第7話-⑤ 悪役令嬢は現場検証をする
誰かがいる。
眠気が瞬時に遠のく。ユーリスを起こさないよう慎重にベットから離れる。私は暗闇しか映していない窓へと近寄った。しばらく外を見つめていたら目が慣れてきた。そこは荒涼とした大地が続いているようだった。右側にちょっとした丘が見える。
あ、また光った。3回、またたく。丘のふもとから。かなり遠い。どんな人がいるのかわからない。
それから30分ほど見つめ続けたが、何も起きなかった。
「なんでしょうか、あれは……」
私は窓から遠ざかると、ベットに入り、ユーリスの温かい手を握る。そうしていたら何も考える暇もなく、すぐ眠りに落ちた。
■回想 ファルラ10歳の時 グレルサブのファランドール家の屋敷 地下研究室 ノヴバ小月(11月)21日 13:00
ようやく母に会いに来れた。社交界に出るための礼儀作法やダンスの習得は苦しかったし、父の叱責も厳しかった。それでもこの日のために耐えてきた。
母に会えるのなら、私はなにをされてもかまわない。母の役に立つ、母に愛されるって、そういうことなのだから。
地下の研究室にいるだろうと思った。屋敷に着いてからまっすぐそこへ向かう。いない。いつもの椅子と机の前にはいなかった。
どこに行っているんだろう。外に出ていく母は思い浮かばなかった。地下の別の部屋にいるかもしれないと思い、いろいろな扉を開いていく。
5番目に扉を開いた部屋に、それがあった。
部屋の真ん中に黒い布で覆われた丸いものが置かれていた。背の高さは私と同じぐらいで、私が両手を広げて抱えようとしたら、たぶんできるぐらいの大きさ。
水槽とか丸太とか、そんな感じに思えた。でもよくわからない。なんだろうと思い、近づいてみる。そのとき何かを踏む。下は紐のようなものがたくさん出ていて、それが絡み合い、何かの魔術紋のように見えた。
覆いがずれていた。
慎重にそこから中を見る。
分厚いガラス。何か大きな瓶の一部のように思えた。
その中には黒い液体が満ちているように見えた。
こぷりと泡が下から上がっていく。
急に不安になる。いまこの場を母に見られたら、なんて思うだろう。
証拠を隠すように、私は黒い覆いを直そうとした。布に手をかけたとき、それが見えた。
「ひっ」
短い悲鳴を上げた。唐突に人の手があったから。私の腰のあたりぐらい。ガラス瓶につけられた小さな箱からそれが生えていた。
触る。
ぴくりと動く。
生きている。
なんだろう、これ……。
手を握ってみた。暖かい。ただそれだけだった。その手はぐんにゃりとしたままだった。
「あちゃー、見つかっちゃったか」
びくっとして振り返る。困ったような母の顔が見えた。私にそっと近づきながら、母は優しく言う。
「どこに行ってたと思ったら。お母さんね、かくれんぼは苦手なの」
「これって、手のお化け?」
「違うんだけど、うーん。魔術は手に宿るから、しかたなくここは人のままにしたんだけど……、って言ってもわからないか。まあ、お化けかもしれないね」
「そうだったら怖いよ」
「怖くないって。ほら、お姉ちゃんにあいさつしなさい」
「お姉ちゃん?」
「そうだよ。ファルラより前に生まれたんだから」
そういうと黒い布ごしに母はそれをやさしく撫でた。
やさしそうな顔、うっとりとした目。
そんな母を見て、私はその不思議なものに嫉妬した。
これは私の代わりなんだろうと思ったから。
■連合王国領ダートム ルドルファス家本宅屋敷 2階客室 ノヴバ小月(11月)22日 6:30
寒さを感じて、私は目を覚ます。目をぎゅっとつむる。嫌な夢を忘れようと毛布を引き寄せようと思ったけれど、結局起きることにした。
その日の朝には、どうしても現場検証をしなくてはいけなかった。今日は雪が降ると言う。少女の言う通り、このままだと何もかも隠されてしまう。早いうちがいいだろう。
ユーリスを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。どんよりと抑えられた明るさが、ユーリスのやさしそうな寝顔を照らしている。思わずおでこを叩きたくなる。
憎いのに愛している。これがこの物語のテーマ。ユーリスも、そのひとり。
……私の母を殺したけれど、私はこんな彼女を愛している。
また嫌な夢を見そうになって、何も考えないようにするために手早く支度を始めた。服を着たまま寝てしまったせいで、だいぶしわになってしまった上着と格闘してみる。どうにもならない。あきらめて持ってきた緑のジャケットと白いブラウスをかばんの中から取り出すと、さっとそれに着替えた。
階下に降りると、ちょうど執事のアルフレドさんと鉢合わせした。男爵の様子やこれからの葬儀の段取りなど、いくつか話を聞いたあと、兄君が倒れたところへ行く道を尋ねたら、だいぶ困った顔をされた。もうすぐ朝食だというのを無理に断り、玄関を出ようとしたら、太くて実用性しかないステッキを持たされた。武器の代わりだろうか。黒い犬を本気で心配しているようだった。
