第9話-⑦ 悪役令嬢は犯人と助手に苦い思いをする
それを聞いた途端、ミルシェ殿下はお腹を抱えて笑い出した。
「あはは、どうして僕が犯人だとわかったの?」
「最初から」
「最初?」
「私が婚約破棄を告げられたあの舞踏会。ミルシェ殿下のそばにいた執事は高位魔族ギュネス=メイ。小さなレディは魔王アルザシェーラでしたね?」
「会ったの?」
「ええ、敵として会いました。それでも、私は生きています」
「そっか……。最近会ってくれないんだ。あの人たちは王宮の結界を超えられないから、すごくたいへんなんだよ。舞踏会とかサロンとか外に出るときに何度も連絡したり。でも、もう返事が来なくて。嫌われちゃったのかな」
「宝石を盗ませたのは、魔族ではないのですか?」
「警備が厳重過ぎて人にはできないよ。魔族はまだたくさんいっぱいいるから大丈夫。何千人も王都にいるんだ。あの宝石店にもいたから、お願いして宝石を貰ってきちゃった」
みんなが押し黙る。ジョシュア殿下は口に手を当てながら、楽しそうに笑っているミルシェ殿下を呆然と見つめていた。
私はそれを打ち破る。
「舞踏会の日以来、ずっとミルシェ殿下を疑っていました。何をするのだろうと。ジョシュア殿下も不安に思っていました」
「そうなの?」
「この事件では、料理長が頭を下げたとき、ミルシェ殿下は笑っていましたね。人は優越を感じると顔がほころびます。あれからずっとひっかかっていたのです」
「なんだ、そんなところからなんだ。次からは気を付けるよ」
「冒険者はどうなされたのです?」
「魔族の人に捕まえてもらった。事件を解決したら、もうファルラお姉ちゃんは帰っちゃうと思って。着替えている最中に手紙を飛ばしたのだけど、それが罠だなんて、ファルラお姉ちゃんは本当にいじわるだね」
「命の危害は?」
「ないよ。僕はそんな怖いことはしない。本当だよ?」
私はこの幼い王子をどうにもならない想いで見下ろしていた。
「なぜ、こんなことを?」
「寂しいんだ」
ミルシェ殿下がぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。うつむきながら、ぽつりと言う。
「こうしないと、僕のことをかまってくれないんだ。みんな、そうなんだ」
「そのせいで人の命が失われると考えたことは?」
「あるよ。でも、僕が寂しいほうがよくないよ」
ジョシュア殿下がいたたまれない顔をする。私は苦々しげに言葉を出す。
「寂しいからといって、こんなことをするのですか?」
「そうだよ。それの何がいけないの? このままじゃ、ファルラお姉ちゃんは僕のものになってくれないし。僕は本当に寂しがり屋なんだ。だから……」
お茶を淹れたポットとカップを銀のトレーに乗せて持ってきたユーリスが、そのトレーごとミルシェ殿下に投げつけた。カップは粉々に割れ、頭からお茶をかぶったミルシェ殿下が、熱いとも冷たいとも言わず、呆然とユーリスを見つめていた。
ああ……。だから遠ざけていたのに。
「あなたは人の命を何だと思っているんです! 寂しいからですって? これはやってはいけないことです!」
そう叫ぶとユーリスは、座っていたミルシェ殿下の腕をつかみ、立たせようとした。
「悪い子はおしりぺんぺんです」
まずい。もうまずいけれど。私はテーブルを土足で踏み込え、ユーリスに飛びつくように抱き締める。その勢いでミルシェ殿下からユーリスを遠ざけていく。
「やめときなさい。平民が王族に手を出したら大事です。もう少し良い人がしつけてくれます。そうですよね、ジョシュア殿下?」
「あ、ああ……」
「しっかりしてください。弟がしでかした悪さなんですよ。兄がどうにかするのが道理というものです」
「しかし……」
「あなたの弟は、私と会うために、アーシェリを踏みにじろうとしたのです!」
早くどうにかして欲しい。このままだとユーリスが怒りのあまり、ミルシェ殿下の尻を王宮ごと叩きかねない。
パンッ。
頬を叩く音がした。
「ジョシュアお兄ちゃん……」
「誰か弟を連れて行ってくれ。しばらく部屋で謹慎させる」
衛士のふたりがおずおずと殿下を立たせる。ソファーにあった割れたカップが、音を立てて転がり落ちていく。
私はうすら笑いを浮かべているその人に、刑を告げるように言葉を投げた。
「ミルシェ殿下。あなたへの罰として、私は一生会わないようにします。どうか、ずっと寂しがっていただければ」
「そうなんだ。次はいつ会えるのかな?」
「何を言って……」
