第7話-⑩ 悪役令嬢は出会ってしまった


■連合王国領グレルサブ ファランドール家の屋敷 玄関前 ノヴバ小月(11月)23日 1:30


 母と暮らしていた屋敷は小さなものだった。自分が王都に押し込められていた別邸の半分しかない。

 3階建てで尖塔が1つあり、それより高い庭木に囲まれていて、グレルサブでもやや外れにある、小さな田舎風の屋敷、そんな程度のものだった。

 でも、私はそれが好きだった。そこに思い出がたくさん詰まっていた。


 それが燃えていた。


 薄赤い屋根や窓には、ところどころ小さな青い炎が揺らめいていた。

 屋敷を覆いつくように生えている大木も、あらゆる葉が青白く燃えていた。

 ピシピシという燃えてはじけている音がいたるところからしている。風が吹くたびに、それがより激しく音を奏でる。


 ふたりでその中を歩く。手をつないで前を向いて歩く。


 開け放たれた鉄柵の門から中に入った。

 燃えている小枝を踏むと、ぱきりという乾いた音がした。


 大きなひさしのある玄関を歩き過ぎる。

 打ち砕かれた扉の木片の先にゆらめく青い炎が灯っている。


 地下へ行く扉。自分と母の部屋へと続く階段。寝そべってた居間のソファー。母と笑いながらごはんを食べた食卓。


 そして……。


 喉笛を食いちぎられて、床に置かれている死体たち。


 ユーリスが、あの日と同じ青白い光に照らされていた。


 「戻って来ちゃったね。ファルラ」



■回想 ファルラ14歳の時 グレルサブのファランドール家の屋敷 1階の居間 エルタ小月(8月)10日 19:00


 「話が違うわ!」


 母の大声で、何事かと下に降りてきた。廊下からそっと明るい居間をのぞき見る。お母さんと、角が生えた山羊の骨を頭からかぶった女の人がそこで言い合いをしていた。


 「我が君は裁定を下された。もはやこの私でも覆せない」

 「大公なのでしょ? 闇の栄光が聞いて呆れるわ。あなたが私に魔王を紹介したのよ?」

 「なんともならない。我が魔王の血を分け与えたのだ。それに見合う対価を得られなければ、もはや続けられない」

 「なにそれ……。あなたも言ったじゃない、魔族と人は仲良くすべきだって」

 「すまない」


 母がテーブルにあったコップをつかみ、床に叩きつける。

 割れた音といっしょに、ガラスの破片が飛び散った。


 「すまないですって! そう思うならなんとかしなさいよ! ……私の親友を救ってよ」

 「本音が出たな。まあいい。ここをすぐに破棄する」

 「私はちゃんと作り上げています。人の願いを聞き入れてくれる、人の手で作られた人造神様を」

 「それが危険だと我が君は……」

 「うるさい! あれだけ苦労したものをいまさら壊せって……」

 「そうだ。破棄しなければお前の命すら危うい」

 「いますぐ魔族と人間が仲良くなるように願います。うまくいけば全部、何事も、すべて、改善されます」

 「待ちなさい!」


 山羊の骨の子が、去ろうとした母の腕をつかんだ。


 「いいから離して」

 「お前は思い違いをしている。人が祈るから女神が作られる。女神たちは転生者の魂魄を呼び、人が生まれ、我らを滅殺しようと計る。この連鎖を断ち切るには人を皆殺しにするほかないのだ。仲良くしても解決はしない」

 「多重世界魂魄一定量の法則ですか? 何をいまさら。この世界の人間は大本はすべて転生者でしょうに。記憶が戻らない人がほとんどだから気づかれていないだけでしょ? 魔族ですら……」

