第9話-終 悪役令嬢は助手と思い出話をする




 もうどうでもいい。

 どうでも……。


 王家や教会や魔族なんか、本当にどうでもいい。

 こんなユーリスを救えず、こんなふうに思わせてしまう世界なんか……。

 どうなってしまってもいい。


 誰かが見ていてもかまうものか。

 いまこの手を離してしまえば、もう二度と会えない気がする。そんなのは嫌だ。だから……。


 私はユーリスを抱き寄せた。


 怒っていた。それでも抱きしめた。

 悲しかった。それでも抱きしめた。


 強く強く、ユーリスに私の気持ちが伝わるように抱きしめた。


 「ファルラ……」

 「ユーリス、二度とそんなことは言わないでください」


 私の瞳から流れていく滴が、温かさを奪われ落ちていく。

 ユーリスの手が私の頭をやさしくなでる。どうしようもない子供を慰めるように。


 「ファルラ、お願いです。聞いてください。こうやって抱きしめていても、解決しないんです」

 「なら、どうすればいいのですか?」

 「そうですね……。ファルラはイリーナさんのところに身を寄せるとかどうでしょう? そうしたら私は安心します」

 「ユーリスはどうするんです?」

 「暖かいフレリア海にでも行きます。寒いところは、いろいろ思い出してしまいますから」

 「それがユーリスの本当にしたいことなのですか?」


 ユーリスは答えない。

 そんなことは、私もユーリスもわかっているじゃないか。


 「そんなことしなくていいんです。その日が来るまでは、ユーリスはただ私のそばにいてください」

 「でも……」


 カランカランという人除けの鈴を鳴らした馬車が近づいてくる。それを無視して、ユーリスが私へ言葉をつなぐ。


 「それは私のわがままだと思うのです」

 「わがままを言いなさい、ユーリス」

 「わがままを言ったせいでファルラは苦しくなるんです」

 「そんな苦しさなんて、私にはどうでもいいんです」

 「ファルラにはどうでもよくても、私はそれがつらいんです。だから距離を置くしかないんです」

 「そんなのは無理です。だって私達は……」


 後ろで急に馬車が止まる。扉がすぐに開いた。


 「あら。ふたりはとても面白いところのようです」

 「イリーナ! どうしてここへ?」


 馬車から顔をのぞかせたイリーナは、あいかわらず花が後ろに散ったような笑顔をしていた。


 「ふたりの帰りが遅いからアーシェリさんが心配してたんです。だから、私に迎えに行って欲しいとお願いをされて」

 「それで自分とこの馬車で王宮に乗り込んできたのですか? 王家以外は止められていると思いましたが……」

 「ええ、そうなんです。いろいろ怒られました。でも、ファルラちゃんがまた無茶をしていると思って、私も無茶をしてしまいました」

 「イリーナ……。あのですね、前も言ったように……。あ、いや……。いいです」

 「ファルラちゃん?」

 「ありがとうと言っておきます」


 それを聞くとイリーナがますますにっこりと笑う。


 「早く馬車に乗ってくださいな。あまりよくない人たちがうろうろしています」


 イリーナが手を差し出す。私達は少しだけ離れると、その手をふたりでつかんだ。馬車のステップを踏み、ふたりで中に入り込む。私は窓からこっそり外を探ると、瑠璃宮の階段の下にあの司祭たちがいるのが見えた。衛士たちも呼ばれている。


 「戻ってきてこちらを監視していたとは、彼らも暇な人たちですね」

 「ファルラ……」

 「イリーナ、馬車を出してください」


 ユーリスがあげる心配の声を、私は無視してそう告げる。イリーナは、私達に興味深く不思議そうな顔を浮かべる。


 「喧嘩でもしましたか?」


 私とユーリスはそれに答えられなかった。伝えられる言葉を見つけられなかったから。

 イリーナがそんな私達にやさしく包み込むように言った。


 「帰りましょう。ふたりの家へ」




■王都アヴローラ ベーカリー街「焼きたてパンの店 221 B.コルネイユ」 2階ファルラの部屋 ジニア大月(1月)10日 22:00


 部屋に入るとじんわりと暖かかった。暖炉に火が残っている。ヨハンナさんが薪を入れておいてくれたのだろうか。ランプの明かりまで灯っている。私達を待っていてくれたのだろう。


