第5話-④ 悪役令嬢は先輩に頼み込む


 テーブルの上に立った男の学生が、怒りながら何度も先輩を指さす。


 「軟弱である! 貧弱である! そんな格好しているから、風紀が弱体化し、人類は魔族に負けるのだ!」

 「これの? どこが?」

 「男の服を着るな! ズボンやジャケットなど女が着るものではない! スカートを履いて男に媚びてろ!」


 とたんに男たちが、やんややんやと拍手しだした。「そうだ、その通りだ」という合いの手も入る。

 それに気を良くしたのか、男がにやりと笑う。


 「それともお前が、俺たちの代わりに北方へ行ってくれるのか?」


 下卑た笑いがした。魔族に犯されるのがオチだとか、卑猥な言葉を叫び出す。

 何かがウケたらしく、テーブル上の男の学生が笑い出した。腹を抱えて、足を踏み鳴らして笑いまくる。皿が落ち、美味しそうな野菜や肉を床にまき散らしてバリンと割れた。


 鋭い目を学生たちに向けて、先輩が冷たく言う。


 「いいけど」


 怒りが込められた低い声。

 聞いた者をみんな震えあがらせてしまう声。


 みんな黙った。

 私ですら先輩を見つめてしまった。


 先輩がその様子をただじっと眺めていた。

 何かの呪縛が解けたように学生はわめく。


 「いいだと? むざむざと魔族に殺されるんだぞ?」

 「殺されなきゃいいんじゃん」

 「お前は女だからそう言えるんだ!」

 「それが、どうかしたの? ねえ、あんた、頭固くない? ドラゴンのクソでも詰まってんの? 便秘1年目ぐらいの」

 「なんだと! 女のくせに!」


 先輩が腰に手をやると、最後の一手を言い放った。


 「弱い癖に粋がるな。まるで子犬のようにかわいいぞ」


 ありえないほど顔を赤くして、学生は激高した。

 あんなに人の顔色は変わるもんなんだなと、ぼんやり思った。


 「このアマ!」


 テーブルを飛んで、先輩に向かって殴りかかる学生。

 ひょいとそれを難なく避けた先輩。

 勢いをつけたままコケる学生。


 それは、そのまま私達のテーブルの上に、滑るように倒れてきた。


 「わっ、ってなんでお茶碗を持ってるんですか?」


 生徒会長がこぼれた煮込みの汁を浴びながら、そんなことを言う。


 「まあ、いつものことですから」と私は答える。

 「慣れたものです」とイリーナは答える。


 学生はつっぷしていたテーブルから身を起こすと、また先輩に襲い掛かった。


 無駄なのに……。

 先輩は殴らない。避け続けるだけでいつも勝ってしまう。


 だから何でもないように、これも身軽に避けた。

 学生はつんのめってしまい、他の席の椅子に頭から突っ込み、ばらばらと壊してしまった。

 それを見た連れの学生たちが、殺気を上げながらすぐに立ち上がった。

 こうなったらもうダメだ。


 「逃げますよ。ああ、ちょっとイリーナ。そろそろ食べるのを止めるべきです」

 「あと、3口ぐらいなのですが……。仕方がありませんね」

 「はい、生徒会長も立って走ってください」


 混戦になっているところを気づかれないように抜けながら、店の出口に向かう。


 「先輩、例のとこで!」

 「あいよー」


 3人の学生がタックルしてきたのを避けながら先輩はそう言う。

 急いで店の扉を開け外に出る。夜に向かい人が増えた市場を駆けていく。

 懐かしかった。よくこんなことを1年前にはしていた。

 でも、今は……。


 「やっぱり迷惑料を多めに置いてよかったです。今頃ぐちゃぐちゃになってるでしょうし」

 「イリーナ、そんなに置いてきたのですか?」

 「ええ、あの店が買える程度ですけど」

 「さすが」


 生徒会長が息を切らしながら聞いてくる。


 「いつもああなのですか?」


 ぶつかってきた行商人を軽やかにかわしながら、イリーナが答えた。


 「だいたい誰かが襲われるのです」