 「お前の願いを地上に顕現した神へ祈ったらどうなる? 仮に殺し合いがなくなったとしても、この世界で魂魄が滞留したら、その後の予想がつかない」

 「ねえ、大公閣下。あなたは誰の生まれ変わり? 歴史に名を刻まれた偉い人? それともいたいけな人類にリンゴを与えた蛇?」

 「何が言いたい?」

 「わかるように言ってあげる。私と私の親友が助からないこの世界なんか、本当にどうでもいい。知ったこっちゃないわ!」


 居間を飛び出た母が、影から見ていた私に気がつく。


 「ファルラ、ちょうどよかった。手伝ってくれる?」


 私は怯えた。

 母の目が、あの死んだ子を見ていた目と同じだったから。


 「実の娘まで使うのか」

 「そうよ、大公閣下。この子の魔力量は膨大で、人造神様を起こすには良いトリガーなの」

 「お前は……。なんていうことを……」


 その人は憐れんでくれた。私があの子を憐れんだように。

 助けてもらおうと手を伸ばした。

 その手を母がつかむ。


 「こっちよ、ファルラ」


 母が私を連れて踏み出したそのとき、外から音がした。

 人の叫び声が聞こえる。

 犬の唸り声が響き渡る。

 殺意が私達を探している。

 締め切った玄関をひっかく音がする。


 「我が君、魔王アルザシェーラ様の腹心が来たようだ。すべてをなかったことにすると決めたのだろう」

 「……どういうこと?」

 「もはや終わったのだ」


 頭にかぶった山羊の骨を押さえながら、その女は影にずぶずぶと飲まれていく。


 「待ちなさい! もう……。逃げ足だけは早いんだから。困っちゃうわ。ごめんね、ファルラ」

 「ううん」


 そう声を出すのが精一杯だった。

 怖かった。母は失敗してしまったのだろう。失敗したらどうなる? どうなる……。


 怯えている私に母はやさしく言った。


 「大丈夫。みんな、あなたのためなんだから」


 微笑む母が、私の腕を乱暴に引っ張る。無理矢理歩かされる。


 「マーサ! 手勢を引いて玄関を死守なさい! 私は人造神様を始動させます!」


 母がそう怒鳴る。


 私は怖くなって、母に捕まれていた腕を振りほどいた。「待ちなさい!」と母の怒声が後ろから聞こえる。

 それから逃れるように私は走った。

 居間から出て、廊下を抜けて、台所から中庭へ抜ける扉を、体ごとぶつけるようにして開ける。転びかける。顔を上げる。


 女の子がいた。


 青い月光りに照らされて、その子はいた。


 きれいだと思った。

 女神よりもっと神々しく、魔王よりさらに禍々しく。

 草原のなかで、気高く、まっすぐに立ち、私を見つめていた。


 少し長い黒髪を風に揺らしていた。

 黒いマントのような服には金の飾り止めをつけていた。

 右手には身の丈を超える黒い大鎌を持っていた。

 目は金色に光っていた。

 そして、朱に染まった唇を開く。


 「私が君のお化けだよ」


 手を広げた。それを受け入れるように。


 「いいよ、食べられても」


 彼女になら殺されていいと思った。

 死は怖くなくなった。


 「なぜ、怖がらないの?」

 「私はそれだけのことをしたから。私は悪人だから……」


 険しい顔をする彼女が、ふいに私の向こうを見る。

 振り返ると、私を追いかけてきた母がそこにいた。


 「もう、ファルラ。私は追いかけっこも苦手なのよ」

 「お母さん……」


 母が私を見ず、その先にいる女の子に声をかけた。


 「あなたが私の死?」

 「そう。他は犬たちにやらしているけど、あなたは特別」

 「魔族は私を裏切ったのね」

 「裏切り? それは違う」

 「違わないわ。私はあなたたち魔族から支援されてるの。魔族の血を分けてもらい、人にその血を受け継がせているのよ。みんな仲良くするために!」

 「私は魔王様の剣。ユーリアス・アルザシェーラ。魔族ではなく、すべては魔王様の御心により、お前を断罪する」

 「ふふ、なにそれ。じゃ、あなたがあの……。ふふ。おかしいな。だって。私はあなたのお母さんでもあるから」


 その子は訝しげな表情を母に向ける。


 「……何を、言っている?」

 「卵は私のもの。血はアルザシェーラのもの。生物学的には私はあなたのお母さんだわ」

