第7話-⑨ 悪役令嬢は母を思い出す


 「ここで……、この路地で。子供の頃、同い年ぐらいの女の子と出会ったんです。助けられませんでした。その子も、違う子も。誰も……」

 「ファルラ……。それはファルラが悪いんじゃないよ」

 「そうでしょうか? いつも思うのです」


 私はゆっくりと目をつむると、そっとうつむいた。


 「なぜ私は、母を止められなかったのでしょうか……」



■回想 ファルラ13歳の時 グレルサブのファランドール家の屋敷 2階のファルラの部屋 ケルム大月(9月)1日 12:00


 母に腕を差し出すのが嫌だった。それでも母のためになるならと、それをずっと我慢していた。

 何かの液体を腕に金属のシリンジで注射される。それからすぐ、別の注射器が刺され、血を抜かれる。

 痛くてしょうがなかった。目をぎゅっとつむり耐えていると、母が私にやさしく声をかけた。


 「痛い? ファルラ、もうちょっと我慢してね」

 「大丈夫、だよ……」

 「魔法学園からやっとここまで来たのに、すぐにこうしちゃってごめんね」

 「ううん」

 「はい、終わり。この布を当ててしばらく押さえて」

 「うん」


 母が机に向かう。並んだガラスの試験管に私の血を垂らしていく。


 「どう学校は?」

 「つまんないかな」

 「そうなの?」

 「いろんな子を泣かしちゃった」

 「ファルラ、暴力は……」

 「違うの! ただ、知りたいことを教えてあげただけなのに……」

 「そう……。ねえ、ファルラ。人には聞きたくないこともあってね……」


 試験管の1本が急に光った。


 パリン、パリンパリン。


 次々と光って割れていく試験管。

 母の机の上は、私の赤い血が飛び散っていた。


 「お母さん!」

 「割れた、割れたよ! さすが、私の娘。やっぱり第二次性徴を超えると、いろいろな数値が変化するのね」

 「お母さん……?」

 「あなたは人より何倍もの魔力を持っている。これでお姉ちゃんの役に立てるわ」


 血まみれの机を片付けもせず、母は私の手を引っ張り、隣の部屋へと連れてきた。

 そこにはあの日見た、黒い布をかぶせられた「お姉ちゃん」が置かれていた。


 「ちょっと待ってね。この机に右手を広げて、そうそう」


 母が何か雷銃のようなもの引き出しから出した。素早くそれを親指に当てる。

 ばしゅんという音がした。途端に親指から痛みが伝わる。


 「痛いっ! お母さん!」

 「我慢して、すぐ終わるから」


 親指から、人差し指、中指、薬指、小指。素早く、母がそこへ釘を撃ち込む。


 「痛いよ、痛いっ!」

 「動いちゃダメ。固定しないと魔術紋がずれちゃうから」


 母が痛がる私を抱きかかえる。そのまま机に抑えつけられる。逃げられないことに恐怖を抱き、母の顔を見る。


 「もっと痛くなるけど、ファルラなら我慢できるよね」


 私は涙をこぼしながら、左手で母の腕をつかんだ。


 「よしよし。人に魔術紋を刻むのは、お母さんも始めてなの。ごめんね」


 指先で何度も魔術を描く。魔法陣が励起して光り出すと、それが私の手の甲へ潜り込んでいく。


 ひぐぅぅ。

 手が焼ける。それが動き回る。

