめなければ。


ピカッ ドーン!!


「やぁぁっ!」

「有野さん、とりあえず落ち着こう。何か、飲む?」

 確か小さな冷蔵庫が……あった。中を見ると、炭酸の瓶と、水。

「炭酸? 水?」

「た、炭酸をくださいっ」

 怯えた声で、志穂。

「はい、どうぞ」

 志穂に炭酸を、自分は水を飲んだ。雷から意識を逸らさないと。それに…知りたい。


「今日、楽しかった?」

「うん、すごく楽しかった」


 朝は少し緊張していたようだったが、途中からは本当に楽しそうにしてくれていた。だから、勘違いではないと思いたい。あの時、花火を見ながらの告白を、彼女は受け入れてくれたのだと。


「嫌じゃ……なかった?」

 あのときのキスは……、

「嫌じゃ……ないよ」

 志穂がそう言った。嫌じゃない、と。

「それって……」

 両思いになれたのだと思ってもいい?


「でもさっ」


 しかし、YESがかき消されそうな勢いで、志穂が話し始める。

「でも、変わらないものなんかない」

「え?」

「仁君がそう言ってた。大和君だって、いつまで私を好きでいるかわかんないって」

「なんだよ、それ」


 なんで仁が出て来るんだ。しかも「変わらないものなんかない」ってなんだよ!


「大和君モテるし、芸能界にスカウトだってされちゃうし、頭もいいし、今は私のこと好きだって言ってくれてるけど、そんなの明日には違ってるかもしれないんでしょ?」

 志穂が叫ぶみたいに言う。

「今日だってショップで女の子にナンパされてた。電車でもカッコいいって言われてた。みんな大和君が好きなんだ。私じゃなくたって、誰だって、」


 待って。それって、変わって欲しくないから言ってる? 不安に感じてくれてる?


「ねぇ、もしかしてだけど、やきもち…焼いてくれてるの?」


 触覚がピコピコしてしまう。


「私、何もない。将来の夢も、希望する進路も、得意も、美貌も、なんにもないんだよぉ」

 ふえっ、志穂がとうとう泣き出してしまう。

「ちょ、泣かないでよ」

 手を伸ばし、志穂を抱きすくめる。

「俺、そんなに女誑しみたいに見える?」

「……わかんない」


 信用ないんだ。


「有野さんだけだよ。余所見なんかしないよ。どうしたらわかってくれるんだろ」


 こんなに好きなのに。

 こんなに愛しいのに。


 志穂の涙を拭う。そのまま、頬にキスを。右に、左に、額に何度も、何度も。そして唇に。軽く唇を噛むような、優しい、キスを。


「……ん、」

 アルコールの匂い!?


「有野さん、お酒飲んでる!?」


 パッと電気が付く。停電が直ったのだ。

 タケルは志穂が飲んでいた炭酸のラベルを見る。アルコール度数、五%の文字。


「あああ、飲酒させちゃった!」

 志穂は腕の中で、トロンとした目でこちらを見上げている。風呂上りのシャンプーの匂い、柔らかい、唇の感触、目の前には大きなベッド……、


 ああああ、いかん!

 パン!と自分で自分の頬を叩く。


「やぁまとくん?」

 頬がピンクに染まった志穂が首を傾げる。

「もう、寝ようか? お布団、行く?」

 すっくと立ち上がり、そしてよろける。

「うわ、危ないってば」

 タケルが慌てて支える。

「大和君はいつも優しいね」

 にっこり、笑う。


 反則だろ、こんなの!


 頭の中で正義と悪が戦っているのが見える。

「私ね、多分好きなんだ、大和君のこと」

「へっ?」

 いきなりの告白。

「もう、わかんないけど、好きなんだと思うよ。そうじゃないと説明できないよ。もやもやするんだもん」

「有野さん……、」

「もやもや……お布団……」

「うわっ」

 そのまま二人でベッドに倒れ込む。

「ちょ、有野さん、俺はソファで寝るから有野さんはこっちで」

「逃げないでよぉ」

 ぎゅ、とタケルの腕を掴む。

「電気消したら駄目だよ、怖いから」

「えええ?」

「きょ……う、たのしか……た……ね」

 そのまま眠りに付く。


 規則正しい寝息。

 目の前に、寝顔。

 電気の付いた、室内。


「ちょっと待ってよ、なんだよこの拷問は!」


 タケルはそっと志穂に布団を掛けた。離れようにも、腕を掴まれていて動けない。外そうと試みるが、逆に拘束が強くなる。

「ヤバいって、これ……、」

 呟いてみる。

 志穂が起きる気配はない。

 試しに頬を突いてみる。

 反応はない。

「有野さーん」

 小さな声で呼んでみる。

 反応はない。

「顔に落書きしちゃうよ?」

 ……ダメだ。起きない。

 そっと頬を撫でてみる。


「……ん……ぅん」


 あ、ダメだ。これはダメだ。どうしよう。

 タケルは煌々と照り付ける照明の明かりを見つめ、念仏を唱えた。


 落ち着け、俺。


 改めて志穂の寝顔に見入る。

 人差し指で、そっと志穂の唇に触れる。


 はむっ


「おっと」

 危うく食べられそうになる。

「お腹空いたのかな?」

 そういえば夕飯は食べてない。部屋を見渡すも、時計らしきものがないから今何時なのかわからないが……。


「有野さん、好きだよ」


 耳元で、囁く。


 睡眠学習って言葉があるからな。こうして寝てる間に聞かせておけば、伝わるかもしれない。

「もっと俺のこと好きになって」

 微動だにしない。

「マイスイートキャンディーちゃ~ん」

 保健室でもそうだったけど、よく寝るな。

「もっともっと好きになって、嫁になって」

 呪文のように繰り返す。

「……志穂……」


 そうこうしているうち、フッと眠ってしまっていたようだ。




 ふと、意識が戻る。


 目を開けると、隣で寝ていたはずの志穂がいない。が、あわあわしている声がすぐそこからしていた。ああ、起きたんだ。


 寝返りを打ち、頬杖をつく。

 志穂はソファの上で頭を抱えている。


「ソファの上でなに暴れてるの?」

「ひゃっ」

 いきなり声を掛けられ、飛び上がる志穂。

「おっ、おは、おはよ」

 平静を装っているつもりなのだろうか。まったく装えていないのだが。

「昨日はよく寝てたね。なにしても全然起きなかった」

 可愛くて、つい意地悪をしたくなる。

「なにしても、って、なにっ?」

 志穂の反応があまりにも想像通りで、タケルはふふ、と笑う。

「それは内緒」


 もう、触れたい。


 どんどん欲張りになっていく自分を感じながら、なんとか欲求を押し殺す。

 まだ、始まったばかりなのだから、と自分に言い聞かせて……。

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