第8話-④ 悪役令嬢は嫌な貴族と礼儀正しい艦長と話す



■連合王国領 フレリア海上空 空中戦艦エルトピラー 艦長室 デケンブリ大月(12月)1日 17:30


 どの戦艦でも艦長室は他の居住室より広くし、威厳に満ちた作りになっていると、イリーナから聞かされていた。権威の証でもあるし、多くの士官を集めて話しをする場所でもあるし、こうして訪れた客の接待にも使われるためだとか。

 優しい木目の調度品に囲まれたそこは、配膳係の兵士があわただしく行き交っていた。真っ白なクロスをかけられたこのテーブルが、彼らのいまの戦場なのだろう。


 私とユーリスは、その艦長室の丸い大きな窓から、フレリア海に沈む夕日を並んで見つめていた。


 空をところどころ泳ぐ雲が薄紫に染まっている。深い藍色の海はどこまでもなだらかに続いている。

 燃え尽きそうな赤い太陽は、その間へと滑り込むようにゆっくり沈んでいく。

 私達はそれを空の上から眺めている。ふわふわとじんわりと滑るように。

 それは、とてもきれいで、とてもやさしくて、とても感傷的になれる。


 ユーリスがそんな外の世界を見つめたまま、私にたずねてきた。


 「これからどうするんです?」

 「ひとまず聞き込みでしょうか。何人かに昨晩の様子を聞いてみましょう」

 「魔法で探知とかできるといいんですけど……」

 「こうも軍用の防御魔法がかけられているとむずかしいでしょうね。探し物ならすぐ見つけられるクリュオール先生の占いがうらやましくなります」

 「ファルラは授業をさぼっているから……」

 「そういうのじゃありませんよ。私が先生に習っても普通の人ぐらいの精度しか出せませんし。相性というものがあるんです」

 「それじゃ、勇者はなんでドーンハルト先生に習ったんですか? 剣術とかならミュラー先生のほうが良いでしょうに」


 そうか、なるほど……。

 ユーリスはよく核心を突いてくれる。

 よい相性もあれば逆もある。ということは……。

 私はいつのまにか笑っていたのかもしれない。怪訝そうにユーリスが私にたずねきた。


 「もうわかっちゃっていたりするんです?」

 「なんとなくは」

 「誰なんですか?」

 「ここにいます。もうすでに会っています。そして、その人は今頃焦っているでしょう。私達を見てしまったから」

 「さすが、ファルラです。わざと焦らせたのでしょう?」


 ふふ、うふふ。

 ユーリスは私というものがよくわかっている。


 「いいですか、ユーリス。これは欲望にまつわる事件です。人がそれを持ってしまえば、こんな巨大空飛ぶ戦艦も、すさまじい兵器も生み出してしまう。そして難解な事件も」

 「それは私もですか?」

 「ええ、そうです。……生きたくなってしまったのでしょう?」

 「……最近よくそう思えてしまって困るんです。みんなファルラが悪いんですから」


 太陽が沈んでいく。

 私達もあの海へと心が深く沈んでいく。深く、深く、とても深く。

 その先はきっと冷たくて寒い世界なのだろう。

 いずれ私達がそれを迎えるように。


 私はユーリスに開きたくはなかった口を開く。


 「こんなことをしている場合ではないのはわかっています。一刻も早くユーリスの延命方法を見つけないといけません。ですが……」


 ユーリスがふいに私の手を握る。


 「いいんです。こんな景色をふたりで見てるだけで、私は幸せです。だって、ほら。ファルラもわかってますよね?」

 「わからない、ということにしたいですね」

 「もう、ファルラは」

 「でも、その日が来るまではこうしていたいです」


 私はユーリスの手を握り返した。


 「これはファランドール家のお嬢様ではないですか」


 私達はあわてて手を離した。

 その野太い男の声はさんざん聞かされていた。うんざりとしているのを隠しながら振り向くと、にこやかにその男は立っていた。


 「先ほどは名演説をありがとうございます。ザルトラン伯爵閣下」


 でっぷりとしたその中年男性は、返事をする代わりに、私の肩をばんばんと叩いた。


 「いい子が産めそうだ」

 「……そうですか?」

