第10話-⑧ 悪役令嬢は助手の元へと帰る
私は大叔母にたったひとつのことを願った。
「申し訳ございません、大叔母様。ひとつ私もわがままを」
「なんです?」
「帰ります。私の家には、愛する人が待っていますから」
「なりません」
鋭い声が静かな部屋に響く。差し込む朝の陽が、私達の険しい表情を照らし出す。
「いえ、私は帰ります」
「お前は知りすぎています。このまま幽閉します」
「いいえ。私は大叔母様ができなかったことを行います。好きな人の隣にいるということを」
「お前は……。反省をしなさい。私とここで暮らすほかないのです。私と同じように……」
大きな音を立てて扉が開く。
「それにはおよびません」
廊下から漏れる光に照らし出されたその人は、ここには来てもらいたくない人だった。
「イリーナ……」
いつもとは違う、笑みの消えた真剣な表情をしていた。
大叔母の前に歩み出ると、手にしていた一枚の紙を差し出した。
「ご所望通りの金額です。ご確認を」
大叔母は受け取ろうとしたその手を止める。紙を見つめたまま、何かを考えている。
「欲しくはないのですか? あなたの後ろ盾はもう……」
ため息をつくと、ようやく大叔母はその紙を受け取った。静かな声で信徒を諭すように話しかける。
「イリーナ・ユスフ。あなたは、こんな者のために高い買い物をしました。いつか後悔するでしょう」
「あなただって、高い犠牲を払いましたわ」
私はたぶんイリーナに買い取られたのだろう。でも、それは……。
「イリーナは何をしているのです?」
「もう少し、穏やかな教会へ戻っていただきたくて、そのお手伝いをしています。枢機卿のお力が戻るぐらいには」
「それは教会を二分することになります」
「そんなところです、ファルラちゃん」
宗教改革。カトリックにおけるプロテスタント。
転生前の記憶がぐるぐると頭の中を巡る。
そして、私は思い至る。異端として否定されたプロテスタントがなぜ存続できたかを……。
「違いますよ、イリーナ。それは違う」
「何がです?」
「二分した教会はあなたにとって、とても都合がよくなる。支援された教会の一派は、同性愛でもなんでも許してしまうでしょう。ある国の王様は、離婚が認められないからといって、その宗教で異端とされた者を集めて国教とし、離婚を成立させました。大叔母様がそれを受け取った代償はなんですか?」
「さあ、なんでしょうね」
「経済、軍事、宗教。いずれも連合王国が持っている、その力の半分をあなたは手に入れた。イリーナ、あなたはこれからいったい何をしようとしているのです?」
ぱっと花が散るようにイリーナは笑った。
「秘密です。もっと裏で手を回さないといけないって、ファルラちゃんが言ってたのですよ?」
困惑している私に手を差し伸べると、イリーナはやさしく言った。
「さあ、帰りましょう。ユーリスちゃんはまだ起きてます。お茶の支度をして、ファルラちゃんの帰りを待っていますよ」
■王都アヴローラ 王国劇場 6階テラス 物置き場 アプリリオ大月(4月)1日 13:00
古い建物が左右から押し合うようにして真っ暗な影を作っていた。そのスリットのような隙間から、光が溢れている。光の先では、紙吹雪がひらひらと舞い、聞いただけで心が軽やかになるような音楽が聞こえ、人々の歓喜の声が辺りに響いていた。
賑わっていた。
華やいでいた。
今日はお祝いなのだから。
私は、暗がりの端から、そんな光景を見つめていた。
今日はジョシュア殿下とアーシェリの結婚式の日。グラハムシェアー大聖堂で、荘厳な婚礼の儀式が行われたあと、大勢の臣下と連合王国軍を連れて、王都で盛大なパレードをしている。それを祝福しよう、一目見ようと、大勢の人々が沿道に詰め掛けていた。
私が今いる王国劇場の前にも、馬車に乗せられたふたりがやってくる頃だった。遠くに聞こえていた歓声が、だんだん近づいてきている。
そんなふうに光の先を見つめていたら、その人は私の顔を指先で押して自分の方へと向けた。
「こっち向いてて。アイメイクが崩れる」
「すみません、ベッポさん。あなたぐらいしか頼れる人がいなくて」
「いいのよ。いろいろ世話になってんだし。ほら、できた」
まじまじと女優が、私の顔をのぞき込む。
「うん、やっぱりあんた、かわいい顔してるわ」
「そうですか?」
「王国随一の女優が保証してあげる」
「ありがとう……、ございます」
「いいわね。そんな顔ができるなんて。素直にうらやましいな。私もそんな恋をしてみたい」
「その……。ベッポさんならできるかと」
「ふふ。ありがと。鏡見る?」
「いえ、見せたいのはひとりだけなので」
そういうと私は白いベールを下げて、たぶん真っ赤になっていると思う自分の顔を隠した。
「そう。あんた、やっぱりかわいいわ」
女優が私の腰をぱちんと手で叩く。
「行って来な。あんたのフィアンセがお待ちかねだよ」
暗がりの先から、光へと踏み出す人がいた。
真っ白なウェディングドレスが光を浴びて、きらきらと輝き出す。白いレースの手袋を通した細い手には、可憐な花で彩られたブーケが握られていた。綺麗に編み込まれた髪の上には、美しいティアラがきらりと春の陽を反射させていた。
「ファルラ……」
ユーリスが私と同じベール越しに、恥ずかしそうな声をあげた。
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作者が五等分の花嫁のコスプレをしながら喜びます! 推しは三玖ちゃん!
次話は2022年12月15日19:00に公開!
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