第5話-⑨ 悪役令嬢は先生たちを買収する
■王立魔法学園 505号研究棟 通称「薔薇園」 オクディオ大月(10月)18日 17:00
わずかに差し込む夕陽が薔薇の花を赤く染めていた。それは燃えるように咲き誇り、スポットライトを浴びたようにきらめいていた。
ふと花に触れてみる。トゲに気をつけながら触れる。やさしく撫でる。
しっとりとして、やわらかくて、はかなくもろい触感が、手先から伝わる。
ふいに濃く甘い薔薇の香りが私を包む。
私に懐かしさを与えて通り過ぎていく。
――母は薔薇の花が好きだった。よくこうして「可愛がってあげて」と、隣で眺めていた私に言っていた。
顔を上げる。古めかしい灰色のレンガで作られた建物が、私と薔薇を取り囲む。
研究棟のささやかな中庭。
そこは人気がなく静かで、誰にも知られることなく赤い薔薇の花が無数に咲き、そして散っていた。
少し遠くにある研究棟の木扉が、音を立てて開く。
こめかみのあたりを抑えながら、私を待たせていたその人が小走りでやってきた。
「遅くなってすまない」
「いえ。大丈夫です。サイモン先生」
「イリーナ・ユスフ君や生徒会長は良かったのかい?」
「ええ。でも。巻くのに骨が折れました」
「なら、連れてきても」
「あのふたりには、先生との話しを聞かれたくなかったので」
「そうか……」
薔薇の花をゆっくりと愛おしむようにまた撫でる。
「子供だった頃、母とこうして薔薇の花を触っていました」
「魔族は薔薇を嫌うという話があってね。子供に薔薇の花を触らせるのも、よくある魔除けのおまじないだ」
私はそのままサイモン先生を見ずに話しだした。
「ありがとうございます、先生。現地を直接見たのは、先生でしたから」
「言わないでおく、というのは、なかなか難しかった」
「言ってしまっても、仕方がないとは思っていました。先生には理がないことでしたから」
「理はあるよ。ギルファ・ウェアデラ先生に関係することだからね」
「サイモン先生は母がいなくなって好都合でしたか?」
「疑っているのかい?」
「ええ。ここで母の後を継いだ人ですから」
「そうだろうね。でも、君のお母さんは私達にとても意義深い教訓を残したんだ」
ボタンを外す音がして、サイモン先生のほうへ振り向いた。
彼はワイシャツのボタンを上から3個ぶん外して、その首元を私に見せてくれた。
首のまわりをぐるりと黒いいれずみが取り巻く。入り組んだ魔法の紋様。
「爆発する魔術紋ですね」
「ああ。だから私はいつでも清廉潔白でなくてはいけなくなった」
「なるほど。魔法学園への裏切りが露呈すれば、きっと首と体が離れるのでしょう」
「そうだ。君から言われたギルファの遺産を譲るという話は、これがあるから聞くことはできない」
「では、なぜ私の話を?」
「贖罪だ」
服のポケットから銀色の細い鎖を取り出す。その先には小さなペンダントが下がっていた。
「これを渡しておく。君のお母さんのものだ」
サイモン先生から受け取る。銀色の貝殻ような形をした、そのペンダントには、少し見覚えがあった。
「いつ見つけたのです?」
「追放が決まり、彼女の研究室を片付けていたときだ」
「いつでも私に渡せましたよね?」
「ファルラ君、君はずっとこの『薔薇園』には近づかなかった。私の授業もほとんど受けなかったね? だから、渡しそびれていた」
ぷらりぷらりと私の手で揺れるペンダントを見つめる。
サイモン先生はそんな私をじっと見つめていた。
ちょっと息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「ここに来るのが怖かったのです。母を知ってしまうから」
「薔薇園は君のお母さんの城だったからね」
「いまでは少し知りたくなりました」
それを聞いたサイモン先生がうつむいて言う。
「そうだと知っていたら、早くに教えていた。来なさい」
先生が速足で研究棟へ向かう。それについていくのは、なかなか大変なぐらいに。
建物の中は薄暗く、古いくたびれたような廊下には、夕陽が斜めの光を投げかけていた。私達はそんなところを歩いていた。
「最初は大したことではなかった。魔族の血の特性を調べるため、ネズミとかに与えていた。やがてすぐには死ぬが、魔族並みの身体能力を得る個体が出てきた」
サイモン先生が立ち止まる。引き戸をガラガラと開けると、その先の少し大きな部屋に入った。細い木の棚がいくつも並んでいて、大小さまざまなガラス瓶がそこに並んでいた。
ネズミ 投与100mg 吐血 3日後死亡。
ウサギ 投与300mg 脳の肥大 5日後死亡。
イタチ 投与800mg 手足の壊死 1日後死亡。
ひとつひとつのガラス瓶に付けられた、少しのしみがあるラベルにはそう書かれていた。ガラスが曇っていて、中を見ることはできないが、あまり見ないほうが良いものだろうということは理解できた。
「そのとき勇者が逃げ出す事件が起きてね。私達だけでなんとかするほかないという気概が生まれた。君のお母さんとコーデリア先生が、この分野を引っ張った。連合王国からも莫大な予算が付いた」
棚をすり抜けるように奥の扉へたどり着く。
そこを開ける。
小さな窓のない部屋。
いくつもある棚。
暗闇の中で、ぼんやりと光るガラス瓶。
「結果を出そうとみんな焦っていた。追い詰められていたんだ」
ガラス瓶は前のものより大きくなっていた。
あきらかに、その中は人間の一部だった。
「言い訳にはなりませんよ」
「そうだな、ファルラ君。その通りだ。今にして思えば」
サイモン先生はそう言いながら、棚からガラス瓶のひとつを手に取る。
その中は青白く光っていた。