 「仕えるべき母親はアルザシェーラ様だけだ!」

 「本当に? 本当にアルザシェーラはそう言ったの? あんな子が成せない体で?」

 「……止めろ。そう言われたんだ。だから、絶対に止める。なにもかも!」

 「止める? 私はすべてを犠牲にしたのにな……。どうしてみんな私の邪魔をするのかな……」


 母が私を乱暴に横に退ける。


 「もう少しなの! もう少しで! あの人との約束なの!!」


 母が走り出す。


 「来るな!」


 女の子が体を回しながら大鎌を振り払った。


 血が噴き出す。

 母の右腕が、草原に転がる。

 その落ちた手には細い刃物を握っていた。


 母が切られたところを震える左手で抑えると、少し後ろへよろめく。今にも泣きそうな顔で私へ振り返った。


 私は助けようとしなかった。


 母は死ぬ。

 それは悲しい。つらい。


 でも、安堵した。

 母がもう人を殺さずに済むから。


 私は何もせず、何も動かず、母をじっと見ていた。


 「あなた、本当に私の子供?」


 苦笑いする母が私にそう言った。


 その直後、母の首が跳ねられた。


 温かい血しぶきが私の顔にかかる。

 首は少し飛び、草原の上をボールのように転がって、そして止まった。

 彼女はそれを無表情に見届けてから、大鎌を振り回して血を払う。


 私は暗闇の中に置かれた母の首を見つめながら、私の死を願った。


 「お母さんを殺してくれてありがとう。私も殺して。お願い」

 「どうして命乞いをしないの? 私が殺してきたのは悪人なの。悪人は最後は命乞いをしたり、だまし討ちするものなんだから」

 「私もそうだよ。寒そうなあの子にジャケットをあげたのは、きっと私が『良い人は世の中にはいる』って、騙したことなんだ」

 「違う。そんなんじゃない。悪くなってよ。お母さんみたく立ち向かってよ。そうじゃなきゃ殺せないじゃない!」


 女の子が叫ぶ。それには涙が混じってた。


 私は不思議で仕方がなかった。こんなにも悪い子なのに。

 なのにどうして、この子は怒って叫ぶんだろう……。

 私はよくわからなくなって懇願した。


 「ごめんなさい。どうしたら殺してくれる? いま死なないとだめなんだ。お母さんも月で待っていると思うし。みんなみんな、もう……」


 その手から大鎌が離れた。

 彼女が私の腕を引っ張り、それから抱きしめる。


 魔族なのに温かいと思った。

 魔族なのに、お母さんより温かい……。


 「……どうしてなの?」

 「つらいときはぎゅーってしなさいって、言ってたから」

 「誰が?」

 「私のお母さん」

 「……私のお母さんもそう言ってたよ」


 不思議だった。

 私達はどこか似ていた。

 体も心もどこか……。

 お母さんが言ってたことが本当なら、半分は私のお姉さんなのかな。それとも妹なのかもしれない。


 体をゆっくり離すと、手を握りながら彼女が言う。


 「私、大人になれないんだ。だから私のぶんまで生きて欲しい」


 そう真剣に話す彼女に、私はどういう顔をすればいいのかわからなかった。

 こう言っていいのか、わからないまま言葉を出した。


 「……私は死にたいよ」

 「だめ。アルザシェーラ様にお願いしてみる。きっとひとりぐらい見逃してくれる」

 「いやだよ」

 「私はこう見えても特別なの。きっと聞いてくれる」

 「もう。話を聞いてよ」

 「死にたがらなくなったら聞いてあげる。ほら、顔拭いて」


 彼女は自分の服の袖で、私の顔をごしごしとこする。

 それで満足したのか、「よし」と言うと、彼女は少し微笑んだ。


 「もうひとつの仕事をしなくちゃ。アルザシェーラ様に怒られちゃう」

 「もうひとつ?」

 「うん。人造神様はどこ?」


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作者が大鎌を振り回しながら「僕は大鎌の鎌足!」と叫んで喜びます!


次話は2022年11月12日19:00に公開!

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