第11話-終 悪役令嬢は雨の中でむせび泣く
しーっとヨハンナさんが口に指を立てて言う。
「私が勇者だとバレたら、あんたたちのごはんを誰が用意するんだい?」
いたずらっ子のようにそう言うと、また荷物をかばんに詰め始めた。
「あなたが逃げ出したせいで、多くの人の人生が狂いました。母もそれに巻き込まれて、そのあげく魔族と……」
「そりゃ悪かったね」
「ヨハンナさん、あなたは……」
ヨハンナさんが手を止める。うつむいたまま話し出す。
「魔族に焼かれ蹂躙された街、親が生きたまま食われたのを見た子供たち、凍える森の中でいつ魔族に会うかわからず、狂いそうになりながら逃げ惑う人たち……。魔族との戦争……。どうにもならないことにたくさん出会ったさ。そんなとき、みんながいちばん喜んだのは何だと思う?」
「え? ……魔族を倒すこと、ではないのですか?」
「違う。それはね。あったかいごはんを作って食べてもらうことだったよ。たくさん魔族を殺すよりも、つらくて悲しくてあきらめて下を向いている大勢の人たちには、それがいちばん喜ばれた」
私の左手をヨハンナさんがそっと握る。
「いいかい、ファルラちゃん。勇者ってのは、みんなのために一歩を踏み出せる人のことなんだ。怯えて泣き出している人のために、誰からも助けてもらえずお腹を空かせている人のために、その一歩を踏み出す。たったそれだけのことなんだ」
「はい、ですが……」
「でも、アシュワード王家は違っていた。魔族の殲滅にこだわっていた。そうすれば貴族からも平民からも賞賛されると思っていた。勇者はその象徴なんだとさ」
「それは……。そういうところがあるのはわかります。それがないと王家や貴族たちは平民を支えることができず……」
「みんながそう思わされているんだよ。戦場で武勇を立てた勇者を祭り上げる。ほら、すごいだろ。すごい勇者を支えるために、貴族や王家がある。だから、お前たちはがまんしろ……。こんなバカなことを続けるための仕組みが、この世界にはできている」
ふいに私から手を離すと、ヨハンナさんは寂しそうに言う。
「嫌気がさしたのさ」
「ヨハンナさん……」
「私なんかはね。『みんなが望む勇者の役』には向いてなかったんだよ。だから逃げ出した」
「それでも! それでも……。ヨハンナさんは勇者だと思います……」
わかっていた、私には。
わかっていたのに、私にはどうにもできなかった。
逃げていたのは、私のほうだ……。
うつむく私に、ヨハンナさんはやさしく笑いかけてくれた。
「ありがとうね、ファルラちゃん。さて。湿っぽい話はこれで終わり。あったかいもんをみんなに食べさせないとね。まずは食ってからだよ」
「逃げ出すんじゃないんですか?」
「逃げ出すとも。この旦那との思い出の店からね。王宮の前に人が集まっているんだろ? 腹を空かせているだろうから、近くで炊き出しでもするさ」
私は勢いよく立ち上がった。
「手伝います」
「ああ、いいけどさ。ファルラちゃんは自分にできることをやりな。そのけが、あまりよくないよ」
「はい、わかってます……」
私達は食材をたくさんつめこんだ布のかばんと鍋や大きな防水布、目についたものをとにかくたくさん抱えて、店のほうに出た。
しゃがんでいたユーリスが、私を見て立ち上がる。
泣き腫らした目をこすりながら、私にたずねる。
「どうするんです、そのたくさんの荷物……」
「ご飯を作って焼け出された人たちに食べてもらいます。ユーリス、手伝ってください」
「ええ、いいですけど……」
「すみません、ベッポさん。すぐにゼルシュナー先生や、メルルクたちがやってきます。それまでは、どうかここをお願いします」
「わかった。もう危ないことはしないでね。あんたが死んだら私に生きる張り合いってやつがなくなるわ」
「ええ、そうならないようにします」
私達は店の扉を開けた。灰色に包まれた街が見えた。そこには、泣いているように雨が降っていた。
■王都アヴローラ ランディーニ門 ノヴバ小月(5月)6日 7:30
王宮に通じる大きな門の前には、人がたくさんあふれていた。
貴族も平民も関係なく焼け出された人々が、開かない門の前で雨に濡れながら立ちすくんでいた。
門を守るように衛士たちが横に並んでいる。多くの人が開けて欲しいと衛士に懇願しているけれど、衛士たちは、ただまっすぐ前を見据えて、誰も聞こうとしなかった。
「ありゃだめだね。ああ、ユーリスちゃん。そこの木に布の端を引っかけておくれ」
「ヨハンナさん、こんな感じでいいんです?」
「そうだよ。こうして斜めにしとくと、雨が流れていくからね」
そこから少し離れた空き地で、ヨハンナさんとユーリスが、大きな緑色の防水布を広げていた。
あっという間にテントの形になった。逃げ出している最中の野宿で鍛えられたと言ってたけれど、ヨハンナさんはやたら手際が良い。
あたりに転がっている瓦礫を拾ってきて、簡単なかまどを作る。ユーリスが魔法で火をおこすと、水を張った大きな鍋をかまどに乗せた。
ヨハンナさんは持ってきた小麦粉に水を入れ、たぷたぷとかき混ぜる。それは転生前の記憶だと、すいとんとか、ニョッキとか呼ばれている料理に近かった。
「さあ、おいしく作るよ。あ、ユーリスちゃん。持ってきた野菜をもう鍋に入れちゃっていいから」