 「君をふったジョシュア殿下は見る目がなかったな」

 「そんなことを言われては、不敬に当たりますよ」

 「はっはっは。あんな小童では王家が持たんよ。それはみんなが思っていることだ」

 「……なるほど」

 「どうかな、うちの息子では? 横の若いもんは、ただの手慰み役なのだろう?」

 「いえ、そういうわけでは」

 「なんだそれは。良くないぞ。ちゃんと貴族の子を孕まないと。貴族の本質は血の繋がりだ。そう習わなかったのか?」


 早くその手をどけてくれないだろうか。そうでないと横で怒り狂っているユーリスを抑えられない。


 「申し訳ございません。教わる頃に母を亡くしたもので」

 「実は君の父上とは仲が良くてな。たまに狩りやサロンで話をしているんだ」

 「それはそれは」

 「うちと姻戚関係を結ぶとなれば、あのにこやかな君の父上のことだ。きっと笑って許してくれるだろう。ファランドール家にも戻れるはずだ。そして子供をたくさん産めばいい。だから今度、うちの息子と会ってみないか? 八男ではあるが、いい話だとは思うぞ」


 私はたまらなくなって話を遮った。


 「待ってください。こんな嫌われ者、ご子息の方に気に入っていただけるとは到底思えません。ご子息にはご子息の事情というものがおありでしょう?」

 「そんなものは、ありはしない」


 ようやく手が離れていった。ユーリスの「掃除道具を見つけてこないと」という不穏なつぶやきが耳元で聞こえる。

 ジャケットのすそをびしっと直しながら伯爵が言う。


 「これからの貴族は、もっと集まって、もっと大きくならないといけない。このままだとじり貧だ」

 「何をそんなに焦っておられるのです?」

 「生き残りだよ。ユスフぐらい大きければ違うだろうがな」


 伯爵が何かを憂いてため息をつく。


 「貴族というものは、魔族を打ち破るか、代わりに王家へ金を差し出すぐらいしか、価値がないものなのだ。いい加減、それには飽きた」


 こいつ……。

 演説ではあれほど王家と貴族で結束して魔族を倒そうと言ってたのに、本心ではこれか。

 あごをさすりながら伯爵は言う。


 「次の大規模攻勢は相当な無理を強いる。ハロルド殿下はまだ人望が厚く、我々も従う余地はあった。だが、ジョシュア殿下ではな……」


 アレな殿下はやはりアレに思われていた。真面目な者が、生真面目に対応した結果なのだろう。


 でも、私は、この人を好きになれない。同じ気持ちになんか、なれやしない。

 私を陥れたジョシュア殿下だけど、あのまっすぐな感じは好きだった。少なくても伯爵の、この汚い狡賢さよりは、ずっといい。


 「それは不満がくすぶる貴族を集めて、挙兵でもされるということですか?」

 「はは。君は勘違いしている。我々はアシュワード家に集う、従順な臣下なだけだ。ただ、誰につくのかは、いささか考えないでもない」

 「伯爵閣下はどなたに?」


 その男は伯爵という皮を脱ぎ捨て、欲望剥き出しの本性を表すように言った。


 「もちろん、自分だ」


 足音がした。振り向くと私達のところに副官がやってきた。変わらず士官の制服をぴしっと着こなし、にこやかに笑っているが、変わらずその目は私達を見下している。

 私を一瞥してから、その人は伯爵に声をかけた。


 「ザルトラン伯爵閣下。お話しがあるとのことです」

 「よし、わかった。運が向いてきたぞ。では、のちほど。ファランドール侯爵令嬢よ」


 礼を告げると伯爵と副官は、私達から離れていった。行き交う兵士のあいだをすり抜けて、部屋の外へと出ていく。

 ユーリスがそれを見届けると、吐き捨てるように言葉を出す。


 「嫌な奴。ファルラのことなんか、本当はちっとも知らないくせに」

 「いいんです、ユーリス。ああいう方は、悪気はないのですから」


 私は少し微笑んで言った。


 「だからこそ余計に悪いとは思いますが」


 入れ替わりにイリーナが部屋に入ってきた。胸元に光る紺碧の宝石と、真っ青なイブニングドレスがとてもよく似合っている。その横には軍の礼服をしっかり着こなしている、やさしそうな老紳士が並んで歩いていた。

