第10話-終 悪役令嬢はずっと一緒にいられますようにと祈る
「ユーリス。北風が吹いています」
「風? そうですか? 今日は暖かいですけど」
「冷たく厳しい北風が吹いています。それはやがて大きくなり、嵐となって多くの人を死へと導きます。さて、嵐の後には何が残るのでしょうね……」
ふいに子供たちの明るい嬌声が上がった。
楽しそうに遊んでいるようだった。
しばらくしてからユーリスが私にたずねた。
「不安なんですか、ファルラ?」
「ええ。何もかも」
「考えないでください。そのほうがファルラらしいです」
ユーリスが私の手を両手で優しく握ると、諭すように言う。
「いつもしたり顔で、『それはそれは』とか、『探偵ですから』とか言って、うふふと笑っていてください。それがファルラなんです。そうでしょ?」
「そうですね……」
ユーリスの言葉にいつも私は救われる。
そう。ずっとそうだった。ずっと……。
歯噛みする。
悔しさで体が震える。
もうすぐ、その言葉は聞けなくなる。
ユーリスの命を伸ばす方法は、今日まで見つけられずにいた。
衝動的にユーリスを抱きしめる。
どうにもならない現実を感じて、ずっと我慢していた涙があふれだす。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……。私は……、言う通りに出来ません……。ユーリスを救えないから……」
「もう。そんなふうに泣く子は、ずっとそばにいないといけませんね」
「ユーリス……」
「ファルラは、きっと私がそばにいたことを後悔します」
「後悔なんてしません」
「いえ、きっとします。私が消えたあと、ずっとそうします」
「ひどいです。ユーリス」
「ひどくします。私が消えても覚えているって、そういうことなんです」
「それは、そうですが……。それはつらすぎます」
「私もそう思います。だから離れたいと言ったんです」
「……それも嫌です。嫌なんです」
「もう、ファルラは。困った人です」
泣き止まない私の頬に、ユーリスの手が触れる。流れる涙をぬぐいながら、ユーリスはそっと言う。
「誓いなんてまやかしなんです。この手を離さない。今の私達にはそれだけでじゅうぶんです」
私達は唇を重ねた。
少し潮の味が混じっていた。
何度もユーリスの唇を求めた。
救えない大好きな人に、自分の救いを求めるように。
教会の鐘の音が聞こえる。
何度もがらんがらんと大きな音を響かせている。
私は祈っていた。
大好きなユーリスがいつまでも私のそばにいられますように……。
それが叶うなら私はどうなってもかまいません……。
どうか、どうか……。
たったひとつだけのこのお願いを……。
お願いだから……。
その祈りは届かないと知っていても、私は祈り続けた。
ふいに足音がした。
振り向くと、白いワンピースを着た少女が私達のほうへ歩いて来ていた。
「ああ、これは邪魔をした。続けてもいいぞ」
「魔王アルザシェーラ……」
「言ったろう? 婚礼には呼べと」
暗がりから聞き慣れた声がした。
「お母さんも来ちゃった」
黒いコートを着た人が姿を現す。
「お母さん! ……体は生えたんですか?」
「人を原生生物のように言わないの。このコートには中身が無くて。まあちょっと不自由だけど、こうして歩けるようになったわ。首だけじゃ不便なのよ」
「それはそれは……」
「そ、れ、よ、り! あなたたち、すごくきれい。良く似合っているわ。ふたりはちゃんと仲良くしてるの?」
「してますよ」
「ユーリスちゃんを泣かしちゃダメよ? ファルラよりしっかりしているんだから、ちゃんと言うこと聞くのよ」
「いや、あの、お母さん……」
魔王は腕組みをしながら、うんうんとうなづいていた。
なんで、親という生き物はこうなんだ……。
「ああ、そういえば。大公からこんなものを渡された」
きらりと光るものを魔王から差し出される。それを受け取ると私は頭をひねった。
「……栓抜き、……ですか、これ?」
「いや、私にもわからないが」
「あの人の持ち物は、がらくたばかりですね……」
「お祝いの品だとは言ってたが。まあ何かに使ってくれ」
「何かって、なんでしょうね……」
まだ魔王が怖いのだろう。私の影に隠れるとユーリスが言う。
「あの、魔王様。どうやってここへ……」
「ああ、面倒なので魔族領から妖精の道を王都近くまで通しておいた。気づかれるまでには時間がかかるだろうが……」
「だいぶ迷惑なことをしますね」
「当たり前だろう。今日はお前たちふたりの人生が始まる日なんだから、無理もするさ」
「人生、ですか……」
母がちょいちょいと私を手招きをした。
「お母さん、お手洗いに行きたくなっちゃった。一緒に来てくれる? 場所がわからなくて」
「え……。体がないのにどうやって」
「いいから来なさい」
少し離れた暗がりに連れて行かれると、母は私に静かに言った。
「伸ばせて3年。いまはそれが精一杯」
「……魔族領にユーリスを連れて行かないといけないんですね?」
「さすが、私の娘。頭が良いのね。話が早くて助かるわ」
「やはり、そうですか……。魔法に関しては人の世では限界がありますし、それに……」
「それに?」
「魔王アルザシェーラも元は人だったそうですから、どうにかする手段があるのではないかと……」
