第21話 アドリブの応酬
時の経つのは早いもの。
「緊張してきた~~!」
つばさがそう言いながらタケルにすがりつく。タケルはやんわりとそれを避け、翔と信吾の方へ移動する。
いよいよ、ロミジュリ本番である。
なんとなく衣装に着替え、舞台袖に待機していると気持ちがピリッとする。が、このピリッとした感じは、違う緊張も含まれているのだ。
実は今朝突然……、
******
「アドリブぅぅ?」
信吾がキャスト陣を代表したように声を上げた。
「そう! 今日はアドリブOKにするから、臨場感出してやっていきましょ!」
亜紀が唐突にそんなことを言い出したのだ。
「アドリブって、何するんだよ?」
「だからぁ、大筋外れない程度に多少アレンジしてもいいわよ、ってこと! 臨場感出た方がお芝居的には盛り上がるでしょ?」
ああ、と私は気付いた。
これはキスのための布石なのだ。
やっぱり決行するつもりなんだ。
ふーん……、
「そんなこと、本番ギリに言われてもなぁ?」
「もちろんそのままやってくれるんだっていいのよ。でも、仮にアドリブが入ったとしても、みんな役のままうまく続けてね」
都合のいい話である。
「さ、行きましょう!」
……というわけだ。
各自、舞台袖で台本を確認しながら出番を待つ。そして、幕が上がる。
*****
「きゃー!」
「大和君、かっこいい!」
客席から黄色い声援が飛ぶ。衣装を身に着けたタケルはまさに王子様のような神々しさである。が、
「ああ、あの美しいお方はどこのどなたか」
台詞を口にした途端、客席がざわつき始める。
「え? どういうこと?」
「なんか……ひどくない?」
さすがにタケルの棒読みの威力が強すぎたか、黄色い声援の波が一気に引いていった。
しかし、脇を固める役者たちは良くやっている。お話もある程度の認知度があるおかげでなんとか間が持っているという感じだ。
「ではロミオとジュリエットは愛し合っていると?」
ロレンス修道士がモンタギュー家の当主、ロミオの父から相談を受ける。ロレンス修道士はしばし考え込み、
「わかった。では私が協力しましょう」
と、協力することを承諾した。
いよいよここからは後半、クライマックスに向け話が加速するところだ。
「やったわ! キャピュレット家の当主を始末してやった。この罪をモンタギュー家のロミオに被せ、ジュリエットを毒殺する。それが私の計画!」
悪徳っぽさ、悪徳っぽさ。
私はこれでもかというほど悪い女を演じまくり、それはそれで楽しんでいた。あとは死ぬだけ。はぁ、なんとかなりそう。
舞台は進み、いよいよ見せ場がやってくる。
「さあジュリエット、愛しのロミオが来る前にこのワインを飲み干してしまいなさい。あなたのお父様もワインがお好きだったわよね」
「あなたがお父様を……?! なんという酷いことを!」
「大丈夫、お前もすぐに父のもとに逝ける」
そう言ってジュリエットに毒入りワインを飲ませる。
ジュリエットが苦しみ出し、その場に倒れた。その瞬間、駆け付けるのはロレンス修道士率いる憲兵たち。
「そこまでだ! アリアナ!」
「ロレンス修道士! なぜここに?」
「天はいつだって正義の道を照らすもの! キャピュレット家当主を殺害した罪、今ここで償うがいい!」
憲兵たちが剣を抜く。私はワインの瓶を高く掲げ、声高に叫ぶ。
「惨めに切られて殺されるなど真っ平ごめんよ。いっそこの毒で、私の命を悪魔に捧げましょう。私はただ、自由になるの。全ての嘘や偽りから逃れ、自由の元、飛び立つわ!」
頑張って考えた台詞である。
そのままワインの瓶に口をつけ、飲み干す。そして、死ぬ。ああ、良かった、あとはここで寝ていればいい。
そこにロミオが登場する。
「ロレンス、これは一体どういうことだ」
ああ、やっぱり気持ちこもってない……、
「ロミオ! アリアナが毒入りワインでジュリエットを……!」
「ああ、ジュリエット、あなたは私を置いて天へと召されようというのか。私にはあなたが全て。あなたなしで生きていくことなどどうして出来ようか。ああ、ジュリエット、私を置いて逝かないで。あなたを取り戻すためなら、この命尽きようと構わない。私の元へ戻って、あの笑顔を再び見せてくれ」
いつか聞いたあの台詞。とても同じ人物が演じているとは思えない。
「神よ! 私の命の半分をジュリエットに与えてはくれないか」
ジュリエットを抱き起こし、キスをするシーンである。つばさは薄目を開けた。そしてすぐそこにあるタケルの唇を確認すると、自分から押し付ける。一瞬のことだったが、タケルは反射的にそれをかわす。
かすった!
