第10話-⑨ 悪役令嬢はウェディングドレスを着る


 そこに行きたかった。

 私はその人のそばに行きたかった。

 その思いだけが心に満ちていく。


 光へと歩いていく。

 ユーリスがいるその光へと歩いていく。


 私の前にユーリスがいる。

 何かを求めるように、その手を握った。


 「とてもきれいですよ」

 「そう、ですか?」


 八重歯を見せて、にししとユーリスが笑う。

 その姿はとてもかわいくて、かわいくて……。

 何度も見ている笑顔のはずなのに、私は胸をぎゅっと強く締め付けられた。


 少し照れ臭くなって、ユーリスの胸元を飾っている白いレースにそっと触れながら言った。


 「イリーナが紹介してくれた仕立屋さんは、最高の仕事をしてくれました。ベルラインのドレスに白いレースをふんだんに使っていて、スカートの裾が優雅に流れていく。こんな形のウェディングドレスは、この世界にはないものなのに」

 「ファルラのはだめです」

 「え、そうなんですか?」

 「ほら。こうしてベールを上げたほうがかわいいです」

 「それはすみません」


 私達はくすりと笑い合い、それからお互いを見つめ合う。

 女優がそれを邪魔するように、わざとらしく言う。


 「ああ、これおいしいわ。すごくおいしい。下のパン屋さんの?」

 「そうなんです。ヨハンナさんが作ってくれて」

 「ごちそうじゃない、これ? このガチョウとか。魚のパテもおいしいし。大きなケーキまであるわ」

 「昨日の夜からいろいろ支度してましたね」


 ユーリスが少し怒ったように口を挟む。


 「ヨハンナさんったらひどいんです。私が手伝うって言ったのに何もさせてくれなかったんです」

 「お祝いしたかったのでしょう。私達は素直に感謝して祝われておけばいいのです」


 むうとふくれるユーリスの頬を、私はぷにぷにとつつく。


 ケーキについてるプレートの文字は、私が書いたのだけど、言ってしまえば「なんで私にも書かせないんですか」と余計にふくれるだろう。私はそれを黙っておくことにした。


 女優が不思議そうにたずねる。


 「王太子妃のお母さんなんでしょ? じゃ、これ、自分の子供に作ったんじゃないの?」

 「ええ。でも、式への列席が許されなかったので、私達にと」

 「ああ、それで今日なの?」

 「それもありますが……。ユーリスに幸せな思い出を作ってあげたかったのです」

 「そう。いろいろ複雑ね」


 楽団の奏でる音が強く聞こえてきた。


 「そろそろ来ますよ!」


 そう言うとユーリスが私の手を引っ張る。バルコニーの柵に手をかけながら、一緒に下を見下ろした。


 沿道に詰め掛けた大勢の人が、連合王国の旗を振っていた。投げられた紙吹雪がきらきらと舞っていた。

 その中を気品のある黒い馬車が、ゆっくりと進んでいく。


 空のように真っ青なウェディングドレス。

 陽のように真っ赤なタキシード。


 ふたりで手を振って、みんなの歓声に応えていた。


 あんなことがなければ、私がいた場所。私が殿下の隣で手を振っていた場所。


 ふふ、うふふ。

 本当におかしい。


 それを見たら少しでも感傷に浸れるかと思ったけれど、そんなことはまったくなかった。

 だって、いまは……。


 ユーリスが体をえいっと寄せてきた。通り過ぎていくふたりを見ながら、ぽつりとつぶやく。


 「こっちの世界だと、ウェディングドレスは青いんですね」

 「そっちのほうが良かったですか?」

 「いいえ。やっぱり私としては断然白ですから」

 「ふたりで白いウェディングドレスというのも不思議な感じがします」

 「いいんですよ、似合ってますし」

 「きれいなんですか、私は?」

 「もちろん。あのふたりよりもずっと。だって私のファルラですから」


 ふたりで笑い合っていると、また女優が邪魔をする。


 「そこ。イチャるなら乾杯してからね」

 「イチャるって」

 「お酒入れてきたから。グラス持って。ほら、ユーリスちゃんも」


 カチン。

 3人でグラスを合わせる。


 「ファルラの笑顔に」

 「ユーリスの幸せに」

 「あんたたちの未来に」


 未来、ですか……。

 私は何も言わず、それを飲み干した。


 「イリーナさんがいますよ! ほら、あれ! ほかの馬車からずいぶん離れていますね」

 「貴族筆頭だからですね。でも……。破格の扱いですね。新婦の親を務めたファランドール家より格が上だなんて」

 「私達はあんなすごい人と親しくしていたんですか?」

 「いまさら何を言いますか」


 女優がグラスを傾けながら言う。


 「それって私のファンの子でしょ? 本当はこっちに来たかったんじゃない?」

 「ええ。でも、これを欠席したら、大問題になりますから……」


