第12話-⑥ 悪役令嬢はお別れを告げる
暗い階段をちゃぷちゃぷと音をさせながら降りていく。わずかに壁から漏れる光が足元を照らしていた。ここから水が噴き出ていたのだろう。途中で左に折れて、さらに階段を下る。光が消えたその先に扉があった。少し押すと、ゆっくりと開いていく。
そこは薄暗い小さな部屋だった。
ふしゅーふしゅーという死にかけている生き物の息遣いに似た音が、静かに聞こえていた。
「陛下……」
飾り気のない白いベットに陛下は横たわっていた。いつもの意地悪そうな顔をして、首はそこにあった。
その下には白いガウンを着せられていた。その中身はない。見えない。なのに、体があるように膨らんでいる。
私は静かに声をかけた。
「それは魔族からですか?」
そばにはグレルサブの人造神様を思い出す異様なガラスの水槽が置かれていた。脈打つ得体のしれない生き物がガラス越しに見えている。そこからはいろいろな色の管が這い出て、陛下の首にたくさん繋がれていた。
陛下は目をつぶったまま私に答えた。
「ああ。首だけになったお前の母親と同じだ」
「魔王アルザシェーラから聞いているのですね?」
「そうだ。何もかもだ」
「……ひどいです」
陛下がゆっくりと体を起こす。管が引っ張られ、ぷつんぷつんといくつか外れていく。
「お前がここに来たということは、この世界の謎を解いたということだ。おめでとうと言っておこう。王家の恥辱、我が連合王国の最悪に至ったのだから」
「ひどいとしか言いようがありません。いつから魔族と結託していたのですか?」
「1000年前からだ」
「大公からアシュワード王家と魔王アルザシェーラの成り立ちについて聞いていましたが、まだ続いていたとは……」
「先祖が人類についた嘘を、いまでも我が王家は守り通している」
「嘘はいつかばれます」
「こうするほかないのだ。この世界はそうやって均衡を保っている。そうしなければ人類と魔族、双方とも死に絶える」
「正義感の強い者が現れたら、真実を明かすのでは?」
「そのような者には消えてもらっている。我が王家の最たる暗部だ」
剣呑な言葉にユーリスが身構える。私はそっとその手を握って安心させた。それからベッドの端に座っている陛下へ、慎重に話しかける。
「どうして体を執務室へ?」
「まず言っておこう。あの体は余のものであり、余のものではない」
「どういうことです?」
「余は、似たような人間をさらってきて、余の首と挿げ替えることで生きている。あの体はどこの誰とも知れぬ男のものだ。首をはね、魔族の力で新鮮なままアンデッドに変え、余が操作できるように魔法で体の中身をいじっている」
「いつからそんなことを……」
「5歳のときからそうしている」
それでは体の成長に合わせて、誰かの体を使っていることになる。そんなことをしたら……。
「陛下、その体は王家の誰かではないのですね?」
「違う。そうそう王家の人間を行方不明にできないのでな」
「それでは殿下たちとは……」
「血は繋がっていない。あれが親と思っていた体は、もはやこの世に存在しない。どうだ、最悪だろう」
陛下は愉快そうに笑っている。
「あれは我が子だ。ジョシュアが直情的なのは余の若い頃にそっくりだ。セイリスは母親によく似ている。余と同じく世をはかなんでいる。ミルシェの寂しさも、余にはわかる。魔王にすがっているのは余と同じだ。我が子ではあるが、余は親ではない。まったく。これほど愉快なことがあるだろうか」
「……だから、死にたかったのですか?」
私がそうたずねると、陛下はにやりと笑った。
「ああ、そうだ。我が子たちは育ったが、余がその成長を妨げている。余の役目は終わりだ。だから、これでおしまいにしたいのだ」
「魔王アルザシェーラに、自分を殺してもらうよう頼んだのですね?」
「まぬけな話だ。心臓を止めて体を死なせたあと、倒れた拍子に首が取れてしまってな。魔王の慌てぶりは実に愉快であったぞ。結局首を抱えて、ここに引きこもることになった」
陛下がゆっくりと立ち上がる。何かをつかもうと腕を伸ばすが、袖から先にあるはずの手は見えなかった。
「頼みがある。余の命をつなぐ、この化け物を始末して欲しい。首だけでは維持できない生命力を、これが代わりに努めている。壊してしまえば余の命も尽きる」
「良いのですか?」
「ああ。余はもう眠りたい。あとは我が子たちに任す。その後はお前が見届けよ。余がお前を生かした対価を払え」
