第9話-⑤ 悪役令嬢と幼い王子は逃げた男を問い詰める



 私と殿下は手を繋いで歩き出した。散らばった食材を慌てて片している料理人の間をたくみにすり抜けて、厨房の奥から開けたままの扉を通って庭に出た。その先には起伏がある白い雪の野原が続いていて、周りには粉砂糖を振りかけたような黒い木立が見えている。

 澄んだ冷気が私達を包み込んでいく。寒いだろうと手を少し強く握ると、ミルシェ殿下は降り積もった雪のその先を指差した。


 「足跡がずっと続いているよ。ファルラお姉ちゃん」

 「はい、殿下。参りましょう。慌てなくて大丈夫ですよ」

 「でも……、相手は男の人だよ? あのメイドさん、なんかされちゃうかも」

 「はい。でも大丈夫なんです。ユーリスは誰よりも強いのですから」

 「そうなんだ。すごいね。ユーリスお姉ちゃんって呼んでもいい?」

 「その呼び方は下の者を呼ぶにはふさわしくありません。ミルシェ殿下が良くても、周りの者が困ってしまいます」


 ふいに殿下が私の手を離す。


 「そんなのどうだっていいよ」


 そう言うと、ミルシェ殿下が白い雪の上を走り出した。足跡の先にある、小さな丘へと駆けていく。


 「殿下、危ないですよ」

 「大丈夫! うわっ」

 「ほら、もう」


 私も慎重に足を速めながら、殿下の元に駆けつける。丘を少し登り、下を見ると、雪まみれになって倒れたミルシェ殿下が嬉しそうに笑っていた。持っていたぬいぐるみも雪まみれになっていて、それも少し楽しげに見えた。


 「殿下、大丈夫ですか?」

 「うん、平気。楽しかった!」

 「お気を付けください。雪は滑りやすいんです。こうして慎重に、ひあっ」


 何か大きな葉のような物を踏んだと思ったら、私も足を滑らしてしまった。ずるずると落ちていくと、殿下のすぐ横で体が止まる。顔を見合わせると、ふたりで笑ってしまった。


 「何してるんです?」


 ユーリスが私達を見下ろしながら、呆れたようにたずねた。


 「いえ、ちょっと。言ってるそばから私が足を滑らすなんて。ああ、大丈夫です。ひとりで立てます。殿下もお立ちください。お手をどうぞ」

 「ありがとう、ファルラお姉ちゃん」


 ぱたぱたと殿下の背中についた雪をはたいてあげる。ユーリスはぬいぐるみを拾うと雪をやさしく払い、それを殿下に手渡した。


 「ありがとう。この子はアプリシアって言うんだ」


 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。ミルシェ殿下が嬉しそうに温かく微笑む。それはまるで雪の妖精のように愛らしく見えた。


 私はその光景に軽くため息をつくと、ユーリスのほうに振り向いた。


 「それで、男は?」

 「とりあえず捕まえたけど、どうするファルラ?」

 「逃げ出した理由については何か言ってましたか?」

 「ううん、何も」

 「私たちを見て逃げたのだから、何か理由はあるのでしょう。ユーリス、男のところまで案内をお願いします」

 「わかった。こっちに縛っておいたから」


 私達はユーリスを前にして、林の方に向かって歩く。少し進むと、大きな木の根元に、男が紐のような黒い物にぐるぐると縛られていたのが見えた。シャドーバインドの魔法をユーリスが使ったのだろう。雪の反射であまり影ができないので、木の影を使ったのかもしれない。いずれにしろ、足を切って動けなくするよりは、面倒そうだった。


 「ユーリス、手間を取らせましたね」

 「いえ、ファルラ様」


 ユーリスがにししと笑う。おでこも雪に照らされてきらりと光る。私は足を踏み出し、ユーリスの頭をお礼代わりにぽんぽんと叩くと、そのまま男の前に歩み出た。


 「この口枷せを外してくれますか?」


 もっとかまって欲しそうにしていたユーリスがしぶしぶ指先を振る。男の顔から黒い物がするするとほどけていくと、そのとたんに男がわめき出した。


 「放せ! 何しやがる!」

 「大声を出さなくても聞こえています。さて、どうして逃げ出したのです?」

 「言うか! どうせお前らシャイロック商会の手先か、衛士なんだろう!」

 「なんです? それはもう言ってるじゃないですか。シャイロック商会と言えば高利貸しですね。私達を借金取りにでも勘違いしましたか?」


 急に男が黙り込む。私はそんな男を見下しながら言う。


 「酒、女、賭け事。さて、何に使ったのでしょうね」


 ミルシェ殿下が男の前に歩き出す。しばらく男を見つめたあと、ぽつりと言う。


 「掛け事だよ。ファルラお姉ちゃん」

 「どうしてです? ズボンのポケットには競馬新聞とか入っていませんよ?」

 「酒だったら酒臭いけどそれがない。女の子に好かれたいのなら、もう少し身だしなみを整えると思うんだ。髪の毛もぼさぼさだし、着ている服もだいぶよれてて古いよ。だから、あとは残った賭け事だと思うんだ」