 ユーリスがくるりと体をその場で回す。レースのスカートがふんわりと揺れる。


 「あとでまた見せてあげましょうよ。せっかくイリーナさんのおかげで、このウェディングドレスを着ることができたんですから」

 「それは……」


 口ごもってしまった。

 嫉妬するだろうか。傷つけるだろうか。

 イリーナの気持ちには気づいている。でも私にはどうにもできない。


 ユーリスが私のおでこをぺちりと叩く。


 「ファルラ、悩むことはないんです。私達のイリーナさんですよ。きっと喜んでくれます」

 「……そうですね。そうしましょう」


 いつも私はユーリスに助けられてばかりいる。

 私が、ふふと笑っていると、ユーリスが私の手を引く。


 「ファルラには甘い物が必要です」

 「そうなんですか?」

 「そうですよ。食べて元気になってください」

 「元気ですよ、私は……」

 「あ、そうだ。よくやるじゃないですか、ケーキ入刀。あれ、やりたいです」

 「はじめての共同作業って奴ですか。もういろんな共同作業をやり過ぎてて、よくわかりませんが……」

 「気持ちですよ気持ち。ナイフは、っと……」


 女優が細いナイフを背中から取り出すと、ユーリスに柄を向けて差し出した。


 「ほい。これでいい?」

 「まだ背中に仕込みナイフをしてるんです?」

 「洗ってあるから平気よ?」


 苦笑いしながらふたりでナイフを握る。ユーリスがおどけて言う。


 「では、ケーキ入刀。とうりゃー! ……あれ、なんか違う気がする」

 「もう。ユーリスは。魔族を殺しに行くように切らないでください。とりあえず、八等分くらいにしますか」

 「大きいほう、食べていいです?」

 「ええ、もちろんです」


 女優が手をクリームでべたべたにしながら、ケーキをつかむ。


 「結婚おめでとうって書いてあったの、ぐちゃぐちゃにしてるし」

 「せめてお皿にとってから食べてください」

 「いいのいいの。このほうがおいしんだから。はむっ。……うん、あっ、これはなかなか。お店で売ったら行列ができる味だわ」

 「でしょう。クリームが違うんだそうです。ああ、それで。どうして読めたんです? ケーキに書いたメッセージは日本語なのに」

 「あ……」


 女優がいたずらがばれた子供のような顔をしていた。


 「ベッポさんはいつも詰めが甘いですよ。いつか見せていただいた剣舞は、中国の秘密結社で使われていたものでしたし。さしずめ、こちらの世界に来る前はスパイだったとか。ああ、それならここには恭喜結婚とでも書いたほうが良かったですね」


 ぺちこんっ。

 ユーリスが私の頭をチョップで叩く。


 「ファルラ、今日は私達のお祝いの日なんです。そういうことにひとつでも頭を使ってはいけません」

 「え、ええ……。それでは私の存在意義が問われますね」


 私達を見ていた女優がくすくすと笑いながら言う。


 「あの頃の上海租界はきらびやかで刺激に満ちてた、とだけ言っとくわ」

 「そうでしたか」

 「じゃ、私は稽古があるから。終わったらまた来るね」

 「ありがとうございます」

 「いいのよ。じゃあね。ごゆっくり」


 女優が手を振りながら、建物の影へ去っていく。


 それから私達は話すことがなくなった。ふたりでまだ続いているパレードをずっと見ていた。


 楽団の演奏に合わせて踊っている恋人たち。

 行進する兵士に花を贈る女たち。

 遠巻きにそれを冷ややかに眺めている人たち。


 オルドマン衛士長はセレーネ・ルドルファスさんと結婚して、幸せそうにしていると聞いていた。それでも戦地に向かう王族の警護に同行する。

 サイモン先生達はあいかわらず熱心に研究していた。魔族との争いにおける被害を、少しでも減らせるように日々頑張っている。

 私が魔族の誘拐から助けたリディア・ロスティカさんは、学生を辞めてロスティカ家当主となった。妹を戦場に送る前に戦争を終わらせたいと、家をあげて武器製造に精を出している。


 この婚礼が終われば、ジョシュア殿下から古都ネフィリア奪還の勅命が発せられる。


 連合王国軍1000万人。

 従軍貴族1万人。

 王家からは、ジョシュア殿下とセイリス殿下が戦場へ向かい指揮を執る。

 古都ネフィリア奪還まで、5年はかかると言われている。


 あらゆるものが戦争へと飲み込まれていく。

 王家も、貴族も、平民も、そして魔族も……。


 不安の中を、虚構に彩られたパレードが通り過ぎていく。




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作者が加古隆の「パリは燃えているか」を演奏しながら喜びます!



次話は2022年12月16日19:00に公開!

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