 脱いだコートを水色のソファーへ無造作に置く。振り返るとイリーナが部屋の片隅にあった小さな椅子を、暖炉の前に持ってきていた。


 「少し暖まりませんか?」

 「いいですが、イリーナもですか?」

 「夜更かしをすることにします。温かい飲み物も欲しいですね。あのケトルを使っても?」


 自分の椅子を奥の部屋から持ってきたユーリスが、それに答える。


 「私がお茶を淹れます」

 「それはとても嬉しいです。ユーリスちゃんのお茶は美味しいですから。ぜひお願いします」


 ユーリスがうなづくと、鉄のケトルに水さしの水を入れる。暖炉の手前を火かき棒でならして熾火を作ると、4本の足が生えた五徳をそこに起き、ケトルを重ねる。


 「カップを取ってきます」

 「ユーリス、北方産の茶葉だと嬉しいです。あれのほうが温まります」


 こくりとうなづくと、ユーリスは奥の部屋と向かっていった。


 イリーナは暖炉の炎を見つめながら、やさしく私にたずねた。


 「さて、どうされたのです?」

 「面白くない話だと思います」

 「そうなのですか? 言いたくなるまで私は待ちますから」

 「私達の問題です」

 「そうでしょうか」

 「イリーナ、私は……」

 「話して楽になることもありますよ」


 暖炉の炎がイリーナを暖かく照らしていた。私を見ることはせず、ただ揺らぐ炎を眺めていた。

 その横顔を私は静かに見つめていた。イリーナは、どうして……。


 「毛布を持ってきました」

 「ありがとう、ユーリスちゃん」


 抱えていた毛布を座っているイリーナに手渡すと、ユーリスは暖炉へと歩いていく。ケトルはしゅーしゅーと音を立てていた。右手に分厚い布の鍋掴みをはめると、その熱そうな取っ手を握り、持ってきた白いポットへお湯を注ぐ。綿のような湯気の塊がふわふわと上がっていった。


 イリーナから毛布を一枚手渡される。それを肩からかぶっていると、ユーリスがカップを差し出していた。


 「ファルラ。ごめんなさい」


 触れたら壊れそうな顔をしていた。

 私はただ笑いかけた。そうしてあげるのが、ユーリスの一番うれしいことだと思ったから。


 渡されたカップを手に取る。一口飲む。


 温かい……。

 ほっとする。心地よさが体に広がっていく。心までもそれに包まれていく。

 それはユーリスと抱きしめ合ったときのぬくもりに似ていた。


 「アーシェリさんから、こんなのものも預かっているのです」


 紙袋をイリーナから渡される。中を開けて取り出してみた。それはずんぐりとしたパンに、肉がぎっしり挟まれているものだった。


 「アーシェリからの報酬ですね。おいしそうです」

 「せっかくなのでいただきましょう。ユーリスちゃんもね」

 「はい」


 カップを膝に置くと、行儀がどこかへ家出してしまったように、そのパンへとかぶりつく。


 はむっ。

 んんー! これは……。


 「おいしいですね。この家に戻ってきてまで、食べたかったのもわかります」

 「ファルラちゃん。これはすごいです。冷えててもうま味が伝わってきます。これはきっと焼き方が完璧なんです」

 「少し苦みがありますね。これはなんでしょうか」


 その小さな紺色の粒をつまんで眺めていると、ユーリスが食べかけのパンを膝に置いて言う。


 「ジェスパーベリーです。北方最深部の特産品で、雪の中で育つ大きな木に実ります」


 口に入れ、噛みしめてみる。森の中のような清々しい香りと、ほのかな苦味が口に広がっていく。


 あの青い宝石をかじったら、こんな味がするかもしれない。

 それは私がユーリスと暮らすために、アーシェリに渡したもの。

 それはミルシェ殿下が私に会いたくて奪ったもの。


 きっとそれはこの木の実と同じ、苦いものに違いない……。


 私はユーリスへ振り向くと、その気持ちを見せないように話を始めた。


 「香りが良いですね。このガチョウの肉とよく合います」

 「ファルラと会う前はよく食べていたんです。自分で摘んできたのを、鹿肉のローストといっしょに食べたり……」


 ユーリスがふいに遠くを見つめる。何かを思い出しているのだろうか。

 魔族領はその北方最深部のさらに奥にある。ユーリスやアーシェリにとっては、なじみのある懐かしい味だ。それをアーシェリはユーリスにも食べさせたかったのだろう。


 まったく……。


 「これで、私はこの実を食べるたびに思い出せます。アーシェリとユーリスのことを、ずっといつまでも」


 ユーリスが遠くを見つめたままだった。しばらくして「忘れてもらったほうがいいのかもしれません」とつぶやいた。


 暖炉を見つめたままのイリーナが、それを聞いてカップを膝に置きながら言う。


 「ユーリスちゃんのことを忘れるわけありません。あなたが消えても、私の心が消えるわけではないのですから」

 「それはそうですが……」

 「アーシェリさんだってそうです。人のことに良く気がつく、やさしい子なんです。ファルラちゃんと青い犬を学園中で探したとき、アーシェリさんとたまたま会ったら、足をくじいていることに気がついて、すぐ手当てしてくれました。あのことは、ずっと覚えています」