 「どういうことです?」

 「ファルラちゃんは遠慮なく言っちゃって恨みを買いやすいですし、先輩はああいう格好でからかわれることが多いですし」


 店先で銅貨と入れ替わりに素早く手にしたリンゴをかじりながら、私はそれにぼんやりと付け足す。


 「イリーナは……。違う意味でお近づきになりたい人が殺到しますから」


 露店からはみ出たテーブルをひょいと避けながらイリーナが言う。


 「だいたい逃げることになるんです。そうして逃げた先が同じになってしまい、なぜかこの3人は仲良しなのです」

 「そうですか…。苦労しているんですね。いや、はた迷惑と言うべきでしょうか……」


 そう言うと、走りながら生徒会長はずっと難しい顔をしていた。

 店先の灯りでぼんやりと染まった市場を、私はちょっと楽しく思いながら駆けていった。





■王立魔法学園 学園校舎脇にあるロマ川ほとり オクディオ大月(10月)15日 21:00



 魔法学園の東側には、王都にも通じているロマ川が流れている。私達はよくそのあたりを逃亡先にしていた。

 いつもの場所。

 そう思わせておいて、違う場所。

 先輩にあらかじめ伝えていた場所。


 私は、ふたりからはぐれたフリをして、ここに来ていた。


 秋の草が生い茂る土手を登ると、うねっている黒いものが広がっていた。そこに丸い月がゆらゆらと映っている。

 ふと下を見ると、川の水のすぐそばに人が立っていた。私と同じ、黒い川を見つめていた。


 「グリフィン先輩」


 その人が振り向く。ちゅーちゅーと何かの袋にストローを刺して吸っていた。そこから口を離すと、先輩は無表情に私へ声をかけた。


 「遅かったね」

 「先輩が早すぎです。どうしたんです?」

 「すぐに私も逃げたよ。体もほぐれたし」

 「運動代わりに店で暴れないでください」

 「いいじゃないか。人それぞれだよ」


 先輩の目が細くなり、私に妖しい笑みを向ける。


 「さあ、密談の続きだよ。ファルラはどうするんだい?」

 「あさっての開廷に向けて、いくつか手を打っています」

 「7人の先生はなかなか手ごわいよ?」

 「そうですね……。その通りではあるのですが。まず、軍略筆頭のドーンハルト先生はご自身で動かれるでしょう」

 「そういうのが好きな先生ではあるけれど、先生にとって良いことはあるのかい?」

 「動きます。3番目のプレイヤーとして。彼には欲しいものがありますから」

 「へえ。それは何?」

 「まだ、言えません」

 「それは残念」

 「ミュラー先生は武闘家として正しい方です。魔族が関係している事件なのですから、厳しい処断を求めるでしょう」

 「でも、あれは今日からんできたような学生を擁護しているんだ」

 「そうなんですか?」

 「ああ、あれはタカ派だよ。戦いたくて仕方がない感じさ」

 「なるほど……」

 「学園長と教頭のハルマーン先生は、比較的公明正大かな。クリュオール先生は自身の占いで何かを予見していたら、動くかもしれない」

 「医術筆頭のゼルシュナー先生はいじわるですが、実地で人を助けろと叫ぶような人です。信念的には学園長と近いでしょう」

 「そして、サイモン先生」

 「いちばん魔族に近い学問の先生です。コーデリア先生も動くとしたらそこです」

 「だってよ」


 ぼんやりとした暗闇の中で、イリーナが私を見つめていた。


 「ああ。ついて来ちゃいましたか、イリーナ」

 「ファルラちゃん、私も何か役に立ちたいのです」

 「裁定者として普通にいてもらえたら大丈夫です。何が起きても普段通りに」

 「……ええ、わかりました」

 「そして身辺警護を手厚くお願いします。接触してきた相手を必ず疑ってください。私ですらそうしているのですから、向こうもそのままというわけでもないでしょう」


 ふいにイリーナが私を抱きしめた。脂肪の塊に押しつぶされる。