 何度も何度もそれが繰り返される。

 歯を食いしばっていても、悲鳴が口から漏れていく。


 「ほら、がんばって。もう少しでお姉ちゃんとお揃いになるんだから」


 にこやかにそう言う母に、私は心から絶望していた。

 今までごまかしていたものが、母の笑顔でじわじわとあふれだした。

 これは本当に私のため? 母は私のことを……。


 それから1時間ぐらい、そうされていた。


 解放された私は、1階へ逃げた。途中で使用人が不思議そうな顔をしていたけれど、かまっていられない。

 居間のソファーで手を押さえ、痛みに耐えていると、母は氷と布を持ってきた。


 「ほら、逃げないで。いま手を冷やさないと、もう二度とペンも持てなくなるんだから」


 そう脅されて、私は手を出すしかなかった。母が布を当てて、その上から氷の入った袋を当てる。ひんやりとして気持ちいいけれど、傷は鈍く、ずきずきと痛いままだった。


 「しばらくそうしていなさいね。マーサ、ちょっと見ててくれる? あれ、いないのかしら」


 母が居間から離れていく。私はその隙に逃げ出した。氷を床に捨て、痛む手を押さえたまま、街へと飛び出した。


 グレルサブは1000年前から栄えている古くて由緒ある街だった。方々に勇者ゆかりとされる史跡があり、荷物を運ぶ小さな運河が街の中を走ってた。

 そして魔族の占領地に近い場所だった。小規模な紛争は何度も起きている。そのたびに町が焼かれ、住んでいた人がここに避難してきた。


 昔は栄えていた街。今は薄汚れた街。

 多くの人があてどもなく、ただ日々を過ごすことだけに精一杯な街。


 私はその中を走っていた。

 屋敷から大通りに出た。とにかく離れたかった。手が痛む。走っても逃れられないのに、ただ走った。


 ふいにパン屋の前で足が止まる。

 母と一緒に買いに来たところだった。


 とたんに罪悪感と焦燥感が湧いてきた。

 私に置いていかれたら母は悲しむかもしれない。あの姉という物をずっと私の代わりにするかもしれない。

 私が我慢すればいい……。

 帰ろうとしたときだった。


 「へぷしょん!」


 誰かが盛大なくしゃみをしていた。店を曲がった先の小さな路地をのぞきこむ。そこには私と同い年ぐらいの子供が座り込んでいた。服は穴が空いてぼろぼろだったし、長い髪や肌はしばらく洗っていないようだった。

 その子が私を見て、にこにこと笑いかけた。


 「えへへ」

 「なんで笑っていられるの?」

 「お母さんがそうしなさいって言ってたから」


 この子もお母さんにひどいことをされたのだろうか。

 少し同情しながら、左手でジャケットのポケットを探る。飴玉がひとつ出てきた。


 「これあげる」

 「いいの?」

 「私のお母さんは、貧しい人には食べ物を分け与えなさいって言ってたから」


 彼女が立ち上がる。それから自分よりも優雅な仕草でお辞儀をした。


 「ありがとうございます。いただきます」


 手を差し出されたので、飴玉を手渡した。それが彼女の手の上で跳ねた。つかもうと手を出したら弾いてしまう。また弾く。ああ、また。なんだか彼女が不思議な踊りをしているように見えた。