 「なるほど。それはご明察です。私の代わりに探偵になれますね」

 「本当に?」

 「ええ、もちろん」


 嬉しそうに喜ぶミルシェ殿下を、ユーリスがじっと見ている。


 「捕まえたのは私なんですけど」

 「もちろんユーリスもえらいですよ」


 少しむすっとしているユーリスを無視して、私はその目つきが悪い男に声をかける。


 「あなたのお名前は?」

 「誰が言うか」


 殿下が私のコートの裾を引っ張る。


 「ロマク・ガルディナスさんだよ。前に料理長がそう言ってた」

 「ああ、ガルディナスさんといえば、老舗の食材店ですね。特に肉をよく扱っているところです」


 男の顔が少し青ざめた。本当のことだったのだろう。


 「なぜ借金などまでして掛け事を?」

 「言うか!」

 「では、あのガチョウはどうやって仕入れたのです?」

 「ガチョウ?」

 「ええ、大きなガチョウです。昨日ぐらいに、王子の婚約者のために、あなたが持ってきたものです」

 「ああ、あれか」

 「覚えていたら教えて欲しいのですが」

 「言うか。俺は絶対に何も言わないぞ!」


 噛みつきそうな剣幕で怒る男を見ながら「一日ぐらいこのまま放置したら何でも話したくなるよ」と剣呑なことをユーリスが言い始める。


 私は唇に人差し指を当てる。少し温かい。それを感じながら、私は思いついたことを話してみる。


 「困りましたね。私はミルシェ殿下とガチョウの出所を賭けていたのです」


 不思議そうに殿下が私の顔を見上げる。私は右手でその頭を撫でた。


 「私はあれを南方のフレリア海沿いの物だと思いました。あの肉の張り具合はそのはずです。私は何度も食べているので、わかるのです。ところが殿下は北方の農場で飼育されたものだとおっしゃられまして、ならば賭けてみようと」

 「はっはっは、みんな外れだ。100ギアルかけてもいい」

 「そうですか? 私もかけてもよいですよ? あれは南方産に間違いありません」

 「これは儲けたな。あれは北方のガレンデル産で、あの肥沃な森で冒険者が取ってきたものだ」

 「まさか。野生のガチョウとは思えませんが」

 「本当だとも。放してくれたら、捕まえてきた冒険者をここに連れてくる」

 「まだ信じられません。でも、本当に連れてきてくれるのなら、100ギアル払いましょう」

 「ああ、必ず連れてくる。そうだな、今なら宿屋にいる頃だろうから、1時間後にはここに連れてこれるはずだ」

 「わかりました。ユーリス、シャドーバインドを解いてください」


 ユーリスがさっと指を振ると、ふいに黒い紐が消えた。

 よろけながら、男が私達の前に立つ。


 「王宮の中に見知らぬ冒険者を通すのはむずかしいでしょうから、通っている門の前でお待ちしています。ランディーニ門からですか?」

 「いや、北のガリューナク門だ。あっちに使用人のための通用口がある」

 「わかりました。それではそちらに。このまま逃げないようにお願いしますね」

 「お前たちこそ、金を払わずに逃げるなよ」


 男が指先を私達に向けながらそう言うと、屋敷の外へと走り出していった。

 その姿が遠くに見えるようになると、私はたまらず笑い出した。


 「いや、そのすみません。ちょっとおかしくて。ああいう手合いをこうすればいい、というのは名探偵が活躍する本で勉強しました。その通りになりましたね」


 ユーリスは「はあ」と呆れていた。あれは転生する前の世界で、興味がない私に貸してくれた本だった。


 私は少し屈みこむと、ミルシェ殿下を見つめながら話しかけた。


 「さて、ミルシェ殿下、少々お時間ができました。寒いでしょうから、瑠璃宮で温かいお茶でもいかがですか?」

 「うん!」



■王都アヴローラ 王宮中央 瑠璃宮小応接室 ジニア大月(1月)10日 15:30


 そこはこじんまりとした応接室だった。二人掛けの黒い革のソファーを向かい合わせにし、真ん中には低いテーブルが白いクロスをかけられて置かれていた。横を向けば一面の雪原が大きな窓に映されている。


 若いメイドふたりが、てきぱきと私の前に湯気が立つ白いカップを置いていく。それから後ろに下がるが、部屋を出ていかず、扉のそばで立っていた。


 ユーリスはソファーに座る私の後ろに立ち、いまは静かに微笑んでいるはずだ。他人の目がなければユーリスを隣に座らせているのに、まったく、この身分制度というものは……。


 カップを手に取り、口元に運ぶ。さすが王室のものだけあって香り高い。一口飲む。温かさに体がほぐれていく。でも……。


 「これならユーリスが淹れてくれたほうがおいしいですね」


 見守っていたメイドふたりが殺気立つ。私へ何か言いかけたときに、部屋の扉が開いた。


 「どうしたの、ファルラお姉ちゃん?」

 「何でもありません。体は冷えていませんでしたか、ミルシェ殿下」

 「うん、大丈夫。アルベルトったらひどいんだ。暑いから着替えるって言ってるのに、もう一枚着ろってうるさくて」

 「また外に出るのですから、そのほうが良いかもしれません」

 「ファルラお姉ちゃんまでそんなこと言うの?」

 「ええ、心配しています。お風邪を召されたら困りますから」

 「……うん、わかった。あとで上着をもう一枚着るよ」

 「殿下は聡明でいらっしゃいます。では、時間が来るまで少し考えてみましょう」

 「何を?」

 「ここまで起きたことを整理して、事件を殿下と一緒に推察してみたく思います」




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作者が雪原に寝っ転がりながら喜びます! 雪道はぜひお気をつけを!



次話は2022年12月4日19:00に公開!

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