第14話-終 悪役令嬢は助手のように笑う


 ――それから5年後。


■魔族領最深部 魔王城「ノヴゴロドア」近く 地底湖「懐かしい海」 エルタ小月(8月)10日 15:00


 そこは私とユーリスのお気に入りの場所だった。


 夏でも氷が溶けない大地の下に、暖かな湖が広がっていた。白くおだやかに光る苔が、春の陽のようにあたりを明るく照らしている。水辺には木々が生い茂り、静かな水面に木漏れ日を落としている。


 遠くには、朽ち果てた大きなロケットのようなものが、湖へ斜めに突き刺さっているのが見えた。それはすっかり苔むしていて、もこもことした緑の姿へと変わっていた。


 連合王国から逃げてきたとき、魔族領は氷と岩ばかりで気が滅入るだろうと私達を心配してくれた先輩がここへ連れてきてくれた。

 私はともかく、魔王城で隠されながら育ったユーリスにとっても、初めて見る景色のようだった。ユーリスは湖面を指差して「あれ、ロケットですよね!?」と大はしゃぎしていた。私は「いつかあそこまでふたりで行きましょう。きっと楽しいです」と、なぜだかいっしょにはしゃいでいた。


 ある日、ユーリスがこの湖畔に椅子を置きたいと言った。魔王城の倉庫や使われていない部屋をあちこち探して、気に入ったものが見つかったときは、ふたりして喜んだ。それからがたいへんだった。木でできた古い二人掛けの長椅子は、ともかく重かった。長い下り坂、小石の多い道……、汗をかきながら、ふたりして少しずつ運んだ。


 ようやくこの椅子を眺めの良いところに置いて、ふたりで座ったとき、ユーリスが「ちょっと嬉しい」と湖の先を見つめがらつぶやいていた。


 それから、泣いたときも笑ったときも、喧嘩したときも慰めるときも、ここにふたりで座って同じ景色を眺めていた。


 怒ったユーリスが出て行ったときは、ここに来れば必ずいた。

 ユーリスが誕生日を迎えたときは、ここでささやかなお祝いをした。


 私とユーリスは、いまそんなところに座っていた。


 私に体を預けながら、ユーリスが楽し気な歌を嬉しそうに口ずさんでいた。ふふーんふふーんと、かわいらしい小さな声が耳元で聞こえている。


 私はそれだけで幸せになれた。体中が春のようにぽっと温かくなれた。


 そっとユーリスに体を寄せて、銀色の髪を撫でてあげる。ユーリスはにししと微笑み、満足げに私へ伝えた。


 「いい最後です」


 私は手を止める。それから、かなり苦労しながら、普段と変わらないようにユーリスへたずねた。


 「ここで……、良かったのですか?」

 「ええ。ここがいいんです」


 ユーリスが湖に突き刺さるロケットを見つめながら、私にやさしく言う。


 「あれには乗れなかったけれど、この椅子が私にとってのロケットになりました」

 「そうですか?」

 「ずっと、どこかに行きたかったんです。輝く草原、鬱蒼とした森、空の果て、星の海……。ずっと子供のころから、そう思ってました。でも……」

 「でも?」

 「気づいたんです。私は安心できるところへ行きたかっただけだって。明日への心配もなくて、誰かとの争いもなくて、ただ安心できる、それだけができる、そんな場所へ……」

 「椅子がロケットなら、飛んでいって着地したのは、ここということになりますね」

 「そうです。ファルラがそんな場所を私にくれました。だから、ここが私の旅が終わる場所なんです」


 ユーリスが私の腕をつかむ。頬を寄せながらぽつりと言う。


 「みんなも、ロケットに乗ることはできたのでしょうか……」


 震えているのを隠すようにため息をつくと、私はユーリスにそっと言う。


 「イリーナは国を興したようです」

 「きっといい国になるでしょうね」

 「ベッポさんはイリーナのところで活躍しているみたいです」

 「それは女優としてですか? それとも……」

 「それはわかりません。あの人は雲のようによくわからない人ですから」

 「そうですね……」

 「魔法学園は自主と自立を宣言して、先生たちはいつにも増して忙しそうです。そういえばそっちで暮らしている先輩からの手紙に、学園長とハルマーン先生がようやく付き合い始めたとありました」