「きっと、また会ってしまうよ。ファルラお姉ちゃんがどうしようとも。僕はその日が楽しみなんだ」
衛士たちに引っ張られるように、ミルシェ殿下が部屋から出ていく。それに抗いながら振り向き、私を見て嬉しそうに叫ぶ。
「とても、とっても、楽しみにしているよ! 大好きなファルラお姉ちゃん!」
連れていかれる。子供の笑い声がしている。それが遠のいていく。
こらえきれなくなったように、ジョシュア殿下がソファーにどさりと座った。こぼしたお茶で濡れるのも、かまっていられないようだった。
「ファルラ、お前はわかってて私を呼んだのか?」
「ええ。こうでもしないと衛士を連れて、こちらに来てくれなかったでしょうから」
「疲れているんだ」
「そうでしょうね。亡くなった兄に変わって大規模攻勢の準備、かしづかない貴族たち、不安と不平を広げる平民。そしてアーシェリの問題」
「お前のことも入っている」
「それはそれは」
私は抱き締めていたユーリスをそっと放す。静かにはなっているが、まだその目は怒っているようだった。
「大丈夫ですか、ユーリス?」
「……少し腹を立てただけです」
「いいえ、違います。ドジなメイドが転んでしまって、幼い殿下にお茶をかけてしまった。そういうことにします。それがお互いのためだと思いますが、どうですか、ジョシュア殿下?」
「ああ、それでいい。『王族が魔族と結託していたのを知って、激情に駆られてお茶を投げつけた』よりは、はるかにいい」
「では、そのようにしましょう。あとはお任せしても?」
「他の誰にも任せられないだろうしな」
「どうやらそのようです。それでは、ジョシュア殿下。私達は温かい我が家へ戻りたく思います。アーシェリが宝石が入っていたガチョウでご馳走を作ってくれるようですから」
「そうか……。それは良かったな」
座り込んだジョシュア殿下が、私とユーリスを見上げる。それから力なく笑った。
■王都アヴローラ 王宮中央 瑠璃宮大廊下 ジニア大月(1月)10日 18:00
ユーリスの手を引いて、装飾が過大な廊下を小走りに歩いている。私達だけの足音が広く冷たいその廊下に響いていた。
人目を気づかい我慢していたどうにもならない感情を、ようやく私は吐き出していた。
「まったく魔族は腹立たしいですね。どうしてもこうも私の大切な人たちを奪うのか。魔族さえいなければ、ミルシェ殿下はこんな安易な方法にすがろうと思わなかったはずです。いったい誰が魔族を近づけたのか……」
「ごめんなさい」
その泣きそうな声に驚いて、私は歩くの止めた。ユーリスのほうを振り向くと、さっきまで怒っていたのに、いまではとてもしおれたようになっていた。
「ユーリスのせいじゃありませんよ」
「でも、私は……」
「ここは王宮です。それ以上は言わないように」
「執事のアルベルトさんだって本当は……」
「言ってはいけません、ユーリス」
「でも……。3年前にあった魔族の浸透計画は知っているんです。私はそれを止められたのかもしれないのに……」
「そうだとしても、ここまで人の世界に食い込まれているのなら、もう排除はむずかしいはずです。それをひとりで背負っても仕方がありません」
「違うんです。こうやってファルラに手を引いてもらってるのも、魔族達がそうさせているのかもしれないんです」
「いいえ、違います。これは私が大好きだから、ユーリスの手を引いているんです」
私は安心させるように微笑む。ユーリスが私の目を見て、それからつらそうに目をそらす。また、自分がいなければとか考えているのだろうか。
ここを早く離れないといけない。それからユーリスが、そんなことを考えないようになるまで抱きしめないと……。
私は「大丈夫です」とだけ言うと、ユーリスの手を引いて歩き出した。
■王都アヴローラ 王宮中央 瑠璃宮玄関大階段 ジニア大月(1月)10日 18:10
開け放たれた大きく黒い扉を通り抜ける。外はすっかり暗くなっていて、ほのかな魔法の明かりだけが、少し雪をかぶっている白い大階段を照らしている。
手をつないだまま、ふたりでそこを降りていく。ふいに階段を上がってくる人と目を合わせた。あの白い僧衣は、月皇教会の司祭だろう。白いフードを目深くかぶっていて顔はわからない。後ろにふたりほど同じ格好の者を連れている。
すれ違う。
鋭い眼が私を追いかけてくる。
それを無視してなおも降りていく。
「おや、手をつないでいますか?」