「ひどいですね、そんな仕打ちは」
「ああ、そうだとも。お前がおとなしく王家の一員になっていれば、こんなことはしなかった。心残りとしては、せいぜいそれぐらいだ」
扉が開く音がした。そこには白いワンピースを着た少女がいた。水をかぶったらしい。濡れた髪を垂らしたままにして、ワンピースの端を絞っている。
「魔王アルザシェーラ……」
「お前たちには加減というものを教えないといけないな」
「それはそれは」
「隠し部屋を探すのに水攻めだと? あげくに爆破するだのなんだの言いよって……」
「認識阻害魔法ですか? あの日執務室にずっといて、陛下がひとりになるのを待っていたように」
「ああ、そうだ。良い魔法を人類は作ったな。お前たちの様子をうかがうのにとても便利だ」
「この隠し部屋の存在を私が暴いたら、てっきり口止めでもされるのかと思いましたが」
「ユーリスと戦ってか? バカを言え。王宮が粉々になるわ。最後の別れを邪魔されてはたまらん」
陛下が歩み寄って、ゆっくりと魔王アルザシェーラを抱きしめた。人類の盟主であり、人類に仇なす魔族の王。でも、
その姿は、やさしいおじいちゃんと、少しやんちゃそうな孫娘にしか見えなかった。
「濡れるぞ」
「かまわん。もう最後だからな」
「そうか」
魔王が何かを断ち切るように深く息をする。
「最後を見届けてやるぞ、この年寄りめ」
「お前は変わらんな。出会ったのは5歳のときだったか」
「覚えていないな。私は長く生き過ぎた」
「お前からもらったこのひどく醜いもののおかげで、余は6歳の誕生日を迎えられた。いつ、これを始末しようかずっと悩み続けて、この歳になるまで生きてしまったよ」
「どうだった?」
「最悪だ。だが、良いものは見れた」
ふたりが静かに笑い合う。
「余を殺すために、こんな騒ぎを起こすのはいささかどうかと思うが」
「親友への、せめてもの手向けだ」
「バカ者。殺し過ぎだ」
「あそこまでやらなければ、魔族も人も納得しなかっただろう」
「それはわかるが、あんまり人を殺さんでくれ」
「最後まで私に無茶を言うのだな、ロマ坊」
ふいに陛下の体が魔王から離れる。
「そろそろ話すのもつらくなってきたな。お別れだ、我が親友」
「そうか……」
少し悔しそうに、何かをあきらめたように、魔王が微笑む。陛下がまたベッドの端に腰かけると、そんな魔王へやさしく話しかけた。
「かつて人の王であり、いまは哀れな魔族の王よ。先に月へ行って待っている」
「私はそこへ行けるのだろうか」
「ああ、行けるとも。余が招いてやる」
「ふふ、そうしてくれ。それなら死ぬのが楽しみになる」
陛下がベッドの掛け布団をめくる。そこには細く黒い剣が隠されていた。見えない手でそれをつかむと、柄の方を魔王に向けて渡した。
魔王が剣を受け取ると、ユーリスへ投げて寄越した。
ユーリスがそれをきょとんとして受け取る。
「ユーリス。先に謝っておく。お前を作ったのは、この日のためだった」
「魔王様、それはどういうことです?」
「私は魔族を殺すことができない。魔法に長けた私を恐れた人々から殺されようとしたとき、大公に生き延びるための対価を要求された。それが魔王として魔族を治め、魔族を殺さず、人を殺し続けることだった。だから私には剣となるお前が必要だった」
「そんな……」
「デュダリオンあたりは薄々感づいているようだったがな。さて、やってくれるな、ユーリス」
ユーリスが剣を握り締める。その手は少し震えていた。
「どうした? もう私のためには剣を振るえぬというのか」
「私は……」
「この水槽にいる魔物を斬れば、この枯れた老人の命は終わる。たったそれだけのことだ」
「でも……」
「悪人でないと斬れないのだろう? 何千万という人を死地に送り続けた大悪党だ。いままでと同じように、気にせずに悪人として殺めればよい」
「この人はジョシュア殿下のお父さんです。セイリス殿下だってミルシェ殿下にだって……。まだまだ、お父さんと一緒にいたいはずです!」
「やれ! やるんだ! お前はそのために生まれたんだ!」
少女が叫んでいた。魔王ではなく少女が、親友のために叫んでいた。
その叫びに弾かれるように、私はユーリスから剣をもぎ取った。鞘をすぐに抜き、剣先を水槽へと突き立てる。ひぎゃあという悲鳴が耳をつんざいた。
「陛下。私は案外あなたが好きでしたよ」
「ふふ、そうか。お互いままならんな」