ほんの一瞬だが、唇が触れ合う。
客席から「きゃー!」という悲鳴が上がる。客席からだと、本当に触れたかどうかはよくわからないが、さすがにキスシーンは高校生には刺激的だ。
つばさは目を開け、次の台詞を言おうとした。が、
「あ、」
タケルの目が、それを許さなかった。
怒ってる……。
「なんということか!」
急にタケルが立ち上がり、話し始める。アドリブだ。しかも、今までの棒読みが嘘のような流暢で感情のこもった台詞回し。
「私は今、全てを思い出した!」
呆然としているジュリエットを見下ろし、語りかける。
「ジュリエット、君はあの舞踏会の日、私に恋をした。そうだね?」
甘く、優しい声。
「ええ、ええその通りですわ!」
つばさが答える。
「そして私のワインに薬を仕込んだ。私を意のままに操る薬を!」
「……え?」
「そして私を手に入れたつもりになっていたのだろう。しかし、私があの日、舞踏会で恋をした相手はあなたではなかった」
……はい?
私は目を閉じながら、おかしな方向に進みだしたストーリーを黙って聞くしかなかった。
「私が恋をしたのは、ジュリエットではない。ここにいるアリアナだ!」
ええええええ!?
「えええっ?」
客席からも声が上がった。
「お前の薬によって正気を失ったアリアナは、キャピュレット家の当主を殺害。操っていたはずのお前自身にも毒を持った。そしてここで自害したのだ。自分を取り戻すために!」
ちょっと、ちょっとぉ!?
「ロミオ……様?」
つばさは涙目である。
つかつかとロミオがアリアナに歩み寄り、アリアナを抱き起こす。……って、私か!!
「アリアナ、長く辛い思いをさせてすまなかった。もっと早く、私が気付いていたならこんなことにはならなかったのに……」
あ、いつか同じ台詞を聞いた。あれは公園での事件のあと。
「……もう一度お前の笑顔が見たい。お前の声が聞きたい。どうかもう一度……、」
体育館が静寂に包まれる。みな、タケルの演技に魅せられてしまっているのだ。
「私はお前なしでは生きてはゆけぬ。どうか、目を…目を覚ましてくれ…」
片手でアリアナの頬を優しく包み込む。泣き出しそうな顔でゆっくりと顔を近付ける。客席からはすすり泣く声が聞こえてくる。
「わかってくれ。お前のことが、好きなんだ」
搾り出すような、切ない声。
そして優しく、キスをした。
それは客席からでもはっきりとわかる角度で、まるでスローモーションのようなワンシーン。客席の啜り泣きがいっそう強くなる。
私はゆっくりと目を開けた。
タケルの青い顔が目の前にある。切なそうに、悲しそうに私を見ている、瞳。
私は自分の頬を涙が伝うのを感じていた。何故泣いているのかもわからない。ただ、涙が一筋流れて、落ちた。
私は黙ってロミオの頬に手を当てた。ただ、それだけ。全ての感情が、そこにあった。
ふわり、と体が軽くなる。その衝撃で一瞬にして現実の世界に引き戻される。
おい、ちょっと待て、もしや大変なことになってやしませんか、これ?!
タケルは私を抱き上げていた。いわゆる、お姫様抱っこである。
「ロレンス修道士!」
「はっ?」
急に呼ばれて焦る信吾。
「そなたがジュリエットを愛しているのは知っていた!」
「えっ?」
素で驚いているようだ。
「ジュリエットのことは任せる。私はもう戻らない。父にはすまなかったと伝えて欲しい」
「わかった」
「それと、ジュリエット」
つばさがビクッと肩を震わせる。
「あなたも、どうか幸せに」
最上級の微笑を向ける。ジュリエットが泣き崩れ、それをロレンスが優しく抱き締めた。
そしてロミオは、アリアナを抱いたままゆっくりと舞台からはけた。
音楽が流れ、幕が……下りる。
その瞬間、客席からは、鳴り止まない嵐のような歓声と拍手が起きたのである。
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