 結局、ぽとりと飴玉は地面に落ちた。それを拾い上げると、彼女は何でもないように口の中へ入れた。


 「あまーい!」

 「それ地面に落ちたんだけど?」

 「大丈夫だよ。おいしいし。3秒ルール知らない?」

 「え、いや……」

 「私、ドジだから。こんなふうに飴玉ひとつもつかめないし。お母さんもそのせいで死んじゃった。えへへ」


 彼女は元気に笑う。

 お母さん、死んじゃったんだ……。

 憐れみという感情を始めて理解したかもしれない。


 「可哀そう」

 「そっか。私、可哀そうだったんだ」


 着ていたジャケットを脱ぐと、彼女に渡した。


 「これ」

 「だめだって。君が風邪引いちゃう」

 「私には家があるから。帰ればいいだけだし」

 「でもさ……」

 「大丈夫。無くしたことにする」

 「それでも受け取れないよ」


 私は逃げるように駆けだした。彼女は私を追いかけようとすると、「うにゃ!」と言って転んだ。

 少し心配しながら、何度も振り返りながら、私は家へと帰った。


 翌日。

 朝食のパンを慣れない左手でナプキンに包み、こっそりあの子へ会いに行こうとしたときだった。

 地下のほうから子供の叫び声がする。なんだろうと思い、下へ降りて行った。


 部屋のひとつからずっと叫び声がする。

 扉が開いていた。

 中をのぞき見る。


 あのドジな彼女が鎖につながれていた。

 その前で母はしゃがみ込み、じっと彼女を見つめていた。


 「いやあああ、痛いよおおおおおお!」

 「ねえ、どんなふうに痛いの?」

 「燃える……、体が燃えちゃう!」

 「うーん。魔族の血が人の血を食いつくしているのかな」

 「お願い……! お願いだから……、助けてぇ!」


 黙ってそれを眺めている母がそこにいた。

 やがて彼女は動かなくなる。口から血を垂らしていく。


 「お母さん……」


 それだけ言うと、彼女の目から光が消えていった。

 背伸びをしながら母が立ち上がる。


 「うーん、やっぱり強い魔族の血は、卵のときからいれないとダメかな……」


 母と目が合う。


 「あれ、ファルラ、どうしたの?」


 私は何も言わず、死んだばかりの彼女を指差す。


 「ああ、このジャケット。街でなくしてたって言ってたものね。この子が拾ってきちゃったのかな」


 それに触ろうともせず、母は言う。


 「また買ってあげる。なんなら王都で仕立てても良いわ。最近のお母さんはちょっとお金持ちなの」


 私は無表情にすべてを見ていた。


 母親に殺された子供と、私との違いはなんなのだろう。

 なぜ私は、母に生かされているのだろう……。


 昨日母に傷つけられた右手をじっと見つめる。


 夜になり母の目を盗んで、死んだ彼女の頭をそっと撫でてあげた。

 少し力を入れたら、頭がはじけた。すぐに灰になって飛び散っていく。全身が次々と灰となり、彼女が着ていたぼろぼろの布切れと、私のジャケットだけが取り残された。

 私は彼女が残した布切れをぎゅっと握りしめる。涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。


 ――母は大丈夫。母は私のためにこんなことをしている。母は立派な研究者なんだ。これだって……。


 自分を騙した。誰にも言えなかった。あまりに大きな罪だったから。大好きな母だったから。


 やがて私は彼女と同じように死んでいく人を何十人も見ることになる。

 母はおかしかった。そう思えたのは母が死んだ後だった。



■連合王国領グレルサブ 氷雪の大通り ノヴバ小月(11月)23日 1:00


 誰かが私を呼ぶ声がする。意識が少しずつ焦点を結んでいく。


 「ファルラ、ファルラったら!」

 「……ユーリス、ひとつ聞きたいのですが、良いですか?」

 「うん、何?」

 「この私と人殺しとの差は、どこにあるのでしょう。

  この私と人に仇なす魔族との差は、どこにあるのでしょう。

  この私と母とは……」


 ユーリスが私の体を引き寄せる。そのままぎゅっと私を抱きしめた。


 「お母さんみたく、道を踏み外しそうになったらまた叱る。ファルラはファルラでいてくれたら、それでいいんだから」


 ユーリスの息遣いが聞こえる。ユーリスの温かい手が触れている。

 私は少しずつ自分を取り戻していく。


 「……ごめんなさい、ユーリス。どうもいけません。ここに来ると、いろいろ思い出してしまいます」

 「しょうがないよ。そういうところなんだし」

 「ユーリスも同じですか?」

 「うん、ちょっとね。たださ」

 「なんですか?」

 「一緒にいてくれて、ありがとう。それだけだから」

 「私はいつもユーリスに助けてもらってばっかりです。だから一緒にいてもらわないと困ります」

 「でも、たまに思うんだ。私がいないほうが、お母さんのことを思い出さずに済むのかなって」


 私はユーリスのおでこをぺしっと叩く。「にゃっ」という声を出して、ユーリスがおでこを抑える。


 「あなたは名探偵の助手なんです。私を助ける手でいてください」

 「うん、わかってる。ごめん、変なこと言ったね」


 ユーリスが私の手をそっとやさしく、そして力強く握る。


 「ずっとファルラのそばにいたい。その日が来るまで」


 私達は離れると前を向いた。手を握ったまま、その暗い行先を見つめた。


 「なら、行きましょう。やがて兄君を殺害した犯人もここに来ます。私とユーリスはそれに向き合わないといけません」

 「うん。過去と決別するために」



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作者が「うにゃ!」と叫んで転ぶドジっ子をしながら喜びます!



次話は2022年11月11日19:00に公開!

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