第7話-⑥ 悪役令嬢は少女と食事をとる
■連合王国領ダートム ルドルファス家本宅屋敷 厩舎 ノヴバ小月(11月)22日 11:00
連れて帰ってきた栗毛の馬が、大きなその顔を近づけて、私をべろべろと舐めていた。
「こら、やめなさい。やめなさいって。私は角砂糖ではありませんよ」
そう嫌がると、馬はますます面白くなってきたのか、もっと激しくよだれを垂らしながら、私の顔を舐めまわす。ざらりとした生暖かい感触でいっぱいになる。
厩舎の中で何頭かの馬が、それを笑うようにいなないた。
「よく、見つけたね」
その声で振り向くと、白い温かそうなワンピースを着た少女が綿布を私へと差し出していた。
それを受け取って顔を拭きながら、私は言った。
「アゼリアさん、そこにあると信じれば見つかるものですよ」
「この兄の馬も?」
「そうです。私は兄君が倒れたところから推理して見つけました。少し離れたところの木に手綱を縛って、この子は置いておかれていました」
「もうだめかと思ってた。この馬は兄が自分の手で取り上げて育てていたのに。だから、連れて帰ってきてもらえて、本当に嬉しい」
「なるほど。大事にされていたんですね。あ、こら。この布を噛んじゃいけません」
「ふふ。良かったね、ブレイズ」
馬はひひんと鳴いて、それに答える。
「お聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「うん、なに?」
「手綱を縛っていた木を調べると、何度もそこへ縛っていた跡がありました」
「だから?」
「姉君から、毎日のように兄君が馬で遠乗りしていたと聞かされています。馬を木に預けて、誰かと何度も会っていたかもしれません。心当たりは?」
「ううん、ちっとも……」
「好きな女性とかいらっしゃらなかったのですか?」
「兄はそういうことにうとくて……。そうしたところは姉がもらっていったのだと思う」
「姉上はなぜ婚約者と?」
「少し王都に出向いてた時期が姉にはあったの。兄から世間のことを勉強してこいと言われてたし。王宮で迷ってたとき、親切にされたと聞いてるわ」
「なるほど。もしかしたら兄君は、姉君には助かって欲しいと思い、この家から追い出したのかもしれませんね」
「そうだとしたら、兄はこうなることを知ってて……」
「それはもう、兄君が亡くなられたので、本当のところはわかりません」
私は馬の顔をかしかしとかいてやる。馬は気持ちよさそうに目を閉じた。
「わからないけれど、なぜこうなったかは、私にはわかります」
少女は興味深そうに私を見つめた。何か言いたそうに、探るように、ずっと。
「ファルラー、持ってきたよー!」
桶を抱えたユーリスの元気な声が、私達を振り向かせた。
「ああ、良かった。言ったとおりに穀物をお湯でふやかしてくれましたね」
「温度は、これぐらいでいい?」
「どれ……。ええ、いいでしょう。あんまり熱いとびっくりしてしまいますから」
少女が柵の近くに簡単な造りの台を置いた。ユーリスがその上に湯気が少し立つ桶を置く。馬の首が柵越しににゅっと伸びると、口をまくまくと開けて食べだした。
「さあ、久しぶりの食事です。ゆっくりと食べなさい」
馬の首をそっと撫でてやった。それはなめらかなビロードのように感じた。
ふたりは、その馬の様子をやさしそうに見つめていた。
「さて。私もお腹が空いてきました。ユーリスはどうですか?」
「うん、ファルラ、私もぺこぺこ……、って、あ。ファルラ様、でした」
少女はくすくすと笑いだした。
「事情があるのね。私の部屋で、一緒に食事を取るというのはどう?」
私は笑わずに返事をした。
「ええ、望むところです」
■連合王国領ダートム ルドルファス家本宅屋敷 3階 アゼリアの部屋 ノヴバ小月(11月)22日 12:00
少女の部屋は、貴族の割には現実的だなと思えた。それほど華美な装飾はなく、濃い茶色のテーブルや椅子は実用的なものばかりだった。サイドチェストの花瓶の下に敷かれた白いレースが、女の子らしさを唯一感じた。