 「こ、こら」

 「私はちゃんとそばにいます」

 「はいはい」


 先輩の低い声が響く。


 「で、私に何かして欲しいんだろ?」


 抱きつくイリーナを押しのけると、先輩はニヤニヤとした意地の悪い顔を浮かべていた。


 あれは偶然ではなかった。私が呼んだ。ふたりには秘密で。

 このふたりにおかしいところがあれば伝えて欲しいとお願いをして。


 イリーナがここに来てしまったのは誤算だった。


 ……仕方がありません。もう時間もない……。


 私は今日先輩に相談したかったことを話し出した。


 「はい。表立って動けない生徒会長とイリーナの代わりに、先輩のネットワークで先生方の動向を集めて欲しいのです」

 「受講している学生やほかの先生たち、贔屓にしている商店、食べ物屋、飲み屋……、そんなとこでいいかい?」

 「さすが先輩、話しが早い」


 んふふ、と笑う先輩。そして、すぐ真剣な表情になる。


 「で、お前は何をくれるんだい?」


 何も言い返さない私に、先輩は話を続ける。


 「ひとつを得て、ふたつを与えよ。何事も交換だよ」


 ふいに私は転生前の記憶にあった言葉をつぶやいた。


 「人間とは取引をする動物なり。犬は骨を交換せず。ですか」

 「わかっているじゃないか」

 「なら、私ではいかがでしょう?」


 イリーナが「ファルラちゃん!」と叫び、私の腕を引っ張ろうとした。それを手で制止しながら、言葉を続ける。


 「この裁判に勝てる材料を揃えてもらえたら、私は先輩の言うことを何でも聞きます」

 「へえ。それはいいね」

 「何しろいまは身一つなので、それぐらいしかありません」

 「切れるカードはまだたくさんあるだろうに」

 「ない、ということしてください」


 それを聞いて先輩は少し考えこんでいた。

 揺れる水面の月を後ろにして、先輩はようやく話し出した。


 「この世はすべてゲームだよ。取引と駆け引き。ファルラも裁判をそんなふうに楽しむといいさ」

 「あんまりそんな気にはなれませんが」

 「私にこんなカードを突き付けておいて、それかい?」

 「はい」

 「はああ……。まあ、いいや。わかったよ。その条件でいい」

 「ありがとうございます」

 「なに、悪いようにはしないさ。何かしたら君のメイドに怒られるからね」

 「助かります。先輩」


 先輩は微笑んでいた。とても面白いものを見つけた、猫のように。




■王立魔法学園 女子学生寮「赤薔薇のつぼみ荘」イリーナの部屋 オクディオ大月(10月)18日 8:00


 その日。学園裁判が開かれるその日。

 イリーナは、パンとスープの簡単な朝ごはんを私と一緒に部屋で取った後、「今日は久しぶりにユーリスと会うのですから、おめかししませんか?」とたずねてきた。少し考えた後「髪を結うぐらいなら」と、私はイリーナに話して、あとは任せることにした。


 なめらかな曲線を持つ椅子に座ると、その後ろからイリーナの手がやさしく私の髪に触れた。少しずつブラシでくすぐるようにすいていく。

 少し開けた窓からは、秋の花の甘い香りといっしょに、爽やかな風が流れてきていた。


 「ファルラちゃん、ユーリスが早く戻ればよいですね」

 「ごめんなさい、イリーナ」


 イリーナのちっともそう思っていない声に、つい私は謝ってしまった。

 だから後ろから抱きしめられても、それは仕方がないこととは思った。



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作者がカンフー映画に出てくる食べ物屋で長椅子を蹴飛ばして敵の攻撃を防ぎながら喜びます!



次話は2022年10月16日19:00に公開!

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