「はい。あ、塩ももう入れちゃいます?」
「お願いね。野菜が煮えたら味を調えるから、少しでいいよ」
「先輩にも食べてもらいたかったです。こういうの大好きなのに……」
「あいつも食ってから行けばよかったのにね。まあ、どこかでひょっこり会うだろうさ。あ、それも入れていいよ。いい香りがするんだ」
右腕が痛み出す。それを左手で押さえてこらえた。
私はここでは役立たずだった。
雨粒が大きな音を立てて、テントを叩く。
「……いまの私にできることって、なんでしょうね」
ユーリスに見つからないように、ふらふらと門の前へ歩き出す。血だらけでぼろぼろな私に驚いて、人々が左右に離れていく。その先にいた衛士は、私のよく知っている人だった。
「オルドマン衛士長、どうして門を開けないのです?」
「ファルラさん……。王宮の結界が破れたんです。高位魔族が街にいたのはわかっていますし、避難する人の中にまぎれるかもしれませんから」
「なぜです? なぜ、結界は壊れたんですか?」
「落ちた空中戦艦の先端が、ちょうど結界を作る魔法の弱いところにぶつかったようです」
ふいによぎった。
狙っていた? まさか……。
私はその考えを振り払うように、衛士長に言い出した。
「焼け出された人々の避難を優先すべきです。門を開けてください。あなたたちで判断できないのなら、門を開放するように国王陛下へ直訴してきます」
「いけません」
「もう化け物たちは来ません。高位魔族もです。魔族の目論見は破れました。たとえ結界が壊れたとしても……」
衛士たちが素早く抜刀した。その切っ先を私へと向ける。
「これ以上はファルラさんといえども、許すことはできません」
衛士長の顔には帰って欲しいという文字が浮かんでいた。
後ろを振り向いた。
何百何千という人が、大粒の雨に打たれながら、私をすがるように見つめていた。
前を向く。
たった10人の衛士が、何もして来なかったアシュワード王家を守っていた。
……ふふ、なんですか、それは。
私は怒るのを通り越して、なんだか笑ってしまった。
「ユーリス以外の命はどうでもいいと思ってたのに……。ああ、そうですね。私も自分の役に向いてなかった、ということでしょうか」
そんなことを考えてしまった自分にため息をつく。それから衛士長を鋭くにらみつけた。
「どきなさい! どかないと死にます!」
怒気を含む声に、あわてて衛士が私へ飛び掛かろうとした。
それより早く剣を抜く。門めがけて振りぬいた。無数の流星雨が浴びせられる。
巨大な門がゆがむ。
そして、大きな音を立てて、粉々に崩れ落ちた。
剣をくるりとまわして、鞘に納める。カチャという小気味の良い音がした。
私は前へ歩く。
瓦礫となった門を乗り越えようと歩く。
尻餅をついて呆けたように私を見上げる衛士長に、私は言葉を捨てていく。
「瑠璃宮を開放するよう国王陛下にお願いしてきます。せめて体の弱い人だけでも雨風をしのげるところへ」
私の後ろに、人がついてきた。ひとりふたりと続く。それは少しずつ数を増し、民のいない王宮へと静かに歩き出した。
右足の痛みが増してくる。引きずりながらどうにか歩くと、雨に霞む瑠璃宮が見えてきた。
入口へと続く白い大階段を苦労して登る。雨の中、足を手で持ち上げるようにして一段一段登っていく。
人の気配がした。私のそばを降りてくる。顔を上げた。通り過ぎるその人へ振り返る。
「なぜ、ここに……」
白いワンピースを着た少女。
魔王アルザシェーラがそこにいた。
魔族の狙いはすべて防いだ。
多くの人が亡くなった。多くの人が家をなくした。
魔族も例外なく犠牲を払った。高位魔族ですら……。
なのに、なぜ……。
なぜ、笑っている?
「なぜですかッ!」
私の怒りが混じる叫びに、魔王は振り向いた。
「茶番は終わりだ。幕は下りた」
魔王はそう言うと不敵に微笑んだ。それから前へ向き直り、手を上げてさっと振ると、また歩き出した。
「ま、待ちなさい! あなたには聞きたいことが!」
階段の上の方が騒がしくなっていた。上を向く。あわてて走る衛士の数が次々と増えていく。
その一人が叫んだ。
「国王陛下が殺された! 増援を、もっと増援を寄越せ!」
なんですって……。
私は魔王の方へ急いで振り向いた。
そこには誰もいなかった。
降りしきる雨だけが、そこにあった。
雨音がうなる。その虚ろな音が、私の心を蝕んでいく。
「……私はいったい何をしていたんでしょうね」
灰色の空を見上げた。
天から降りしきる雨を茫然と眺めていた。
情けなさ。やるせなさ。自分へのいら立ち。
雨に流れてくれない自分の気持ち。
雨粒が私の汚れた顔を伝わり、ぽたりぽたりと下に落ちていく。
その中には自分の涙も混じっていた。
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作者が雨に打たれ、たそがれながら喜びます!
新年あけましておめでとうございます。
今年も『名探偵悪役令嬢』をぜひごひいきに!
あなたに月の導きがあらんことを!
次話は2023年1月2日19:00に公開!
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