ただ、本棚が自分の部屋にある。そのことだけは違和感を感じた。この世界での本はまだまだ貴重で、書架がある部屋に鍵をかけたりして、安易に人を立ち入れないようにしていることがほとんどだった。自室に本棚があるのはまれで、よほど本が好きなのだろうと思った。
部屋に入るなり本棚をずっと凝視している私に、少女が声をかけてきた。
「ファルラさんも何か本を読む?」
「申し訳ないです。あまり詳しくはなくて」
「女同士が愛し合うというお話しが、私は好きよ」
私は何と言っていいのかわからず、あいまいな笑みを浮かべる。
少女が一冊の少し大きな本を手に取り、私に手渡した。
「これとか良いと思う。あなたたちにぴったりだし。結婚した妻が魔族の女に見染められ、夫を殺して一緒に魔族の世界へ旅立つというお話しなんだけど、どうかな?」
「きっと悲劇なのでしょうね。それとも喜劇なのでしょうか?」
今度は少女のほうがあいまいに笑う。
「これは王国劇場でも上演されたお話しなんだけど? すごい人気らしいし」
「ええ、拝見しました。途中までですが」
「そう? それじゃ本より、演劇のほうが好き?」
「いえ、私にはさっぱり」
つかみどころのない私に微妙な顔をする少女を見ながら、なんとなく面白いなと思って、つい笑ってしまいそうになる。
ユーリスが少女を助けるように私へ話しかけた。
「もう、ファルラ。わかんないよ、それじゃ」
「ああ、そうですね。そうだとは思います。そろそろ食事にしませんか、アゼリアさん。朝からよい運動をしたせいか、妙にお腹が空きました」
少女がすぐに執事を呼ぶ。ほどなくして食事が運ばれてきた。テーブルの席に着くと、すぐに執事が皿を並べ始める。
「川魚のソテーですか。よいですね」
「近くに澄んだ川があるの。こうして下男が釣ってきてくれて。料理もうまくて美味しいわ」
「良い香りです。このハーブの組み合わせは食欲をそそりますね。下男の方はなかなか良い知識をお持ちのようです。獣の猟のほうも?」
「このあたりには大きな獣はいなくて。鳥も小さいのばかりだし。猟と言っても、簡単な罠をしかけるぐらい」
「なるほど、下男さんは、姉君にいい加減なことを教えましたね」
きょとんとする少女。もちろん、なんのことだかわからない。私が嫌味を言ったのも姉君には伝わらなかっただろう。
執事がそこへ口を挟む。
「あれは少々、おせっかいで厚かましいところがあります。どうかお許しを」
「いえ、私は。それはどうでもよいことなので」
「どうでも?」
ユーリスが私の袖をつかむ。振り向くと、これ以上は止めろという顔をされる。
「そうですね。まずは食事をいただきましょう。はむっ。うん、よいお味です。塩加減もよいですね」
訝し気な顔をする少女は、優雅に魚を切り分けて口に運ぶ。同い年だった頃の私には、できない所作だった。父に雇われた家庭教師が振るう小さな鞭に、手を打打ち据えられたことをふと思い出す。
私はパンをちぎり口に運びながら、少女にたずねてみた。
「アゼリアさん、近くに親戚の人とか、学者とかは住んでいませんか?」
「いないけど……、それが何か?」
「お姉さんは結婚したら相続を放棄するかもしれません。そうしたらあなたが次期当主になります」
「そうなるけど、それが?」
「もし兄君を殺した犯人がいるとして、その動機がこの家の相続だった場合、次に狙われる可能性があるのは、アゼリアさんになります」
「馬鹿げているわ。親戚は2、3人いるけど、みんな遠くに住んでいるし、そもそもこの家が嫌いでみんな近づかない」
「伝承のせいですか?」
「ええ。信じているのよ、あれを」
「さて……。伝承ってどうやって作られるのでしょうね?」
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作者がセリを腹に詰めた川魚のソテーを作りながら喜びます!
次話は2022年11月8日19:00に公開!
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