「ファルラ、どうする? 人類を敵に回してユーリスちゃんの命をわずかに伸ばす? それとも諦めて人類の希望になって魔族を打ち滅ぼす?」
「ひどいことを聞きますね」
「私はファルラのお母さんだもの。娘の人生は本人に選ばせてあげたいの。そうしないと、ずっと後悔することになるわ」
「どちらを選んでも後悔します。それなら考えるまでもありません」
それから母といくつか話したあと、ユーリスのところに戻る。魔王アルザシェーラとユーリスが何かを話していたけれど、私はそれを無視して足早に歩いていく。
「ファルラ、早かったですね。え、あ、ちょっと、ファルラ」
ユーリスを抱きしめる。
強く抱きしめる。
不安を消すように抱きしめる。
「ユーリス。私が悪に染まろうとしたときは、どうか私の手を引いて止めてください」
「どうしたんです? もちろん、そのときはたくさんお説教します。約束しますよ?」
「ありがとう、ユーリス。約束です」
その約束は必ず破られると、私にはわかっていた。
……祈りが届かないのなら、祈る自分を消してしまえばいい。
私はもう覚悟を決めていた。
私達のウェディングドレスが、春の風にやさしく揺れていく。それは寄り添い、離れ、そしてまた重なっていった。
■王都アヴローラ ベーカリー街「焼きたてパンの店 221 B.コルネイユ」 2階ファルラの部屋 ノヴバ小月(5月)3日 13:00
それはいつもの日だった。
平穏な日常。不穏な情勢。
それはずっと続いている。
私は窓の細い桟に手をかけ、ゆっくりと開けた。少し暑かった部屋へ、涼しい風が入り込む。
窓辺から外を眺める。灰色の街並みには街路樹の緑が映えていた。行き交う人たちは、上着を脱いで手に持ち、暑そうにしていた。
テーブルのほうへ振り返ると、メイド服を着たままのユーリスが椅子に座って考え込んでいた。
ペンを握ったまま、白い紙の前で「いや、これはこうかな……」、「こうしたらもっと良いけど……」と、ずっと何かをつぶやいている。
結婚式のあと、ユーリスは自分の人生を書き残したいと言い出した。私がそれを読んでいつでも自分を思い出せるように。だから、こうして紙の前でうなっているのが最近の日常だった。
でも、このままで本当に書けるのだろうか。少し心配になってきた。私はユーリスに声をかける。
「そんなふうに頭をひねっても、文字は紙に浮かんできませんよ」
「頭の中で考えたら、良い感じに本にしてくれる魔法ってないんでしょうか」
「ユーリスが知らないのなら、ないですね」
「きっとすごい名作になると思うんです。『名探偵ファルラ・ファランドールの冒険』として売ったらベストセラー間違いなしです」
「やめてください。私には鹿討ち帽とパイプは似合いません」
ふたりでくすくすと笑いだした。
その日が近づいている。
私は探偵業を休んでいた。
いろいろな人にいろいろな相談をされたけれど、みんな断っていた。
こうしてふたりだけの時間を作りたいから、そうしていた。
また悩みだしたユーリスの姿を見て、私は少しだけため息をつく。
馬車の人除けの鈴が階下で止まった。誰か来たのだろうか。
ユーリスが立ち上がると、私と一緒に窓から下をのぞき込んだ。
「ファルラ、とても立派な馬車ですよ?」
「今まで見たことが無い形ですね。6人乗りでしょうか?」
「ユスフ家のぽいです。ほら、あそこ。扉のところに小さく紋章があります」
「また、イリーナですか。最近、ここに来すぎです。あれでも当主なのでしょう? 学業はどうなっていますか」
「きっと心配しているんです、私達のことを」
「ただ面白がっているだけではないかと……。あれ、少し様子がおかしいですね」
馬車から黒ずくめの男たちが何人も降りてきた。私はユーリスの手を引き、部屋へと下がる。うなずき合うと、何があってもいいように扉の近くで身構える。
階段をあがってくる音がする。かなり重い足音がいくつもしていた。
部屋の扉がノックもなしに開けられる。
とっさにユーリスが手を前にかがけたけれど、私は来客の姿を見て止めさせた。
「めずらしいですね。イリーナが男装して来るなんて。まるで先輩みたいです」
胸を隠し切れない緑色のジャケットに乗馬用のズボンを着たイリーナは、花が散るような笑顔で言った。
「実を言うと、アシュワード連合王国はもうダメなんです」
彼女は鈍く光るナイフを取り出した。ユーリスが剣呑な声をあげる。
「そんなナイフでは致命傷は与えられませんよ?」
イリーナは誤解を解くように少し微笑むと、自分の長い髪をつかみ、そこにナイフの刃を当てた。
「待ちなさい!」
イリーナは私の言うことを聞いてくれなかった。自分の長い髪をナイフで一思いに切った。
髪の毛が床にばさりと落ちる。
肩にかかるぐらいの短い髪になると、イリーナはまるで男の子のように見えた。
「なぜ……」
困惑する私に、イリーナは微笑みながら手を差し伸べた。
「一緒にこの国から逃げませんか、ファルラちゃん」
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作者が宇多田ヒカルの「Beautiful World」を歌いながら喜びます! いや泣きます!
次話は2022年12月17日19:00に公開!
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