その男の低い声が、私を立ち止まらせる。上へ振り向けば、男がフードを取り、聖職者らしい温かい表情をこちらに向けていた。
「いえ、手を引いていただけです。道がわからないそうなので」
「お気を付けください。私達が勘違いしてしまいますので」
「それは失礼しました、司祭様。我らに月の導きを」
「あなたに月のともしびと安寧を」
その司祭は、私へ静かに微笑む。
「いずれ、また」
そう言うとフードをかぶり階段を上がっていった。その背中には剣が折り重なった紋章とともに「月光を遮る者、汝へ慈悲深き鉄槌を下す」と書かれていた。
いずれ、ね……。
絶対に会うものか。お前たちは私の敵なのだから。
下へ降りると、暗い雪道をわずかな街灯を頼りに歩いていく。風が通り過ぎていく音しか聞こえない。そこは冷たく寒かったけれど、ユーリスと手をつないだところだけが温かく感じられた。
ユーリスがちょいちょいと手を引くと、私に小声でたずねてきた。
「……誰です、あれ?」
「教会の異端審問官ですよ。教義に反する者に神罰の代行をしているそうです」
「それって……」
「ええ、私達のような恋愛を一切認めず、そうした人々を獣落ち、大淫婦と認定しては、絞首台に送っている人達です」
ユーリスが立ち止まる。私は振り返る。
儚げな街灯に照らされた彼女は、寂しそうに微笑んでいた。
ユーリスが手を離そうとする。私は離さない。その手を無理矢理引き寄せると、しっかりつかんだ。
「だめです、ユーリス」
「私はもうすぐ死んじゃいます。でもファルラには生きて欲しいんです。だから……」
「それでもだめです」
「ずっと不安なんです。ふたりで笑っていても、どこかにそれがあるんです」
「不安は無くせばいいんです」
「教会の目。暗躍する魔族達。ファルラを利用しようとする王家の人々。そして、私との別れの日は必ず来ます。そうなら、もう……」
「どうしたんですか、ユーリス?」
ユーリスがコートのポケットの中へ手を入れる。そこから一通の手紙を取り出すと、私へ手渡した。
「これは?」
「アーシェリさんからです。王宮のメイド達とお茶を淹れたときに、アーシェリさん付きのメイドから渡されたんです」
「家で会ったときに直接渡せばよかったのでは?」
「悩まれたのだと思います」
「その悩んだという内容はなんですか?」
「アーシェリさんは、自分が亡くなる前にジョシュア殿下と別れるそうです。耐えられない、人知れず死にたいと……」
私はもうひとつの手で、いらいらとこめかみを押さえた。
「アーシェリは何を考えているのでしょうか……。ジョシュア殿下のそばで支えている人がいなくなると、あれは何をしでかすのか、わからないと思うのですが。過去の歴史でも、愛する人が消えたせいで、凄惨なことになった事例はいくらでもあります。転生前ならジル・ド・レェとか、この世界ではシェルドン伯爵の事件が有名です。アーシェリはジョシュア殿下にそうさせたいのでしょうか。私はそれはおかしいと……」
「あんまりアーシェリさんを責めないでください。私にも同じ魔族の血が流れていて、同じくもうすぐ消えていきます。だから、アーシェリさんの気持ちは、よくわかるんです」
「わからないでください」
「ジョシュア殿下と同じ焦燥感は、ファルラにも感じます。どうにもならないことを懸命にもがくような。それは絶対につかめないものなのに。あると信じていても、それは無いものなのに」
「感じないでください」
「ミルシェ殿下と過ごすファルラを見て、私は胸を締めつられました。子供が生まれて、ああして楽しく過ごす権利は、ファルラにはあるんです。私なんかと暮らすよりも、それはずっと幸せなはずです」
「そんなものは幻想です。幸せというものは、いまこの目の前にしか存在しません」
「私のせいで、ファルラがつらくなる姿は見たくはないんです。だから……」
私は叫んでいた。
「あなたは私を笑顔にしてくれるのではなかったのですか!!」
口から荒く吐き出した白い息が、何度も暗闇に飲み込まれていく。
ユーリスが手を離す。私の手が冷えていく。氷のように冷たく透明になっていく。
私を見ずにユーリスは静かに言う。
「愛しているからこそ、別れたほうが良いこともあるんです」
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次話は2022年12月6日19:00に公開!
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