 そういう子だった。なら、ジョシュア殿下の気持ちだってわかるはずだ。どうして別れるのか……。私は少し憤りながら、イリーナに手紙のことを告げた。


 「気がつき過ぎたのかもしれません。アーシェリはジョシュア殿下から離れると言っています。お互いを思いやって別れるだなんて、私には意味がわかりません」

 「ファルラちゃん。だめですよ。私達はそれに意見はできません。感想は言えますけれど」

 「そう、ですね……」


 ユーリスから渡された温かいカップを握り締める。

 イリーナの言う通り、意見を言っても仕方がない。それはふたりが決めることなのだから。なら、私達は……。


 いま、これを聞かないとダメなんだろうな、きっと。


 「イリーナ。私とユーリスはどうすればいいのでしょうか?」

 「それを私に聞くのですか?」

 「感想を聞いているのです」

 「では……、うーん。そうですね。お話しをしましょう。この1年、ふたりはどこに行きましたか?」

 「それが感想になるのですか?」

 「ええ。それを聞いて、私が感想を言います」


 ユーリスが暖炉を向かって静かに話し出す。


 「あの舞踏会の日は忘れられません。ファルラはだいぶ緊張しているみたいでした。私達があの屋敷を抜け出し、一緒に暮らせるかどうかの瀬戸際でしたから」

 「仕方がありません。何かを間違えたら私は罪人として処刑されていましたから」

 「流星召喚はやり過ぎです」

 「先に一緒にやろうと言いだしたのは、ユーリスのほうですよ」

 「汽車に乗って北方のダートムまで行きました。木々が這う荒野へ振る雪は、とてもきれいでした」

 「空中戦艦にも乗せられましたね。しばらくこりごりですが、空から見た夕陽はとても印象に残っています」

 「ふたりでいろんなことしましたね」

 「いろんな人と出会って、いろんな風景を見て、話して、楽しんで、笑って」


 くすりと笑ったユーリスが、私に向かって言う。


 「魔法学園に連れていかれたときは、もうダメかと思いました」

 「私は助けると言ったら助けます。その通りになりましたよ?」

 「そういえば……。私はまだお米を食べられていません。どうなってます?」

 「ユーリスは食べすぎです」

 「私だって食べたかったんです。イリーナさんとふたりで食べてずるいです」


 頬っぺたを膨らまして抗議するユーリスに、私は少し笑った。それから、いつもと変わらないようにユーリスへ話しかける。


 「なら、また魔法学園に行きましょう。お米を譲ってもらったら、ロマ川のほとりで、ことこと炊くんです。そうですね。この世界には海苔がないから塩むすびになってしまいますが、どうですか?」

 「おいしそうです! 梅干しぐらい作りたいところですけど……」

 「似たようなものがないんですよね、この世界には。まだ塩鮭のように魚のほうが……」

 「あ。ダートムでいただいたお魚はどうです? あれに少し塩をして焼いたらいいかもしれません」

 「良いですね。なかなか脂がのっていましたし……」


 ずっとそうやって、私とユーリスは暖炉の前で話していた。


 それは、どうでもいい、くだらないことばかりだった。

 それは、私とユーリスには、ふたりで手をつないでこの世界を巡った、かけがえのない思い出だった。


 イリーナはそんな私達を見守っていた。ずっとそうしていた。


 おだやかな暖かさが眠気を誘う。話しているうちにユーリスは寝てしまった。私も体を動かすのがおっくうになる。このまま寝てしまおうと、まぶたを無理に開けることを止めた。


 なぜ私達のそばにイリーナはいてくれるのだろう。眠りに落ちていく頭の中でぼんやりと考えていた。


 だから「感想をあげます」というイリーナの声が耳元で聞こえて、それから唇に柔らかいものが当たったとしても、私は眠たくて抵抗できなかった、ということにした。それぐらいはイリーナにあげたいと夢の中で思っていた。