 「良かった……。ちょっとやきもきしていました」


 ユーリスがくすりと笑う。


 「アシュワード王家は……。あ、いや、止めましょう」


 私はついその名を口にして、あとから後悔した。

 私達を苦しめた人たちのことを、いま言わなくても……。


 「いいんです、ファルラ。私も知っていますから。あまり良くないことも……」

 「……月皇教会が反王家にまわりそうです。あの若い司祭から手紙を何度も貰っています」

 「みんなでいっしょに安心できる場所へは、行けないんですね……」


 私はうつむきながらはっきりと言う。


 「それができたら奇跡でしょう」


 誰かはできること。誰もができないこと。それを奇跡と言うのなら、こうして隣にユーリスがいるのも、最後までそばにいられるのも、きっと奇跡なんだろうと私は思った。

 それを見透かしていたように、ユーリスは私をたしなめた。


 「ファルラ、奇跡なんてないんです」

 「そうでしょうか?」

 「あるのは人がこうしたいという動機です。私達はその結果を毎日得ているだけです」

 「それでは私の推理が休まりませんね」

 「ずっと思ってたんです。私はこのままファルラのそばにいてもいいのかなって」

 「それは私もですよ」

 「ファルラがそう思うから離れられなくなっちゃいました。それがいまここにいる私の動機です」


 私はユーリスにそうさせてしまったことをあやまりたかった。ずっと心苦しく思っていたことを心から詫びた。


 「ごめんなさい、ユーリス。私のそばにいてもらって……。たくさん怖い目にも合わせました。待たせることもたくさんしました。それでも私は……」

 「違います。そこは『ありがとう』って言ってください」

 「……ありがとう、ユーリス」

 「よくできました」


 ユーリスがにししと笑い、足を嬉しそうにぶらぶらとさせる。それから私へ手をそっと差し出した。


 「手を握ってもらえますか?」


 差し出された細い手を握る。その手はまだ温かだった。


 「いまはもうちっとも怖くないんです」

 「私は怖いです」

 「そうなんです? それはそれは」

 「こら。私の真似をしないでください」

 「ふふ。ああ、楽しかったな……」


 ユーリスがふわわとあくびをした。


 「眠くなってきちゃいました」

 「おやすみなさい、ユーリス」

 「ファルラもちゃんと寝て……」


 最後まで言い終わらず、ユーリスは私に体を預けてゆっくりと眠った。


 「このばか……」


 おでこをぺちりと叩く。

 もうユーリスの目は開かない。


 銀色の髪がゆっくりほどけていく。

 空へと溶け出すように消えていく。


 握っていた手が白い小さな花びらに変わる。

 ぱんとユーリスの体がはじけた。花びらに変わった体は、風に乗って、湖の向こうへさわさわと流されていく。


 私は椅子から飛び出した。とっさに空へ舞い上がろうとしていた花びらをつかんだ。

 ぎゅっと握り締める。震えるほど強く握る。


 「ユーリス……」


 ふっと手の中が温かく感じた。


 ゆっくりと手を開くと、そこには赤い耳飾りがあった。

 それは私達がいっしょに生きた証だった。


 「終わったか?」


 白いワンピースを着た少女姿の魔王が、私に近づきながら声をかけた。


 「……ええ。消えていきました」


 震えている私の声が、魔王の顔を沈ませた。それから私のそばまでやってくると、ねぎらうように言った。


 「魔族の知識を総動員しても、5年しか持たなかったな……」

 「いえ、5年もユーリスの命を持たせてくれたことに感謝しています。こちらに来ても3年が限界だと母に言われてましたから」

 「お前が人の世を捨てたのは、このためだったのだろう?」

 「はい。始めからそうでした。人類では魔法や医術に限界がありました。ユーリスの延命のためには、いずれここに来るしかないだろうと思ってました」

 「だからお前は母の首を私へ贈ったり、大公に対価を払う約束を取りつけた」

 「ええ。そうです。それが何か?」


 気丈にそう言うと、魔王がぽつりと言う。


 「かわいそうな奴」


 魔王が両手を広げた。


 「さあ、おいで」


 私は言われるままに従った。魔王に向き合うと、膝を落とし、小さなその体を抱きしめる。

 魔王が私の頭をやさしくなでてくれた。


 「泣いていいんだぞ」

 「泣きません……」


 私は魔王の体を強く抱く。


 「泣いているじゃないか」

 「違います。違いますから!」

 「強情だな。いまは娘を亡くした母と、その娘のたいせつな人しか、ここにいないんだぞ」


 う……。

 うぇぐ……。

 うわぁあ……。


 私は声をあげながら泣き出した。

 魔王に抱きつきながら、抑えきれない感情をあふれさせた。


 「ユーリスが…… ユーリスが……」

 「そうだな……」

 「私を残して、ひとりで……」

 「わかっている……」

 「もう、ユーリスには……」

 「つらくなるな、これから……」


 私の嗚咽が静かな湖に響き渡る。

 魔王は子供をあやすように私の頭をゆっくりと撫でた。


 「いますぐ慈悲をかけてお前をユーリスの元に送ってやりたいが、もはや叶わぬ」

 「わかっています。もう準備ができていますから……」

 「ユーリスの墓碑にはこう書こう。『人より愛を授かりし者。その者に寄り添い愛を返す』。お前の墓碑には『人に悪を成した者。愛する者のためにその身を尽くす』と書いてやる」

 「こんな嫌われ者の私にはじゅうぶんすぎます……」


 私は抱きしめていた魔王の体から、そっと離れる。


 「もう、いいのか?」


 涙をごしごしと乱暴に拭き取る。

 それからユーリスが残してくれた耳飾りを、片方の耳につけた。

 両耳に触る。

 耳飾りが揃ったのを確かめると、私は静かに決意を込めて魔王に言った。


 「私は神というものが嫌いです。転生をさせている女神というのも嫌いです。自分の性癖で選んだ人を転生させているなんて、どうかしています」

 「ふふ。我もそう思う」

 「私みたいな転生者をこれ以上増やしたくありません。さあ、魔王アルザシェーラ。神をぶん殴りに月へ行きましょう」


 私はユーリスを真似て、にししと笑った。


 「良いのか? もう、ここには戻れないぞ」

 「ユーリスが待ってますし、それに……」


 私はくるりと回ると、ドレスのスカートの裾を少し引っ張って、魔王へ丁寧にお辞儀をした。


 「私は悪役令嬢ですから!」



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ここまで読んでいただき、たいへんありがとうございました!

9月から毎日掲載が始まった長編版『名探偵悪役令嬢』、これにて本編完結となります。読者の方々に重ねてお礼を申し上げます。


よろしかったらぜひ「♡応援する」「☆で称える」を押してください。

作者が「私にも安心できる場所があるんだ……」とつぶやきながら喜びます!


あとちょっとだけお付き合いください。

次はエピローグとなります。ここから30年後のお話しです!


エピローグは2023年1月29日19:00に公開!

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