サイモン先生は、その瓶を私にそっと渡してくれた。
中身をよく見る。
人の小指。
青白く燃えている。
やがて燃え尽きると、じわりじわりと肉片が形作られ、小指の形を取り戻す。
「母の……、ですか?」
「採取をした。『グレルサブの惨劇』を解明するために仕方がなかった」
「こんな形で、ここに戻れていたのですね。母は」
「すまない」
「何に謝っているのです?」
「それは……」
答えを探し始めたサイモン先生に、私はそっけなくガラス瓶を返した。
「今日ここに来たのは、知りたいことができたからです」
「なんだい?」
「なぜ、母はここを追い出されたのです?」
ガラス瓶を抱えたままサイモン先生が遠くを見つめる。
「コーデリア先生は言っていた。怖かったのだと」
「怖い? また、ですか。あのときも私に対して怖いと……」
「好きな人が得体のしれない物を産む。しかも信頼のおける助手として、経過を観察する。私なら気が狂って自殺している」
「母をここから追い出せば、研究を止めると思ったのでしょうか?」
「設備がないと難しいからね。自然に収まるとでも思ったのだろう」
ガラス瓶をたいせつそうに棚に戻すと、サイモン先生は何かと対峙するように私を見つめた。
「僕からはひとつだけ聞かせてくれ」
「なんでしょう?」
「神は作れたのか?」
「ええ。母は作りました。詰めが甘かったですが」
「そうか……」
目をつむると、サイモン先生は絶望したようにうつむいた。
ガラス瓶の標本達が、それを責め立てているように思えた。
私はそれを気にせず聞きたいことを聞いた。
「コーデリア先生は結局あれを見たのですが?」
「ああ。怖がっていたよ、とても」
「怖い……ですか。母、神、そして私」
そして、このペンダント。
開けるのは怖い。
でも、私は……。
私はコーデリア先生とは違う。
指先でぱちりと開く。
そこに入っていたのは、細くて柔らかな黒髪の小さな束だった。
ああ……。
研究よりも……。
あんなものよりも……。
コーデリア先生よりも……。
ペンダントを胸元でしっかりと抱きしめる。
「何が入っていたんだい?」
「私の髪です。子供の頃の。まだ母と同じ黒い髪の頃だったときの」
「そのペンダントは、ギルファ・ウェアデラ先生に私が師事していたときも、ずっと首から下げていた。大丈夫だよ、君はちゃんと愛されていた」
カツカツ。
杖で床を叩く音がした。
扉の方を向くと、帽子をかぶった老婆がそこにいた。
「それはなんだい? この年寄りに教えてはくれないのかい?」
「クリュオール先生!」
「サイモンのお坊ちゃん。まだ、こんな気味の悪い洞窟に閉じこもっているのかい?」
「……なぜ、ここに?」
「よくない占いの卦が出てね」
「待て、首の魔術紋は作動していないぞ」
「かっかっか。ああ、そうだろうとも」
老婆が帽子を手で押さえながら身をひるがえす。跳躍する。あっという間に私の目の前にいた。
「どうだい、ギルファの遺産を私に譲る気はないかい?」
「それが目的ですか、クリュオール先生」
「ああ、そうだよ。あのままにしとくのは実に惜しいからね」
「嫌です」
「かっかっか。そうだろう。そうだろうけどな、無理やり奪うのは、私は昔から大好きなんだ」
クリュオール先生が杖を振りがざそうとしたその時、サイモン先生か叫んだ。
「やめなさい!」
「やめないよ。やめなかったらどうするのだい?」
「この首の呪文を無理に引きちぎれば、君らが吹き飛ぶと言うことだ」
老女は口を大きく開けて笑い出す。
「かっかっか。頭が固いね、坊ちゃん」
必死だったサイモン先生が、その様子にあっけをとられて、その手を所在なく下ろしていく。
私はよくわからなくなって、老婆にたずねた。
「あんなものを使ってどうするのです?」
「神に祈るんだよ」
「むずかしいですよ、願いをかなえるのは」
「ああ、私には無理だろうさ。でも、いまの学生にならどうだ? そしてまた新しい学生に……。いつか人は完全な神を作り、魔族などという不幸の元凶を退治してくれるだろうよ」
何かを見抜くように老婆は私を見つめる。
私は不思議に思った。そう。不幸の元凶の「動機」だ。
「クリュオール先生、魔族の目的とはなんなのです? なぜ、人に敵対しているんです?」
「わからんよ、そんなことは」
サイモン先生が首を振る。
「ああ、私にもだ。ただ、この研究だけが、ギルファ・ウェアデラ先生の研究だけが、魔族にとって脅威だったのはわかっている。暗殺者を差し向けたぐらいだからね」
それはそうだ……。あれは魔族にとっても脅威だった。
でも、なぜ?
「そうですね……。んー、わかりました。すべてが終わりましたら母の研究記録はすべて学園へ寄贈します」
「ほう、いい子だ。最初は私に見せるんだよ」
「ええ、かまいません、クリュオール先生」
私は老婆の生気のない手を握る。
「代わりにユーリスを」
「かっかっか、良い目だ。私の若い頃そっくりだ。いい取引をしようじゃないか」
「サイモン先生も良いですね」
「……ああ。わかった」
密談の中で契約を結ぶ3人を、何人かの標本たちが薄暗い部屋の中で見つめていた。
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作者が「世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために」とつぶやきながら喜びます!
次話は2022年10月21日19:00に公開!
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