■王都アヴローラ ベーカリー街「焼きたてパンの店 221 B.コルネイユ」 2階ファルラの部屋 マルティ大月(3月)3日 11:00


 あれから2か月が経った。

 私達は『消えた急行列車』、『長屋の冒険』、『踊る古代文字』といった事件を解決しながら、ユーリスの延命方法を調べていた。良い方法が見つからないまま、こうして窓辺から雪がまだ残っている王都の街並みを眺めている。


 ふいに白い大きなカラスが、私の隣に舞い降りた。それは私を見上げると、グロテスクに内臓を散らしながら、一通の手紙へと変わった。


 「あいかわらず魔族は地味に嫌な趣味ですね……」


 封を開けて、手紙を読む。懐かしい母の字だった。あまり芳しくないらしい。それでもいくつか有望な方法を見つけているとあった。


 「でも、肝心なことは書いていませんか……」


 どれぐらいユーリスが生き延びられるのか。

 先週、サイモン先生たちからも新しい発見を伝えられていたけれど、そのことについては、みんな話そうとしなかった。


 手紙を胸に抱き、どうか良い方法が見つかるようにと心の中で祈る。

 そのとき、階下で言い争う声がした。


 「何かの間違いです!」


 ユーリスの大きな声が響く。階段を何人もの人が駆けあがり、扉を乱暴を開けられる。

 私はいつでもファイアーアローを打てるように身構えた。


 「ああ、ほら。やっぱりお会いすることができました」


 白いフードを脱ぎなら、その細目で笑う男が言う。

 それは王宮ですれ違った男だった。


 「月皇教会の異端審問官が何の用です?」

 「あなたたちを拘束します」


 同じ格好をした10人ほどの司祭たちが部屋になだれ込む。

 私はとっさに構えていた魔法をライトニングに切り替えて、強力な光で目つぶしをくらわせた。窓辺に手をかけて飛び降りようとしたとき、平然としたその司祭の声が部屋に響く。


 「逃げても無駄です。逃げたら連合王国中の信徒があなたを追います」


 一瞬動きが止まる。それを狙っていたように他の司祭たちがすかさず私の腕をつかみ、左右から取り押さえた。


 「セイリス殿下から教会まで来ていただけるようにと、書面をいただいています」

 「そんなものは紙くずです」

 「どうしてです? ほら、よく読んでください」


 その男は、手にした紙をぐりぐりと私の顔へ押し付ける。


 ユーリスが私のところに飛び込もうとしたのが見えた。

 だめ。そんなことしちゃ。

 このまま月皇教会に拘束されたら、ダートムの礼拝所どころではない苦しさがユーリスには待っている。私はとっさに大声をあげた。


 「待ちなさい! ユーリスは関係ありません。私だけを連れて行きなさい!」

 「何か不都合でも?」

 「ええ。ユーリスは魔族の子ですから」

 「はっはっはっ。よい冗談ですね。王都に魔族なんていませんよ。まあ、いいでしょう」


 その男が指図すると、司祭たちが私を抱えるようにして歩き出す。


 「少し家で待っていただけますか、ユーリス」

 「嫌です。待っていられません」


 素早かった。ユーリスが回し蹴りで、私の腕をつかむ司祭のひとりを吹き飛ばした。壁へ激突してそのままのびてしまう。もうひとりの司祭がそれを見て怯えるように私から手を離す。


 「そうですか。不本意ながらこのような手段を取らざるを得ませんね」


 男がマントに隠していた鞭を取り出して振るう。それがユーリスに絡むと、青白い稲妻が一瞬走る。ユーリスは、かはっという声を出して床に倒れ込んだ。


 「ユーリス!」

 「どんな生き物でも電気には弱いですからね」

 「お前……」

 「おっと、怖い怖い」

 「ジョシュア殿下か国王陛下と話をさせなさい」

 「ああ、そこなんです。誰かのお気に入りだとしても、それは私達のお気に入りとはかぎりません。そこはじゅうぶん考えていただかないと」


 これ以上抵抗すれば、ユーリスが傷つく。

 私は手を下げて差し出す。ほかの司祭たちが私の腕をつかむと、そこに鉄の枷をはめた。


 「それでは月皇教会総本山、グラハムシュアー大聖堂までお連れします。ファルラ・ファランドールさん」




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作者がモンティパイソンのスペイン宗教裁判の真似をしながら喜びます!



次話は2022年12月7日19:00に公開!

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