 イリーナが私を見るなり、その人をほっといて小走りで駆け寄ってくる。


 「ファルラちゃん。なにか、面白いことでも?」

 「むしろ不快でしたが、まあ過ぎたことです」

 「それは残念でしたわね」

 「いいんです。それよりも、です」


 私は遅れてやってきた老紳士に声をかける。


 「ガッド艦長、直接こうしてお会いするのは初めてでしたね」


 その人は軍帽を取り、丁寧になでつけた白髪を見せながら、そこに手の平を向ける軍式の敬礼をした。


 「光栄です。ドーンハルト先生との実地研究では、よくあなたの名前があがっていました。ファルラ・ファランドールさん」

 「こちらこそ北方の大鷲と呼ばれたあなたと出会えて、たいへん嬉しいです。研究のときは書簡でのやりとりばかりでしたが、初めて会う気はしませんね」

 「兵士が生き残る策や武器を与えてもらえるのは、私達にとっては神と同じですよ」

 「神、ですか」


 私はわずかに目を伏せる。それを感じさせないように話を続けた。


 「先ほどは甲板へ上がる許可をいただき、ありがとうございました」

 「いえ、間近で見たいとおっしゃられたときは驚きましたが……。風が強くてたいへんだったのではありませんか?」

 「この目で見て来いとドーンハルト先生の申し付けでしたから。素晴らしかったです。この私ですら胸躍る勇姿でした」

 「そうおっしゃられるのなら、我々も苦労した甲斐がありました」

 「やはり、あの件でご苦労が?」

 「ご存じでしたか」

 「先ほど勇者本人から調査の依頼がありました」

 「そうでしたか……」


 イリーナが「なんですの? 面白いことですの?」と私のほうを見つめている。


 「イリーナと一緒にお話しをさせていただいても?」

 「……良いでしょう。ユスフ様はこの船の建造に資金の半分を出されている。聞いてもらったほうがよいかと思います」

 「ありがとうございます。皆さんが晩餐の支度で忙しい中ですが……」

 「この奥に私の私室があります。そちらでいかがですか?」

 「はい、そうしていただければ」



■連合王国領 フレリア海上空 空中戦艦エルトピラー 艦長私室 デケンブリ大月(12月)1日 18:00


 艦長の私室は、整理整頓が徹底されていて、軍規の見本のような部屋だった。

 ただ、そこにに年代物ぽい作り机があり、少し不思議に思っていた。

 艦長がその机にそっと手をやる。


 「最新鋭の船には、いささか似付かわしくないものと思われるでしょうな」

 「何かご縁でも?」

 「父の遺品です。50年ぐらい前でしたか。北方戦線で魔族の大規模反抗があったとき、父が艦長をしていた船が落ちましてね。この机はその艦長室にあったものです。空中分解したのに、これだけは柔らかい湿地の上に落ちて壊れずにいました」

 「良い話、と言うべきなのでしょうか?」

 「私にもわかりません。ただ験担ぎのようなものです」


 艦長がふいに私を見つめて訴える。


 「あの勇者をあなた方はどう見られているのですか?」



-------------------------------------------

いつも応援や感想をたいへんありがとうございます!

執筆を続けられるのもひとえにご応援いただける皆様のおかげです。

よろしかったらぜひ「♡応援する」を押してください。

作者が戦艦エルトピラー名物「勇者カレー」を食べながら喜びます!



次話は2022年11月21日19:00に公開!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る