「ええ。あなたには迷惑をかけられてばかりでした」
「最後まですまなかったな。あとを頼む」
「それが迷惑だと言うのです……」
「ふふ、実に愉快だ。ああ……。ようやく幕が下りたな……」
陛下の目が閉じられていく。
私は泣き叫びながら、剣を降りぬいて水槽を切り裂いた。ガラスは粉々に飛び散り、どろりとした黒い体液があふれだす。
自分の叫び声がうるさいと思った。
それでも叫ぶのを止められなかった。
ユーリスが私を抱きしめた。ぎゅっと泣きながら強く、何度も。
ようやく私は自分を止められた。
緩んだ手から剣が滑り落ちる。床へ音を立てて落ちていく。
陛下の首を支えていたものはなくなった。ガウンはばさりとベッドに落ち、首がその上で転がっていく。
魔王がベッドに腰かけ、その首をやさしくなでた。
「ファルラ。すまなかった。ユーリスの代わりをさせてしまって」
「母にさせていた研究、ユーリスの出生、ずっと前から準備されていた王都への襲撃、王家への魔族の接近……。すべてこのためですか……」
「ああ、そうだが?」
「あなたは……」
「親友の命に比べれば、他人の命などどうでもよい。お前だってそうするだろう? 私がしたように」
「私はあなたとは違います」
「それはどうかな。すでにそうしてきたであろう」
「違います!」
「ユーリスと結婚したお前は、私の子でもあるのだからな。なにもかもわかる。親なのだから。お前はきっと大勢の命よりもユーリスを優先させる。私と同じように」
私は手を握り締める。震えている。
そんなことをしないと言いきれない自分に震えていた。
どうでもよかった。ユーリス以外のことはどうでも……。
その他大勢のことは、勇者メルルクやジョシュア殿下にでも任せればよかった。
それでも、私は……。
いつのまにか、誰かのために一歩を踏み出してしまっていた。それに気がついてしまった。
戻るかもしれないし、もう戻れないかもしれない。
私は近いうちに選択させられるのだろう。
ユーリスを選ぶのか、人類を選ぶのか。
ユーリスの手がそれをやさしく包む。その温かい手が、いつでも私を先へと進めてくれた。でも、私は思い悩む。その手をつかんでいいのか……。
「ユーリス。私が大勢の人の命を奪うようになったら止めてくれますか?」
「もちろんです。結婚式の日にも言ったでしょう? 悪いことをしたらお尻ぺんぺんです」
「転生前の世界で、私達を殺した犯人が作っていたゲームのことを覚えていますか?」
「……はい」
「そのテーマは『憎しみながらも愛してしまう』です。私の役どころは人類を滅ぼそうとしてまで恋人を取った悪役令嬢です。あなたはそれを複雑に思いながら愛している元殺し屋の役です。私達はそれに抗うために、あらゆる事件をひっくり返し、解決へ導きました」
「そうですね……。でも王都への襲撃やいくつかの事件はゲームにはありませんでした。このゲームのエンディングはもうわかりません……」
「役柄に応じていた人が将来を作ろうと動いています。未来を切り拓こうとしていたのは、私達以外にも大勢いたということです。ユーリス、役に応じるのなら、私はあなたを取ります。そうでなければ私は……」
「ファルラ、簡単なことです」
「なんです?」
「両方取ればいいんです」
「そんな、無茶なことを……」
「大丈夫です。もうファルラは両方を取るように考えています。違いますか?」
「そう……、ですね……」
ユーリスはいつでも私に一縷の望みというものを与えてくれる。でも、きっとユーリスは怒るだろう。もうひとつの考えを思いついた私に。
私達を見つめていた魔王アルザシェーラが立ち上がる。その顔は少し笑っていた。
「さて帰るよ。しばらく王宮内の避難所で暮らすのは楽しかったが、高位魔族が何人か消えたせいで、魔族領は大騒ぎだ。北方に戻るとしよう」
後ろを振り向かず、そのまま扉へと歩いていく。
「いずれまた会おう。今度はこんなものでは済まなくなる」
「こんなものって……」
そうして部屋から出ていく。私はそれを止めることができなかった。
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作者が「水浸し少女は良い!」と叫びながら喜びます!
次話は2023年1月8日19:00に公開!
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