「さて、朝の散歩へ行きますか」
そうひとりごとを言うと歩き出す。手には人を殺せそうなほど重いステッキを握りしめながら。
■連合王国領ダートム ルドルファス家本宅屋敷前の荒野 ノヴバ小月(11月)22日 7:00
冬の風が吹いていた。耳にはずっとその音が通り抜けている。空気には緑と土のにおいがしっとりと混じっていた。肺一杯にそれを吸い込む。
気持ちがいい。
朝だというのに、空は灰色に満ちていたけれど、影が差した下草と何千年前からそこにいる岩石が散らばった、その荒涼とした風景は、私には案外心地よかった。
そんな中をひたすら歩いていた。ふかふかとした苔の道。小さな丘を登り、わずかな水の流れを越えていく。
教えられた目印の木や岩を超えていく。20分ほど歩いただろうか。盛り上がった小山のちょっとした崖のようになった下にそれはあった。
血だ。血が飛び散っている。
黒くて赤いものが、岩や下草に痕をつけていた。それは少し広く、10歩ぐらいの範囲に散らばっているようだった。
その真ん中あたりに踏み込んでみる。苔や這うような草が生い茂っているところに、血がべったりとついていた。
「これは……」
血の量が多すぎる。大量出血。首の動脈の切断。死ぬ間際は脳に血が行かなくなり、なかば失神していたはずだ。
犬の足跡を探す。苔からはみ出た平たい石に、確かに犬の足跡のようなものがくっきりとあった。自分の手のひらより大きい。それは真ん中より少し外れにあった。
いくつか探すと、崖下の石や平たい苔のところに踏んだ跡を見つけられた。それは周囲を取り囲むように付けられていた。
私はまた血が飛び散っている範囲の真ん中へと戻る。
目をつむる。
想像する。
熊とかいった大型の動物は、獲物をしとめたらあまり動かない。その場でぶんぶんと振り回す。食べ物に動かれては安心して食べられない。だからとどめを刺す。
それを真似て首を振り回す。死体は飛んでいく。そして私がいる位置に兄君は横たわる。血が飛んだ方向を考えて逆にたどる。このあたり。ああ、やっぱり。少しくぼんでいる。ここにそれはいた。
それからどうしたのだろう?
死体の周りをこうぐるぐるとまわる。流れ出た血が足に付いてしまう。ここに右脚、ここに左脚、この平たい石の足跡は左脚だ。足跡をたどれる。歩幅からわかるのは、大人二人分の背丈はある四足歩行動物。複数ではない。一匹しかいない。足跡が混じっていないから。
そうなら……。
なぜ、そうしたのだろう?
私は人差し指を口元に当てながら考え出す。
いわゆる犬の「おあずけ」をされていたように思う。これ以上食べるな。どうして? これは恣意行動だから全部食べられたら困る。なぜ? 死体を見せることが、あの家への警告に繋がるから……。
やはり、誰かが黒い犬を使役している。そして、男爵はそれを知っている。だから……。
今度は別の視点に思い当たる。
「なんで、こんなところまで兄君と犯人は来たのでしょうね。しかも徒歩で」
ここに来るまで馬の跡はなかった。
屋敷や町からはちょっと離れている。
この場所である意味があるはずだ。
私は歩きながら考える。すぐそばの盛り上がった小山に上る。
乗っていた馬をつれていけない理由。馬を見せたくない。誰に? 馬が犬に怯える。としたら、犬を連れた誰かに合っていた?
それなら……。
いつのまにか小山の一番高いところにいた。少し広く荒れ地を見渡せる。
私はそこにあるだろうと思うものを見た。
5分ほど歩く先に木が密集しているところがあり、風ではない揺れ方をしていた。
反対方向にはかすれた血の跡がずっと続いて、起伏のうねりの中に消えている。
私は選ばなくてはいけなかった。
もし推理が当たっているのなら、あの林の中には2日以上もつながれたままの兄君が乗っていた馬がいる。そして、その反対側には、犯人へ通じる道がある。
雪が降れば、すべては隠されてしまう。
どちらを選ぶべきだろうか。それとも選ばされているのだろうか。
冷たい風が私の頬をやさしくなでる。
「ふふ、うふふ。なかなかやりますね。でも……、でもですね。私が選ぶのはこちらだったりします」
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なんとこの話で通算50話になります。
これもひとえにご応援いただける皆様のおかげです。
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作者がアイリッシュウルフハウンドの真似をしながら喜びます!
次話は2022年11月7日19:00に公開!
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